今すぐ攫って!





 イタリアは世界有数の観光大国である。
 観光大国の名に相応しく、石畳が敷き詰められた道路や白を基調とした石造りの建物など、街の景観は情緒溢れる美しいものだった。又、街に並ぶ建物の中には遺産と呼ばれて遜色ない歴史的建造物もあり、それが更に街を彩っている。街を行き交う観光客や住人達も、見事な建造物から漂う独特の威圧感に古い歴史を感じ、それに敬意を表しながら思いを馳せるのだ。それら趣きある建造物を楽しむ人々は、まるで一人ひとりが舞台の主役のようですらある。
 そう、此処は街そのものが一つの劇場のようだったのだ。
 だがその中で、一風変わった男が街を疾走していた。
 男が疾走する姿に、行き交う人々は「何ごとだ?」と囁きあうが、男がそれを気にする余裕はない。男は自分が注目を浴びている事も構わず、ましてや街を飾る建造物など目もくれず、死に物狂いといえるほど必死な形相で街を駆け抜けていたのだ。
「ぅおおおおおおお!」
 男は雄叫びにも似た声を上げ、鬼気迫る表情で走り続けている。
 そんな男の目にはじんわりと涙が浮かび、今にも大量の涙を流してしまいそうだ。
 青年に近い年齢の男が泣いてしまうなど恥ずかしい事であるが、それは仕方がない事である。何せ、その男とはランボなのだから。
 幼い頃から泣き虫の称号を欲しいままにするランボにとって、泣くことなど日常茶飯事の事だった。
 しかし今のランボは完全に泣きだす事はない。それは、今の自分には泣いている暇すら無いことが分かっているからである。
 足を止めれば殺される、今のランボの頭にはそれだけしかなかった。
 こうした今のランボは注目を集めまくっているが、それは鬼気迫る凄まじい表情の為ではない。ランボの今の服装のせいだったのだ。
「畜生……っ、何でこんなに走り難いんだよっ」
 ランボは苦々しく呟くと、両足に纏わりつくスカートをたくし上げる。
 そう、スカートである。しかもそれは普通のスカートではなく、ウエディングドレスのスカートだったのだ。
 今のランボは純白のウエディングドレスを着ており、銀の刺繍があしらわれたフリルやレースがドレス生地を愛らしく飾っている。又、腰周りからふんわりと広がるスカートは走るたびにふわふわと波打ち、まるで白い花弁がひらひらと舞っているようにすら見えた。
 本来、男がウエディングトレスなど似合う筈がないが、ランボの整った容姿と大人になる成長段階の身体は違和感を覚えさせる事はなかったのである。
 ランボの乳白色の素肌に映える翡翠色の瞳は長い睫毛に縁取られ、垂れた目尻からは薫り立つような色を感じさせる。それはくるくる変わる表情から普段は可愛らしいと形容される事が多いが、時にハッとするような艶やかさを感じさせる事があった。
 それらの整った容姿と、縦にばかり伸びる成長段階の身体はほっそりとしており、むしろ純白の衣装がランボの整った容貌を際立たせているくらいだ。
 こうした容貌をしたランボが純白のウエディングドレスを身に纏い、景観の美しい街を駆け抜ける姿は映画のワンシーンのように見えたのだ。
 しかし残念ながら、今のランボは映画の役者気分に浸る暇などなかった。
「待てー! 待てと言っているのが、分からないのかー!!」
 ランボの背後から男の怒鳴り声が響く。
 背後に迫る荒々しい足音は十数人にも及ぶもので、そのどれもが堅気で無い雰囲気を纏った厳つい男達であった。
「待てと言われて待つヤツなんている訳ないだろ!」
「待たないと撃つぞ!」
「撃てるもんなら撃ってみろ! オレは花嫁だぞ!」
 ウエディングドレスを身に纏った人間、それは即ち花嫁である。花嫁とは大事にされるべき存在であり、それは世界共通のルールだろう。
 その世界共通ルールをフェミニスト精神に則って信じるランボは、追い駆けられる状況でありながらも強気に言い返した。
 だが。
 ――――ガゥンッ!
「う、撃ったー! 本当に撃つなよ馬鹿!」
 だが、世界共通ルールはランボに対して発揮されなかった。
 有限実行とばかりに、背後から銃弾が襲ったのである。
 幸いにも銃弾はランボに命中する事はなかったが、それでも発砲されたという事実は変わらない。
「銃なんて卑怯だ! このウエディングドレスが見えないのかよ!」
 花嫁って本来は大事にされるもんじゃないの? とランボは気丈に言い返すが、背後の男達は黙れとばかりに更に銃を発砲しだした。
「ち、ちょっと……っ、うわっ、わ、うわあああああん!!」
 背後から襲いくる銃弾の雨。それらは威嚇射撃であったが、ランボはとうとう盛大に泣きだしてしまった。
 泣きながらも走り続ける姿は勇ましいが、どこか情けないものがある。
 しかし、それでもランボは真剣だった。
 今のランボは形振り構わなかった。それ程に命懸けだったのだ。


