序章・破棄された未来




 その時、ランボの世界は美しいものだった。
 守られ、慈しまれ、愛され、真綿で包まれたような優しい世界。
 全ての醜いものから遮断された世界。
 そして、世界の中心は自分だった。
 楽しい事があればたくさん笑い、悲しい事があればたくさん泣いた。
 好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。
 それらの素直で我儘な感情を隠そうともしなかった。否、隠す必要などなかった。
 それらは全て受け入れられ、許されてきたのだから。
 そして、それはこれからも続くものだと信じていた。
 自分の歩む未来は、まるで物語の主人公のように満たされたものだと信じていた。


 そんな保障など、何処にも無かったというのに。


 今になって、分かる事がある。
 あの幸福な時間がどれだけ恵まれたものだったか。どれだけ尊いものだったか。
 辛い事があれば「ガ・マ・ン」と自分を自制してきたが、今まで本当の意味でガマンを強いられてきた事などなかったのだ。



 そう、知ってしまったから。
 幸福の脆さを。耐え難いほどの軽さを。
 だって、世界はこんなにも非情で無情。
 こんなにも醜く、哀しみで満ちたものだと――――。





涙のアリア




   第一章・遊戯は箱庭の中で




「リボーン、今日こそ覚悟しろ!」
 ランボは両手に手榴弾を持ち、ボンゴレ屋敷にあるリボーンの私室に突撃した。
 室内にはリボーンの姿があり、ランボは「死にさらせ!」と手榴弾をリボーンに向かって投げつける。
 だが、そんなランボをリボーンがちらりと見た瞬間。
「うわ……っ」
 ランボは短い悲鳴をあげていた。
 ランボが手榴弾を投げつけた瞬間、シュッと空を裂く音が響き、ナイフが手榴弾を貫いていたのだ。
 そう、リボーンはランボが手榴弾を投げたのと同時に反撃していた。
 しかもリボーンが投げたナイフはランボの顔のすれすれを掠め通り、背後の壁に突き刺さっている。後数ミリでもずれていたら、間違いなくランボの顔にナイフが突き刺さっていただろう。
 ランボは、こうしたリボーンの反撃に顔を青褪めさせる。
 十年以上前から続けられる襲撃と反撃とはいえ、ランボは毎回飽きる事なく恐怖を刻まれているのだ。
 恐怖を隠そうとしないランボの様子に、ソファに座って新聞を広げていたリボーンが顔を上げる。
「毎度ながら、まだ諦めねぇのか」
 リボーンは十年以上前から続けられているランボの襲撃に、呆れた様子を見せながらもそう言った。
 そんなリボーンの言葉は馬鹿にしたような響きがあり、ランボはムッとしたように唇を尖らせる。
「諦める訳ないだろ!? 成功するまで続けるんだからな!」
 ランボが断言するようにそう言えば、リボーンは「じゃあ、一生って事か」と口元にニヤリとした笑みを刻む。
「一生って何だよ! 次はちゃんと成功するよ!」
「アホだアホだと思っていたが、本物のアホだな。いい加減に無理だって分かれ」
「アホって言うな!」
 ランボは勇ましく言い返すと、キッとリボーンを睨み付けた。
 ランボとて分かっているのだ。
 リボーンに言われなくても、自分ではリボーンに勝てないと。
 だが、十年以上前から続けてきたリボーンへの襲撃はランボにとって習慣になってしまっており、ドン・ボヴィーノから「もう狙わなくて良い」と言われても止める事は出来なかった。その為、これはランボの日常的な挨拶みたいなものなのである。
 こうしてランボは襲撃を習慣にしていたが、実は、襲撃を止めない本当の理由は別のところにもあるのだ。
 それは、ランボがリボーンを好きだということ。
 そう、ランボはリボーンを特別に意識し、恋愛感情を抱いているのである。
 ランボは、自分がリボーンを特別に意識し始めたのはいつからだったか覚えていない。もしかしたら、初めて出会った時には既に惹かれていたのかもしれない。
 でも今、ランボは確かにリボーンを特別に意識し、恋愛感情を抱いていたのだ。
 しかしこうした想いを抱きながらも、ランボは素直にそれを告白する事は出来なかった。
 それは、リボーンが未だにランボを格下扱いしているという悔しさもあったが、何よりも十年以上一緒にいて今更という感じが強かったのだ。
 それに、ランボは気付いてしまっている。
 ランボがリボーンに向ける特別な意識と同じものを、リボーンもランボに向けてくれていると。リボーンはランボだけを特別扱いしてくれていると。
 これは自惚れかもしれないが、それでも確かに伝わってくるのだ。
 そもそもリボーンという人間は、自分に仇名す者、自分にとって邪魔な者、ましてや自分の命を狙う者に容赦がない。今までリボーンに銃口を向けて生き残った者など存在しないのである。
 それなのに、ランボだけは違った。
 ランボは十年以上前からリボーンに騒がしく纏わりつき、数え切れないほど銃口を向けてきたのである。そしてそんなランボに対して、リボーンは「ウザイ」や「格下」や「三流」と邪険にしながらも、纏わりつく事を許している。自分の命を狙う事を許している。
 この事は、リボーンを知る者ならば信じ難いと思うような事で、有り得ないとも言える事なのだ。
 しかし、ランボだけには許されていた。
 十年以上前から、ランボはリボーンの傍にいる事を許され続けてきた。
 それは誰が見ても、リボーンにとってランボが特別な存在だと分かる事だった。
 リボーンとランボの二人は、お互いが特別であると言葉には決して表さないが、それでも仕種や態度の一つ一つが気持ちを伝え合っているようだったのだ。
 こうして二人は恒例になっている襲撃と反撃を終え、部屋に穏やかともいえる時間の流れが戻ってくる。
 だが、今日はリボーンの部屋にランボ以外の客が訪れた。
「失礼するよ」
 そう言って、ノックとともに部屋の扉が開かれる。
 入ってきたのは、このボンゴレ屋敷の主人にしてボンゴレ十代目である沢田綱吉だった。
 綱吉は部屋の中にリボーンとランボの姿を見ると、「ランボも来てたんだね」とニコリと笑う。
「リボーンの部屋が騒がしいから、ランボが来てると思ったよ」
「十代目、お久しぶりですっ」
 綱吉の登場に、ランボは笑顔を浮かべた。
 ランボは、綱吉が大好きなのだ。
 ランボにとって綱吉は、十年以上前から面倒を見てもらっている事もあって、年の離れた兄のような存在だった。今の綱吉の立場はボンゴレ十代目という、本来なら近づくことさえ許されない立場だというのに、ランボの事をとても大切にしてくれているのである。
