偽りを知っている。






「オレ、リボーンが好きだよ」


 ランボの口からぽつりと言葉が溢れでた。
 それは突然の、不意を突く言葉だった。
 言葉を紡いだランボ本人でさえ驚くような、突然の事故のような言葉だったのである。
 そう、コップに水を入れ過ぎれば溢れる事が自然のように、自然に溢れ出た言葉だった。
 無意識に溢れてしまった言葉に、ランボは「しまった」と微かに表情を変える。
 だが、一度溢れた言葉を塞き止める事は出来なかった。
 ランボは自分自身の心を知っている。言葉の真意を受け止めている。
 その真意とは、リボーンに対する特別な想いだ。
 ランボは幼い頃からリボーンへの想いを秘めてきたが、今までずっと秘密にしてきたのである。しかし、自然の流れのように想いが溢れてしまった。
 言葉にしようなんて思っていなかったのに、一瞬の不注意で起こる事故のように言葉が溢れてしまったのだ。
 この事故のような告白にランボは自分でも驚いてしまった。しかし、ランボが驚いたのは僅かな時間だけだった。
 だって、言葉は嘘じゃない。心は嘘じゃない。
 不注意で漏らしたとはいえ、言葉は嘘偽り無いランボの想いである。
 だから否定などしなかった。
 否定すれば、それが嘘になってしまうからだ。
 自分の想いを自分で否定するなんて、長年秘めてきた想いを殺すことと一緒だからだ。
 だから、ランボはもう一度想いを告白する事にする。今度は事故などではなく、自分の意志で。
「リボーンが好きだ」
 せっかくだから開き直ってしまおう、とランボは自分の想いを何度も言葉にした。
 溢れる想いを言葉にすることは気持ちの良いことだった。それが嘘偽り無いものなら尚更だった。
 気持ち良さは解放感に似たもので、ランボは告白したことを後悔していない。
 それが例え、リボーンに嫌悪を向けられたとしてもだ。
 ランボが告白した瞬間、リボーンは眉を顰めた。
リボーンの黒い瞳に嫌悪が宿り、ひどく迷惑そうな表情になった。それは誰が見ても不快感を示したものだ。
 そう、ランボは振られてしまった。
 想いを解放する事はとても気持ち良い事だったが、この瞬間、ランボは確かに振られたのだ。