 この光景を遠巻きに眺めていた街の人々は、逃げる花嫁の姿に「映画のロケかしら?」としか思わなかったのだった。






 ランボが追われている頃、リボーンは久しぶりの休暇を自分の邸宅で過ごしていた。
 今日は愛人達との約束もなく、緊急の仕事が入らない限りはのんびりできるのである。その為、久しぶりの休暇に機嫌を良くしていたリボーンは、今日は本でも読んで過ごすか……と寛いで過ごす事を決めていた。
 こうしてリボーンは、余計な壁を無くした広い間取りのリビングで、上質な革張りソファに身を沈める。そして気分良く休暇の一時を過ごそうとした、その時。
 ――――ガンッガンッガンッ!
 玄関扉が凄まじい勢いで叩かれた。
 その音で、リボーンの表情か一瞬で怒気を顕わにする。
 突然の騒音に休暇を邪魔された事が腹立たしかったが、それ以上に騒音を発生させた人物の気配に怒気を深くしたのだ。
 リボーンにとって、この気配の人物は認めたくないがよく知ったものである。そう、それはランボだ。
「開けてよー! 開けてよ、リボーン!」
 ガンッガンッガンッ!
 このまま放っておこうと思ったが、玄関から響く騒音は一層大きなものになっていく。それはリボーンの怒りを煽るには充分なものだった。
 リボーンは忌々しげに舌打ちすると、怒りを顕わにしたまま玄関に向かう。
 そしてリボーンは破壊せんばかりの勢いで扉を開けた。
「煩せぇぞ! 黙らされ――――っ」
 てぇのか! と続く筈だった言葉は続けられなかった。
 扉を開けた瞬間、「リボーン、助けて!」とランボが飛び込んできたのである。
 しかもそんなランボの姿を目にした瞬間、リボーンは怒りを通り越して唖然としてしまった。
 それというのも、扉を叩いていたのは予想通りランボだったが、その姿は予想を遥かに超えたものだったのだ。
 そう、今のランボは普段の牛柄シャツではなく、純白のウエディングドレスだった。
「帰れ」
 リボーンは何も見なかった事にして扉を閉めようとする。
「待って待ってっ、ドア閉めないでよ!」
 リボーンは無視して扉を閉めようとしたが、ランボは焦った様子でそう言った。
 挙句に閉められようとした扉を強引に抉じ開け、必死の形相で「お願いっ、オレを匿って!」と逃げるように部屋の中に入ってしまったのだ。
 そんなランボの様子は半泣き状態ながらも鬼気迫るもので、リボーンの直感が面倒事を察してしまう。嫌な予感を覚えたリボーンは、せっかくの休暇を守る為にランボをさっさと追い出してしまう事にした。
 だが。
「あそこに逃げたぞ!」
「追えー!」
 だがリボーンがランボを追い出そうとする前に、外から見知らぬ男達の怒鳴り声が響いてくる。
 男達の怒声はランボが逃げ込んだリボーンの邸宅に向けられており、勇ましい勢いでこちらに向かってきていた。
 こうした男達は一目で同業者だと分かる雰囲気を纏っており、リボーンは僅かに眉を顰める。
 しかも男達はリボーンの前まで来ると、「どけ!」と口々に声を荒げだした。
「此処にウエディングドレスを着た男が逃げ込んだ筈だ! 痛い目に遭いたくなかったら出せ!」
「さっさとしろ! 死にてぇのか!」
 扉の前で立ちはだかるリボーンを邪魔そうに見る男達は、今にもリボーンを押し退けそうな勢いである。
 そんな男達を面倒臭げに見ていたリボーンはランボを突き出してやろうかと思ったが、ふと男達が手にしている銃に目を細めた。
 銃口が向けられる先はリボーンであり、それを目にしたリボーンは口元に薄い笑みを刻む。
「死にたいかだと? いい覚悟だ。此処が何処だか分かっているんだろうな?」
 リボーンは男達を見据え、楽しげな声色で言い放った。
 しかし声色は楽しげなものであるが、言葉は言外に『この俺に銃口を向ける意味が分かっているか』と問うものである。
 そんな今のリボーンは微かに殺気をちらつかせており、それは男達を後悔させるには充分なものだった。
 そう、リボーンにとっては子供騙しのような殺気であるが、男達にとっては背筋が震撼するほどのものだったのである。
 殺気に曝された男達は金縛りにあったかのように硬直していたが、その中の一人がハッと表情を変えた。
「こ、この男、リボーンだ……っ」
 一人がリボーンの名前を発すれば、それを中心に男達に緊張が走る。
「リボーンだと……?!」
「何故この男が……!」
 驚愕を隠しきれない男達は、愕然とした様子でリボーンの名前を口にした。
 そう、裏社会においてリボーンの名前を知らない者はいないのだ。
 アルコバレーノであり、超一流ヒットマンであるリボーンの存在は、欧州全土だけでなく世界中のマフィアの中で知られており、その存在は畏怖の対象ですらあったのである。
 男達は、自分達が銃口を向けている相手がリボーンだと知り、慌てた様子で銃を引っ込めた。
 そんな男達の様子に、リボーンは男達を見据えて「俺に用でもあるのか?」と嘲るような口調で言った。
 それはリボーンにとって軽い一睨みである。
 しかし、男達にとっては生きた心地がしないものだった。
 リボーンの一睨みに、男達は青褪めてじりじりと後退り始めたのだ。
「よ、用なんて、そんな……っ」
「突然悪かった……っ、用なんて無いんだ……っ」
 焦った様子で弁解を始める男達に、リボーンは「そうか」とゆっくり頷いてみせる。だが。
「失せろ」
 この一言で全てが片付いた。
 リボーンが「失せろ」と低く言った瞬間、只でさえ青褪めていた男達の表情が血の気を無くしたのだ。
「ひ、引くぞ! 引くぞ!」
 そして一人が逃げ出せば、男達は我先にと退散していく。
 その姿は裏社会の人間とは思えぬほど間抜けなもので、リボーンは嘲笑とともにそれを見送った。
 こうして嘲笑を浮かべていたリボーンであったが、その表情は直ぐに不機嫌なものへ変化していく。そう、邸内にはもう一人追い出さなければならない者がいるのだ。
「アホ牛……っ」
 リボーンは苛立った様子で吐き捨てると、ランボが逃げ込んだリビングへ足を向けたのだった。





