序章・花咲く場所で 「ガハハッ! ランボさんは一人だけど良い子に遊べるもんね!」 並盛町にある沢田家から、幼児の元気な笑い声が響いていた。 沢田家の庭先では、牛柄の着ぐるみ服を着たランボが元気に走り回っている。 ランボは五歳という年齢に相応な明るさと活発さで、今日も元気に遊びまわっていた。 だが今、遊んでいるのはランボ一人である。 普段一緒に遊んでいるイーピンは修行中でランボを相手にしてくれず、面倒を見てくれている綱吉は学校に行ってしまっているのだ。 しかし一人遊びも得意なランボは、庭先で一人鬼ごっこを楽しんでいた。 鬼ごっこという遊びは一人で行う遊びではないが、ランボにとってルールなど関係無いのだ。それに、庭先に干してあるシーツの波を潜り、洗濯物など障害物の間を駆け回るのはとても楽しかった。 「鬼さんこちら〜! 鬼だじょ〜!」 こうしてランボは一人二役の鬼ごっこに夢中になり、庭中をぐるぐると全力で走り回る。 そして風に揺れるシーツに目を輝かせると、「えいっ」と飛び込むように突っ込んでいった。 突っ込んだ事で視界を白いシーツに覆われるが、今のランボにとってはそれすらも楽しい遊びである。 ランボはそれが楽しくて何度も繰り返し飛び込み、そして「もう一回!」と更に勢いを増して飛び込んだ、その時。 「わっ! あ、あ……!」 不意に、干されてあったシーツが竿から滑り落ち、ランボの小さな身体をすっぽりと覆ってしまう。 突然の事に驚いたランボは慌ててしまい、そのまま足元のシーツを踏んで派手に転んでしまった。 「いたい〜っ」 シーツを被ったまま転んだランボは、大きな瞳にじんわりと涙を溜める。 しかし五歳にもなって転倒しただけで泣く訳にもいかず、「が・ま・ん……」と得意の我慢を自分に言い聞かせた。 「オレっち、強いから泣かないもん……」 ランボは涙を堪えながらそう言うと、ごそごそとシーツの中から這い出てくる。 そしてそのまま汚れてしまったシーツを片付けようと引き寄せたが。 「う……っ」 シーツを引き寄せた瞬間、ランボは新たな涙が込み上げた。 シーツの下には、色鮮やかな花々が咲く花壇があったのである。 しかし今は、花壇に咲く花々は無残にも倒れ、中には茎が折れてしまっている花もあった。 そう、ランボは花壇の中に突っ込むようにして転倒してしまっていたのだ。 それに気付いたランボは、今度こそ込み上げる涙を我慢する事は出来なかった。 ランボは知っているのだ。花壇に咲く花々を奈々が大切に育てている事を。花が咲いた時、奈々はランボを呼んで嬉しそうに見せてくれたのだから。 それを知っているランボは、花々を滅茶苦茶にしてしまった事が怖くなる。奈々が大切にしている花を傷つけてしまった事が怖くて悲しかったのだ。 「ぅ、うぅ、うわああああん!」 耐え切れなくなったランボは、とうとう大きな声で泣きだしてしまう。 その泣き声は近所中に響くような大きなもので、驚いた奈々が家の中から飛び出してきた。 「ランボ君、どうしたの?」 「わあああん! ごめんなさい、ごめんなさい……っ」 ランボは汚れたシーツを握り締めたまま花壇の前で泣き続けた。 そんなランボの姿に状況を理解した奈々は、「泣かなくていいのよ」と宥めるようにランボを抱き上げる。 「花壇で転んでしまったのね。ランボ君、怪我はない?」 「うぅ……っ、ママン……」 奈々の優しい言葉に、ランボは泣いたまま奈々にしがみついた。 「ごめんなさいっ、うぅ……っ、めちゃくちゃにして……ごめんなさい……っ」 ランボは奈々にしがみついたまま素直に「ごめんなさい」と繰り返す。 謝罪は嗚咽混じりのものだが、今の自分は謝る事しか出来ないのだ。 こうしたランボの姿に奈々は優しく目を細めると、「大丈夫よ」とランボの頭を慰めるように撫でる。 「ランボ君、花は大丈夫。だから泣かないで」 奈々はそう言って「ちょっと待っててね」とランボを残すと、家の中に入っていった。 そして少しして戻ってきた奈々は透明テープを持っていた。 ランボは奈々の行動の意味が分からず「ママン?」と首を傾げるが、奈々は「見ててね」と傷付いた花にそっと触れる。 「花は強いのよ、倒れた花は起こせばいいわ。そして折れてしまった花は……」 奈々はそう言うと、折れた茎を真っ直ぐに固定して透明テープを丁寧に巻きつけた。 「折れた茎は、乾かないうちに真っ直ぐにしてテープで巻くと良いのよ。後はお陽様の光をたくさん浴びれば大丈夫」 そう言った奈々はランボにニコリと笑いかける。 ランボは、笑顔の奈々に「ホントに?!」と驚いたように訊き返した。 だって不思議だったのだ。 無残にも折れ曲がってしまった花の茎が、これだけの処置で元に戻るなど信じられなかった。 しかしランボの疑問にも、奈々は「大丈夫よ」と大きく頷く。 その言葉と優しさに、ランボも思わず笑顔を浮かべたのだった。 数日後。 ランボは慌てた様子で庭に駆け出した。 その騒がしさに縁側で銃の手入れをしていたリボーンは眉を顰めるが、ランボは構わずにバタバタと飛び出していく。そして。 「さ、咲いてるー! 咲いてる、咲いてる!」 そしてランボの驚きの声が響いた。 その声は喜色に溢れ、次には飛び跳ねるように大はしゃぎし始める。 そう、数日前に傷付けてしまった花々が見事に復活していたのだ。 傷付いた花々は元の美しさを取り戻し、太陽に向かって花弁を大きく開いている。 「すごいすごい! 花咲いてるー!」 ランボは込み上げる喜びに笑顔になり、復活した花々をキラキラとした眼差しで見つめた。 数日前まではくったりと折れていたのに、それが息を吹き返しているという事が不思議だったのだ。 そう、それはとても不思議な事で、でもとても嬉しい事で、ランボは表情を輝かせる。 「すごいね!」 喜びに興奮したランボは、満面の笑みを浮かべて縁側のリボーンを振り返った。 だが、直ぐに「あっ」と慌てて手で口を塞ぐ。 興奮したランボは「すごいね!」と勢いでリボーンに話しかけてしまったが、それは二人の関係では有り得ない事だったのだ。 リボーンはランボにとって倒さなくてはならない相手なのだ。それなのに気安く笑顔を向けるなんて、そんなのは可笑しい事だと幼いランボは思った。 それに、リボーンが自分を相手にしてくれない事は分かっている。どんなに襲撃を繰り返しても無視され、酷い時は返り討ちにされてしまうのだから。 だから、ランボは勢いで話しかけてしまった事が悔しくなった。 どうせ無視されるのだ。それなら話しかけなければ良かった。笑顔を向けなければ良かった。 しかし、そう思っていたランボだったが。 「――――そうだな」 不意に、リボーンがそう答えた。 そう、リボーンから返事がかえってきたのだ。 リボーンの言葉はとても素っ気無く、視線は銃に向けられたままだが、それでもランボの言葉に返事をしてくれた。 ランボはそれが信じられなくて、目を大きく見開いてリボーンを凝視してしまう。 だってリボーンが返事をしてくれるなんて、ランボにとって初めての事だったのだ。 これはリボーンの気紛れかもしれないが、ランボは嬉しくてしょうがなかった。 だって、リボーンの返事はランボの言葉に対する同意であり、同じ花を見ているという事が何だかくすぐったい。 むず痒いような不思議な感覚を覚えたランボは、照れくさいような気持ちになってしまう。どんな表情をして良いか分からず少し困ってしまうが、胸の中から暖かいものが溢れるような感じがした。 「う、うんっ、そうなんだよ!」 こうしてランボはリボーンの返事に照れたように頷くと、凝視していた目を慌てて逸らした。 心地良い感覚を覚えながらも、照れてしまって仕方がないのだ。 どういう反応をすれば良いのか分からなかったランボは、リボーンに背中を向けて花を見つめ続ける。 とても嬉しかった。 リボーンは一言返事をしてくれただけなのに、それだけがとても嬉しかった。 今のランボは分からない。 たったそれだけの事なのに、どうしてこんなに嬉しい気持ちになれるのか分からない。どうして暖かい気持ちになれるのか分からない。 でもランボにとって、この名前の無い感情はとても優しいものだった。 こうして気付いた名前の無い感情が、幼いながらも恋心であると気付くのは数年後の事である。 そうこの日、ランボはリボーンに恋をしていたのだ。 花を纏う 第一章・千切れた花弁 ボンゴレ十代目である沢田綱吉に呼び出されたランボは、ボンゴレ屋敷の門を潜った。 山林の奥地に構える屋敷は古城のような造りをしており、石造りの高い塀や門構えは要塞のように重厚なものである。歴史ある建造物は緑溢れる中にあって圧倒的な存在感を示すもので、それは何百年も前から続くボンゴレの威厳と権威を表わすものだった。 こうした屋敷は厳重な警備に守られ、安易に近づけるものではない。 