 ランボがリボーンに振られてから数日後。
 ランボは綱吉に呼び出されてボンゴレ屋敷を訪れていた。
 山林の奥地に聳える屋敷は古城のような造りをしており、荘厳な外観からはボンゴレの富と権力と地位、何よりも代々続いてきた栄華を思わせる。
 ボンゴレファミリーは裏社会において世界屈指の巨大組織であるが、それと同時に表社会でも政財界に名の通る大企業でもあったのだ。
 そんなボンゴレ屋敷は、本来なら安易に立ち入れる場所ではなかった。例え馴染みの者であったとしても、厳しい身体検査を受けなければ敷地内すら入れない場所である。
 だが、ランボにとっては固苦しい場所ではなかった。それはランボがボンゴレリングの守護者という事もあるが、それ以上に綱吉から弟のように可愛がられているという理由が大きかった。
 ランボは門前を警備する者達に軽く挨拶すると、躊躇う事なく屋敷の中へ入っていく。屋敷に入ったランボは、そのまま綱吉の執務室へと足を進めた。
「ランボです。失礼します」
 綱吉の執務室の前まで来たランボは、普段と変わらぬ様子でノックとともにそう言った。
 そんなランボの声色には気安さがあり、表情からは喜色が窺がえる。ランボはボヴィーノファミリーに籍を置きながらも、ボンゴレに遊びに来る事が多いのだ。
 だが、ランボがどれだけ扉の前で綱吉の返事を待っても、それが返ってくることはなかった。
 普段ならランボが来訪を知らせれば直ぐに綱吉が応えてくれるのに、何故か今日はそれがなかったのである。
 それを不思議に思ったランボは「どうしたんだろ……」と首を傾げると、躊躇いつつも扉に手を伸ばす。
 入室許可もなく扉を開けることは不躾だが、通い慣れている気安さもあってゆっくりと扉を開けた。
「あ、リボーン……」
 執務室にいたのはリボーン一人だった。
 だがリボーンは訪れたランボに視線を向ける事はなく、ソファにゆったりと腰掛けて銃を磨いている。
 ちらりとも視線を向けてくれないリボーンにランボは苦笑するが、執務室で待たせてもらおうと「お邪魔するよ?」と執務室に入った。
 そしてそのままリボーンの向かい側のソファに腰を下ろし、銃を磨いているリボーンを黙って見ている。
 そんな二人の間を支配する沈黙は、ランボにとって居心地の悪さを感じる重たいものだった。
 だが、ランボはそれを感じながらも普段の表情を崩すことはない。
 何故なら、ランボは居心地が悪くなっている原因を知っているからだ。否、知っているもなにもランボ自身が原因なのである。
 元々リボーンと仲が良かった訳では決してない。むしろ「うざい」と罵られることが多く、酷い時は無視されることもある。リボーンは基本的にランボに興味など持っていなかったのだ。そんな二人の関係は幼い頃からのもので、ランボだけがリボーンを追いかけているという一方的なものだった。
 しかし今、二人の間にあるものは幼い頃から続くものだけではなくなった。
 それはランボがリボーンに告白し、振られてしまってからのものだ。
 そう、ランボは数日前、幼い頃から募らせてきた想いをリボーンに告白した。今思い出しても不思議なほどぽろりと想いが溢れでたのである。
 あの時は、リボーンの黒い瞳、薄い唇、形良い鼻、それらの端整な造形に魅入り、リボーンを真っ直ぐに見つめたまま告白した。何の脈絡も無く、場違いともいえる唐突さで告白したのだ。
 だが、虚しくも呆気ないほど簡単に振られてしまった。
 リボーンはランボの告白を聞いても思案する様子を見せず、ランボが傷付く間もなく当然のように振ってくれた。おそらく、それがリボーンの本音なのだろう。
 振られたランボは、傷付かなかったといえば嘘になる。
 長年秘めてきた想いを告白して振られたのだ、傷付かない方がおかしいだろう。本音をいえば、リボーンの姿を見ることも苦痛を覚えていた。
 だが、ランボは普段と変わらぬまま眼前のリボーンを見つめる。執務室には二人きりという状況だがランボの表情が翳ることもない。
 しかもリボーンを見つめたまま、ランボはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「リボーン、あの……好きなんだけど」
 それは唐突な言葉である。
 第三者がいれば思わず驚いてしまうものだが、ランボは躊躇い無くそう言った。
 言葉はランボにとって、挨拶のようにするりと口から紡がれたのだ。
 そしてリボーンはその言葉に対し、「またか……」と迷惑そうに表情を顰めた。
 そう、ランボは振られたというのに、あれからリボーンと顔を合わせる度に告白を繰り返していたのだ。
 自分でも図々しいと思うが、誰かを好きになるという感情は理屈ではないのだ。それを我慢する事は出来ない。
 だが、何度も告白を繰り返してきたランボは分かっている。リボーンの返事を。
「俺は嫌いだと何度も言ってるだろ」
 リボーンの返事は突き放すような拒絶だ。
 それを分かっていたランボは「知ってるよ」と小さく苦笑した。
「それなら黙れ。俺がお前を相手にする事なんて有り得ねぇぞ」
「それも知ってる。だけど、嫌だ……」
 これは初めて告白した時から何度も繰り返している会話だ。何度振られたとしても、今更諦めようとは思わない。
 ランボは向けられた拒絶にちくりと胸を痛めるが、それでもリボーンの顔を覗き込んでニコリと笑う。
「オレの気持ちは知られちゃってるんだし、押してればなんとかなるかな? って思って」
 ランボは悪びれない表情でそう言った。
 このランボの言動は強がりなどではなかった。幼い頃から邪険に扱われる事が多かった為、リボーンの冷たい態度には慣れてしまっているのだ。
 あまり慣れたくない事であったが、そのお陰で諦めも悪くなった。
 だから、ランボがリボーンの拒絶に暗い顔をする事もなく、何度も告白を繰り返す。
「リボーンがオレの事をウザイって思ってる事も、嫌ってる事も分かってるよ。でも、好きなんだから仕方ないじゃない」
 オレって諦め悪いんだ、とランボはリボーンを見つめたまま言ったのだ。
 湧き水のように溢れる想いを告白することは気持ちが良い。
 それが何年も募らせてきた想いなら尚更で、好きだと口にする度に解放感に満たされるのだ。
 垂れ流される想いが受け止められる事はないが、今のランボは溢れる想いを解放する事だけでも満足だった。
 それは自己満足の喜びであるが、打たれ強いランボはリボーンに拒絶される事も慣れてしまっている。そう、リボーンに迷惑そうに拒絶されても、冷たい言葉で突き放されても耐えられる。だって、リボーンに邪険にされる事は慣れているのだから。
 だからリボーンの拒絶を気にする事はなく、何度も想いの告白を繰り返していた。
 リボーンから向けられる感情は怒りや苛立ちばかりだが、ランボがそれを気にする様子を見せる事はなかったのだ。
 こうしてランボが一方的な告白をする中、しばらくして執務室の扉が開いた。
「二人ともお待たせ。待たせてごめんね」
 そう言って執務室に入って来たのは綱吉だった。
 綱吉の背後には獄寺と山本が控えており、ランボはその姿にパッと表情を輝かせる。綱吉とはティータイムを一緒にする事があるが、山本や獄寺と会うのは久しぶりだった。
 ボンゴレに遊びに来ることが多いランボは、綱吉となら頻繁に会っていたが、ボンゴレ幹部として多忙な獄寺や山本などとは顔を合わせる機会が少なかったのだ。ランボも二人と同じリング守護者であるが、まだまだ未熟なランボの立場は他の守護者達とは根本的に違っているのである。同じ守護者でも、ランボが他の守護者達と顔を合わせることは少なかった。
 ランボは先に綱吉に挨拶を済ませると、「お久しぶりです」と山本と獄寺に嬉しそうな笑みを向ける。
「いたのかよ、アホ牛」
「アホ牛って言わないでください。オレだって皆さんと同じリング守護者です」
 獄寺の意地悪な言葉に、ランボはムッとしながらも笑って反論した。
 獄寺の乱暴な言動はランボが幼い頃から変わらないものなのだ。幼い頃は喧嘩をする事も多かったが、今では獄寺の不器用な優しさに気が付いている。獄寺はランボを苛めつつも、リング守護者として認めてくれているのだ。
 だが、今更素直に懐くことが照れくさいランボは、獄寺に対しては「意地悪言わないでください!」と少し意地を張ってしまう。
 こうして二人は昔と変わらぬ言い合いをしていたが、そんな二人の間に「まあまあ」と明るく割ってはいる者がいた。
「そんなこと言ったら、ランボが可哀想だろ?」
 そう言ってランボを庇ったのは山本だった。山本は「な、ランボ?」とランボを慰めてくれる。
 山本は飄々とした雰囲気のまま明るい笑みを浮かべており、ランボは「有り難うございます」と照れたように笑った。
 このような山本のランボに対する甘さは、まるで幼い子供に向けたものである。ランボは子供扱いされて喜ぶ年齢ではなかったが、相手が山本なら嫌だと思うことはなかった。
 それは幼い頃たくさん構ってもらっていたからという事もあるが、山本の明るく飄々とした雰囲気は優しいもので、不思議な魅力があるのだ。
 その魅力とは、誰もが無意識に働かせている警戒心を自然に解いてしまうものである。ランボも幼い頃から、山本だけにはどんな些細な秘密も自然と打ち明けている事が多々あった。
「お久しぶりです。お会いできて嬉しいです」
「ああ、元気にしてたか?」
 山本はそう言うと、ランボのふわふわの癖毛を優しく撫でる。
 ランボは撫でられる感触に擽ったそうに目を細めると、「くすぐったいですよ」と嬉しそうに笑った。
 こうしてランボは子犬がじゃれるように山本に甘えていたが、不意に、「おい、いつまで遊んでいる」とリボーンの冷たい声が遮った。
「遊ぶなら外へ行け」
 リボーンは苛立った様子でそう続けると、「ツナ、さっさと用件を話せ」と綱吉に向き直る。
 そんなリボーンの苛立ちに山本は「小僧、怒るなよ」と悪びれなく笑ったが、ランボの方は僅かに表情を強張らせた。
 リボーンは山本とランボに対して怒ったが、黒く鋭い眼光はランボを見据えたものだったのだ。
 ランボは自分だけに怒りを向けられた事に不審を覚えるが、それよりも胸が少し痛んでしまう。
 冷たくされる事は慣れているが、喜べるものではないのだ。
 だが、胸の痛みは気付かなかった振りをし、ランボも山本と同様に明るく「ごめんね?」と謝る。
 これくらいで傷付いていてはいけない、とそう思った。
 リボーンに邪険にされる度に傷付いていれば、自分は早々に再起不能になってしまうだろう。ランボはどれだけ傷付けられても拒絶されても、リボーンが好きだという想いが溢れてくる。想いを諦めきれないなら、慣れなければいけないのだ。
「申し訳ありません、十代目。皆さんとは久しぶりでしたので、少しはしゃいでしまいました」
「いいんだよ、ランボ。ランボは子供の頃から山本に懐いてたからね」
 綱吉は懐かしそうにそう言ったが、いつまでも雑談を楽しむわけにはいかない為、今回呼び出した用件を話し出した。
「まだ確かな情報がある訳じゃないんだけど、耳に入れておいてほしい事があるんだ」
 綱吉はそう切り出すと、少し困ったような表情で言葉を続ける。
「どうやら、オレを狙っている組織があるらしいんだよ」
 困ったね……、と綱吉は世間話でもするような口調でそう言った。
「え……っ、そんな……」
 狙われているという綱吉にランボは驚いたが、ランボ以外は様子を変える事はなかった。
 綱吉はボンゴレ十代目という立場上、標的にされる事が頻繁にあるのだ。その為、これは日常の話しであり、今更驚く程のものではないのだ。
 だが、未熟さゆえに前線から下がっているランボだけは、狙われているという情報に緊張してしまう。
「相手は分かっているんですか?」
「調査中だよ。警戒は強めるけど、いつもの事だから心配いらない。それに、それなりの対処はさせてもらうからね」
 心配するランボに綱吉は軽く笑ってそう言うと、「話はそれだけだよ。取りあえず、皆も警戒してほしい」と締めくくった。
 こうして話しが終わり、綱吉は革張りの執務椅子に着席する。するとその周りに幹部達が集まり、今後のことについて詳細を話し合いだした。
 その話し合いに混じれないランボは蚊帳の外状態である。本来なら雷のリング守護者としてランボも参加するべきなのだが、実力的にも頭数に入れてもらっていないのだ。
 このまま残っても何もする事がないランボは、早々に退室しようと扉に向かう。しかし執務室を出ようとしたところで、山本に呼び止められた。
「ランボ、帰るんだったら送ってやるよ」
「え、でも……まだ大事な話し合いがあるんじゃないですか?」
「俺が抜けても大丈夫だ。小僧や獄寺もいるし、俺は後で結論だけ聞くから」
 山本は普段と変わらぬ飄々とした調子でそう言った。
 普段なら山本の申し出を喜んで受けるところだが、今のランボは困ったように表情を顰める。
 山本はランボと違い、守護者として第一線で活躍しているのである。そんな山本が大事な席に参加しないなど許される筈がなかったのだ。
 それを思ったランボは、山本の申し出を断わろうとする。
 だがランボが断わろうとする前に、「そうしてもらいなよ」という綱吉の声が割って入った。
「山本には後で連絡するから大丈夫だよ」
 綱吉が賛成すると、山本も「な、大丈夫だろ?」と明るい笑みを浮かべる。
 二人に押されてしまえば、ランボが断わる事は出来なかった。
「分かりました。では、お言葉に甘えます」
 ランボは躊躇いながらもそう言うと、「有り難うございます」と丁寧に礼をする。
 こうして山本に促されてランボは執務室を出て行こうとするが、出て行く前にちらりとリボーンに視線を向けた。
 だが、リボーンからは視線すら向けてもらえず、その素っ気無さにランボは苦笑すると執務室を出たのだった。