 リボーンがリビングに戻ると、確かにランボはそこにいた。
 しかも今のランボはソファの影に身を隠し、怯えたようにぶるぶると身を震わせている。
 ウエディングドレス姿で逃げ回るという状況が理解出来ないリボーンは、ランボの状況に微かな頭痛を覚えてしまった。
「出てけ」
 不機嫌な形相のまま、リボーンは苛立った口調で言い放つ。
「やだっ、出てったら殺される!」
「此処にいても結果は同じだ」
 そう言ってリボーンが懐から銃を取り出せば、ランボはビクリと肩を震わせた。
 しかしどんなにランボが怯えようと、リボーンが構うことはない。
「もう一度繰り返す。出てけ」
 声色を低くし、脅すようにリボーンは繰り返した。
 これは普通の人間であればそれだけで失神しそうな威圧感であるが、ランボは気丈にも「絶対嫌だ! オレが死んでもいいのかよ!」と言い返す。
 ランボは幼少時から打倒リボーンを掲げてきた為、常人より多少の脅しには免疫があるのだ。
 だが。
「なら死ね」
 そう言ったリボーンが銃口をランボに向け、引き鉄に指を掛ける。当然ながら安全装置は解除されており、本気で発砲し兼ねないリボーンにランボは血の気が引いた。
「ま、まま待ってっ、待ってよリボーン!」
 免疫が出来ているとはいえ、幼少時に刻まれた恐怖は早々克服出来るものではないのだ。
 慌てたランボは「理由くらい訊いてよ!」と、リボーンの気を逸らそうとする。
「理由だと?」
「そうそう理由! 気にならない? オレ、大変な目に遭ってたんだから!」
 自信満々な様子で「大変な目に遭っていた」と断言するランボ。
 そんなランボにリボーンは呆れてしまうが、実際ウエディングドレスで逃走する破目になった理由が気にならなくもない。
 しばらくリボーンは思案したが、「簡潔に話せ」とソファに腰を下ろした。
 こうして理由を聞く態勢になったリボーンに、ランボはホッと胸を撫で下ろすと、切々と理由を語りだすのだった。


   ***


 ランボがウエディングドレスで逃走する破目になった原因は一週間前に遡る。
 一週間前、ランボは今月の『風呂掃除頑張ったで賞』を獲得する為に、ボヴィーノ屋敷の風呂掃除に精を出していた。
 鼻歌混じりに機嫌良く掃除を進める中、ドン・ボヴィーノに執務室まで呼び出されたのである。
 大好きなドン・ボヴィーノに呼ばれれば掃除などしておれず、ランボは急いで執務室に向かった。
 そして執務室に入ったランボを迎えたのは、ドン・ボヴィーノの穏やかな笑顔。
 ランボは、優しく穏やかなドン・ボヴィーノが大好きだった。その存在はランボにとって本当の父親のようであり、何を置いても優先したいと思える人物である。
 しかもそう思っているのはランボだけでなく、ドン・ボヴィーノもランボを本当の息子のように思っており、ランボを目に入れても痛くないほど溺愛していた。その溺愛ぶりは裏社会で知らぬ者はいない程で、ランボは『ボヴィーノの箱入り息子』とまで呼ばれている程であったのだ。
 しかし何と呼ばれていようとドン・ボヴィーノとランボには関係無く、又、ボヴィーノファミリーの構成員達も気にする事はなかった。むしろ構成員達は、本当の親子のように仲睦まじいドン・ボヴィーノとランボを笑顔で見守り、ドン・ボヴィーノと同様にランボを可愛がっていたのである。
 そう、ボヴィーノは裏社会に属するファミリーでありながら、平和主義ののんびりとした明るいマフィアだったのだ。
「ボス、お呼びですか?」
「おお、ランボ。風呂掃除中に悪かったね」
 こっちへおいで、とドン・ボヴィーノは穏やかな笑顔でランボを手招きした。
 ドン・ボヴィーノの側まで駆け寄ったランボは、今にも「ボス〜」と飛びつきそうな満面笑顔である。
「ボス、今夜は一番に風呂に入ってくださいね。オレ、頑張ってピカピカにしますから!」
「ああ、是非入らせてもらうよ。ランボが洗った風呂はいつもより気持ち良いんだ」
 のん気な会話であった。それはとてもマフィアのものとは思えないが、ドン・ボヴィーノは笑みを深くして言葉を続ける。
「ランボは料理に掃除に何でも出来るようになったな。偉い偉い、感心だ」
 しかもドン・ボヴィーノがそう褒めれば、周りにいた幹部達も「ランボは偉いな〜」や「なんて凄いんだっ」や「大人になったな」とベタ褒めなのだ。
 それはファミリー外の者が耳にすれば思わず呆れてしまうような会話だが、ボヴィーノファミリー内においては日常会話なのだった。
 こうして執務室内にはアットホームな暖かい雰囲気が流れていたが、ふと、ドン・ボヴィーノが神妙な表情になって「ランボ、聞いて欲しい話がある……」と話を切り出した。
 突然変わってしまったドン・ボヴィーノの様子に、ランボはおろおろしてしまう。
「何かあったんですか……?」
 心配気にランボがそう訊くと、ドン・ボヴィーノは重い口を開いた。
「ランボ、――――結婚を考えた事があるか?」
「…………え?」
 結婚。この思わぬ言葉にランボはきょとんとしてしまう。
 結婚という言葉は身近なようで身近でなく、ランボは理解が遅れてしまったのだ。
「……結婚ですか。いずれしたいと思っていますが、まだ深く考えた事はないです……」
 ランボは差し障りない返事を返した。
 そもそもランボはまだ十五歳なのである。結婚を想像する事はあっても、実現させるのは法律的にも難しい事なのだ。
 しかしドン・ボヴィーノは「そうか……」と重く頷くと、躊躇いながらもゆっくりと口を開いた。
「ランボ、お前に結婚の申し込みが来ている」
 今度こそランボは理解が出来なかった。
 結婚という言葉は知っているが、自分にその申し込みが来ているなど予想もしていなかったのである。
「ボ、ボス、それは……っ」
 動揺してしまったランボは突然の事に言葉が見つからないが、ドン・ボヴィーノは神妙な面持ちで言葉を続けた。
「どうやらお前に一目惚れしたらしくてね。是非結婚したいと申し込んできたんだ」
「そうなんですか……」
 どうして良いか分からないランボは、困惑しながらも小さく頷いた。
 しかしこうして頷いて見せながらも、それは了承の意味ではない。だいたい結婚の返事など安易に出来るものではないのだ。
 だから、ランボは断わるつもりでいた。
 縁談を持ちかけてくれたドン・ボヴィーノや、自分に結婚を申し込んでくれた女性に申し訳なく思うが、それでも今の自分には早過ぎると思うのだ。だから、ランボはこの結婚話を断わるつもりだった。
 そう、ドン、ボヴィーノが次の言葉を紡ぐまでは。
「で、その相手なんだが、ボヴィーノと懇意にしているファミリーの者なんだ」
 この言葉に、断わるつもりだったランボの意志が揺らいだ。
 ボヴィーノと懇意にしているファミリーの関係者という事は、ボヴィーノファミリーにとって大切な相手という事である。
 そんな相手と縁を深める事は、ボヴィーノファミリーにとって利益になる事はあっても不利益になる事はないだろう。
 ボヴィーノファミリーを愛するランボは、ファミリーの為なら生涯を捧げても悔いは無い。
「……ボス。オレは、その方と結婚しようと思いますっ」
 ランボは決心したかのような、力強い口調でそう言った。
 だが、そうしたランボの決心に、何故かドン・ボヴィーノの方が「なに?!」と派手に驚いたのだ。
「こ、断わってもいいんだぞ? ランボ、無理をするなっ」
 ドン・ボヴィーノは焦った様子でランボを説得しようとする。
 それはまるで「結婚を撤回しろ」と言わんばかりの口振りだが、ランボは「いいえ、無理なんてしていません」と殉じることを覚悟したように首を振った。
 そんな今のランボは殉教者役を演じる三流舞台俳優のような微笑を浮かべており、『ファミリーの為に』という言葉に完全に陶酔してしまっているようである。
「いや、だが、相手は……」
「何もおっしゃらないでください。相手の方の事はよく知りませんが、それでもオレは愛せると思います」
 陶酔したランボはドン・ボヴィーノの言葉を遮るようにそう言った。
 そう、ランボは結婚を申し込んできた相手の事はよく知らない。それどころか見た事も喋った事もない相手である。
 しかし今のランボにとって、そんな事は些細な事だった。
 ボヴィーノファミリーの為なら、例え顔すら知らぬ女性でも愛する自信があったのである。そして何より、ランボはフェミニストである事を自負している。女性であるという事だけで、ランボにとっては大切にするべき存在だと位置づけられるのだ。
 そんなランボに愛せない女性などいる筈がない。例え仔猫ちゃんと呼ぶにはおこがましい年齢の女性であったとしても、それを通り過ぎて老婆と呼ばれる年齢であったとしても、自分は仔猫ちゃんと呼んで愛するだろう。
 しかも今回は相手から結婚を申し込んできたのである。いきなり結婚を申し込むなんて、なんて情熱的な女性だろうかと、ランボは好感さえ覚えてしまいそうだった。
 こうしてランボは結婚を了承し、しかも結婚式は一週間後に開かれる事になった。
 結婚式が一週間後だと知らされた時は、さすがのランボも「そんなに急がなくても……」と疑問を覚えてしまう。
 だが、単純なランボがその疑問を長持ちさせる事はなかった。
 ランボは「そんなに急いでまでオレと結婚したいなんて、情熱的で健気な人だな」と都合の良い方に自己完結したのである。
 こうしたランボの了承によって一気に縁談は纏まり、ランボの結婚式が一週間後に行なわれる事になったのだった。