 しかも現在の綱吉は十年前とは比べ物にならない程の成長を遂げており、ボンゴレ十代目の肩書きに遜色無いほどの人物だった。
 又、このようにランボを大切に思うのは綱吉だけでなく、山本や獄寺など昔から知っている者達はボンゴレ幹部になった今もランボを弟のように思ってくれている。
 それはランボが雷の守護者という事を差し引いてもあるもので、ランボはそれを思うと気恥ずかしくもあり、とても嬉しかった。
「ランボ、リボーンへの襲撃はまた失敗したの?」
 穏やかな笑みを浮かべながらも楽しそうな口調の綱吉に、ランボは「笑わないでください」と拗ねた表情になる。
「リボーンが酷いんですっ。ナイフ投げてくるんですよ? オレに直撃してたら大怪我してました!」
 ランボは綱吉に訴えるようにそう言うと、「痛いの嫌なのに……っ」と翡翠色の瞳をじんわりと潤ませた。
 こうして自分の被害状況を必死に訴えるランボ。
 ランボは、リボーンに苛められたり泣かされたりすると綱吉に訴え、そしてそんなランボを慰めるのは綱吉の役目だと昔から決まっているのだ。
「それは酷い事をされたね」
 綱吉は子供を宥めるような口調でランボを慰めれば、それに調子に乗ったランボが「そうなんです。リボーンは本当に酷い奴ですっ」と綱吉に懐きだす。
 昔から変わらずに綱吉に懐くランボの姿は、綱吉にとってとても可愛らしく見え、「可哀想に」とランボを増長させる言葉を返すのだ。
 この光景を傍から見ていたリボーンは、「アホ牛が俺に手榴弾を投げた事は、無かった事になってるのか?」と思わないでもなかったが、敢えてそれを言葉にする事はなかった。この二人には何を言っても無駄だと、リボーンは分かっているのである。
 綱吉はしばらく「もう大丈夫だからね」とランボを慰めていたが、不意に、「そうだっ」と何かを思い出したように声をあげた。
「お菓子を取り寄せたんだけど、それが今日届いたんだ。良かったら、ランボも食べてく? きっとランボも気に入ると思うよ?」
「是非いただきます!」
 綱吉の言葉に、ランボは迷う事なく即答した。
 今のランボはお菓子という言葉に表情を輝かせており、先程までの悲壮ぶった訴えの表情が嘘のようである。
 そんな調子の良さを見せるランボと、当たり前のようにランボをティータイムに誘う綱吉に、リボーンは呆れを通り越して疲れすら感じてしまうのだ。
「アホ牛は遠慮ってものを知らねぇのか。そもそも余所のファミリーだろ」
 リボーンはランボにそう言うと、今度は綱吉に向かって「アホ牛を甘やかし過ぎだ」と咎めた。
 だがそのリボーンの言葉を、綱吉とランボは「なんで?」とまったく聞き入れようとしない。
「オレだって、十代目が薦めるお菓子食べたいもん」
「そうだよ。ランボだからいいじゃない」
 二人は当然の事のようにそう言い、「ね」と頷きあっている。
 そしてランボは「コーヒー淹れてきますね」と上機嫌で部屋にある簡易キッチンに向かっていった。
 しばらくしてキッチンからコーヒーの香ばしい香りが漂いだし、ランボが三人分のコーヒーを持ってキッチンから出てくる。
 今から、リボーンと綱吉とランボの三人でティータイムの開始なのだ。
 ランボは綱吉の前にコーヒーを置き、次はリボーンを振り向く。
「はい、リボーン。リボーンにはエスプレッソだよ」
 リボーンが幼い頃から愛飲しているエスプレッソ。
 ランボが皆にコーヒーを淹れる時、リボーンの分だけは必ずエスプレッソにする事がランボの中で決まりごとになっていた。
 こうしてランボがリボーンの前にエスプレッソを置けば、リボーンは「ああ」と短く答えてそれに手を伸ばす。
 リボーンの長く形の良い指がカップを取り、それをゆっくり口に運ぶ。
 ただそれだけの動作であるのに、ランボはそれがとても洗練されたものに見えた。
 ランボがリボーンと出会って十二年という年月が経ったが、リボーンの成長には目を見張るものがあるのだ。
 ほんの二年程前まではランボの方がまだ身長が高かったが、今では同じくらいの身長になり、体格の方はリボーンの方が精悍さを感じさせる強靭なものになっている。
 そして容姿の方は端麗という言葉が相応しく、闇夜を思わせる鋭く冷たい瞳や薄い唇など、まるで一流の職人によって造られた人形のように整っていた。
 リボーンはアルコバレーノとして、赤ん坊の頃から常人離れした能力を持っていたが、今もそれは増すばかりで桁外れの力を誇っているのだ。
 こうして成長していくリボーン。
 だが、成長とはリボーンにだけ訪れるものではない。
 程度の違いはあるが、それはランボにも訪れているのだ。
 ランボの容姿は年々磨かれていき、今では女性だけでなく一部の男性すらも惹かれるものになっている。マフィアとしての実力の方も、リボーンには遠く及ばないがそれなりに上がってきていた。
 このように二人は今も成長を続け、大人へと近づいていく。
 成長とは変化であり、それは二人の関係にも影響するものだ。
 ランボにとっての変化とは、リボーンへの特別な想いに気付いた事。
 ランボは成長を続ける中で、リボーンに対する恋心に気付いてしまった。
 そしてリボーンは、そんなランボに対して向ける雰囲気が変わった。ランボに向ける眼差しに、ある種の情が彩られる事が多くなり、自分の側にいる事を無条件で許すようになった。
 そう、成長という変化の中で、二人の関係も徐々に変わってきている事は誰の目にも明らかだったのだ。
 ランボは思う。リボーンと自分には、近い将来必ず決定的な変化が訪れるだろう。
 それは今までのランボの世界を変え、彩りを変え、今まで以上に満たされたものになるだろう。
 リボーンとの関係の変化は、それほどに大きなものだと思えるのだ。
 変化には必ず痛みが伴なうと言われているが、ランボはそれを否定したい。
 リボーンと自分に訪れる変化には、苦痛というものが想像できないのだから。
 だって、思うのだ。
 リボーンと自分に訪れる変化は、きっと優しいものに違いないと。
 日溜まりのように暖かく、さざ波のように穏やかで、真綿のように柔らかい。
 そこには、まるで約束された未来を歩むが如く確かな道筋があり、揺ぎ無い道標がある。
 これらの思いは形の無い漠然としたものだったが、ランボは何よりも待ち遠しく、これは確かに訪れる変化であると思えたのだ。