しかしボンゴレリングの守護者であり、綱吉に面倒を見てもらってきたランボは何の問題もなく入る事ができる。ボンゴレ屋敷に出入りする事が多いランボは、警備の者達にとってもほとんど顔馴染みなのだ。 「こんにちは〜」 門を潜ったランボは、擦れ違う者達と軽い挨拶を交わしていった。 ランボが振り撒く笑顔と挨拶に、屋敷の従者やボンゴレファミリー構成員達も気安く笑顔を返す。 しかし気安いものでありながらも、その中には目上の者に対する礼儀がある。 それはランボが綱吉に大切にされているという事もあったが、ランボは雷の守護者としてボンゴレ内では地位が約束された人間なのだ。その為、マフィアとして経験が浅く年齢的に若かったとしても、礼を尽くされる立場の人間だった。 だが、ランボ自身としてはそういった堅苦しい事を苦手としている為、誰に対しても明るく振舞い、気安い態度で接している事が多い。 こうしたランボの振る舞いは立場を重視する裏社会に置いて考えられない事だが、それはランボが纏う雰囲気によって受け入れられていた。 そう、ランボは肩書きだけはボンゴレリング守護者という立派なものだが、十五歳という年齢のせいで幼い印象が強かった。又、最年少だけあって他の守護者よりも実戦の経験が少なく、頼りなさばかりが目立ってしまう。 実際性格の方も年不相応に不甲斐無く、幼い頃から変わらずに泣き虫で弱虫である。そんなランボは身体ばかりは成長したが、中身の方はいつまでも甘ったれた子供のようだった。 しかしそんなランボを、ボンゴレの者達は暖かく受け入れてくれるのだ。 ボンゴレ屋敷内に入ったランボは、広く長い廊下を抜けて綱吉が待つ執務室へ向かう。 屋敷内は古城のような外観を裏切らず、中の方も迷路のような長い廊下や数多くの部屋を有している。 ランボはその中を進んでいたが、不意に、廊下の途中で立ち止まった。 立ち止まったランボの視界に、花々が咲き溢れる広い庭園が広がっている。 この場所は廊下の窓から中庭が一望できる場所で、ランボは手入れの行き届いた庭園の光景に思わず立ち止まったのだ。 屋敷の庭園はランボにとって初めて見る場所ではないが、何度見ても飽きない光景だったのである。 屋敷の建物に囲まれた庭園は箱庭のようであるが、窮屈さを感じさせない開放感ある造りになっていた。庭園の中心には噴水と東屋があり、それを中心にして様々な草木や花が植えられているのだ。 そうした庭園では、噴水の水飛沫が空中をキラキラと舞い、それによって花々も輝いているようである。 此処は屋敷の建物に囲まれた場所だが、その日溜まりの中で育つ花々はどれもが美しく、花の種類は様々で一年を通して季節折々の花々が咲き溢れている。此処では花が絶える事がなく、庭園を彩る花の色が季節ごとに変わっていくのだ。 「今はピンクが多いんだ。何の花だろう」 園芸が得意でなく種類も詳しくないランボは、花は好きだが見る専門である。 庭園に咲くピンクの花の名前は知らないが、一面に咲き溢れる花を見るのが好きだ。 こうして花々に目を細めるランボの姿は、整った容姿と相俟ってとても絵になる姿である。 花々を見つめる翡翠色の瞳は輝き、庭園に風が吹きぬけばそれによって癖のあるふわふわの黒髪が揺れていた。 普段はくるくる変わる表情の変化から幼さばかりが目立つランボだが、今のように静かに美しいものを見入る姿は、息を飲むような大人びた色を薫らせるのだ。 こうしてランボは庭園の光景を見つめていたが、しばらくして名残り惜し気にそこを離れると、綱吉が待っている執務室へ向かったのだった。 「失礼します」 ランボがそう言って執務室に入ると、中には綱吉とリボーンの姿があった。 「ランボ、突然呼び出してごめんね」 「いえ、今日はオフだったので大丈夫です。それに、オレも十代目にお会いしたかったですから」 申し訳無さそうに言った綱吉に、ランボは笑顔で言葉を返す。 そう、ランボは綱吉が大好きだった。 幼い頃から面倒を見てもらっている事もあるが、それ以上に昔から変わらぬ穏やかな優しさが大好きなのだ。 本来ならボンゴレ十代目である綱吉に気安く近づく事は許されないが、綱吉はランボを弟のように思ってくれており、昔と変わらずに大切にしてくれる。それが嬉しいランボは、立場が違うと分かっていてもついつい甘えてしまう事が多かった。いつまでも甘えていては駄目だと分かっているが、綱吉を前にすると幼い頃の癖が無意識に出てしまうのだ。 こうしてランボは綱吉に笑顔を向け、そして今度は「リボーンも呼ばれてたんだね」とリボーンに向き直る。 するとリボーンの端正な容貌がランボを振り返り、ランボは少し胸が高鳴ってしまう。 リボーンの容貌は端麗という形容が相応しく、鋭く黒い瞳を向けられると全てを見透かされているような気分になってしまうのだ。そして纏う雰囲気は年不相応に大人びたもので、リボーンの振る舞い、仕種、言動など全てがランボを釘付けにする。 そんなリボーンの容貌や眼差しにランボは焦ってしまうが、何気ない様子を装って口を開いた。 「仕事の話だったの?」 「当然だ。俺はお前と違って暇じゃねぇからな」 「……暇は余計だよ」 リボーンの嫌味に、ランボはムッとした様子で言い返した。 そんなランボの表情はリボーンを睨むものだったが、しかし、内心ではそれとは反対な思いで一杯だった。 表情では不機嫌さを装っているが、それはランボにとって建前のようなものである。内心ではリボーンとこうして軽口を交わせる事が嬉しかったのだ。 リボーンとの関係は幼少時に比べると落ち着いたものになり、ランボも一方的な襲撃を仕掛ける事はなくなった。完全無視をされていた昔とは違い、今では軽口を交わしたり出来るようになったのである。 それはまるで友人のような関係で、ランボはそれが嬉しかった。 だが嬉しいと思いながらも、ランボは友人という関係では物足りないと思っている。 ランボは十年前のあの時を忘れていない。 あの時とは、花咲く中でリボーンに対する新たな感情が芽生えた瞬間である。 芽生えた感情は暖かく、ランボの中をゆっくりと支配していったのだ。 ランボは、その優しい支配の名前に気付いている。芽生えた感情を認めている。 それは未だに隠し続けているものであるが、ランボの中でゆっくりと育み続けてきたのだ。 そう、十年前のあの時からランボはリボーンが好きだった。 花咲く中で芽生えた想いは、今もランボの中にある。 想いをリボーンに打ち明ける事は出来ないでいるが、それでも確かにランボはリボーンが好きだった。 しかし、まだ想いを打ち明ける勇気はなかった。 隠し続ける事は辛かったが、だからといって急いで想いを告白するつもりはなかったのだ。 想いを告白して簡単に叶うと思っていない事もあったが、今の優しい関係に浸るのも悪くないと思っていたのである。 「仕事の話の最中だったら、オレは邪魔だったかな?」 仕事の話だと聞いて少し心配になったランボは、不安気にリボーンの横顔を見つめた。 だが、そんなランボの不安には綱吉が「大丈夫だよ」と割って入る。 「ランボを呼び出したのも仕事の件なんだ。今回は、リボーンと組んでもらいたい」 「リボーンとですか?!」 綱吉の言葉に、ランボは驚きで大きく目を見開いた。 雷のリング守護者としてボンゴレから仕事を任されるのは初めての事ではないが、リボーンと組む仕事は初めてだったのである。 そもそもランボはリング守護者という立場だが実力や経験値は低く、今まで任されてきた仕事も後方支援や雑用ばかりだった。それに引き替えリボーンが遂行する仕事はSランクとされる難易度が高いものである。 そんな二人の実力差は歴然としており、当然ながら組んで仕事をする事など今まで無かったのだ。 それなのに、綱吉はリボーンと組んで仕事をして欲しいと言った。 リボーンと組むという事は、ランボが今まで受けてきた仕事とはランクが比べものにならない筈である。 それを察したランボはパッと表情を輝かせた。 これでもランボは幼少時からマフィアの構成員として生きてきたのである。今まで後方支援や雑用ばかりしてきたが、それに満足していた訳ではない。自分だって難易度の高い仕事に関わりたいと思っていたのだ。 でもようやく叶う。リボーンと一緒という事が気になるが、やっと難易度の高い仕事に携わる事ができる。 それが嬉しいランボは、今にも綱吉に飛びつきそうな程の笑顔を浮かべた。 「是非やらせてください! オレ、頑張ります!」 仕事内容も聞かないうちに張り切るランボに、綱吉は「落ち着いて」と苦笑してしまう。 「有り難う。そう言ってもらえると助かるよ」 綱吉はそう言うと、ランボに仕事の書類を手渡した。 その書類は今回の仕事の資料となるもので、ランボは表情を輝かせたままさっそく目を通す。 仕事の書類に表情を輝かせるなど奇妙であるが、初めて挑戦する難易度の高い仕事に興奮が隠し切れないのだ。 