「お仕事中だったのに、送ってもらってすいません……」
「気にすんなって。それに、俺も久しぶりにランボに会えて嬉しいんだからさ」
 山本は優しくそう言うと、助手席のランボに笑いかけた。
 ボンゴレ屋敷を出たランボは山本が運転する車に乗り、自宅のアパートまで送ってもらっているのだ。
 ランボは、自分のせいで山本の仕事の手を止めてしまった事を気にしていたが、山本は「気にするな」と軽く笑ってくれる。
 その優しさや前向きな明るさは十年前から変わらないもので、ランボは懐かしさと照れくささに小さな笑みを浮かべた。
 好きだな、とそう思う。
 ランボは山本の事が好きだ。それは恋愛感情ではなく、憧憬のような感情である。ランボにとって山本は兄のような存在であり、幼い頃から可愛がってくれた人なのだ。その為か、ランボは甘えてしまいたいという気持ちになる事が多かった。
「ランボ、最近仕事の方はどうなんだ?」
 山本はハンドルを握りながらランボに訊いた。それは久しぶりにあった者同士が近況を訊ねあう、ごく一般的な会話である。
「変わりないです。まだまだ半人前扱いですよ」
 ランボが笑ってそういえば、「ツナやドン・ボヴィーノは、ランボに過保護だからな」と山本も一緒に笑う。
 二人はこうして世間話をしていたが、ふと、山本が「そういえば……」と話を切り出した。
「小僧とはどうなんだ? 何か進展でもあったのか?」
 リボーンとの事を突然持ち出され、ランボは少し驚いたように目を瞬いた。だが、次には苦笑混じりに「相変わらずですよ」と答える。
 山本はランボがリボーンに想いを寄せている事を知っているのだ。ランボが自分から山本に言った訳ではないが、聡い山本にはばれていたようなのである。山本に知られてからというもの、時々リボーンとの事を話す事があった。
 聞き役に徹する山本は特に助言をしてくれる訳ではなかったが、ランボにとってはそれが心地良かったのである。
 ランボはリボーンとの関係を変える為の助言が欲しい訳ではないのだ。受け止められる事のない一方的な想いを、誰かに知ってほしいだけなのである。
 知ってもらえるという喜びは、長年隠してきた想いをリボーンに告白する時の解放感に似ていたのだ。
 だから、ランボは話し相手がいるというだけで満足だった。
「オレは、リボーンに会う度に好きって言ってるんですが、こういうのって上手くいかないものですね」
 嫌われてるみたいなんで……、とランボは呟くように言った。
「そうなのか?」
「そうですよ。時々凄く怖い顔をして睨んでくるんです。それに、はっきり嫌いだって言われちゃってますから」
 そう言ったランボは明るく笑ってみせた。
 言葉の内容は寂しく辛いものだが、ランボ自身は慣れてしまっている事なのだ。
 自分がリボーンに嫌われている事も分かっている。迷惑だと思われている事も分かっている。でも、慣れてしまったお陰で、辛い事実を世間話のように笑いながら話す事ができた。
 こうして笑って話すランボに、山本は僅かに目を細めながらも「そうか」とだけ頷いた。
 そんな山本の表情は普段と変わりない飄々としたものだが、ランボを見つめる眼差しには杞憂する色が籠められている。しかしその杞憂は直ぐに潜められ、話題を変えようとする様に「それにしても」と明るい調子で口を開く。
「ランボを振るなんて、小僧も見る目ないな。こんなに可愛いのに」
「可愛いって褒め言葉じゃないですよ。子供扱いは止めて下さい」
 ランボは子供扱いに抗議しながらも、表情には笑みを浮かべている。気遣ってくれたことが嬉しかったのだ。だが。
「そうだな。後数年もすれば、可愛いより美人って感じだな。俺だったら歓迎だ」
 そう言って明るく笑う山本。
 ランボは「なに言ってるんですか……」と山本の天然タラシぶりに表情を引き攣らせてしまう。でも、それと同時に慰めてくれる優しさに感謝した。
 ランボは思う。確かに、もし山本が相手ならこんなに辛い思いをする事はなかっただろう。きっと山本はランボを大事にしてくれただろう。例え叶わない想いでも、山本は必要以上に相手を傷付けたりしない筈だからだ。
 しかし、実際ランボが好きなのはリボーンだ。
 どんなに傷付けられても、冷たくされても、邪険にされても、嫌悪を向けられても、リボーンが好きで仕方がないのだ。
「小僧のこと、諦め切れないのか?」
 山本が心配気に訊いてきた。
 その言葉に、ランボは微かに自嘲を浮かべて小さく頷く。
「オレ、諦めが悪いんです。それに、好きだって言えるのが嬉しくて……」
 無駄だと分かっていても、想いを解放することは気持ち良いことだった。
 それに何より、ランボは冷たくされることを慣れてしまっているのだ。だから、何度拒絶されても笑っていられる。迷惑だと思われても図々しくいられる。これくらいの傷なら耐えられると思ってしまえる。
 そんなランボの言葉に山本は「そうか……」とだけ答えると、会話は途切れてしまった。
 車内を沈黙が支配し、ランボは何気なく車窓を眺める。
 視界は流れる街並みと人々を映しているが、その映像は脳に届いていない。
 思い出すのは、リボーンの事ばかりだ。
 こうしている間も、リボーンへの想いが溢れてくる。好きで好きで堪らない。
 だが、それを思う度に付き纏うのが、リボーンのランボに対する拒絶だ。向けられるのは、苛立ちや怒りなどの冷たいものばかりだ。
 今日も振られてしまった……、とランボはそれを思いだした。
 迷惑そうにランボを見る眼差しや、冷たい拒絶の言葉。幼い頃から邪険にされる事が多かった為、それに対して深く傷付くことはない。
 だって、慣れているのだ。でも。
 痛い、と胸が締め付けられた。
 思い出すと、ちくちくと胸が針で刺されるような痛みを感じた。
 ランボはその痛みに苦笑する。
 そして痛みを感じながらも、自分自身に何度も大丈夫だと言い聞かせた。
 こんな痛みなどたいした事はない。これは些細なもので、明日にはきっと癒えてしまうだろう。
 今までの痛みだって癒えてきたのだ。だって、慣れてしまっているのだから。