 ――――この時、ランボの世界は美しかった。
 毎日がキラキラと光り輝き、日常が満たされたものだったのだ。
 願えば叶い、想えば通じ、望んで叶わぬ事はないと漠然と思っていた。
 そしてこの満たされた日々は、これからも続くものだと信じていた。



***



 リボーンへの襲撃に失敗し、綱吉達とティータイムを楽しんだランボは、「そろそろ帰らないとボスが心配するので」と言ってボンゴレ屋敷を後にした。
 ランボのボスであるドン・ボヴィーノは、ランボの事を幼い頃から本当の息子のように可愛がっており、それはランボが十七歳になった今でも変わらない寵愛ぶりを見せているのだ。それは目に入れても痛くないという程の可愛がりぶりで、他のファミリーからもランボは『ボヴィーノの箱入り息子』と称されている程である。
 ランボとしては、自分が十七歳という年齢という事もあって、ドン・ボヴィーノから受ける寵愛に気恥ずかしいものを感じてしまうが、それでもそれを素直に甘受していた。
 それはランボの元々の甘えたがりな性格も理由にあったが、ランボにとってドン・ボヴィーノは本当の父親のような存在なのである。
 その存在はランボにとってとても大きなものだ。ドン・ボヴィーノは、泣き虫なランボが泣きながら帰れば温かい手で抱き締めてくれた。ランボが笑えば一緒に笑い、ランボに嬉しい事があれば一緒に喜んでくれた。それらは幼い頃から今も続けられ、ドン・ボヴィーノの手はランボを優しく包み込んでくれるのだ。
 そんな大好きな人から寵愛を受ける事は、ランボにとって喜び以外のなにものでもないのである。
 ランボは大好きなドン・ボヴィーノを思い、足早にボヴィーノ屋敷を目指す。
 ボンゴレ屋敷を後にしたランボは地下鉄を乗り継ぎ、ボヴィーノの本拠地がある駅に降り立った。
 駅を出れば露店が軒を連ねる市場が広がっており、そこには新鮮な農作物が多く売られている。市場を行き交う人々は笑顔を浮かべ、露店からは店主の元気な掛け声が響いていた。
 この町は、景観も美しく、石畳の道路に白壁の家々が建ち並ぶなど、歴史を感じさせる古い建築様式が守られている。それは時代に取り残された為ではなく、人情味溢れる街の人々や安定した治安がそれを守り続けてきたのだ。
 ランボは、こののんびりとした穏やかな町が大好きだった。この町は大きな建物や現代的なビルが少ない小さな田舎町だが、此処では時間の流れがゆっくりしたものに感じるのだ。
 ここは決して裕福な町という訳ではないが、それでも人々の笑顔が溢れる町である。
 笑顔とは平和の象徴であり、そしてそれを守ってきたのがボヴィーノファミリーだった。
 ボヴィーノファミリーのボスであるドン・ボヴィーノは、マフィアでありながら抗争や薬物を嫌い、慎ましさを大切にする人物である。その人柄も穏やかで温かく、一見するとまるで好々爺のような印象を受ける老紳士だった。
 そんなドン・ボヴィーノは高齢だったが、今でも現役のような精悍な雰囲気を漂わせ、市場へ出るとマフィアのボスでありながら町の人々に笑顔で声を掛けられるような好人物である。
 ランボは、こうした平和な町や、人々に慕われるドン・ボヴィーノを見ると、自分がボヴィーノファミリーの人間である事をとても誇らしく思うのだ。
 こうしてランボは明るい雰囲気を感じさせる市場を抜け、町を通り過ぎていく。
 ランボが目指すボヴィーノ屋敷は、町外れにある丘の上に建っているのだ。
 その為、ランボは町を抜けて緩やかな傾斜の坂道を登りだした。
 坂道は雑木林や野原に囲まれており、ランボは緑溢れる景色や小鳥のさえずりなどを楽しみだす。
 ランボは容姿だけを見ると、女性や一部の男性を惹きつける伊達男風で軟派な印象を与えやすいが、その性格はまったく逆だといっても良い。
 ランボは、女性などに対して優しさを忘れないフェミニストな所があるが、それは子供が大人に甘えるような幼さを見せるものなのだ。
 そう、ランボの性格は大人びた容姿に反して、無邪気で負けず嫌いで臆病で泣き虫で、そして何よりも世間知らずで無知である。
 長い睫毛に縁取られた翡翠色の瞳は、可愛らしい女性を愛でる事もするが、それよりも優しく穏やかなものに喜色を彩らせる事が多い。
 形の良い唇からは甘い言葉が紡がれる事もあるが、それよりも甘えるような言葉が紡がれる事の方が多い。
 そんな素直な幼さを見せるランボは、十七という年齢でありながら歳不相応に子供っぽい部分を見せる事が多かった。
 だが、それはランボが今まで育まれてきた環境を思うと仕方ない事だといえる。
 ランボは、幼い頃からドン・ボヴィーノや綱吉など権力者の側におり、その者達に我が子のように愛されてきたのだ。その為、例えランボがマフィアの人間であったとしても、今まで見てきた世界や触れた現実は、箱庭の中のものだといえるだろう。
 そして今も、その箱庭がランボの世界だった。
 ランボは坂道を登りきり、ボヴィーノ屋敷が見えてくると無意識に駆け足になる。
 ボヴィーノ屋敷にはドン・ボヴィーノがおり、ランボは大好きなその人に早く会いたいのだ。
 特に大した用事がある訳ではないが、それでも大好きな人の顔を見て、今日あった事の話を聞いてもらって、一緒に食事をして、そして普段と変わらぬ明日を迎える。これがランボの日常だった。
 だが不意に、ランボはボヴィーノ屋敷の前にくると「あれ?」と首を傾げた。
 ボヴィーノ屋敷に近づくにつれ、ランボは普段とは違う違和感を覚えたのだ。
 普段なら屋敷を囲む高い塀の周りや、両開きの重厚な門の前には見張りが立っているのに、今日はその見張りがいなかったのだ。
 しかも、まだ昼過ぎだというのに、屋敷のカーテンは全て閉められている。
 ボヴィーノ屋敷は中世時代の洋館のような造りで、普段は白壁と大きな窓に太陽の光が反射して明るく見える外観だが、今はカーテンが閉められているせいで少し薄暗い感じを醸し出していた。
 そんな屋敷を目にしたランボは、そこから異様な雰囲気を察して眉を顰める。
「どうしたんだろ……」
 今の屋敷の様子は明らかに普段のものとは違っていた。
 ランボはそれに首を傾げながらも、門を開けて屋敷へと向かう。
 そして、ランボが屋敷の玄関扉を開けた、その瞬間。