 一週間後。
 今日はとうとう結婚式の当日である。
 結婚式までの一週間を慌ただしく過ごしていたランボは、結局自分の結婚相手の事を知る事は出来なかった。その上、ボンゴレなどお世話になった人達への挨拶も済ませていない。その事が気掛かりであったが、それは後日開かれる披露宴で行う事にした。
 今日開かれる結婚式は、神の御前で夫婦の誓いを行なう式なのである。突然だった事もあって小さな教会しか予約を入れられず、こじんまりとした結婚式になる予定なのだ。
 こうして結婚式当日を迎えたランボは、早朝から教会に入って準備を進めていた。
 最初は緊張と興奮、僅かばかりの不安を覚えていたランボだったが、準備を始めて直ぐに「あれ?」と疑問を浮かべた。
 その疑問とは、自分に差し出された結婚式の衣装である。
「あの……、これは……」
 ランボは衣装を受け取りながらも、覚えた疑問を膨らませていく。
「これ、どう見てもウエディングドレスなんですが……?」
 そう、ランボが差し出された衣装は花嫁が着用するウエディングドレスだったのである。
 それに疑問を覚えたランボは「何か変じゃないですか?」と問うが、準備を手伝ってくれている女性達は何の違和感も覚えていないようだった。
 ランボはそれを不思議に思いながらも、単純明快な思考回路のお陰で「きっとこういう趣味の女性なんだろう」と都合良く自己完結させたのだった。