 次の日。
 ボンゴレ屋敷を訪れたランボは綱吉に挨拶を済ませ、リボーンの私室へ向かっていた。
 ランボがボンゴレを訪れる事は珍しいことではなく、こうしてリボーンの部屋へ行く事も日課になっている事である。
 訪ねても留守している事が多く、いたとしても邪険にされる事が多いが、好きな人に会いたいという思いの方が強いのだ。
 昨日もきっぱりと振られたばかりだが、それは今更なので気にしていなかった。リボーンの言葉や態度に傷付いたが、それも今更過ぎるのである。
 そもそもこんな事で傷付いていては、リボーンを追いかけることは最初から出来ないだろう。
 ランボは自分の打たれ強さに感謝している。そうでなくては、図々しく何度も告白など出来ないのだから。
 ランボは屋敷の広く長い廊下を歩き、リボーンの部屋へ足を進める。
 部屋の前まで来ると扉をノックしようとした、が。
「あ……」
 ノックしようとした手は寸前でぴたりと止まった。
 室内からリボーンの他にもう一人の気配を感じたのだ。
 その気配は濃密な色を纏うもので、ランボは先客の正体が直ぐに分かってしまった。先客は間違いなくリボーンの愛人だろう。
 リボーンが愛人と過ごす事は珍しい事ではない。幼い頃から数多くの愛人を囲っているリボーンが、その女性と一緒にいる事は当たり前の事なのだ。
「どうしよう……」
 ランボは少し困ったように呟いた。
 今、部屋の中ではリボーンが愛人の女性と過ごしている。そうなれば、室内で行なわれている行為は一つしかない。
 ランボは部屋に入る事が出来ず、そのまま扉の前で立ち尽くす。
 愛人がいると分かっていて部屋に入ろうとするほど図々しくなれない。例えば恋人という立場なら不満を顕わにする事もできるが、一方的な片想いではそれも出来ないのだ。
 そう、不満や苦痛などは全てランボの胸の中で鎮めなければならない。想いを告白する事は片想いの立場でも許されるが、嫉妬などという感情は一方的な片想いだからこそ許されないだろう。
 ランボは困惑したように扉を見つめ、このまま帰ってしまおうか……と悩んでしまった。ここを訪れたのは、特に用件があった訳ではなく、ランボが一方的に会いたいと思っただけなのだ。
 だが、ランボの両足は扉の前から動き出そうとはしなかった。
 今、此処から立ち去ることが逃げる行為のように思えてしまったのだ。
 おそらく、室内にいるリボーンは扉の外で佇んでいるランボに気付いているだろう。気付いていながらそれを無視し、愛人との行為を楽しんでいるのだ。
 気付かれているなら、ランボは尚更逃げたくないと思ってしまった。
 今まで図々しく告白を繰り返してきた癖に、愛人如きで怯む奴だと思われたくなかったのだ。これはランボの意地のようなものである。
 立ち去る事を選択したく無いランボは、廊下の壁に凭れてそのまま佇んでいるしかなかった。
 壁の向こうにはリボーンがいる。でも今、そこに立ち入る事は出来ない。
 此処で待っているという事が辛くないといえば嘘になる。辛くない筈がないのだ。
 しかし、ランボは知っていた。これくらいで自分は深く傷付いたりしないという事を。
 だって、慣れているのだ。これくらいで傷付く筈がない。打たれ強さと諦めの悪さだけは自信があるのだ。
 こうしてランボは待ちながら、幼かった頃のことを思い出す。
 十年前からランボはリボーンを追い駆け続け、まともに相手にしてもらったのは数えるほどしかない。いつも無視されるか邪険にされるかで、それが悔しくて仕方がなかったのだ。でも、そうした日々の中で、ランボのリボーンへの感情は徐々に変わっていった。
 それは激変などという急な変化ではなく、自然の流れの中で徐々に感情が形を変えていったのだ。気付いたからといって想いを告白する事は出来なかったが、リボーンへの想いはゆっくりと大きくなっていき、そして溢れ出てしまった。
 長年秘めてきた想いは、ふとした瞬間に呆気ないほど簡単に解放されたのだ。
 想いの解放はランボにとって気持ち良いものだった。好きだと言った瞬間、全身が痺れるような解放感に満たされたのを覚えている。
 でも、それはランボの独りよがりのものだった。
 リボーンのランボに対する態度は相変わらず素っ気無いもので、幼かった頃と少しも変わらないのだ。否、まだ幼かった頃の方が良かったかもしれない。
 幼かった頃は、純粋に打倒リボーンを掲げて追いかける事が出来た。反撃されたとしても、ランボは単純に泣き喚いていれば良かったのだ。
 しかしリボーンへの想いを自覚し、想いを告白してからは変わってきてしまった。相変わらずリボーンからは邪険にされているが、そこに嫌悪と苛立ちが混じったのだ。
 リボーンは迷惑そうな面差しをランボに向け、「嫌いだ」と何度も拒絶する。リボーンに拒絶される事は慣れているが、それでも言葉は刃となるのだ。
 思えば、最初から失敗していたのかもしれない。そう、やり方を間違えていた。
 出会った時から追い駆け続け、告白してからも迷惑を承知で追い駆け続けている。追い駆けることしか知らない自分は、どれだけ拒絶されても馬鹿みたいにそれを繰り返すのだ。
 もう少し違った出会いをしていれば、違った方法で接していれば、何かが変わっていただろうか。
 ランボはそこまで考えたが、あまりに無駄な思考に考えるのを止めた。
 今更後悔しても遅いのだ。溢れ出した想いは枯れる事がない。最初からやり直す事も不可能だ。
「……さっさと諦めたら楽になれるんだろうな……」
 ランボはぽつりと呟いた。
 諦められる筈がないと分かっているが、思わず呟いてしまっていた。
 もし今、自分がリボーンの事を諦められていたら、こんな所で立ち尽くしている事もなかったのだから。
 壁一枚隔てた向こうでリボーンが女性と睦みあっているのだと思うと、やはり胸が痛くなる。
 どんなに慣れていても、耐えられる痛みだと分かっていても、時間がそれを癒すと分かっていても。痛みを感じたこの瞬間、確かに傷付いているのだ。