「――――えっ」


 ランボは愕然とした。
 扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは鮮血の赤。
 おびただしい量の血痕が床や壁に飛び散り、むっとした血生臭い匂いがランボの鼻腔を突いたのだ。
「なに、これ……」
 ランボは呆然と呟いた。
 ランボにとって、目の前の光景はとても信じ難いものだった。
 白い大理石の床や壁は鮮血に彩られ、その鮮血を流すのはランボにとって見知ったファミリーの仲間達。
 普段なら、その仲間達はランボの姿を見ると笑顔で言葉を掛けてくれるのに、今は大量の血を流したままぴくりとも動かない。
 一目で分かる。彼らはもう死んでいる。
 ランボは「みんな……」と掠れた声で呟き、この信じ難い光景に硬直した。
 あまりに突然の事態に、ランボの思考が理解する事を拒否しているのだ。
 だが、少ししてハッとしたように我に返る。
「ボス!」
 ランボはドン・ボヴィーノを思い、急いで駆け出した。
 この信じ難い光景が現実だというのなら、これは間違いなく襲撃の後だ。
 ファミリーへの襲撃なら、その狙いは間違いなくドン・ボヴィーノ。
 ランボは仲間達の無残な姿に唇を噛み締め、ドン・ボヴィーノの執務室に向かって走った。
 悔しかった。とても悲しかった。
 自分がのん気に出掛けている間に、大事なファミリーは襲撃を受け、そして大切な仲間達の命が散っていった。
 それを思うと、言葉で言い尽くせない程の悔しさと不甲斐無さを感じる。
 だが、今は無我夢中でドン・ボヴィーノの元へ走った。
 ファミリーの人間として、今は大切なドン・ボヴィーノの安否が最優先であると思ったのだ。
 ドン・ボヴィーノの執務室に近づくにつれ、仲間達の無残な死体が数を増し、血生臭い匂いが濃いものになっていく。
 その光景にランボの心臓はドクドクと嫌な音を高鳴らせ、視界が涙で滲んでいった。
 そして。
「ボス!!」
 ランボはドン・ボヴィーノの執務室の前に辿り着くと、その扉を勢いよく開けた。
 だが。
 だが、そこでランボが目にしたものは、床に倒れていたドン・ボヴィーノ。
「ボス……っ」
 ランボはその姿を目にした瞬間、身体が脱力したように崩れ落ちそうになった。
 部屋の中心にはドン・ボヴィーノが倒れており、それを囲むようにして複数の男達が立っているのだ。
 それは明らかにドン・ボヴィーノが男達によって襲撃された光景である。
「い、嫌だ……っ」
 ランボの掠れた声色。
 その声色は悲痛なもので、目の前の現実を拒否するかのような響きがあった。
 ランボは、倒れたまま微動だにしないドン・ボヴィーノの姿に全身を震わせる。
 どうして?
 なんで?
 それらの疑問がランボを襲う。
 昨日までのドン・ボヴィーノは、普段から変わらぬ穏やかな笑みを見せていたのに。ランボは確かにその笑顔を覚えているのに。
 それなのに。
「あ、あ、……嫌だっ」
 ランボは目を大きく見開き、視界を涙で滲ませてドン・ボヴィーノだけを見つめる。
「嫌だ……っ、ボス……!」
 ランボは、倒れているドン・ボヴィーノに向かって駆け出した。
 ドン・ボヴィーノに触れて、生きている事を確かめて、普段の穏やかで温かい笑顔を見せて欲しかったのだ。
 リボーンへの襲撃に失敗して帰って来た自分を、「ガマンだろ?」と言って慰めて欲しかった。
 そうすれば、この信じ難い事態は非現実のもので、また普段の穏やかな日常が戻ってくると思ったのだ。
 だが。
 だが、ランボの手がドン・ボヴィーノに触れる事は叶わなかった。
 ランボが動いた瞬間、ドン・ボヴィーノの周りを囲んでいた男達が動いたのだ。
「おいっ、何処へ行くんだ?」
 不意に、ランボは背後から厳つい男によって羽交い絞めにされた。
 ランボは突然捕われた事にハッとするが、気丈に男を睨みつける。
「離せっ、お前らこそ何者なんだよ!?」
 ランボは激しく身を捩り、自分を捕らえる男から逃れようとした。
 そして、無我夢中で敬愛するドン・ボヴィーノへ手を伸ばす。
 触れたい。
 温かいドン・ボヴィーノの手に触れたい。
 ドン・ボヴィーノの手は年老いた皺くちゃのものだが、ランボにとっては何よりも大切で大きな手。ランボの頭を優しく撫で、慈しんでくれる手。
 その手に触れたい。
 しかし、ランボの願いは叶わない。
 ランボがどれだけ抗っても、自分を拘束する腕は強固なものだったのだ。
 ランボは、翡翠色の瞳を怒りに彩らせ、ドン・ボヴィーノの周りに立っている男達に鋭い眼差しを向ける。
「お前ら、ボスに何をしたんだ!」
 ランボはそう声を荒げるが、男達から返ってくる反応は嘲笑だった。
 そんな男達の反応にランボは悔しさを感じ、「離せってば!」と一層抵抗を強いものにする。だが。