今回ランボが遂行する事になった仕事は、アジトの壊滅任務だった。 多国籍の暗殺集団がイタリアに侵入した為、それをアジトごと壊滅させるのである。 多国籍の暗殺集団とはファミリーに属さぬ暗殺者達が自然に集まった集団組織であり、金銭で雇われればどんな暗殺も請け負う者達だった。 イタリアに入った現在、暗殺集団が何処かのファミリーに雇われているという情報はなかったが、それでも綱吉は見過ごす事が出来なかったのだ。 綱吉がこれほど危険性を案じる理由は、その集団に属する者達が裏社会で名前の通った暗殺者達だという事もあったが、それよりも一度受けた仕事はどんな卑劣な手段を用いても遂行する危険性にあったのだ。 イタリアを拠点とした欧州最大のマフィアであるボンゴレは不用意な争いを好むファミリーではない。それはボンゴレ十代目である綱吉の意志であり、それを守るのが自分の役目だと綱吉は思っている。 そういった意志から、綱吉は火種になる危険性があるものを排除する事に決めたのだった。 書類に目を通したランボは仕事内容にゴクリと息を飲む。 書類に記された仕事内容は、ランボの予想以上のものだったのである。 只の暗殺では無く、アジト壊滅まで含めたこれはAランクだ。しかも相手は名の通った暗殺者達である。当然ながら、ランボは今までこんな仕事を受けた事はなかった。 「じ、十代目……、本当にこの仕事をオレに……?」 書類を読むまでの期待や興奮が消え失せ、ランボは少し青褪めた表情で綱吉を見つめる。 難易度の高い仕事だと分かっていたが、まさか此処まで高いものだと思っていなかったのだ。今まで安全な場所で雑用や後方支援をしてきたランボにとって、ある意味不自然なほどの仕事内容だった。 そんなランボの不安を察した綱吉は、「びっくりしたよね」と苦笑する。 「でも、この仕事を任せたい。難易度が高いものだけど、リボーンも一緒に行ってもらうから大丈夫だよ」 綱吉はランボを安心させるようにそう言うと、真剣な面持ちで言葉を続ける。 「今までの仕事と比べると格段にレベルが上がってしまうけど、ランボには雷の守護者として経験を増やしていってほしいんだ。今回はリボーンと一緒に組んでもらうけど、いずれは守護者としてSランクを一人で遂行できるようになってもらわないとならない」 分かるね? と綱吉は言い聞かせるようにそう言った。 綱吉とて、今回の仕事はランボには荷が重いものだと分かっているのだ。しかしリング守護者として経験を増やし、実力を伸ばす為には実戦が一番だと知っているのだ。 ランボのヒットマンとしての現在の実力は、はっきりいって三流程であった。それは実力だけでなく、経験から養われる精神的なものも含まれている。その為、この仕事を足掛かりにしてランボに経験を増やして欲しいと思うのは、綱吉にとって親心のようなものだったのだ。 綱吉の言葉からそれを感じ取ったランボは、「十代目……」と感極まったように呟いた。 初めて受けるAランクの仕事に対して不安は隠しきれないが、綱吉の思いに胸が熱くなったのだ。 「分かりました。わざわざオレの為に有り難うございます……っ」 ランボは力強く頷くと、今度はリボーンを振り返る。 「リボーン、その……よろしく……っ」 ランボは重大な仕事を受ける覚悟を決め、緊張した面持ちでリボーンに言った。 しかしそんなランボに対し、リボーンは馬鹿にするような笑みを浮かべて「足手纏いになるなよ」とからかってくる。 「馬鹿にするなよ、オレだってやれば出来るんだからな」 せっかく「よろしく」と歩み寄ったのに、馬鹿にされてしまったランボはムッとしてしまう。 しかし普段Sランクの仕事を行なっているリボーンにとって、今回の仕事は他愛無いものなのだろう。それが分かっているランボは、それ以上リボーンに突っかかる事は出来なかった。 それに憎まれ口をたたかれながらも、リボーンと一緒に仕事が出来る事がなんだか嬉しかったのだ。 それはリボーンと一緒にいられるという事もあったが、それ以上に少しでもヒットマンとして役立つ姿を見せ、リボーンに見直して欲しいという願望がある。 ランボは昔からリボーンに格下扱いを受けている為、少しでも三流や格下という印象を払拭したかったのだ。 そうして対等になった暁には、リボーンに想いを告白したい。 リボーンに相応しい人間になり、いずれは想いを認めてもらいたい。 今の自分は告白する以前の状態だと分かっているランボにとって、それは目標の一つだったのだ。 こうした目標を掲げて気合いを入れたランボは、綱吉に向き直ってペコリと頭を下げる。 「それでは十代目。オレは仕事の準備がしたいので、そろそろ失礼します」 「仕事の準備? その仕事の決行は三日後の筈だけど……」 ランボの言葉に、綱吉は疑問を浮かべた。 そうなのである。アジト壊滅の決行は三日後の夜であり、急いで取り掛からなくてはならない準備など無い筈なのである。 しかしランボは首を振ると、少し照れた表情で準備内容を口にする。 「その、こういった仕事は初めてですので、少しでも射撃とかの訓練をしておきたくって……」 生真面目なところがあるランボは、三日のうちに少しでも腕を上達させようと思ったのだ。 初めてのAランクに些か興奮している事もあり、居ても立ってもいられない気分になっていたのである。 「そう、頼もしいね。頑張っておいで」 綱吉が笑顔でそう言うと、ランボも「はいっ」と力強く返す。 こうしてランボは仕事の書類を大事そうに胸に抱き、張り切った様子で執務室を出て行ったのだった。 ランボが出て行くと、執務室には綱吉とリボーンだけが残された。 黙ってランボを見送っていたリボーンは、ランボの射撃訓練発言に「無駄だろ」と呆れてしまう。 「三日でどうにかなる腕じゃねぇだろ」 「……そんな意地悪言わないであげてよ。アルコバレーノのリボーンと比べたら可哀想だ」 綱吉は苦笑混じりにそう言うと、「ランボだって頑張ってるよ」とフォローした。 実際ランボの腕前は三流並みであるが、それでも十五歳という年齢から考えれば標準だといえなくもない。それにランボがいつまでも平均以下に見えるのは、周囲にいる者達が人間離れした実力を持っている事も原因の一つなのだ。 そんな綱吉のフォローにリボーンは返事を返さなかったが、不意に、真剣な面持ちで綱吉を見据えた。 「ところで、本気でこの仕事にアホ牛を参加させる気か?」 「…………そのつもりだよ」 確認するようなリボーンの言葉に、綱吉は苦い表情で頷く。 しかしそうして頷きながらも、綱吉はリボーンが言外に籠めた意味を分かっていた。 その意味とは、ランボの自覚である。 先ほどのランボはAランクの仕事に参加できる事を単純に喜んでいたが、その姿からは難易度の高い仕事に携わる覚悟を窺がう事は出来なかった。 そう、綱吉やリボーンの目には、ランボの認識の甘さが映っていたのだ。 仕事の難易度が高くなればなるほど命懸けになる事をランボは分かっていない。それは今まで命を張った仕事の経験がほとんど無く、紙一重の危機に陥ったことがない楽観からくるものである。 それを分かっている綱吉は、今回の仕事がランボにはまだ早いものだと分かっていた。だが。 「リボーンの言いたい事は分かってるよ。でも……」 綱吉はそこで言葉を切ると、少し困った口調で言葉を続ける。 「でも、今のままでいる事をランボの立場が許していないんだ。……周りが煩くてね」 ランボの立場とは、リング守護者としての立場である。 リング守護者でありながら、最年少であるという事と実戦経験の少なさから、ランボは守られる事が多く、マフィアでありながら安穏とした生活をしている。 そんなランボは本来あるべきリング守護者としての自覚が薄い事もあり、性格的にも年齢の割りには幼いところがあった。 しかしそこで勘違いしてはならないのは、ランボがボンゴレから大切にされるのは『ランボが雷のリング守護者だからだ』という事である。 綱吉など馴染みの者達は、リング守護者という立場など関係無くランボ自身を大切に思っているが、それ以外の者達はリング守護者という立場に敬意を払っているのだ。 そういった事もありランボが年齢を重ねる中で、ファミリーの構成員達はランボに対してリング守護者としての期待を高め、その立場に相応な役目を果たすことを求めるようになっているのである。 それは今のランボにとって酷な事であるが、だが、決して間違った事ではないのだ。 肩書きだけの人間など誰も認めないのは道理である。立場を守る為には役目を果たさなければならない。 ランボはそういった求めに気付いていないが、実際求める声はあり、求められる事は当然の事だったのだ。 そんな綱吉の言葉の真意に、リボーンは表情を変えないまま黙って頷く。 リボーンはアルコバレーノとして、求められる事も、それに応える事の必要性も充分心得ているのだ。 