 数時間後。
 あれからランボはずっと部屋の前に佇んでいた。
 帰りたいと思いながらも、それが出来なくてずっと立っていたのだ。
 そしてしばらくして、ようやく部屋の扉が中から開かれた。中からリボーンとモデルのように美しい女性が出てくる。
 女性は部屋の前に立っていたランボに驚いた表情をしたが、直ぐにリボーンに向き直った。
「楽しかったわ、リボーン。また呼んでね」
「ああ」
 ランボがいる事を知っていながら、まるでそこに存在していないかのようにリボーンと女性は振る舞っていた。
 リボーンの腕に絡んでいる女性の腕。リボーンがそれを振り払う筈はなく、むしろ女性の細い腰を抱き寄せている。二人は今までの濃密な時間を思わせるような雰囲気を纏い、別れを惜しむ会話の合間に口付けを交し合っていた。
 だが、そんな光景を前にしても、ランボの表情が変わる事はなかった。
 当然だ。目の前の光景は充分予想できた事であり、今更傷付くほどのものではないのだ。
 そう、自分は傷付かない。傷付いていない。傷は癒されると分かっているのだから、これくらい何とも無いことなのだ。
 だからランボは、女性と抱擁を交わすリボーンを前にしても、決して取り乱したりする事はなかった。
「それじゃあ、リボーン。またね」
「ああ、また連絡する」
 女性は最後にリボーンに口付けると、そのまま帰っていった。
 リボーンは女性を見送っていたが、姿が見えなくなるとランボに視線を向ける。
「まだいたのか、ご苦労だな」
 馬鹿にするような響きを持ったリボーンの言葉。表情は冷ややかなもので、廊下で待ち続けたランボを嘲笑う。
 だが、リボーンの嘲笑にもランボが怯むことはなかった。
「仕方ないよ。リボーンの顔が見たかったんだ」
 ランボはそこで言葉を切ると、リボーンを真っ直ぐに見つめて言葉を続ける。
「リボーンが好きだから」
 この言葉に嘘は無い。
 何度も傷付いているのに、慣れる事で癒されている自分は何度も口にしてしまう。
 学習能力が無いのかもしれない、とランボは自分でも思うが止める事が出来ないのだ。
 溢れる想いに背を押されて「好きだ」という言葉を紡ぐと、とても解放感に満たされて気持ち良いのだ。想いが叶わないなら、せめてこれくらいは許して欲しい。
 でも、こんな時に思うのだ。もし、リボーンから「好きだ」という言葉が返ってきたらどんな気持ちになれるだろう。想いを受け止められるとは、どれほどの心地になれるのだろう。
 それは無駄な妄想だが、想像して止まない妄想でもある。
 しかし妄想はあくまで妄想で、現実には成り得ないのだ。だって、眼前のリボーンはとても不快気な表情をしている。
「さっさと帰れ。気分が悪い」
 リボーンは苛立ちを隠さず、吐き捨てるようにそう言った。
「うん。リボーンの顔も見れたし、今日は帰るよ」
「二度と顔を見せるな。苛々するんだ」
「それは無理。リボーンのこと好きだし、オレは雷の守護者だからね」
 ランボはそう言うと、踵を返して歩き出す。
 愛人が帰るまで此処にいたのだから逃げ帰った事にはならないだろう、と自分を納得させて今日は帰ろうとした。
 だが最後に、もう一度だけ姿を見たいという未練で振り返る。
「リボーン」
 ランボはリボーンの名前を口にした。
 名前を口にするだけでこんなに満たされた気持ちになれるのに、そんなランボとは違ってリボーンは苦々しい表情をする。
 黒い瞳は嫌悪を宿し、苛立ちを隠す事もない。
 それを見ながらランボは想像する。もしリボーンの瞳から嫌悪が取り除かれたら、苛立ちが消えたら、自分はどんな気持ちになれるだろう。
「ねえ、一度だけでいい」
 ランボはリボーンの冷たい眼差しを受けたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「嘘でもいいから、オレのこと好きって言ってみてよ」