「おやおや、これはボヴィーノの箱入り息子じゃないか」


 不意に、執務室に聞き慣れない男の声が響いた。
 そして声が響いたのと同時に、ドン・ボヴィーノの周囲に立っていた男達が一様に畏まり恭しく礼をする。
 こうした男達の中を進み出てきたのは、ひょろりと痩せた男だった。
 男は全体的に小柄な体格をしていたが、背後には屈強な男達を従えており、まるで自身の力を誇示するような雰囲気を漂わせている。
 その風貌は還暦前の老人のものだが、細い目はギラリとした鈍い光を宿し、口元に刻まれる笑みは狡猾さを感じさせるものだった。
 だが、ランボはこの男を見た瞬間、驚愕に大きく目を見開く。
「あ、あんたは……っ」
 そう、ランボはこの男を知っていたのだ。
 否、ランボだけでなく、ボヴィーノファミリーの人間なら知らない者はいない人物だった。
「アルマンド!」
 男の名前はアルマンド。
 ドン・ボヴィーノの甥にあたる人物である。
 このアルマンドという人物をボヴィーノファミリーで知らない者はいないが、それは決して良い意味ではなかった。
 ファミリーの幹部でありながら、叔父であるドン・ボヴィーノと意見を違える事が多く、事ある毎に衝突を繰り返してきたのである。そして数年前、耐え兼ねたドン・ボヴィーノによってアルマンドは僻地へ飛ばされたのだ。
 アルマンドはドン・ボヴィーノの親戚筋という事もあり、ランボは年に一度程の割合で顔を合わせる機会があったが一度として良い印象を持った事はない。
 アルマンドの性格は、ドン・ボヴィーノのような穏やかなものとは違って、酷く冷たい陰険なものを感じさせるのである。しかもファミリーに対する考えた方も違い、ドン・ボヴィーノが地域住民を第一に考える穏健派ならば、アルマンドはファミリーの拡大を第一に考える過激派だった。
「どうしてあんたが此処に……っ」
 ランボは男に捕われながらも、アルマンドをきつく睨み据えた。
 アルマンドは僻地へ赴任という事になっていたが、その実体はボヴィーノ中枢からの追放である。僻地に飛ばされたのは、アルマンドがボヴィーノの中枢へ関わらないようにする為だったのだ。
 そんな追放された男が、ボヴィーノファミリーの本拠地であるボヴィーノ屋敷にいる事は不自然だった。
 だが、そんなランボの疑問に、アルマンドは口元に冷たい笑みを刻む。
「田舎暮らしには飽きてしまったんだよ」
 まるで世間話でもするようにアルマンドはそう言うと、捕われているランボの前へゆっくりと足を進めた。
 そして。
「大丈夫、貴様が愛するドン・ボヴィーノはまだ死んじゃいない」
 と、薄い笑みを刻んで言ったのだ。
 ランボは、この言葉を聞いた瞬間、愕然としたように目を見開いた。
 もしかして……とは思ったのだ。
 アルマンドの姿を見た瞬間、この男ならば襲撃を企んでも可笑しくはないと思った。
 しかし、アルマンドはボヴィーノの親戚である。そんな肉親にあたる人物がドン・ボヴィーノを襲撃するなど考えたくなかった。
 それなのに。
「どうして……っ、どうしてボスを!!」
 ランボは混乱したように声を荒げると、アルマンドを睨み据えた。
「絶対許さない!」
 ランボは「離せっ」と自分を捕らえている男に頭突きを喰らわせ、男が怯んだ隙に拘束から抜け出した。
 そしてそのまま、ランボは解放された勢いを利用してアルマンドに向かって走り出す。
 懐から携帯している銃を取り出し、その銃口をアルマンドに向けた。その時。
「黙らせろ」
 ランボが発砲するよりも早く、アルマンドの命令が下された。
 それと同時に、ランボの後頭部に強い衝撃が走り、ランボの身体がガクリと崩れ落ちる。
 ランボがアルマンドに銃口を向けた瞬間、別の男が背後からランボを昏倒させたのだ。
「あ……っ」
 ランボの短い悲鳴。
 ランボの身体は、アルマンドの前に成す術も無く倒れこむ。
 身体は力が抜けたように脱力し、意識に霞がかかっていく。
 ゆっくりと意識が薄れ、視界が強制的に閉じていく。
 こうしてランボは意識を失っていく中、「ボス……」と敬愛する者の名前を呟いたのだった。