「リボーンが一緒だから大丈夫だと思うけど、ランボの事を宜しく頼んだよ」 まだ子供だからね、と綱吉は苦笑した。 そうした綱吉に、リボーンは「覚えておく」と素っ気無い口調で返したのだった。 リボーンとランボが暗殺集団壊滅の仕事を受けて三日が経過し、決行当日となった。 空を見上げれば煌々と輝く月が天空を支配し、蒼白い月光が地上を照らしている。 月明かりだけが頼りの闇夜の中、二人は街外れにある廃墟ビルの前に立っていた。 この廃墟ビルは数年前までは病院だったようだが、建物が撤去される事はなく、今では荒れ果てて誰も近づかない場所になっている。 何故なら、そのような場所の治安が保たれる筈がなく、此処には数多くの流れ者や裏社会の人間が息を潜めて隠れ住んでいるのだ。この廃墟ビル敷地内は、スラム地区と同様の危険が付き纏う場所なのである。 しかし現在、暗殺集団が流れ込んできた事により、此処に元々住み着いていた者達が外に流れ出ているという。そういった理由も含め、ボンゴレは暗殺集団の掃討を決断したのだ。 ランボは眼前に聳える廃墟ビルを前に、ゴクリと息を飲む。 月明かりに照らされる廃墟ビルは寒々しい雰囲気があり、割れた窓ガラスや崩れたコンクリート片が辺りに散乱している。外観からして奇妙な恐怖感が煽られるというのに、中には問題の暗殺集団が潜んでいるかと思うと、圧倒されるような威圧感と緊張感を感じてしまった。 そうしたランボの気持ちに気付いたのか、側にいたリボーンは嘲笑うような笑みを浮かべる。 「怖気付いたのか?」 「そ、そんな訳ないだろ!」 馬鹿にするようなリボーンの言葉に、ランボは条件反射で言い返していた。 だが言葉は強気でも、表情の方は見事にそれを裏切っている。 仕事を受けた時は「絶対完遂してみせる」と強気であったが、こうして廃墟ビルを眼前にするとやっぱり怖気付いてしまうのだ。 今まで雑用や後方支援をしてきたランボにとって、今回の仕事は初めて襲撃の最前線である。ランボの表情は緊張に強張り、廃墟ビルを見据える瞳には不安の色が宿ってしまっていた。 「引き返してもいいぞ。これくらいの仕事は俺一人で充分だ」 むしろお前は邪魔だ、とリボーンは言い放つ。 実際リボーンからすれば、この程度の仕事は一人で充分事足りるものなのだ。普段はSランクを一人で遂行するリボーンにとって、同行したランボは邪魔でしかない。 それが分かっているランボは悔しげに唇を噛む。 だが、今回の仕事は綱吉が直々にランボにも与えたものなのだ。その期待に答える為にも、リボーンにどれだけ馬鹿にされようと逃げる訳にはいかなかった。 「失礼なこと言うなよっ。オレだってこの仕事を受けたんだからな!」 ランボは自身を奮い立たせるようにそう言うと、「よしっ」と気合いを入れて廃墟ビルに足を向ける。 こうして歩き出したランボだが、「待て」と背後からリボーンに呼び止められた。 「一人で何処に行くつもりだ。お前は裏で待機してろ」 「え?」 リボーンの言葉に、ランボは一瞬きょとんとしてしまう。 しかし言葉の意味を理解していくうちに、悔しさが煽られ怒りが込み上げてきた。 そう、それはランボからすれば馬鹿にしていると受け取れる言葉だったのだ。 「どういう意味だよっ。裏で待機なんて意味がないだろ?!」 「遊びじゃねぇんだ。俺の指示に従え」 リボーンはそう言うと、手短に今回の壊滅作戦を説明する。 しかし壊滅作戦といっても、その内容はリボーンの独壇場だった。 リボーンが廃墟ビルに潜入し、標的である暗殺集団を一網打尽にするというのである。そしてランボはというと裏で待機し、リボーンから逃げてきた者達を始末するというものだったのだ。 はっきりいってこの作戦内容は、ランボにとって面白くないものである。進んで戦闘を行いたい訳ではないが、それでも戦闘への憧れがない訳ではない。 「遊びじゃない事くらいオレも分かってる! リボーンこそ、暗殺集団の連中が何人いるか分かっているのかよ?!」 ランボは脅すつもりでそう言ったが、リボーンは何とも無い事のように「資料には二十三人って書いてあったな」と軽い口調で答える。しかも。 「で、俺がその人数相手に劣ると思うのか?」 リボーンは口元に薄い笑みを刻み、絶対の自信を窺がわせてそう言ったのだ。 そんなリボーンの自信に、ランボは何も言い返せなくなる。 リボーンの自信には根拠がある事を、ランボは長い付き合いで知っているのだ。 こうして黙りこむランボを前に、リボーンは「見学してろ」と言い置いて廃墟ビルへ足を向けたのだった。 「なんだよ、リボーンの馬鹿……っ」 ランボは不満気な様子で呟くと、「アホ、サド、意地悪、自分勝手」とぶつぶつと思いつく限りの悪態を続ける。 リボーンから裏で待機しているように指示されたランボは、逆らう事も出来ずにおとなしく従ったのだ。 だが、実際こうして裏で待機していると、リボーンに対する理不尽さが込み上げてきた。 そもそも今回の仕事はランボも綱吉から直接受けたものなのだ。それなのに今の自分は現場に居ても蚊帳の外状態である。確かにリボーンと比べれば自分の実力は劣るものだが、だからといって最初から待機しているのは面白くなかった。 何より、自分だってマフィア歴は十年以上になり、しかも雷のリング守護者という立場なのだ。なのに、いつまでも仕事で蚊帳の外なのは嫌だ。 「どうしようかな〜」 ランボはイタズラを企む子供のような表情で呟くと、自分の周囲をきょろきょろと見回す。 廃墟ビル周辺は当然ながら誰もいない。 聞こえてくる物音といえば、耳を澄ませばようやくリボーンが行なっている銃撃戦の銃声が聞こえてくるだけである。 此処は現場でありながら、最前線から遠く離れた場所なのだ。 此処にいれば安全だが、間違いなくアジト壊滅に関わる事は出来ないだろう。 はっきりいってそれでは意味が無い。 ランボは、自分だってやれば出来るというところを見せてやりたいのだ。 ランボは何かを決心するように「よしっ」と意気込むと、懐の銃を確かめ、指示されていた場所から離れたのだった。 薄暗い廃墟ビルの中はシンと静まり返っていた。 ビル内には暗殺集団が潜んでおり、今はリボーンが戦っている筈だが、裏手から侵入したランボの前には寂れたコンクリートの屋内が広がるばかりで人気は無い。元々病院だった此処はたくさんの個室があるが、そのどれにも人がいる気配は感じられなかったのだ。 だが、ランボは銃を構えたまま緊張した面持ちで長い廊下を進んでいく。 視界を照らすのは頼りない月明かりだけで、足元にはガラス片やコンクリート片が転がっている。その中を歩く事は、それだけでランボにとって恐怖を煽るものだったが、ランボは「大丈夫」と自分に言い聞かせて歩き続けた。 向かう場所は現在銃撃戦が行われている一角である。 まだ銃撃戦の物音は遠くで響いているが、近づけば近づくほどぴりぴりとした殺気や緊張感が伝わってくるようだった。 ランボは緊張感に息を飲み、慎重に足を進めていく。 未だ人の気配は無いが、それでも最前線に赴くことが初めてなランボにとって、今でも充分圧倒されてしまいそうだった。 こうして周囲に神経を巡らし慎重に足を進めていたランボだが、不意にハッと表情を変える。 「わっ、うそ……っ」 前方から慌ただしい足音が響き、ランボは焦ってしまったのだ。 足音の人物の姿はまだ見えないが、それは確実にこちらへ向かってきている。 足音に驚いたランボは「ど、どうしようっ」と怖気づくが、近づく足音に逃げるように物陰に隠れた。 条件反射のように逃げてしまった自分にランボは何とも言えない気持ちになるが、今は息を潜めて近づいてくる人物を待つ。 そうしているうちに、薄闇の中からぼんやりと足音の人物が見えてきた。 その人物は脇目も振らず、慌てた様子で屋外を目指して走っているようだった。表情は青褪め、必死な形相からは形振り構わぬ様子が窺がえる。 未だ遠目にしか確認出来ないが、近づいてくる人物にランボは見覚えがあった。 「あの男……」 そう、それは資料に記されていた暗殺集団の一人だったのだ。 こちらへ走ってくる男に、ランボの緊張が高まっていく。 男は隠れているランボに気が付いている様子はないが、ランボの方はすっかり焦ってしまった。 「どうしよう、どうしよう……っ」 決断が迫られる。 今まで銃を握った事はある。簡単な仕事だったがヒットマンとしての役目を果たした事もある。だから銃を撃つ事に戸惑いはない。 だが、このような状況で銃を撃つ事が初めてだった。 相手は暗殺集団として裏社会で名の通った男である。認めたくないが実力は明らかにランボの方が下だった。そんな連中を相手に戦うなど、今まで経験した事がなかったのだ。 一発で仕留められなければ、確実に銃撃戦になるだろう。 銃撃戦は初めてでは無いが、歴然とした実力差がある相手との銃撃戦は初めてだった。 