 こうしてランボはウエディングドレスを着用し、薄っすらと化粧までして準備を終えた。
 そしていよいよ式が開かれる時間である。
 教会の鐘が鳴り響き、パイプオルガンが奏でる荘厳な演奏でランボはヴァージンロードを歩いた。
 赤いヴァージンロードに純白のウエディングドレスが映え、それは映画のワンシーンのような光景である。
 ヴァージンロードを進むランボは真っ直ぐに祭壇を見据え、そこに生涯の伴侶となる人物の後ろ姿を見た。
 その人物はドレスではなくスーツを着用しており、しかも身長や体格はランボより立派なようである。
 その事にランボは「あれ?」とまたしても疑問に思うが、やっぱり「そういう趣味の女性なんだろう」としか思わなかった。
 この時、ランボは祭壇で待つ人物を『ちょっと変わった趣味を持っているが、きっと愛らしい女性だ』としか思っていなかったのだ。
 だが。
「お待ちしていました」
 祭壇の人物がそう言ってランボに振り向いた、その瞬間。

「――――なっ、う、あっ、ぎゃああ……!!」

 ランボの口から言葉にならない悲鳴があがった。
 生涯の伴侶となる人物を見た瞬間、ランボはあまりの事実に衝撃を隠しきれなかったのだ。
 この時になってランボはようやく知ったのである。
 自分が花婿ではなく花嫁だった事を。
 そう、結婚相手が男だった事を…………。


 その後、当然ながらランボが事態を受け入れられる筈がなく、ウエディングドレスを着たまま逃走したのだった。



   ***


「――――という訳なんだ。勘弁して欲しいよね、男が仔猫ちゃんになれないのは常識なのに」
 ランボは今までの経緯を説明すると、最後にそう締めくくった。
 だが、話を聞いていたリボーンは聞いてしまった事を後悔する。
「俺は、お前の口から常識って言葉が出るのが許せねぇぞ」
 アホだアホだと思っていたが、ここまでアホだと返って清々しいくらいだ。
 リボーンは事の経緯を聞いて盛大に呆れると、「さて、追い出すか」とランボを本格的に追い出すことに決めた。
 これ以上関わることは自分の精神衛生上良くないと判断したのである。
 しかし、リボーンが実行に移そうとした時。
 ――――プルルルル。プルルルル。
 不意に、ランボの携帯着信音が鳴り響いた。
 突然響いた着信音にランボはビクリと肩を揺らすと、恐る恐る携帯画面を確認する。
「ど、どうしよう……っ、ボスからだっ」
 ランボは着信相手がドン・ボヴィーノだと知ると、青褪めた表情になった。
 今まで無我夢中で逃げてきたが、よく考えればそれはファミリーに不利益を齎す行為なのである。
 それにようやく気付いたランボは、「ボス、絶対怒ってるよ!」と半泣き状態になった。
「リボーン、どうしよう〜っ」
 ランボは助けを求めるようにリボーンを見るが、呆れかえるリボーンが相手にする筈がない。
「俺が知るか。ウゼェからこっち見るな」
「何だよ、少しは助けてくれたっていいのに……っ」
 恨みがましくそう言ったランボは「リボーンのケチッ」とムッとしてしまう。
 このままランボは愚痴を零し続けそうになるが、それは鳴り響く着信音によって気を逸らされた。
 リボーンの助けを得られない今、この事態を一人で切り抜けなくてはならないのだ。
 ドン・ボヴィーノからの着信を無視する事は出来ない為、ランボは覚悟を決めたように大きく深呼吸した。
 そして、緊張に強張った表情で着信ボタンを押す。
「……も、もしもし、……ランボです」
 ランボが搾り出した声は、今にも泣き出しそうなほど震えたものだった。
 しかしランボは涙を我慢し、必死な思いで電話の応対を続ける。
「はい。今はリボーンの所にいます……」
 ランボはドン・ボヴィーノに自分の所在地を伝えると、後は黙ったまま携帯の向こうから響く声を聞いていた。
 リボーンもドン・ボヴィーノの言葉を拾い聞きしていたが、内容は軽い注意といったところである。
 その内容は聞いていたリボーンが「もっと派手に叱ってやれ」と思うほど軽いものだったが、ドン・ボヴィーノを敬愛するランボにとっては一言一言が重い言葉のようであった。
 こうしてドン・ボヴィーノの注意が進むにつれ、ランボの表情がどんよりと沈んでいく。
 そんなランボの様子に、リボーンは「これくらいで落ち込む人間が、今までよくマフィアなんて名乗ってられたな」とせせら笑っていた。
 だが次の瞬間、今まで黙っていたランボが「もういいです!」と電話口に向かってぶち切れた。そして。

「オレだって相手が男だって知らなくてビックリしたんです! 身も知らない男と結婚するくらいなら、
 ――――リボーンと結婚します! オレ、本当はリボーンと付き合っているんです!」

 勢いでそう言ったランボは、そのまま「えいっ」と携帯の電源を切ってしまった。
 そして通話が途切れると、室内に訪れたのは静寂。
 ランボは電源が切れた携帯画面をしばらく見つめていたが、次に「え、えへへ……」と誤魔化すような笑みを浮かべてリボーンを振り向く。
「ごめん、嘘吐いちゃった……」
 ごめんね、と引き攣った表情で笑うランボ。
 リボーンは格下を相手にしない主義であるが、例え格下だろうがここまで殺意を覚えたのは初めてなのだった……。






 次の日。
 ボンゴレ屋敷の執務室には、ボンゴレ十代目である沢田綱吉の大きな笑い声が響いていた。
 執務室内のソファには苛立った様子のリボーンがいるが、綱吉は構わずに笑い続ける。しかも手にはマフィアタイムスというマフィア専門の新聞が握られており、それを執務机にバンバン叩いているほど笑いまくっていた。
「ちょっと、リボーンっ、ホントにこれ、有り得ないんだけど……!」
 綱吉はマフィアタイムスの一面を飾る記事に目を向けると、またしても盛大に笑いだす。
 綱吉をこれほどまで笑わせる新聞記事とは、