「……う……っ」
 ランボは重い瞼をゆっくりと開けた。
 目を開ければ、最初に視界に映るのは見慣れないコンクリートの天井。
 窓の無い部屋は薄暗く、外部からの音が一切聞こえない此処は、まるで何処かの地下室のようだった。
 ランボは頭部に鈍い痛みを覚えながらも、ゆっくりと身体を起こす。
「ここは……」
 ランボは自分がいる場所を確かめようと周囲を見回す。
 この部屋は、四方をコンクリートの壁に囲まれ、部屋の隅にベッドが起これているだけの部屋である。
 そんな生活感の無い部屋だが、ランボは此処を知っていた。
 この部屋は、ボヴィーノ屋敷の地下に造られたシェルターである。シェルターの存在を知る者はファミリー内でも限られているが、ランボは幼い頃にドン・ボヴィーノに入れてもらった事があったのだ。
 だが、ランボは部屋のベッドに横たわる人物を見た瞬間、驚愕に大きく目を見開いた。
「ボス!」
 そう、ベッドに横たわる人物は、ランボの敬愛するドン・ボヴィーノだったのだ。
 そのドン・ボヴィーノの姿に、ランボはこうなってしまった経緯を全て思い出す。
 ランボは慌ててドン・ボヴィーノに駆け寄り、意識を失ったままのその身体に縋るようにしがみついた。
「ボス……っ、ボス!」
 ランボは何度もドン・ボヴィーノの名前を呼び続けた。
 視界がじんわりと滲み、翡翠色の瞳から涙がぽろぽろと零れだす。
 だが、溢れる涙を拭わずに、ランボは「ボス」と大切な人の名前を繰り返し続けた。
「ボス、目を覚ましてください……っ、お願い……」
 嘆きにも似たランボの願い。
 ランボは、ドン・ボヴィーノの年老いて皺くちゃの手を握り締めた。
 ドン・ボヴィーノからは薬品の匂いが微かに漂っており、それによって強制的に意識を奪われているのだと知れる。
 そんなドン・ボヴィーノはランボが手を握っても反応を返す事は無かったが、その手からは僅かな温もりが感じられ、ドン・ボヴィーノはまだ生きているとランボに伝えていた。
 ランボはそれに微かな安堵を覚えながらも、眠るように意識を失っているドン・ボヴィーノを食い入るように見つめた。
 今のドン・ボヴィーノからは憔悴した弱々しい生気しか感じられず、その顔色も蒼白なものになっている。そこからは普段の精悍さは感じられず、それだけでドン・ボヴィーノが危険な状態であると知れたのだ。
「ぅっ……、ボス……っ」
 嗚咽混じりのランボの呼び声。
 だが、どんなに呼びかけてもドン・ボヴィーノは目覚めない。
 ランボはドン・ボヴィーノの手を強く握り締め、きつく目を閉じた。
 どうしてこんな事になっているのだろうか。
 今、ボヴィーノに起こっている事態は、ランボにとってあまりに突然過ぎるものだった。
 突然過ぎて、ランボは未だに混乱している。
 今日は朝からボンゴレ屋敷に行ってリボーンを襲撃し、それに失敗した後は綱吉達とティータイムを楽しみ、その後はドン・ボヴィーノのいるボヴィーノ屋敷へと戻ってきた。
 この日常は普段と変わらぬもので、そして今日という日が変わらずに過ぎていくと思っていたのだ。それなのに。
 それなのに、ボヴィーノ屋敷へ戻ったランボを襲ったのは、普段の日常から大きく逸脱した光景だった。
 屋敷は鮮血に彩られ、その中で命を散らせていたのはランボが大好きなファミリーの仲間達。
 ファミリーの仲間達はドン・ボヴィーノを守らんとして戦い、そして死んでいったのだ。
 ランボはそれを思うと、自分に対する不甲斐無さと悔しさに唇を噛み締める。
 自分がのん気に外出している間、ボヴィーノ内の平穏が侵されていた。本来なら、ランボもファミリーの一員として戦うべき立場にあるというのに、自分は何も出来なかったのだ。
 それはランボに深い自己嫌悪と罪悪感を覚えさせるものだった。
 もし自分が今日はボンゴレに向かわず、ボヴィーノ屋敷にいたならば、自分も少しはドン・ボヴィーノの盾になれたかもしれない。少しは役立つ事が出来たかもしれない。
 そして何より、ドン・ボヴィーノはこんな状態に陥らなかったかもしれない。
 だが、それらは例えであり、全ては過ぎ去ってしまった事である。ランボがどれだけ『もし』と思ったところで時間は戻らないのだ。
「ボス……、ごめんなさい……。……ごめんなさい……っ」
 ランボは謝罪の言葉を口にした。
 この謝罪は、ドン・ボヴィーノを守って命を散らせた仲間達への謝罪。そして、ドン・ボヴィーノへの謝罪。
 だが、ランボがどれだけの謝罪を繰り返しても、今は誰一人として聞く者はいない。
「うぅ……、ごめんな……さい……っ」
 ランボの瞳からは止め処なく涙が溢れ、それが頬を伝う。
 こうしてランボがドン・ボヴィーノの手を握ったまま謝罪を繰り返していた。その時。
「――――やっと目覚めたのかね」
 不意に、この地下室に男の声が響いた。
 ランボがその声にハッとして振り向けば、そこには屈強な男達を従えたアルマンドが立っていた。
「アルマンド!」
 アルマンドの姿にランボは声を荒げると、自分の背後にドン・ボヴィーノを庇うようにして立ち上がる。
 そしてランボは警戒を顕にし、泣きながらもきつくアルマンドを睨み据えた。
「ボスをこんな目に遭わせて、いったいどういうつもりだ!?」
「どういうつもり? さっき田舎暮らしに飽きたと言っただろう」
 アルマンドは楽しそうな口調でそう答え、部下の男達を従えたままゆっくりとランボに近づいてくる。
 傲慢なほどゆっくりと、一歩一歩近づいてくるアルマンド。
 ランボはそれに緊張したように警戒を強めた。
「私は人の大勢いる場所が好きでね。その中枢に名を列ねるには、まずボヴィーノを手に入れる必要があったのだよ」
「ボヴィーノを手に入れる……?」
「そう。このファミリーは可もなく不可もなくといったところだが、いまひとつ決め手が無いからね。私がその決め手となって、伸し上げてやろうというんだ」
 アルマンドはそう言って、「感謝して欲しいくらいだよ」と口元に歪んだ笑みを刻む。
 だが、ランボはアルマンドの言葉を聞いて愕然とした。
 アルマンドの言葉は、ファミリーを拡大するというものだった。ファミリーを拡大し、大きな権力を握るとうもの。
 ランボはそれを聞いた瞬間、言葉を無くした。
 ランボには分からなかったのだ。
 ボヴィーノは平穏だったのに、温かかったのに、皆は幸福だったのに。
 それなのに、それを崩してまで何を手に入れたいというのか。
 今のランボには、アルマンドの口にした権力という言葉が、平穏を崩してまで手に入れるほど価値があるとは思えなかったのだ。
 たったそれだけの為に大切なファミリーを襲撃されたのだと思うと、ランボの中には煮え滾るような憤りが沸いてくる。
「ふざけるな! ボスはそんなこと望んでいない!」
 ランボは溢れる涙を拭い、強い口調で言い放った。
 アルマンドの言葉が許せなかった。
 アルマンドの言うファミリーの拡大など、ドン・ボヴィーノは望んでいない。それはドン・ボヴィーノの側で育ったランボが一番よく知っている。
 だからこそ、ランボはアルマンドの言葉が許せなかった。
 だが、アルマンドはランボの強い言葉に楽しげに目を細める。
「強気な事だ。だが、いつまで強気でいられるのか見ものだな」
 アルマンドはそう言うと、従えている男達に「おい」と命令した。
 すると男達はランボの横を通り過ぎ、ドン・ボヴィーノへ近づこうとする。
 そんな男達からドン・ボヴィーノを守ろうと、ランボは気丈な態度で立ちはだかった。