怖気付いてしまったランボは、このまま見なかった振りをして逃がしてしまおうかと思った。それは情けない事だが、緊張に高まった身体は今にも震えだしそうだったのだ。 こんな臆病な自分に嫌気が指すが、銃の照準をまともに合わせられそうにない。 だがこうしてランボが諦めかけた、その時。 ふと、ランボは足元のガラス片を踏んでしまった。 静かな廃墟の中でガラス片が砕ける音が響き、ランボは一瞬にして青褪める。 「しまった……っ」 「だ、誰だ?!」 男が銃を構えてランボのいる方向を振り返った。 二人の視線が交わり、ランボはビクリと震えて硬直してしまう。 しかしランボが迷い硬直していたのは一瞬だった。目が合った瞬間、咄嗟に銃の引鉄を引いていたのだ。 パンッ、という乾いた銃声が響いた。 銃声が響いたのと同時に、男の身体が崩れ落ちる。 男はコンクリートの床に倒れ、夥しい程の鮮血を流していた。 「う、うそ……。死んだの……?」 ランボは倒れた男を凝視し、驚きを隠しきれずに呆然と呟く。 しかし微動だにしない男の姿に、自分が仕留めたのだという実感がじわじわと沸いてきた。 「やったんだ。オレ、一人でやっつけちゃったんだ……っ」 反射的に発砲していたとはいえ、それが命中した。そう、暗殺集団の一人を自分で始末したのだ。 標的の男を仕留めたという実感に緊張していたランボの表情が和らぎ、そして次に浮かぶのは笑顔に似た表情。今まで緊張と不安が大きく占めていた心に、自信が取って変わりだしたのである。 一人仕留めたという事が自信に繋がり、ランボは更に奥へと進みだす。 進めば進むほど漂う殺気や緊張感は色濃くなっていくが、ランボは込み上げる自信から怯まずにいられた。 こうして進んでいき、角の手前で立ち止まる。 直ぐそこから響いてくるのは銃声と、男達の断末魔だ。 それらの音から、角を曲ったそこでは銃撃戦が行われている事が窺い知れた。 しかも銃撃戦はリボーンが有利なものだと思って良いだろう。そこにいる複数の人間からは追い詰められた必死さが感じられ、物音だけで男達の混乱が手に取るように分かるのだ。 それらを感じ取ったランボは物影に身を潜め、銃を構えて応戦準備を整えた。 本当は最前線の銃撃戦に入ってみたいという思いもあるが、おそらく先ほどの男のように銃撃戦から逃げ出してくる者もいる筈だ。銃撃戦に混じる機会を窺がいつつ、自分は逃げ出してきた者達を狙っていこうと思ったのである。 そうしてしばらく角の物陰に潜んでいると、ランボの読み通り二人の男が逃げ出す気配を感じた。 しかも逃げる事に必死な男達はランボが潜んでいる事に気付いていない。 ランボは近づく男達の気配に神経を集中させると銃を構え、そして男達が姿を見せたのと同時に引鉄を引く。 「ぐあっ」 「うあっ」 二発の銃声が響き、それによって二人の男が倒れる。 ランボは男達が角を曲った瞬間を狙って発砲したのだ。 「これで三人目」 二人の男を仕留めると、ランボは得意気に言った。 相手は逃げる事に夢中になっていたとはいえ、標的を仕留められた事が嬉しかったのである。 しかしこうして最前線に近い場所で逃亡を阻止した事により、現在戦っている者達が潜んでいたランボの存在に気が付いてしまう。それはランボにとって危機な筈だったが、幸いにも事態は好転した。 リボーンの脅威に混乱する男達はランボの実力を測る余裕はなく、逃亡を阻止されたという事実が混乱を一層煽ったのだ。 戦闘中に一度混乱すれば、それは死を招いたのと同義である。 それからの戦闘は一方的なものだった。 残っていた数人の男達は、リボーンの見事な銃撃に崩れ落ちていったのだ。 それは瞬きのような早さと正確さを持つ銃撃で、無駄の無い動きと手際が圧倒的な実力差を見せつけた。 こうしたリボーンの一方的な銃撃にランボが手を出す暇など無く、ランボは呆然とリボーンの姿を見つめる。 激しい戦闘である筈なのにリボーンは悠然としており、そこからは余裕すら感じるのだ。 そんなリボーンの姿に、ランボは実力差を感じて悔しくなる。だが、悔しさと同時に誇らしさもあった。 今の自分はリボーンと一緒の現場に立ち、同じ敵に向かって銃を構えているのだ。例え足手纏いであったとしても、それが誇らしくも嬉しかった。 そして何より、自分が惚れている相手だと思うと妙なくすぐったさを感じてしまう。 こうして間も無くすると、リボーンの戦闘は終了した。 リボーンが銃口を下げれば、周囲には静寂が戻ってくる。 今まで見事な銃撃を見ていたランボは、少し興奮した面持ちでリボーンに駆け寄った。だが。 「どういうつもりだ」 駆け寄ったランボに、リボーンは突き放すような声色で言った。 リボーンが纏う雰囲気は明らかに憤りを顕わにしたもので、ランボは「え?」と戸惑ってしまう。 リボーンが倒した屍の数は、今回の仕事のほぼ完遂を示す数である。それなのに、憤る理由が分からなかった。 しかしその理由は、リボーンによって直ぐに突きつけられる。 「俺は待機してろと言った筈だ」 リボーンが憤る理由はランボの勝手な行動にあったのだ。 勝手に行動を起こした事は命令に背く行為であり、それを指摘されたランボは「う……」と口篭ってしまう。 しかし、ランボは直ぐにリボーンを睨み返した。 自分だって三人始末したのだ。役に立たなかったとは思われたくない。 「オレだって三人も始末したんだから、そんなに怒らないでよ……っ」 ランボは強気でそう言い返したが、リボーンは黙ってランボを睨み据えていた。 こうしたリボーンの射抜くような眼差しに耐えられなくなったランボは、「仕事は終わりでしょ?」とさり気なさを装って話を変える。 こうして都合が悪い事を誤魔化そうとする姿は幼い頃と変わっておらず、リボーンは苛立った様子で舌打ちした。しかもこうしたランボを相手にしても無駄に終わる事は知っている。 「まだ仕事は終わってねぇぞ」 無駄だと分かっているリボーンは、仕事が終わったと安堵をみせるランボに忠告した。 「え、まだ?」 ランボはまだ終わっていない事に驚いてしまう。 リボーンの足元には十数人の屍が転がっており、その数から終わったのだと早合点していたのだ。 「後一人だ。気を抜くな」 「なんだ後一人か、びっくりさせないでよ」 まだ終わっていないと聞かされた時は驚いてしまったが、残り一人だと知ってランボはほっと息を吐く。リボーンの神妙な様子にまだ大勢残っているのかと心配したが、残り一人なら終わったも同然だと思ったのだ。 しかしこうして余裕を見せるランボに、リボーンから掛けられたのは意外な言葉だった。 「お前は元の場所に戻って待機してろ」 そう、残されているのは僅か一人だというのに、リボーンはランボを元の場所に戻るように指示したのだ。 当然その指示に対し、ランボは不満を覚えてしまう。 相手は残り一人だというのに、しかも三人も始末したのに、それでも待機を言い渡されて面白くなかったのだ。 「なんで?!」 「足手纏いだ。戻ってろ」 ランボは食い下がるが、リボーンは素っ気無い口調で突き放す。 そんなリボーンにランボは悔しさを隠し切れず、怒気も顕わにリボーンを睨みつけた。 「オレだって頑張ってるんだから、そんな言い方ないだろ?!」 ランボにとってリボーンは想いを寄せる相手だが、足手纏いだと言われて喜べる訳がない。むしろ想いを寄せる相手だからこそ、足手纏いだなんて思われたくなかった。 それらの思いは、ランボの中に意地を生む。 「それなら競争しない? 最後の一人をどちらが先に見つけるか、二人で競争しようよ!」 それは咄嗟に出た提案だった。 リボーンを相手に無茶だと分かっていたが、意地になったランボは提案していた。 仕事に競争というゲーム感覚を組み込む事は不謹慎な事だが、今のランボはリボーンに認めて欲しいという思いが強かったのだ。 それに今のランボは自信がある。 だって三人も始末出来たのだ。それは今まで無かった経験で、今なら出来るという自信に繋がった。 ランボの提案にリボーンは「馬鹿らしい」と拒否するが、ランボは剥きになる。 「絶対にオレが先に見つけるからな!」 ランボは宣言するようにそう言うと、リボーンの拒否を無視して廃墟ビルの奥へ走り出したのだった。 「リボーンはオレの事を馬鹿にしすぎなんだよ」 ランボはリボーンへの不満を口にしながら走り続ける。 リボーンに宣戦布告したランボは、そのまま廃墟ビルの奥へと進んでいたのだ。 ビル内は薄暗く不気味なほど静寂に満ちているが、相手が残り一人だと知った今は強気だった。 ビル内に潜入したばかりの時は緊張感に神経を尖らせていたが、今はリボーンへの不満と、敵を仕留めたという自信があって強気でいられたのだ。 こうした思いのままランボは走り続け、何処かに潜んでいる筈の男を探し続けた。何としても最後の一人をリボーンよりも先に見つけ、始末してみせたかったのである。 