『リボーンが結婚?! 相手はボヴィーノの仔牛!!』

 である。
 そう、新聞の一面には昨日の事が事細かな記事になっていたのだ。
 内容はランボの結婚式逃走から始まり、リボーンの邸宅へ逃げ込み、挙げ句にリボーンとランボの結婚宣言まで書かれている。
 このスクープを掲載したのはマフィアタイムスだけでなく、マフィアタイムスを筆頭としたマフィア関連新聞社はこぞって記事にし、挙げ句にマフィア関連の週刊誌にも特集が組まれた程だった。
 どの雑誌にも『逃走した花嫁、行き先はリボーン!』や『花嫁、愛の逃走劇。仔牛は最強ヒットマンの元へ…』や『最強ヒットマンと仔牛は恋人同士だった!』などの見出しがつけられ、大々的なスクープとして扱われているのだ。
 それを見た綱吉はリボーンを呼び出し、事の経緯を聞いて今に至るのである。
「大変だったね、リボーン。同情するよ」
 同情すると言いながら、笑うことを止めない綱吉。
 そんな綱吉にリボーンは「笑いすぎだぞ」と舌打ちした。
 今回のリボーンは完全に被害者なのである。
 しかもランボは「もうボスの所に帰れないよ!」と昨日からリボーンの邸宅に勝手に居ついてしまっており、自分のアパートにもボヴィーノ屋敷にも帰ろうとしない。リボーンは何度も追い出したが、その度にランボは泣きながら玄関を叩く始末だったのだ。いい加減に付き合いきれないと判断したリボーンは、ランボを放置する事に決めたのである。
 昨日の事を思い出したリボーンは苛立ちが増し、不機嫌な形相を更に深くしていく。
 こうしたリボーンの怒りに綱吉は慌てたように笑いを引っ込め、「許してあげなよ。きっとランボなりに頑張ったんだよ」とランボの為にフォローを入れる。
 そのフォローは微妙なものであったが、ランボの保育係をしていた綱吉はランボを弟のように大事に思っているのだ。
 その為、綱吉はランボを甘やかしてしまう事がよく有り、リボーンはそれを見る度に『こうしてドン・ボヴィーノや綱吉がアホ牛の愚行を許してきたから、あいつはあんなアホに育ったんじゃないのか』と一層怒りが増す思いなのである。
 そして今もリボーンの怒りは増していき、それを察した綱吉は慌てて話しを変える事にした。
「ランボは今、リボーンの所にいるんでしょ? 家に新聞記者とか張り付いてない?」
「ああ、隠れているつもりだろうが大量に張り付いてるぞ」
 そう、リボーンの邸宅前には新聞各社や報道の記者達が張り付いていた。マフィア関連雑誌の記者達は一般人を装って隠れているが、それでもリボーンがそれを把握していない筈がない。記者達はランボがリボーンの邸宅に居ついているという情報を得ており、二人の記事を書く為にスクープを狙っているのだ。
「記者もランボも追い出さないの?」
 リボーンなら出来るでしょ? と綱吉はそう訊いた。
 綱吉は、リボーンが騒がしい事や煩わしい事を嫌う傾向にあると知っている為、放置しているという事が少々信じられないのだ。
「記者連中は放っておけば飽きるだろ。アホ牛の方は何度追い出しても泣きながら戻ってきやがる」
 煩くてしょうがねぇんだ、とリボーンは尤もらしくそう言った。
 そう言ったリボーンは面倒臭気な様子を見せているが、綱吉はニヤリとした笑みを浮かべる。
「よく言うよ。本気でランボを追い出そうとしてない癖に」
 確信を突くような綱吉の言葉。
 この言葉にリボーンは眉を顰めるが、特に言い返したりしなかった。
 そう、リボーンが少し本気になればランボを追い出す事など簡単なことなのである。しかし、リボーンはそれをしていなかった。
 それをしない理由は只一つ、リボーンはランボに特別な感情を抱いていたからである。
 特別な感情とは恋愛感情であり、リボーンはランボの事が数年前から好きだった。
 リボーンも気付いたばかりの頃は「なんで自分がアホ牛なんかを」と悩みはしたが、気付いてしまったものはしょうがないと諦めたのである。気付いたからには落とすつもりでいるが、かといってそれを急ぐつもりもない。
 そう思っているリボーンの態度から恋愛感情を察する事は難しく、当然ながら当事者であるランボはちっとも気付いていない。気付いているのは、鋭い超直感を持つ綱吉くらいだった。
「で、どうするの?」
 綱吉は、リボーンに今後どうするかを問う。
 今までの経験上、リボーンがこのまま静観するとは思えなかったのだ。
 そしてやはり、このままリボーンが黙っている訳がなかった。
「どうするもこうするもねぇだろ」
 そう答えたリボーンは、声色に意味有りげなものを含めて言葉を続ける。
「この状況を利用させてもらう」
 リボーンは口元に薄い笑みを刻み、それだけを言った。
 そしてその言葉を最後に、リボーンは「仕事に戻る」と執務室を出て行ったのだった。
 残された綱吉はリボーンを笑顔で見送ったが、リボーンの気配が遠ざかると、その笑みは苦笑に取って代わる。
「リボーン、かなり怒ってるな……」
 綱吉は困ったように呟いた。
 リボーンが出て行く間際に紡いだ言葉は、間違いなく本気の言葉だろう。リボーンは口元に笑みこそ刻んでいたが、目は何の感情も宿していなかったのだ。
 リボーンは感情を表立って波立たせたりしないが、綱吉は長年の経験からリボーンが怒っている事を確かに察した。
 怒っている原因はランボにあるだろうが、それは勝手に居ついてしまった事にではない。
 その原因とは、恐らくランボの考え無しの行動に対してだろう。
 結婚という一大事を安易に了承した事もそうだが、ランボ自身も知らなかったとはいえ、ランボが身知らぬ男と関係が出来てしまいそうになった事も拍車をかけた筈である。
 綱吉としては、ランボの考え無しの行動はある意味個性とすら思うのだが、リボーンは堪ったものではなくなったのだ。
 綱吉は、手元のマフィアタイムスに視線を向ける。
 そこにはリボーンとランボの関係が大々的に書かれていたが、ランボが逃げ出した花婿の事も書かれていた。
 ランボが嫁ぐ筈だった男の名前はカルダノ。
 カルダノファミリーのボス、ドン・カルダノである。カルダノファミリーは古くからボヴィーノファミリーと懇意にしており、平和主義の落ち着いたファミリーだと聞いている。
 規模はボヴィーノと並ぶ中小ファミリーだが、そこのボスであるカルダノからは悪い噂など聞いた事がなかった。
 しかもカルダノはまだ二十代後半の青年でありながら、早くからボスの座に着き、先代以上の手腕でファミリーを纏めているという。性格の方は気弱なところがあるようだが、それでも優しく穏やかな好青年だと聞いた事があった。
 そんなカルダノがどうしてランボに結婚を申し込んだのかは分からないが、綱吉はこれから起こるであろう波乱を思うと頭が痛い。
「あれでもランボは愛されてるんだよね……。愛されてる、愛されてるんだけど……」
 もう少しランボが聡かったら良かったのに……、と綱吉は今更無駄な事を願ってしまうのだった。