 魔が差した、これはそんな言葉だ。
 でも、本当に嘘でも良いと思ってしまった。
 ランボがリボーンに寄せる想いは嘘偽りない本物だが、リボーンから返されるなら嘘でもいい。
「冗談でも有り得ねぇな」
「……そうだろうね」
 だが、嘘ですら与えられないのが現実だった。
 ランボを見るリボーンの瞳から嫌悪が取り除かれる事はないのだ。
 その現実にランボは胸が抉られるような痛みを覚えたが、それでもリボーンの前では笑顔を浮かべて見せたのだった。




「何なんだ、あいつは……」
 ランボが帰ると、リボーンは不機嫌な口調で吐き捨てた。
 酷く苛々する……。
 ランボのへらへらした笑顔を見ていると、苛立ちが込み上げて不快な気分になるのだ。
 そもそも十年前からランボに対して良い感情を持っていた訳ではなかった。否、感情云々の問題ではなく、まったく興味が無かったと言っても良いくらいだった。
 それなのに、変わったのはランボがリボーンに「好きだ」と言い始めてからだ。
 初めてランボが好きだと告げてきた時、リボーンは不覚にも呆気に取られたのを覚えている。
 ランボは何の脈絡も無く、突然「好きだ」と口にしたのだ。不意を突いた告白はランボ自身も驚いていたようだったが、リボーンの方も予想外の展開に言葉がなかった。
 今までリボーンがランボに対して行なってきた扱いは酷いもので、嫌われこそしても好かれる事はないものだったのだ。
 だから最初、リボーンはそれを性質の悪い冗談だと思った。
 ランボはリボーンに対して積年の恨みがあり、一矢報いる事に躍起になっている為、手法を変えた嫌がらせだと思ったのである。
 だが、そうではなかった。
 リボーンがどれだけ冷たくあしらっても、ランボは何度も告白を繰り返してきたのだ。
 リボーンが嫌悪を顕わにしてもランボは怯むことがなく、それどころか笑顔すら絶やす事はなかったのだ。
 翡翠色の瞳はリボーンを映し、白い素肌を彩る唇からは想いが紡がれた。想いを口にするランボの表情は小さな笑みが刻まれており、その笑みはどんな辛辣な言葉を受けても絶やされる事はない。
 時折酷く傷付いた瞳をする癖に、リボーンの前ではへらへらした笑みを浮かべ続けているのである。
 その笑顔は、好きだと言ってくる言葉以上にリボーンを苛立たせるものだった。
 何度冷たくあしらっても、何も気にしていないような顔をして何度も告白してくる。それはリボーンにとって不可解な事であり、不快を覚える事だった。
 そして、リボーン自身はそんなランボの想いに応える気は更々無い。
 美しい愛人を多く囲っているリボーンは、今更恋人などというものを作る気もなかったし、又、性欲処理の面においても不満は無い状況なのである。それなのに、わざわざランボ如きを相手にするつもりはなかった。それどころか愛人の末席に加えることすら考えられないくらいである。
 それなのに、先程は「嘘でもいいから好きと言え」などとランボは言ったのだ。 
 それが例えランボの望みであったとしても、リボーンにとっては怒りを通り越して嘲りの対象にしかならない。
 リボーンは、この苛立ちの理由を分かっている。
 それはランボが自分に向ける笑顔だ。どれだけ傷付けてもへらへらと笑い続けている事が妙に苛立つのだ。
 だがリボーンは、それが分かっていながら、どうして笑顔に苛立つのかは分かっていなかった。






 一週間後。
 ランボは自宅アパートで昼食の片付けをしていた。
 今日は休暇という事もあって午前中に掃除を終えたランボは、午後から買い出しでも行こうかと予定を立てる。
 本当なら、折角の休暇なのでボンゴレ屋敷に行きたかったが、今日は綱吉とリボーンは仕事で屋敷の外へ出ている為、ランボがボンゴレ屋敷を訪ねる理由がないのだ。
 だが、今日くらいは一人で過ごすのも良いかと思っている。
 魔が差したあの時から、どうしてもリボーンと顔を合わせ辛くなっていた。ランボは相変わらず可能な限りリボーンに会いに行っていたが、それでも魔が差した時の言葉を後悔していた。
 それはあれ以来リボーンから向けられる嫌悪が濃くなってしまったという事もあったが、それ以上に自分自身が許せなかった。
 あれは妥協の言葉であり、弱さだったのだ。それをリボーンの前で見せてしまった事が嫌だった。
 まるで自分が傷付いている事を訴えるような言葉で、ランボにとっても信じ難い言葉だったのだ。
 だからランボは、それを後悔していた。
 リボーンの前では弱みを見せたくない。傷付く姿を見せたくない。リボーンの言動一つで心が揺れ、動揺する弱さを見せたくない。これはランボにとって意地のようなものだった。
 そうした思いから、ランボはまったく平気なのだと装って過ごしていたのだ。
「さて、買い出しでも行こうかな」
 片付けを終えたランボは、そのまま買い出しへ行く準備を始める。
 今夜はパスタにしようと夕食のメニューを考えながら出掛けようとしたが、不意に携帯の着信音が響いた。
 携帯画面を見れば山本の名前が映しだされており、ランボは「何の用だろう」と首を傾げながらも通話ボタンを押す。
「もしもし、ランボです」
『ああ、良かった。繋がった』
 携帯越しに聞こえる山本の声は少し焦っているようだった。
 その焦りに、ランボは「どうかしましたか?」と訝しげに訊く。
『ランボ、落ち着いて聞けよ?』
「はい」
 ランボの声に、山本は真剣な様子でゆっくりと言葉を紡いだ。