ランボは長い廊下を走り抜け、元々はエントランスだったと思われる場所に出た。 薄暗い中では、広い円形のエントランスを見渡す事は難しいが、ランボは立ち止まって周囲の気配を探る。 だが、その時。 「うわっ!」 不意に、鋭い光が一陣の風のようにランボを襲った。 ランボは咄嗟に避けたが、それは明らかに首元を狙ったものである。避けていなければ確実に死んでいた。 「な、なんなんだよ……っ」 ランボは寸前で免れた死の恐怖にゾクリと背筋を凍らせるが、そんな思いを叱咤して銃を構えた。 姿は確認出来ないが、確かに誰かがいる気配を感じる。 そして、その見知らぬ気配の正体について考えられる事は只一つ、暗殺集団最後の一人。 ランボは直ぐ側で感じる気配に息を飲むと、少しでも姿を捉えようと目を凝らす。 しかし視界を照らすのはぼんやりとした月明かりだけの為、薄闇に紛れた黒い影しか確認する事が出来ない。しかも男の動きは素早いもので、その気配を追うことで精一杯だった。 この不充分な視界の中でランボが何とか捉えられるものは、男が手にしている鋭利なナイフの光だけである。男が手にしているナイフが時折月明かりに反射し、その光が闇夜に紛れている人影の存在を確かなものにしているのだ。 おそらく男の得意武器はナイフのようで、視界が利かない中でも巧みに扱っている。先ほどランボを襲ったのもそれだろう。 ランボは突然襲われた事に内心では焦っていたが、何とか身構えた体勢で男の動きを探り続ける。そして素早く動く人影と、月明かりに反射するナイフの刃を目印に、条件反射のような慌てた動きで発砲を繰り返した。 しかし乱れた発砲が命中する筈もなく、威嚇する事も撹乱する事も出来ていない。それどころか、男は銃を乱射するランボを嘲笑うかのような動きを見せるのだ。 そんな男の動きは明らかな実力差を見せつけたものだが、攻撃を夢中で続けるランボは気付かない。 「当たってよ……っ」 剥きになっているランボは苛立った様子で引鉄を引き続けた。 今のランボは男の動きを追いかけ、仕留める事に必死だったのだ。 こうした中、ランボは不意に、男の動きが緩やかになった事に気が付いた。 その瞬間を見逃さず、男の姿を捕捉したランボは素早く銃を構える。 「捕らえた!」 相手の武器はナイフ、それに引き替えランボの武器は銃である。 この時、ランボは飛び道具を持つ自分の有利を確信し、動きを捕らえてしまえばこっちのものだと思っていた。 だが、ランボが男に向かって発砲しようとした、その瞬間。 「あ……っ」 それは一瞬の事だった。 引鉄を引こうとした寸前、男との距離が瞬きのような速さで縮まり、ランボの頬に一線の熱が走ったのだ。 熱は鋭い痛みを伴なうもので、ランボは何が起きたのか理解出来ずに硬直してしまう。 だが一線の熱からじわりと鮮血が滲み、ランボはようやく相手の実力を理解した。 ――――この男は今直ぐにでもランボを殺す事が出来る。 この時になって、ランボは自分の置かれた状況を理解した。 そう、男にとってランボとの戦闘は遊びのようなものだったのである。 それに気付いたランボは背筋が震撼した。 自分の命が他人の手中にある事を強く意識し、それを堪らなく怖いと思ってしまったのだ。 「もう撃ってこないのか?」 攻撃を忘れたランボに、男は嘲笑とともにそう言った。 男の声は背後から響き、ランボはハッとしたように振り向きざま発砲する。 しかし今のランボが放つ銃弾が男に命中する筈はなく、男によって即座に反撃された。 「つ……っ」 今度は腕に痛みが走った。 シャツが裂け、そこからじわりと鮮血が滲む。 「……そんな……っ」 男の攻撃が見えなかった。光の一線が走ったかと思うと、切りつけられていたのだ。 明らかな実力差を前に、先ほどまであったランボの自信は一瞬にして粉々にされた。 無理だ。どんなに足掻いても、この男に殺される。 意識した瞬間、今まで感じた事がないほどの恐怖が押し寄せた。 恐怖は一瞬にして全身を駆け巡り、ランボはガタガタと震えだす。 そして気が付く。これ程の恐怖は今まで体験した事がないものだと。 しかしそれは当然の事である。今までランボが行なってきた仕事は、雑用や後方支援というものだったのだ。それは守られた場所で行うものであり、そこでは一切危険な目に遭う事はなかった。 それに先ほどは三人の男を始末できたが、それは相手が戦意喪失している状態だったから可能だったのだ。だから、今のように圧倒的な実力差で死と対面させられる事は初めてだった。 目の前に対峙した男が、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。 迫る男の影に、ランボは逃げるように後ずさった。 「や、やだ……、来るな……!」 声が震えていた。 銃を持つ手が震えていた。 走って逃げ出したいのに、身体は金縛りにあったように動かない。 足が竦むほどの恐怖に、ランボは息苦しささえ感じていた。 「抵抗するな」 男が静かに命じた。 男はナイフの切っ先をランボに突きつけ、指先一本動かす事を許さない。 「う……」 ランボは向けられたナイフの切っ先と、命じるままにいる事しか出来ない自分に絶望する。 戦う事も出来ない今の自分は、ヒットマンとしても雷のリング守護者としても無様な姿だった。 しかしそれを分かっていても抵抗する事は出来ない。 「心配するな、まだ殺しはしない。貴様には使い道があるからな」 男は愉悦の滲んだ声色でそう言った。 その言葉の内容に、ランボは疑問を覚える。 しかしランボがそれを口にしようとした時。 「だから足手纏いだと言ったんだ」 不意に、ランボにとって聞き慣れた声が響いた。 その声の主をランボが間違える筈はない。 「リボーン……!」 そう、リボーンだ。 エントランスの入口に、リボーンが悠然とした様子で立っていた。 黒いスーツは闇夜に紛れ、その存在はまるで闇そのもののようである。しかし闇のようでありながら、他を圧するような存在感は決して溶け込むことをさせていない。 リボーンは威圧感が伴なう睥睨の眼差しで男とランボを見ていたのだ。 ランボはリボーンから自分に対する呆れを感じ、申し訳なさと悔しさを覚えて俯いてしまう。リボーンの命令を無視して勝手な行動をしたのは自分なのだ。言い訳など出来るわけがない。 こうしてランボは落ち込みそうになるが、不意に、「あ……」とある事に気が付いた。 ランボにナイフの切っ先を向けている男から、張り詰めるような緊張が伝わってきたのだ。 男はランボを人質のように扱っているが、そこにあるのは余裕ではなく、リボーンに対する畏怖。 そう、先ほどまでランボを追い込んでいた男はリボーンを恐れていたのだ。 「貴様がリボーンか……、噂は聞いている」 男はリボーンが纏う存在感と殺気に恐れながらも、挑むような眼差しで言った。 しかし男の言葉などリボーンが構うはずはなく、嘲るような視線を返す。 「その牛をとっとと放せ。そうすれば楽に死なせてやる」 リボーンにとっては、例え人質を取られた状況であろうと関係無いのだ。 実力差を見せ付けるリボーンに、男はますます追い詰められる。 だが、だからといって男が諦める事はなかった。眼光に鈍い光を宿し、挑むような眼差しでリボーンと対峙し続けている。 「俺を殺すか?」 「当然だろう。それとも、お前程度が俺を殺せると思っているのか?」 「そんな大それた事は思っちゃいねぇよ」 リボーンの言葉に、男は表情を引き攣らせながらも答えた。しかし、そうして微かな怯えをみせながらも、男はゆっくりとした口調で言葉を続ける。 「だが、今の状況を打開する方法なら考えてある」 そう言った男の表情には、賭けに挑むような歪んだ愉悦が滲んでいた。 そして男はランボに向けていたナイフの切っ先を、ゆっくりとした動きで閃かせる。こうしてナイフの刃がランボの喉元にそえられた。 皮膚に触れる寸前で止められたナイフは、僅かな動きで容易にランボを傷付けるだろう。その傷は、死に直結するものになる事は充分考えられる。 「ぅ……あ」 ランボは声も出せずに呻いた。 背筋には冷たい汗が流れ、喉元のナイフが冷たく背筋を凍らせる。 「リボ……ン……」 ランボはリボーンの名前を呼んだ。 その声色には縋る色があり、助けを求めるものである。 翡翠色の瞳は怯えに染まり、青褪めた面差しでリボーンを見つめていた。それは意識したものではなかったが、ランボの内にある恐怖心がじわりと滲みでたものだった。 そんなランボの姿に、リボーンは僅かに目を細める。 それはリボーンが、此処にきて初めてみせた表情の変化だった。 僅かな変化であるが、男はリボーンの表情の変化を見逃さない。 男は口元に歪んだ笑みを刻み、愉悦を深める。そして。 「――――殺せ」 男はランボに命じた。 ランボは、突然言われた言葉の意味が分からず「え?」と聞き返す。 しかし男は構わずに言葉を続けた。 