「やめろ! ボスに近づくな!」
 こうして男達を強く睨みつけ、抵抗を示すランボ。
 しかし、ランボの抵抗は男達にとって些細なものである。
 今のランボは普段から携帯している銃も角も取り上げられ、武器がない無力な状態なのだ。
 ランボはそれに悔しさを覚えるが、それでもドン・ボヴィーノを守ろうとする事は止めなかった。
 ドン・ボヴィーノを守る事はファミリーの人間として当然の事であり、それを差し引いてもランボにとって命懸けで守りたい大切な人なのだ。
 そう、ドン・ボヴィーノを守る為なら、ランボはここで命を落としても後悔はなかったのだ。今まで偶然にも生き延びたが、ここで仲間達の後を追う事になっても構わない。
 だが、こうした覚悟を見せるランボだったが、アルマンドから意外な言葉が紡がれる。
「そのガキに手荒な真似はするんじゃない。無傷で取り押さえろ」
 アルマンドから紡がれた、この言葉。
 ランボはその言葉に「え……?」と不審を隠せなかった。
 マフィアに属する人間が、抵抗を示す者を無傷で取り押さえるなど有り得ない事である。
 ましてや相手はアルマンドだ。ファミリーの者達を惨殺した男の台詞とは思えなかった。
 こうしてランボはアルマンドの言葉に不審を抱くが、今はドン・ボヴィーノを守りながら精一杯戦うしかない。
 ランボはドン・ボヴィーノを背後に庇ったまま、自分へと伸びてくる男達の手を避け、反撃の機会を窺がい見る。
 幸か不幸か男達はランボを取り押さえようとするだけで攻撃の意思はなく、避けるだけであれば容易なものだった。
 しかしそれは、背後にドン・ボヴィーノを守ったまま何時までも続けられるものではない。
 ランボは男達の手を避けて反撃を試みるが、その一瞬の隙が守りを弱めてしまう。
 そして。
「しまった……っ」
 ランボが気付いた時には既に遅かった。
 一人の男が、ベッドで眠るドン・ボヴィーノに接近してしまったのだ。
「やめろ! ボスに触るな!」
 ランボは慌ててドン・ボヴィーノの側へ戻ろうとする。
 だが、男はそれよりも早く懐から銃を取り出し、銃口をドン・ボヴィーノの眉間に押し付けた。
「動くな」
 アルマンドの低い声色。
 それはランボを強制的に制止する言葉。
 そして、ドン・ボヴィーノを人質にした言葉。
 ドン・ボヴィーノを人質に取られてしまえば、ランボに成す術はない。
 ランボは悔しさに唇を噛み締め、アルマンドを強く睨む。
「ボスには手を出すなっ」
「それは貴様次第というものだろう」
 アルマンドは嘲るようにそう言うと、楽しげな様子で言葉を続ける。
「貴様が私に従うなら、生かしておいてやってもいい」
 アルマンドから紡がれたのは、傲慢ともいえる言葉。
 ドン・ボヴィーノの命を握り、ランボを拘束するそれ。 
 ランボはその言葉に警戒を顕にし、「どうしてオレが……っ」と呻くように呟く。
 しかしその理由は、アルマンドによって直ぐに明かされたのだ。
「貴様は自分の利用価値というものを考えた事があるか?」
 アルマンドから『利用価値』という言葉が紡がれ、ランボはその聞き慣れない言葉に眉を顰める。
 だが、アルマンドは構わずに言葉を続けた。
「貴様には利用価値がある。それは、ボンゴレとの特別な繋がりと、ドン・ボヴィーノから受けていた寵愛という価値だ。それが貴様を殺さずに生かしておく理由なんだよ」
 当然の事のように紡がれた、ランボを殺さない理由。
 アルマンドがランボの中に見出した利用価値とは、ランボ自身の能力を指すものではなかった。
 そう、アルマンドが狙ったのはランボの背後にいる権力者達である。
 ランボはボンゴレリングの所有者である事を差し引いても、ボンゴレとは懇意にしており、そこのトップである綱吉に特別な扱いを受けていた。又、綱吉だけでなくドン・ボヴィーノに寵愛を受ける事で、その価値を一層高められていたのだ。
 言い換えれば、今回ランボが殺されずに済んだのは、全てはランボを庇護下に置く者達の存在にあり、その者達の持つ権力に助けられたのである。
 アルマンドは、ランボの身に異変を起こす事でボンゴレが動く事を危惧し、その為にドン・ボヴィーノを人質にしてランボを抑えようというのだ。
 ランボはそれを思うと愕然とした。
 アルマンドの読みは的を得たものなのだ。ランボは敬愛するドン・ボヴィーノを抑えられれば、抵抗を封じられたも同然で、守る為に従うしかなくなるのだから。
 ランボはドン・ボヴィーノを人質に取られた意味を知り、ただ愕然と立ち尽くした。
 アルマンドがボヴィーノファミリーを襲撃したのは、ボヴィーノの実権を握る為である。そしてドン・ボヴィーノを人質に取ってランボを殺さずにいるのは、外部にボヴィーノの異変を悟られない為だ。これは、水面下で起こされた――――内部抗争。
 その事実に、ただ愕然とするランボ。
 そんなランボに、アルマンドは「分かったかね?」とゆっくりとした足取りで近づいてくる。
 アルマンドは口元に嘲笑を刻み、ランボの前で立ち止まるとその頬へ手を伸ばした。だが。
「触るな……っ」
 アルマンドに触れられる寸前、ランボは咄嗟にその手を払っていた。
 しかしアルマンドは払われた事を気にしたふうもなく、楽しげに目を細める。
「おやおや、男に触られるのは初めてかね? ボンゴレやドン・ボヴィーノは触ってくれなかったのか?」
 嘲るようなアルマンドの言葉。
 これは侮辱の言葉だ。
 ランボはこの言葉を聞いた瞬間、カッと怒りがこみ上げる。
「馬鹿にするな! ボスや十代目はそんな事しない!」
 ランボはアルマンドの侮辱の言葉が許せなかった。
 ドン・ボヴィーノも綱吉も、ランボを色欲の対象として見た事はないのだ。二人は純粋にランボを慈しんでくれているのだから。
 それなのに、その二人をそういう対象として見られた事が悔しかった。
 だが、アルマンドはそんなランボの怒りに構うことはなく、「それはいいっ」と声をあげて笑い出す。
「箱入りとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。これでますます価値が上がるというものだ」
 アルマンドはそう言ってニヤリと口元を歪ませると、部下の男達に「おい」と命令を下した。
 その命令と同時に動き出す男達。
 そして、ランボが気付いた時は遅かった。
 気付いた時は、ランボの両脇に屈強な男達が立ち、ランボの両腕を取り押さえて拘束していたのだ。
「い、嫌だ……っ、離せよ!」
 ランボは慌てて抵抗し、その拘束を解こうと身を捩る。
 しかし、男達はそれ以上の力を持ってランボを押さえつけるだけだった。
 男達の手によってランボの身体は強引に床に引き倒された。
 四方をコンクリートに囲まれた地下室は床も石畳になっており、倒されたランボの身体に冷たいコンクリートの感触が伝わる。
 顔を上げれば、見慣れぬ石の天井と屈強な男達。そしてアルマンドの姿があった。
 男達によって抵抗を封じられたランボに、アルマンドが伸し掛かる。
「退けよ! 退けってば……!」
 ランボは自分に伸し掛かるアルマンドを必死に押し退けようとするが、男達に身体を押さえつけられた状態では押し退けられる筈がない。
 ランボが悔しげにアルマンドを睨みあげれば、その顔には醜悪ともいえる笑みが刻まれていた。
 ランボはその笑みを見た瞬間、背筋がゾクリと震撼する。
 ランボは、怖いと思ったのだ。