 その日の夕方。
 ランボはリボーンの家のキッチンで夕食の準備をしていた。
 昨日から勝手に居ついてしまったランボは、せめてもの罪滅ぼしのつもりで夕食を二人分作っているのである。このキッチンも無断で使用しているが、何もしないよりマシだろうと思ったのだ。
 そう、昨日の事を思うと、ランボもリボーンに迷惑を掛けたという自覚はあるのだ。
 此処に居ついてしまった経緯もランボが勝手に決行しただけであり、リボーンは「迷惑だ」と何度もランボを追い出そうとしたのである。
 きっと今も、勝手に居ついたランボをリボーンは怒っているだろう。だが、今のランボは此処しか逃げ場所がないのだ。リボーンが帰ってきたらまた追い出されるかもしれないが、根性でしがみつくつもりだった。
 怒るリボーンを想像するとランボは背筋が震えるが、負けていられないと強い意志を持つ。
 本当はランボだって好きでリボーンの家にいる訳ではないのだ。これでも、リボーンに助けられる結果になった事を少しは悔しいと思っているのである。
 だが、昨日は無我夢中で逃げていた事もあり、ランボは何故かリボーンの家に飛び込んでしまった。誰かに助けを求めようとした時、無意識にリボーンの家に足が向いてしまったのだ。
 しかしその無意識を認めたくないランボは、逃走している最中にたまたま見知った家を見掛けただけだと結論付けていた。
 ランボにとって、リボーンは幼い頃から標的にしていた相手である。いつも無視されてばかりで相手にされた事はほとんど無いが、それでも一方的にライバルだと位置づけていた。そんなリボーンに助けられる事はランボだって悔しいのだ。
 ランボは調理台に野菜や魚を並べると、さっそく料理作りに取り掛かった。
 手慣れた手つきで野菜を切り、料理を進めていく。今夜は魚料理がメインの為、魚に下味をつけておこうと調味料を探した。
 だが、キッチン内を見回しても必要な調味料を見つける事が出来ない。足元の棚などを探すが、代用できそうな調味料すら無かったのだ。
「どうしよう……」
 ランボは困った様子で呟くが、ふと頭上を見れば、調理台に備え付けられている戸棚があることに気が付いた。
 調理台に備え付けられている棚は調味料の保存庫として使われている事もあり、ランボは中を確かめてみる事にする。
 背伸びをすれば戸棚を開くことは出来たが、中まで覗き込むことは出来なかった。
「椅子に乗ればいいか」
 自力で取る事を諦めたランボは、しょうがないのでキッチンテーブルの椅子を引っ張ってくる。
 この椅子は細長い三本足だけで支えられた椅子であり、上に人が乗るには不安定な椅子だった。こういったデザイン重視の椅子は、踏台として使う為に作られた物ではないのだ。
 しかし側にはこの椅子しかなく、ランボは慎重に椅子の上に乗った。
「うーん、何処だろう……」
 ぐらぐらとした不安定な足元に気を付け、ランボは棚の中を漁りだす。
 しばらく漁っていたが、奥の方にようやく目当ての調味料を見つける事が出来た。
 ランボは精一杯手を伸ばし、ようやく手に取る事が叶う。だが。
「――――アホ牛、何してんだ?」
 不意に、背後から思わぬ声が響いた。
 その声の主をランボが間違える筈がなく、「えっ、もう帰ってきたの?!」とランボは驚いてしまう。
 しかし驚いた場所が悪かった。
 不安定な場所で驚いたランボは、身体のバランスを大きく崩してしまったのだ。
「わっ、わわっ、危ない……!」
 足元の椅子が揺れ、ランボの身体も左右に大きく揺れる。
 そして完全にバランスを失った身体は、重力に従ってキッチンの床に叩き付けられそうになった。
 だがその時、ランボの身体は力強い腕に包まれる。
「え……っ?」
 予想していた衝撃ではなく、予想外の力強い腕。
 その腕にランボは驚きを隠しきれず、ゆっくりと顔を上げた。
「……リボーン」
 そう、椅子から落ちたランボを抱き止めたのはリボーンだった。
 リボーンは咄嗟に腕を伸ばし、ランボの身体を抱き止めたのである。
「気を付けろ、危ねぇだろ」
 しかも耳元に響いたのは、ランボを心配するリボーンの言葉だった。
 ランボはそれらの言動に激しく動揺し、目を瞬いてリボーンを凝視する。
「なんで……っ、どうしてあんたが……」
「どうしてって、お前が落ちそうになったからだろ」
「そ、そうだけど……っ」
 どうしてそれを助けてくれたの? とランボは訊きたかった。
 ランボの知っているリボーンは、椅子から落ちたランボをせせら笑う事はあっても、助ける事は絶対無い筈である。
 でも今、確かにリボーンの腕はランボを助ける為に伸ばされた。
 そこまで考えると、ランボは「あ……」と小さく声を漏らす。
 ランボは助けられた事を意識したのと同時に、自分の身体に回されているリボーンの腕まで意識してしまった。
 今もリボーンの腕はランボの身体に回されたままで、その力強さに何故か胸が高鳴ったのである。
 しかも、リボーンの鋭い眼差しは真っ直ぐにランボを見ていた。
 そう今、リボーンの端麗と誉れ高い容貌がすぐ側まで迫っており、闇夜を思わせる黒い瞳がランボを映している。