「リボーンを撃て」 繰り返された言葉の意味を理解し、ランボは愕然とした。 それと同時に、男の意図を察する。 男は最後まで足掻くつもりなのだ。 男は死を覚悟している。だが、死ぬ瞬間まで足掻き続けるつもりなのだ。 その足掻きは『賭け』という形で現われた。 男にとってランボを殺す事は容易い事である。しかしリボーンから逃れる事、ましてや殺す事は不可能に近いことだ。それ故に、男は第三の方法を選択したのである。 その方法とは、ランボがリボーンを殺すという方法。 ランボを人質にしてリボーンの攻撃を封じ、ランボにリボーンを攻撃させるものだ。 それは無謀であり、捨て身ともいえる賭けである。しかし追い詰められた男は形振りなど構わない。 それを察したランボは拳を強く握りしめる。 「馬鹿にするな! そんなの出来るわけないだろ……!」 ランボは男の命令に、怒りを顕わにして声を荒げた。 これはランボにとって酷い侮辱の命令だったのだ。 ランボは幼い頃からマフィアとして仲間の大切さを叩き込まれてきた。そんなランボにとって、男の命令は仲間を裏切る事を強要したものだったのである。 しかもリボーンはランボが想いを寄せる相手でもあった。特別な想いを抱く相手に銃口を向けるなど出来る筈がない。 怒りが込み上げたランボは一時的に恐怖を忘れ、「ふざけるな!」と気丈な様子で男に食って掛かった。 しかし。 「そうか、なら死ね」 しかし、ランボの気丈さなど男にとっては些細なものである。 「俺には後が無い。俺が死ぬなら貴様は道連れだ」 「そんな……っ」 形振り構わぬ男は当然のようにそう言い、ランボは息を飲んだ。 ランボは喉元のナイフを強く意識する。 ナイフを意識すれば身体は震えだし、僅かに胡散していた恐怖がまたしても押し寄せた。 「銃を撃て。そうすればお前だけは逃がしてやってもいい」 男の甘い言葉が耳元に囁かれた。 ランボは甘い言葉に肩を震わせ、少し離れた場所に立っているリボーンを見る。 向ける眼差しは縋るようなものであったが、そんなランボの眼差しをリボーンは静かに見据えていた。 言葉は無く、リボーンの意志がランボには分からない。ただ射抜くような黒い瞳が、真っ直ぐにランボを見ている。 ランボは、リボーンの眼差しが好きだ。 静謐さを思わせるリボーンの瞳が好きだ。 それなのに、その相手を殺せという。自分が助かる為に、引鉄を引けという。 そんな事など出来る筈がなかった。 仲間を裏切る事は許されない。ましてや好きな相手なら尚更である。だから、例えどんな恐怖を味わったとしても、そんな事が出来る筈がない。 だが。 「う……ぅぁ、こわい……、怖いよ……っ」 ランボの口から零れたのは、それを裏切る言葉だった。 マフィアとしての経験が浅いランボにとって、初めて直面した死の恐怖は想像以上のものだったのだ。 自分の中で、自覚との葛藤がある。涙が出るほど情けないと思う。でも、そんな感情を凌駕するほどの恐怖があった。 リボーンは仲間で、好きな人で、特別な想いを寄せる相手だ。それを分かっているのに、理屈でない恐怖があったのだ。 だって、痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。死ぬなんて嫌だ。 殺されるのは怖い。 「銃口をリボーンに向けて、引鉄に指を」 男が耳元で命令した。 命令に全身が震え、瞳に涙が浮かんだ。 リボーンが見ている。ランボが好きな、黒く鋭い目で見ている。 その眼差しを受けながら、ランボは力無い動作で銃を上げた。 心は混乱し、引鉄を引く事に警鐘を鳴らしている。 それなのに身体が裏切り、警鐘を無視し、目先の恐怖に従おうとしている。 リボーンを撃ちたくない。こんな形で銃口を向けるのは嫌だ。 でも、怖かった。殺されるという事が、堪らなく…………怖かった。 「……リボーン……っ」 リボーンが好きだ。 十年前からずっと好きだった。 しかし。 「撃て」 ――――パンッ。 男が命じた瞬間、一発の銃声が響いた。 ランボの持つ銃から硝煙が上がり、リボーンの身体がゆっくりと傾ぐ。 そう、ランボは男が命じたままに引鉄を引き、銃弾がリボーンの脇腹を抉るように過ぎたのだ。 リボーンを撃つと、喉元に突きつけられていた男のナイフが離れ、ランボは全身から力が抜けたようにしゃがみこむ。 指先一つ動かす事が出来ず、声さえ出なかった。 ランボは、リボーンの腹部から溢れる鮮血と、ゆっくりと傾いでいく身体を見ている事しか出来ない。 こうしてランボは呆然としている事しか出来なかった。 だが、撃たれたリボーンの方は未だ意識を失わず、人質だったランボが解放されたところを見逃していなかった。 リボーンは身体が地面に倒れこむ寸前、瞬きのような速さで男に発砲したのだ。 銃声が響き、リボーンの発砲した銃弾が男の胸に命中する。それを確認したリボーンは、そのまま崩れるように倒れて気を失ったのだった。 そして撃たれた男は衝撃に呻き、ガクリと膝を着いた。 「く……ぁっ、畜生……っ」 男は撃たれた胸を押さえて苦しげに吐き捨てる。 撃たれた胸を押さえる手は血に染まり、それは致命傷に繋がるほどの流血である。男は今までの優位な立場から嘘のように転落し、このまま倒れれば一生立ち上がれないだろうという状態に追いやられたのだ。 だが、男がこのまま意識を失くす事はなかった。 男は倒れる寸前に最後の力を振り絞り、身体を引き摺るようにして此処から逃亡したのだ。 逃亡する男の身体はふらついており、後ろ姿は隙だらけである。 しかし、ランボの視界に逃亡する男の姿は映っていなかった。否、男だけでなく周囲の光景すら映っていなかった。 ただ、呆然とした様子で倒れたリボーンを凝視していたのだ。 ランボはリボーンを撃った時から時間が止ったように硬直し、リボーンと男の交戦の時すら何の反応も示せなかった。 身動き一つ出来ず、放心したようにリボーンを凝視していたのだ。 だって、リボーンが目の前で倒れている。 銃弾に貫かれて流血し、瞼を重く閉じている。 そしてリボーンに発砲したのは……ランボだ。 第二章・花を乞う 「自分が何をしたか分かっているのか?!」 獄寺の怒声とともに、ランボの背中が壁に強く叩きつけられた。 ランボは痛みに呻くが、抵抗なんか出来ない。又、それをする気力もなく、それを許されていない事も分かっていた。 ランボは目を伏せ、誰かと視線を合わせる事を恐れるように俯いている。 暗殺集団壊滅の仕事を終えた後、ランボはボンゴレ屋敷の執務室に来ていた。 そして一緒に組んでいたリボーンは病院である。 あの廃墟ビルでの仕事は完遂という形で終了したが、実際はあってはならない行為の上で終了した。その行為とは、ランボがリボーンを撃った事だ。 人質にされていたとはいえランボが行なった事は、仲間というものを重視するボンゴレファミリー内では裏切りに近い行為であり、自己中心的で自分勝手なものとされた。 幸いにも、直ぐに医療班の治療を受けたリボーンが死ぬ事はなかったが、死んでいなくても撃った事には変わりがない。 ボンゴレに戻ったランボは説明を求められ、厳しい叱責を受けていたのだ。 自分の両肩を掴み、責めるように問い続ける獄寺。 ランボは幼い頃から獄寺に怒られる事が多かったが、これほどの激昂を見た事がなかった。 そして普段なら助けてくれる綱吉や山本も黙ったままランボを見ている。そんな二人の表情は悲しげなものであるが、眼差しには獄寺と同様の責めるような感情が滲んでいた。それらは隠し切れないもので、紛れもなく皆の本心だったのだ。 ランボはリボーンを撃った後から放心状態になっていたが、こうしてボンゴレ屋敷に戻った事で徐々に状況を理解し、そして自分が行った行為に絶望した。 あの時は普通の状況でなかったとはいえ、自分の取った行動は許されるものではない。 冷静な判断が出来なかった状況だったからこそ、ランボは自分の人間性を見たような気がしたのだ。 そう、自分勝手で臆病で卑怯で矮小な人間性。 ランボは男にリボーンを撃てと命令された時、自分の命とリボーンの命を天秤にかけ、恐怖のあまり自分の命を優先した。それは命乞いである。 ランボにとってリボーンは想いを寄せる相手だというのに、リボーンよりも自分の命を乞うたのだ。 「……ごめんなさい…………」 ランボは俯いたまま消え入りそうな声で言った。 声は震え、謝罪の言葉と同時に嗚咽が漏れる。 自分はとんでもない事をしたという思いが、今になって押し寄せてきたのだ。 「謝って済む問題じゃねぇだろ!」 ランボは謝罪するが、獄寺は激昂のままにランボを責めた。 しかしランボは謝罪する事しか出来ない。 謝罪しても許されない事は分かっているが、この言葉以外は思いつかない。 そんな今のランボは、皆と視線を合わせる事が恐くて俯き、消え入りそうな声で謝り続けるしか出来なかったのだ。 