 今のアルマンドの目は、獲物を狙う捕食者のような鈍い光を宿しており、そこから感じるものは色欲。
 その色欲は今、確かにランボに向けられている。
 今まで他人から性的な視線を向けられる事はあったが、これほどまでに直接的なものはなかった。
 その為、直接的な色欲はランボに大きな恐怖を与え、全身がガクガクと震えだす。
「嫌だ……っ!」
 ランボはアルマンドの笑みに恐怖を煽られ、激しく身を捩って無我夢中で抵抗した。
 だが、アルマンドがランボを逃がす筈がない。
 男達はランボの両手足を押さえ、「逃がす訳ねぇだろ」と一層捕らえてしまうのだ。
 こうして、それから繰り広げられた光景は、まるで捕食者が獲物を嬲り殺しするかのようなものだった。
 男達の幾つもの手がランボの身体を押さえつけ、アルマンドの骨ばった手が少しずつランボの衣服を剥ぎ取っていく。
 衣服が乱される事で、ランボの乳白色の素肌がアルマンドの前に徐々に晒されていったのだ。
 ランボは、自分が男の手によって衣服を脱がされていく屈辱と恐怖に唇を噛み締めた。
 これほどの屈辱があるだろうか。
 嫌悪を覚える男の前で裸身を曝される屈辱。
 憎むべき男に色欲を向けられる恥辱。
 そして、今から自分の身に降りかかるであろう行為への恐怖。
 ランボの翡翠色の瞳は恐怖の色に彩られ、そこから涙が溢れ出す。
「泣き出してしまったのかね。これくらいで泣いてもらっては困るよ」
 アルマンドの手がランボの滑らかな肌を這い回る。
 その触り方は、まるで素肌の触り心地を確かめるかのようなもので、ランボはその気持ち悪さに「嫌だ……っ」ときつく目を閉じた。
 アルマンドの手からは嫌悪感しか生まれない。
 屈辱と、恥辱と、気持ち悪さと、嫌悪感。
 アルマンドの手つきは、まるでランボの身体を鑑定するかのようなものだったのだ。
 ランボは、胸や太腿を揉むように撫でまわされ、嫌悪に全身が震撼する。
 だが、アルマンドはそんなランボに構う事はなく「まずまずだな」と呟くと、やがてランボの性器へと手を伸ばしていった。
 恐怖の為に縮こまっているランボの性器を、アルマンドが乱暴に握り締める。
「痛い……っ」
 性器を握られた瞬間、ランボの身体に鋭い痛みが走った。
 優しさも無く乱暴に触れるだけのそれは、ランボに痛みしか与えないものだったのだ。
「ぐっ、ぅ……いや……っ」
 アルマンドの手はランボの性器を乱暴に扱くが、そこから快感が生まれる筈もなく、ランボは痛みと恐怖に「嫌だ!」と喚き続けた。
 ランボの瞳からは止め処なく涙が溢れ、頬を濡らしていく。
 怖かった。
 とても怖かった。
 男に身体を撫で回され、嘲笑を向けられる屈辱と嫌悪。
 逃れようとどれだけ足掻いても、逃れられない恐怖。
 今のランボは、なんで? どうして? という思いでいっぱいだった。
 今日も普段と変わらぬ日常を過ごす筈だったのに。それなのに、ボヴィーノは襲撃され、ドン・ボヴィーノの意識は奪われ、ランボは捕らえられた。
 そして身に降りかかる暴行。
 こうしてアルマンドは容赦なく行為を進め、やがてランボの双丘へと手が伸ばされる。
 そして、ランボは強引に四つん這いにさせられ、ズボンを下着ごと膝まで下ろされてしまった。
「あっ、嫌だ……!」
 アルマンドの前に、ランボの双丘が晒される。
 衣服を脱がされただけでなく、身体の最奥まで曝される屈辱。
 剥き出しの双丘だけをアルマンドに突き出した姿は、まるで獣のような格好だった。
 ランボはこのあまりの屈辱と恐怖に、激しく身を捩って四つん這いのまま、前へ前へと逃げようとする。
 だが、そんなランボをアルマンドが逃がす筈がなかったのだ。
「どこへ行く?」
 アルマンドの嘲るような言葉。
 その言葉とともに「無駄なことを」と、背後からランボに伸し掛かる。
 そしてランボを取り押さえる男達は、ランボの後頭部を鷲掴み、顔面を冷たい石畳の床に押し付けた。
「ぐ……っ、う……ぅ」
 ランボは顔面を床に擦り付けられるように押さえられ、屈辱と痛み、そして溢れる涙に表情を歪ませる。
 だが、ランボがどれだけ涙を流そうと行為は残酷に続けられるのだ。
 アルマンドの前でランボの最奥が暴かれ、侵されていく。
 身体を開かれる行為はランボにとって初めてのもので、それは酷い激痛を伴なうものだった。
 その激痛のままにランボは暴れ、アルマンドの手から逃れる事を望み続ける。
 しかし。
 アルマンドはランボの抵抗を封じる言葉を知っていた。
 ランボの意思を縛り、動きを縛り、指一本動かす自由さえも縛る。そんな言葉を知っていた。
 それは。
「――――ドン・ホヴィーノの命は私が握っている事を忘れるな」
 この言葉によって、ランボは全ての抵抗を封じられた。
 アルマンドはランボを縛る言葉を心得ていたのだ。
 ランボは溢れる涙を拭う事も出来ず、嗚咽を漏らし続ける。
 誰かに助けて欲しかった。
 この悪夢のような現状から救い出して欲しかった。
 叶うなら、それはリボーンがいい。
 幼い頃のランボはリボーンの命を狙いながらも、何かが身に起こった時は「リボーンがいてくれる」という思いがあった。
 今までもリボーンという存在に守られた事は数え切れないほどある。ランボは、自分の手に余る事があれば、必ず「リボーン」の名前を口にしたのだから。
 そしてリボーン自身も、そんなランボの頼みに不承な態度を見せながらも最終的には答えてくれていた。
 リボーンはランボに対して横柄で暴君のような態度を取る事があるが、それでもランボが傍にあり続ける事を許していたのだ。
 その事はランボに期待を与えた。
 自分がリボーンの特別であるという期待。そして希望。
 それはランボに日溜まりのような温かさをもたらすものだったのだ。
 しかし、今のランボは泣いていた。
 身体を裂かれるような激痛と苦痛に。ただ泣くことしか出来なかった。
 今までランボが泣けば、その涙を拭き取ってくれる人がいた。
 それはドン・ボヴィーノだったり、綱吉だったり、時々見せてくれるリボーンの優しさだ。
 だが、今はそのどれもが無かった。
 不意に、ランボは僅かに顔を上げてベッドに視線を向ける。
 そのベッドにはドン・ボヴィーノが寝かされており、ランボは口内で小さく「ボス……っ」と呟く。
 この絶望ともいえる暗闇に突き落とされた中、唯一の希望といえるもの。
 それは、ドン・ボヴィーノが生きていること。
 例え、強制的に意識を奪われている状態であったとしても、ドン・ボヴィーノは生きている。
 ランボはこの屈辱と苦痛の中で、心に誓う。
 もう泣かない、と。
 涙を拭ってくれる貴方が戻るまで、決して泣いたりしないと。
 その為なら、心だって何だって殺してみせると。
 そう、全てはドン・ボヴィーノの為に。
 だからもう泣かない。
 命を散らせた仲間達を弔うまで。
 何事もなかったかのような、平穏な日常を取り戻すまで。
 そして、大切な貴方を取り戻すまで――――。





                                   同人に続く




今回はちょっと暗めな話ですが、ラストはリボランハッピーエンドですよ。
せっかく世界観がマフィアですからね、抗争ネタは書いておきたかったんです。
いろいろと難産でしたが書けて満足でした。





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