 ランボは、リボーンの瞳に映る自分の姿を見て不思議な心地がした。リボーンが人形のように整った容姿をしている事は知っていたが、その中で最も映える黒い瞳に自分が映っている事に奇妙な居心地を覚えたのだ。
 奇妙な居心地とは、むず痒いような、甘いような、それでいて切ないような、それは今まで味わった事がない感覚である。
 そんなリボーンの眼差しにランボは射竦められたように身動きが出来なかったが、自分の腰に回されているリボーンの腕にハッとした。
 無事に着地できたというのに、いつまでも抱き止められた体勢でいるなど可笑しい事に気付いたのだ。
「あ、ありがとう……っ」
 ランボは慌てたように礼を言うと、さり気無い様子を装ってリボーンの腕から抜け出した。
 リボーンの腕から出る間際、簡単に離れていってしまった腕に名残り惜しいものを感じてしまったが、理解出来ぬそれは気付かぬ振りをする。
 そして漂う奇妙な雰囲気を変えようとするかのように、ランボは「ところで……」と躊躇いながら口を開いた。
「リボーン、……怒ってないの?」
 ランボのこの質問は、今のような事態に陥ってしまった事に対するものである。
 そう、ランボはリボーンが怒っていると思っていた。
 自分の結婚騒動に巻き込んだだけでなく、世間に結婚宣言までして当事者にしてしまったのである。しかもリボーンの家に勝手に居つき、スクープを狙う記者達に付き纏われる生活を齎せてしまった。
 こうして考えてみても、これで怒らない人間などいるとは思えないのだ。ましてやそれがリボーンなら尚更である。
 ランボは今までの経験上、リボーンは本気で怒っていると思っていた。
 それなのに、今のリボーンの態度はどこかおかしいような気がする。
「怒ってるんだろ……?」
 ランボはおずおずとした様子でもう一度訊いてみた。すると。
「怒ってるぞ」
 素っ気無い口調でリボーンの答えが返ってくる。
 この答えに、ランボはやっぱり……と俯いた。
 しかし俯きながらも「今回の事で怒らないなんて、そっちの方がおかしい」と思っているので、ランボはリボーンが怒っている事にどこか安堵した気持ちがある。
 だが、そんなランボの安堵を無視するかのように、リボーンは言葉を続けた。
「確かに怒っているが、巻き込まれたものはしょうがねぇからな。このまま巻き込まれてやる」
 リボーンは優しさすら感じる口調でそう言ったのだ。
「え……っ」
 ランボは大きく目を見開き、信じられないものでも見るような目でリボーンを見た。
 やっぱりおかしい。何かがおかしい。
 椅子から落下しそうになった時もおかしいと思ったが、結婚騒動に巻き込まれた事を怒らないのはもっとおかしい。
 そもそもリボーンがランボに優しいなど有り得ないのだ。
「な、何でそんなに優しいの……っ」
 怒られても怖いけど優しくされても怖いんだけど! とランボは今にもリボーンに掴みかかってしまいそうである。
 しかしリボーンはランボを見据えたまま、優しい口調で当然のように言葉を紡いだのだ。
「俺達は今、結婚前提の恋人同士って事になってるんだろ。それなら、恋人ごっこくらいしてやるぞ」
 ランボは、何が何だか分からなかった。
 ただ分かる事は、リボーンが奇妙なほど優しいという事である。
 その優しさは気味が悪いほどのもので、ランボは背筋に薄ら寒いものを感じた。
「えっ、あ、でも、なんで……っ」
 ランボは少し怖くなり、焦った様子でリボーンの顔を覗き込む。
 だが、そんなランボにリボーンは優しく目を細め、宥めるように言ったのである。
「心配するな。お前が俺と結婚宣言した事を後悔しないように、全力で恋人ごっこをしてやる」
 リボーンはそれだけを言うと、「着替えてくる」とリビングの方へ歩いていく。
 残されたランボは、リボーンが歩いていった方を呆然とした面持ちで見送っていた。
 リボーンの態度に、ランボはひどく混乱していた。
 こんなに優しいリボーンなんて有り得ない為、何かがあるとしか思えなかったのだ。
 ランボはそれを思うと、優しいリボーンの気味悪さと恐怖にゾッと背筋を震わせる。
 こんな気味悪さを味わうくらいなら、いっそうのこと殴る蹴るの暴力で怒りを発散してくれた方がマシだった。
 ランボは、こうしたリボーンの態度に震え上がるが、こうなった原因は自分なので文句を言える筈がなく、ましてや逃げ出す事など今更出来ないのだった。



 こうしてランボは、先ほど抱き止められた時に覚えた奇妙な感覚と、何かがおかしいリボーンの態度に悩まされながら、リボーンと結婚前提の恋人ごっこ生活を開始するのだった。






                                   同人に続く




今回は、なんか普通に男同士で結婚とか何とか言ってますが、その辺にはあんまり疑問を持たないでくださいね。
6月発行の本ですから結婚ネタを書きたかったんです。そんで略奪ネタが混じってます。
まあ、結婚といえば奪略ですよ。





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