こうした中、不意に綱吉が動いた。 「獄寺君、もういい」 責め続ける獄寺を諌めると、ランボの前にゆっくり進み出る。 「ランボ」 綱吉が名前を呼んだ瞬間、ランボはびくりと身体を竦めた。 ランボの名前を呼ぶ綱吉の声色には、普段の優しい色は無い。でも獄寺のような激しい責めもない。ただ、淡々とした口調で何の感情も浮かんでいなかったのだ。 優しく穏やかな綱吉しか知らないランボは、今の綱吉が知らない人のように思えた。 「ランボが生きていてくれて嬉しいよ」 嬉しいと言いながら、その声に喜びの色はない。 そして綱吉は淡々とした口調で言葉を続ける。 「でも、素直に喜べない。むしろ……責めてしまいそうだ」 綱吉は悲しい表情でそれだけを言った。 その言葉に、ランボは血の気が引くような感覚を覚えた。 呆れられた、とそう思ったのだ。 優しく穏やかな綱吉を呆れさせ、悲しませ、裏切った。 今回の仕事は雷のリング守護者であるランボの為に用意されたといっても過言ではなかったのだ。それなのに、ランボはそれを最悪の形で裏切った。 ランボの瞳に涙が込み上げ、それが足元に零れ落ちる。 「っ……ぅ、う……」 俯いたままのランボは涙を拭う事も出来ず、足元に零れ落ちる涙を凝視していた。綱吉の怒りを前に身を強張らせ、泣き続ける事しか出来なかったのだ。 しかも臆病な自分は顔を上げる事すら出来ない。 こうして執務室には息苦しいほどの沈黙が落ち、ランボは身を強張らせたまま黙って泣き続けるしか出来なかった。 そうした中、沈黙を破るように「入るぞ」と執務室の扉が開いた。 執務室に入って来たのはリボーンだ。 顔を上げる事が出来ないランボは姿を確かめる事は出来ないが、それでもその人物が入って来た瞬間に分かった。 リボーンが執務室に入った途端、綱吉達の間に安堵が広がったのだ。 しかしランボだけは、リボーンが姿を見せた事に表情を更に強張らせる。 顔を上げる事が出来ない。リボーンの姿を確かめる事が出来ない。 だが、執務室の端で佇んでいるランボなど最初からいないかのように、綱吉とリボーンの会話が始まる。 「リボーン、身体の調子はどう? 動き回っても大丈夫?」 心配気な様子で訊く綱吉に、リボーンは「心配はいらねぇぞ」と何事も無かったように答える。 「撃たれたなんて知れたら俺の名折れだ。必要以上に騒ぐな」 リボーンは軽い口調でそう言うと、ソファに深く腰掛けた。 リボーンは普段通りに振る舞っているが、漂う薬品の匂いは濃く、その中には血の匂いが混じっている。 それは怪我の状態を示すもので、ランボはきつく目を閉じた。 謝らなければならない。 簡単に許される事ではないが、それでも謝らなければならない。 でも言葉は喉に詰まり、漏れるのは嗚咽だけだ。 リボーンは直ぐ側にいるというのに、身体は硬直したように動かない。 リボーンが怖いのだ。 同じ部屋にランボがいる事を知っていながら、罵るでもなく、責めるでもなく、ましてや銃口を向けるでもない。 リボーンにとって今の自分がどう映っているのかと思うと、堪らなく怖かった。 きっと責める価値も無い人間だと思われているだろう。臆病で、卑怯で、矮小な人間だと思われているだろう。相手をする価値も無い人間だと。 ランボは唇を噛み締め、小さく身体を震わせる。 これから先、今までのようにリボーンと接する事は出来なくなるだろう。言葉を交わす事も、視線を交わらせる事も、必要以上に側に近づく事も。 今だって顔を上げて視線を交わす事が出来ない。 だから、きっとこれが最後なのだ。 「……リボーン……」 ランボは弱々しい声色で呟いた。 振り絞るようにして出した声は掠れ、とても小さなものである。 しかしそれを聞き逃す者はなく、室内がシンと静まり返った。 今のランボにとって沈黙の静けさは苦痛を煽った。無言で責められているような気がしたからだ。 だが、それを受けなければならない事も分かっていた。 ランボは俯いたまま、ゆっくりとした足取りでリボーンの前まで歩きだす。 一歩一歩が重く、立ち止まりそうになる。 しかし立ち止まる事など出来る筈もなく、竦む足を叱咤し、俯いたままリボーンへと近づいていく。 そして足元に落とす視界にリボーンの靴先が映った時、リボーンを強く意識した。 リボーンが目の前にいる。 黒い革靴と黒いスーツのズボンが、涙で滲んだ視界に映っている。 ランボは怖くて視線を上げる事が出来ず、リボーンの足元しか視界に映す事は出来ない。でも、その上もきっと黒。そして端正な容貌。 容貌に刻まれている表情は見たくなかった。又、見る勇気もなかった。 リボーンの表情を確かめ、自分がリボーンにとってどんな存在に成り下がったか知りたくなかったのだ。 だって、きっとリボーンは自分を許さないだろう。 ランボはリボーンの前で立ち止まると、その場で両膝を折り、ゆっくりと両手を絨毯につける。 「ぅ……ごめんなさい……っ」 嗚咽混じりに紡いだのは謝罪である。 その謝罪と同時に、絨毯に額を擦りつけるように深く頭を下げた。 これは土下座だ。 「ごめんなさい……っ、……ごめんなさいっ」 ランボは止め処なく涙を流し、頭を下げて何度も謝った。 「……ごめんなさい……っ、ごめんなさい……」 リボーンが好きだ。 十年前から好きだ。 ずっとずっと想ってきた。 でも、自分にはそんな資格が無い事が分かった。 いつか想いを伝えられる日がくるかもしれないと思っていた。でも、それは叶う事がなくなった。 伝えたとしても、リボーンはランボの想いを信じないだろう。 そう、信じられる筈がない。 だってランボ自身が、自分の想いを信じられなくなった。 自分の心が――――信じられなくなった。 執務室を出たランボは、逃げ出したいという思いのまま足早に廊下を歩いた。 廊下では何人ものボンゴレファミリー構成員や使用人達と擦れ違ったが、ランボはずっと俯いていた。中には声を掛けてくる者もいたが、ランボは逃げるように走り抜ける。 責められているような気がして、顔を上げる事も、言葉を交わす事も出来なかったのだ。 今は誰とも会いたくなかった。会うのが怖かった。 だって向けられる視線に嫌悪や侮蔑が籠められている。それはあからさまなもので、無言という形でランボを責めていた。 ランボは屋敷を出ると、そのまま走り出して門を抜けた。 そして、俯いていた顔を僅かに上げて背後を振り返る。 視界に映るのは、石造りの高い塀に要塞のような門構え。歴史ある建造物は緑溢れる中にあって圧倒的な存在感を示しており、それは何百年も前から続くボンゴレの威厳と権威を表わすものだった。 それは近寄り難さを漂わせているが、ランボにとっては馴染みの光景である。普段から軽い気持ちで出入りする事が出来ていた。 だが。 「ぅ……っ」 だが今、振り返って見た光景は、いつもと違うものに見えた。 今まで感じた事もない威圧感を覚え、伸し掛かるような重さを感じる。それは排除されているかのような感覚を覚えるものだった。 そう、軽い気持ちで屋敷を出入りする事を許されず、気安く仲間を名乗ることを許されない。 「ごめんなさい……っ、……ごめんなさい……っ」 ランボは嗚咽とともに、何度も謝りつづけた。 謝罪は無駄である。涙など何の意味も無い。 どんなに悔やんだとしても行為は無かった事に出来ず、後悔はあまりに遅い。 全ては安易な気持ちで発生した事態だった。 この愚行をランボは生涯忘れる事は出来ないだろう。 いつまでも自分を苛み続け、非難や侮蔑はいつまでも残るだろう。 リボーンを撃ったあの時から、自分を取り巻く世界は変わったのだ。 今は泣く事しかできなかった。 変化した世界に嘆く事しか出来なかった。 悲痛に響く嗚咽を漏らし、愚かしさに泣き続ける事しか出来なかったのだ。 その後、裏切りに近い行為を行なったランボであったが、雷の守護者としての立場を奪われる事はなかった。 それは雷のリング守護者に相応しい特異体質のせいでもあったが、詳細に緘口令が敷かれた事も理由である。 リボーンが撃たれた事については、曖昧のまま事態は終息されたのだ。 しかし緘口令は暗黙のものであり、人の噂に戸は立てられない。表立って話題にする者はいなかったが、誰もが詳細を知っていた。 仲間を撃ったランボの事を誰もが知っていたのだ。 ランボは雷のリング守護者である。 その立場は今までと何も変わる事はない。 だが、それでも今までのようにいられないのは確かだった。 今まで向けられていたリング守護者に対する尊敬などない。特別視される事もない。 向けられるのは、不釣合いな肩書きを背負い続ける事への嘲笑だけだ。 そう、ランボは肩書きだけのリング守護者に成り下がったのだ。 同人に続く ラストはハッピーエンドです。 |
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