「小僧が――――病院に運ばれた」




 山本との通話を切ると、ランボは身支度もそこそこにタクシーに飛び乗った。
 向かう場所は、街中にある総合病院である。
 そこにリボーンが運ばれたと連絡を受け、ランボは急いで向かっているのだ。
 今のランボは表情を青褪めさせ、祈るように拳を強く握り締める。
 命に別状は無いと聞いているが、ランボにとってはリボーンが病院に運ばれたという事実が衝撃だった。幼い頃からアルコバレーノとして最強の名を欲しいままにしてきたリボーンは、どんなに厳しい局面も打開してきたのである。そんなリボーンが病院に運ばれるほどの怪我をするなんて信じ難かったのだ。
 だが、今回病院に運ばれた原因もリボーンらしいといえばらしいものだった。
 山本から聞いた話によれば、リボーンが怪我をしたのは綱吉を庇ってのものだったのだ。
 今日、綱吉とリボーンは仕事の関係で取引き相手とホテルで昼食を取ったようなのだが、問題は帰りの道中で起こった。
 二人が乗っていた車に一台の車が突っ込んできたのだ。咄嗟にリボーンが綱吉を庇ったので綱吉は無傷であったが、リボーンの方は無傷でいられなかった。事故を起こした車の運転手は直ぐに捕らえられたが、リボーンはそのまま病院へ運ばれたのである。
「リボーン……」
 どうか軽い怪我でありますように、とランボは祈るようにリボーンの名前を呟いた。
 リボーンはランボの見舞いなど必要としていないだろうが、それでもランボは心配なのだ。





 病院へ到着したランボは、そのままリボーンがいる病室へ向かった。
 最上階にあると聞いたリボーンの病室へ向かう為、ランボはエレベーターに乗ったが、焦っているせいで動きがやけに遅く感じる。
 ようやく最上階に辿り着くと、フロアには既にボンゴレの構成員達が厳重な警備にあたっていた。現在ボンゴレが最上階のフロアを全て貸しきり、関係者以外の立ち入りを禁じているのだ。
 だが、雷の守護者であるランボは難無く通されると、そのままリボーンがいる病室へ向かった。
 病室の前でランボは緊張で小さく息を飲むと、「ランボです」とノックをして扉を開ける。
 ランボが病室に入ると、リボーンの他に綱吉と山本の姿があった。
「ランボ、突然ごめんね。びっくりしただろ?」
「いえ、それよりリボーンの状態は……」
 綱吉は申し訳無さそうに言ったが、ランボはそれよりもリボーンの様子が気になった。
 ベッドにいるリボーンを見れば、額にガーゼが当てられているだけで、聞いていた通り命にかかわる程の大怪我ではないようである。今もベッドで上肢を起こし、書類に目を通しているところだった。
「良かった……」
 リボーンの無事な姿に、ランボは安堵の息を漏らす。
 大怪我ではないと聞いていたが、リボーンの姿を見るまでは心配で仕方がなかったのだ。
 安堵するランボにリボーンはちらりと一瞥しただけだが、それだけの反応しか返ってこなくてもランボは「安心したよ」と微笑んだ。
 こうしてランボは緊張を解いたが、解いた瞬間、「あれ……?」と首を傾げる。
 不意に、違和感を覚えたのだ。
 違和感の原因は分からないが、それでも何かがいつもと違うと思った。
 この違和感は病院という慣れぬ環境のせいかと思ったが、それは直ぐに違うと思い直した。そういった具体的に説明がつく種類のものではないような気がしたのだ。
 ランボは不思議な違和感に怪訝な面持ちをしたが、その違和感の原因はリボーンによって解明される。


「おい、そいつは誰だ。関係者じゃねぇなら、さっさと追い出せ」


 不意に、リボーンがそう言ったのだ。
 その言葉に、病室内にいた者達は一瞬で表情を変えた。
「……リボーン?」
 ランボは言葉の意味が理解出来ず、唖然とした面持ちでリボーンを凝視する。
 リボーンはランボを指して、「そいつは誰だ」と言ったのである。これは冗談にしては酷く性質の悪いものだった。
「リボーン、からかわないでよ……っ」
 ランボは血の気が引くような感覚を覚えていたが、それでも必死に平静を装う。しかし、それは無駄なものだった。
「からかう? 誰が誰をからかうんだ」
 リボーンは訝しげにそう言うと、綱吉に向き直る。
「おい、ツナ。この牛柄は誰だ」
 そう言ったリボーンは本気で疑問に思っているようで、冗談や演技だと思えるものではなかった。
「なに言ってるんだよっ、ランボじゃないか!」
 綱吉は慌てた様子で言ったが、リボーンは訝しげな表情のまま眉を顰める。
「ランボ? 聞いたことねぇぞ」
 ランボは、今度こそ驚愕を隠しきれなかった。
 リボーンの口振りは冗談や演技には見えない。本気で言っているのだ。その事実に、ランボは冷水を頭から浴びせられたような気持ちになる。
 そしてそれと同時に、先ほど覚えた違和感の原因に気が付いた。
 その原因とは、リボーンの瞳だ。
 ランボが病室に入った時、リボーンはランボを一瞥した。だが、その瞳は普段と同じものではなかったのである。
 普段なら、リボーンはランボに対して嫌悪を向ける。濃い苛立ちと不快を顕わにし、迷惑そうにランボを見るのだ。
 しかし、先程はリボーンがランボに向ける眼差しにそれが無かった。
 そういった負の感情はなく、ただ視界に映しているだけだったのである。
 ランボはその事に不思議な心地を覚えた。
 今まで当たり前のように嫌悪を向けられてきたが、まさかこんな形で嫌悪が拭われる事になるとは思わなかった。
 状況から見て、おそらくこれは記憶喪失の類いだろう。リボーンは今、ランボだけを忘れている。
「冗談は止めろよ、ランボが可哀想だろ!」
 綱吉は驚愕と憤りでリボーンに詰め寄っているが、リボーンの反応が変わる事はない。リボーンは不審気にランボを見たままなのだ。
 ランボは不思議だった。
 リボーンがランボを忘れたという事実に、自分はもっと動揺し、悲しむかと思っていた。
 それなのに今、自分はとても冷静だ。
 それどころか、――――嬉しい、と思っている。
「リボーン」
 ランボは静かにリボーンの名前を口にした。
 ランボの呼びかけに、綱吉は「ランボ……」と心配気な表情になっている。
「オレは大丈夫ですから」
 心配してくれる綱吉に、ランボはニコリと笑ってそう言った。
 本当に心配はいらないのだ。だって、自分は嬉しいのだから。
 ランボはリボーンに向き直ると、人好きする笑みを浮かべる。この笑みは、初対面の相手に対して浮かべるものだ。
「初めまして、オレはランボ。ボヴィーノファミリーのヒットマンだけど、ボンゴレの雷の守護者をしています」
 ランボは丁寧な口調で自己紹介をすると、不審気な表情をしたままのリボーンに笑いかけた。
 突然自己紹介をしたランボに、驚いたのは綱吉と山本の方だった。二人は信じ難いものでも見るようにランボを見ている。二人は、ランボはもっと取り乱すと思っていたのだ。
 それなのにランボは笑顔を浮かべたまま、本当の初対面を相手にするかのような自己紹介を行なった。二人はそれが信じ難かったのである。
 だが驚く二人を余所に、リボーンはランボの自己紹介に「ああ」と頷くだけで返した。ランボが雷の守護者だと聞き、綱吉達と一緒にいる事に納得したのだ。
 納得したリボーンはランボから興味を無くして書類に視線を戻す。そんなリボーンを、ランボは嬉しそうな笑みを浮かべて見ていた。
 ランボは、自分の気持ちが高揚している事に気付いていた。
 この高揚は期待であり、希望である。
 ランボは現在の状況に希望を持ったのだ。
 その希望とは、最初からやり直せるという期待だった。
 そう、ランボはリボーンとの関係を最初からやり直せると思ったのだ。
 だってリボーンは今、ランボに向ける眼差しの中に嫌悪を宿していない。ましてや苛立ちや不快感を向けてくる事もなく、冷ややかな拒絶など示してこない。
 ランボはそれに違和感を覚えたのと同時に、とても嬉しい気持ちが込み上げてきたのだ。
 今までの拒絶に深く傷付いていたつもりはなかったが、巡ってきた絶好の機会を逃したくないと思ってしまった。
 そもそもランボとリボーンの関係は、ランボが幼い頃から一方的に追い駆ける事から始まった。それは現在に至るまで続き、その為にランボは苛立ちの対象となり邪険にされる事が多かったのだ。ランボは今まで、この関係を今更変える事は出来ないと思っていた。
 幼い頃の騒がしかった記憶を無かった事に出来る筈も無く、想いは垂れ流したまま塞き止める事も出来ないと思っていた。
 でも、今なら出来る。否、今以上の機会などない。
 出会う前に戻れたなら、出会いからやり直す事が出来るのだ。
 それを思うと、ランボの気持ちは高揚した。
 今度は間違えないようにしなければならない。騒がしくしないように、迷惑をかけないように、嫌われないように、苛立ちを感じさせないように。
「リボーン、喉とか渇いてない? 飲み物でも貰ってこようか?」
 ランボがそう訊けば、リボーンは「ああ、頼む」とだけ返事をする。
 今、ランボへ向けられるリボーンの眼差しは他人へ向けるものだ。
 だが、それでも構わなかった。
 他人という事は、最初からやり直せるという事だ。
 嫌悪や苛立ちなどの冷たい眼差しを向けられるより、今の方がよっぽどマシだった。




 ランボは病室を出ると、リボーンの飲み物を準備する為にナースステーションに向かっていた。
 本当ならエスプレッソでも淹れたいところだが、今のリボーンは怪我人という事もあって躊躇われたのだ。
 だが、こうして歩いていたランボを山本が背後から呼び止める。山本はランボを追い駆けてきたようだった。
「どうしました?」
 呼び止められたランボは、何かあったのだろうかと不思議そうに振り返った。
 そんなランボに、山本は少し困ったような表情で苦笑する。
「ランボ、ちょっといいか?」
 話しがある、と山本はゆっくりとした口調で切り出した。
「小僧の事だけど、もう一度検査を受けてもらうつもりだ。頭を強く打ったらしいし、記憶の方に混乱があるみたいだからな」
 山本はそこで言葉を切ると、「でも、ツナや俺のことは覚えているんだ……」と言い辛そうに続けた。
 山本は言葉を選んで言ったが、その内容はランボの事だけを忘れた記憶喪失である。リボーンはランボが現われるまで、怪我を負う前の状態と何ら変わらぬ様子だったのだ。他にも言動から日常生活に支障があるとは思えず、不思議なほどランボだけを綺麗に忘れているようだった。
 詳しい症状については分かっていないが、ランボ自身もそれらを察している。
「リボーンは、オレの事だけ忘れてるんですよね」
 ランボは言葉を選んでくれた山本の優しさに感謝しながらも、山本が遠慮した本題を躊躇わずに口にした。
 傷付いた様子を見せないランボに、山本は怪訝な表情をしながらも「大丈夫か?」とランボを心配する。
 山本は、ランボがリボーンに想いを寄せている事を知っているのだ。それ故に、リボーンから忘れられた事を傷付いていると思っていたのだ。
 でもそれらの心配は、ランボにとって杞憂のものだった。
「オレは大丈夫です。心配はいりませんよ」
 本当に心配はいらないのだ。
 今回の事は、ランボ自身も驚くほど何とも思っていない。むしろ嬉しいとすら思っているくらいなのだから。
「……意外と冷静だな。ランボの事だから、泣くんじゃないかと思ってたぜ」
「いつまでも泣き虫じゃないですよ。オレだって成長するんです」
 ランボはムッとした表情で言いつつも、その声色には笑みを含んでいる。
 今、嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。
 この機会をものにすれば、リボーンとの関係を変えることができると期待している。
 今まで想いを言葉にするだけで満足し、解放感に満たされていたが、もしかしたらそれ以上を望めるようになるかもしれないのだ。
 今までの行為を悔いるほど後悔していたつもりはないが、それでも関係を変える事が出来るなら変えてみたい。
 ランボは口元に薄い笑みを刻むと、「では、オレはこれで」と山本の前から立ち去ったのだった。







                                    
同人に続く




今回は山本をたくさん出しました。
そしていつもよりリボ様視点が多いです。
いつもはランボが一人で悩んでいる話が多いんですが、今回は今までよりリボ様にもランボの事で悩んでもらっています。やっぱり二人は想いあってますからね。
ところで山本は難しいですね。とても好きなキャラなんですが、あの明るく飄々とした性格が掴みにくいです。
でも、これからもいろんなキャラを書いていきたいです。今まで書いてきたものは、本当にリボ様とランボしか出てきてませんからね。
他キャラは綱吉かコロネロかドン・ポヴィーノとかはよく書くけど。





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