花影のアリア





 ボヴィーノファミリーで起こった内部抗争が終結し、一ヶ月が経過した。
 一時は壊滅状態にまで陥ったボヴィーノであるが、抗争が終結して一ヶ月が経過した今は徐々に元の活気が戻りつつある。
 破壊された屋敷も建て直しが必要だが、後半年もすれば建設作業は終了し、元の状態に戻る事が出来るだろう。
 抗争の爪痕は深く、今も残された仲間達の多くが傷付いていたが、敬愛するドン・ボヴィーノが生きているという事を拠り所にしていたのである。
 現在は屋敷の近くにある別邸をボヴィーノの仮本部とし、パオロを中心としたボヴィーノの仲間達が再建に向けて多忙な日々を過ごしているのだ。
 そう、ボヴィーノファミリーは内部抗争で多くの仲間が亡くなり、組織としても打撃を受けた。
 しかしドン・ボヴィーノが生きている事で再建の希望が断たれた訳ではないのである。
 ドン・ボヴィーノは快復に向かっているとはいえ未だに病院で療養中の為、ドン・ホヴィーノが退院するまでに少しでも内部抗争前の状態に戻そうと残された仲間達は奮起しているのだ。
 その中で、ランボもファミリー再建の為に忙しい日々を過ごしている。
 今も仮本部となっている別邸でランボは書類整理をしたり報告書を提出したりと、慌しく邸内を駆け回っているのだ。
「パオロさん、書類を纏めておいたので目を通しておいてください」
 そう言ってランボがパオロの執務室に顔を出すと、パオロは仕事の手を止めて顔を上げてくれる。
「ああ、有り難う。その辺に置いておいてくれ」
「分かりました。……って、置く場所が無いんですが」
 ランボは書類の束を持ったまま苦笑混じりに室内を見回した。
 仮本部となっている別邸は以前の本部である屋敷と比べて手狭な為、少し油断すると執務室は大量の書類で溢れかえってしまう。大事な機密書類の管理は問題無いが、それ以外の書類ばかりはどうしようもない。
 しかもファミリー再建中という事もあって、以前よりも仕事量が増えているのである。特にパオロはドン・ボヴィーノが療養中の間は本部の指揮を一任されている為、他の仲間達よりも多忙な事は誰の目にも明らかなのだ。
「おお、すまない。処理を急いでいるんだが、どうしても溜まる一方でね」
「仕方ないです、ボスが戻られるまでの辛抱ですよ。それにオレも書類整理は手伝いますから」
「有り難う。助かるよ」
 パオロに柔らかな笑みを向けられ、ランボも嬉しそうに目を細める。
 提出しなければならない書類は他の書類の邪魔にならない所に置き、ランボは乱雑に積まれている他の書類などを揃えておく。
 今は揃えるくらいの整理しか出来ないが、乱雑のまま放置するよりマシなのだ。
「パオロさん、ずっと働き詰めですよね。珈琲でも淹れましょうか? 少しは息抜きしてください」
「いや、またの機会にお願いしよう」
 ランボが書類の片付けをしながらそう言ったが、パオロはそれを断り、「それより」と笑みとともに言葉を続ける。
「ランボ、書類整理はそこまでにして今日は帰りなさい」
「え……」
 突然帰るように言われてランボは目を瞬く。
 今は普段の帰宅より早い時刻の為、帰るように言われて少し驚いてしまったのだ。
 しかしそんなランボの驚きに、パオロは優しく目を細める。
「ボスのお見舞いに行くんだろう? 仕事が終わってから毎日病院に行っている事は知っているよ」
「パオロさん……」
 パオロにそう言われ、ランボは照れたように頭を掻いた。
 そう、ランボは多忙な日々を送りながらも、それでもドン・ボヴィーノのお見舞いを毎日欠かした事がないのだ。
 ドン・ボヴィーノの所に顔を出し、他愛ない世間話をしたり、再建に励むファミリーの様子などを伝えていたのである。
「お前が毎日お見舞いに行ってくれてボスも喜んでいるだろう。私も行きたいのだが、残念な事に時間が無くてね。だから、お前が行ってくれて感謝しているよ」
 私の代理としても頼む、とパオロは頭を下げた。
 そんなパオロに、ランボは「や、やめてくださいっ」と慌てて頭を振る。
「ボスの所へは、オレも行きたくて行ってるんです! 感謝されるような事じゃないですよ!」
 そうなのである。ドン・ボヴィーノのお見舞いをランボは義務として行なっている訳ではない。
 ランボにとってドン・ボヴィーノは父親のような存在であり、ファミリーにとっては希望そのものなのである。そんなドン・ボヴィーノに会いたいという気持ちは、ファミリーのボスだからという思いを超えていた。
 そして何より、ランボの瞼の裏には内部抗争中のドン・ボヴィーノの姿が焼きついている。
 その時のドン・ボヴィーノは意識を閉ざし、病的なまでに衰弱していたのだ。
 その姿を見てきたランボにとって、快復に向かうドン・ボヴィーノの姿を見るのは何よりの喜びなのである。
「有り難う、ランボ。嬉しいよ」
「いえ、オレもボスが大好きですから」
 ランボは照れながらもそう言うと、笑顔でパオロに向き直った。
「それと、お心遣いは嬉しいのですが、今日はやっぱり早く帰る事はできないです」
「何か急な仕事でもあったか?」
 帰宅を断るランボに、パオロは訝しげに眉を顰める。
 パオロとしてはご褒美のつもりだったのだが、まさか断られるとは思わなかった。
「いえ、仕事じゃなくて。……その、今日はリボーンが一緒に病院へ行ってくれるので、仕事が終わったら迎えに来てくれるんです」
 ランボは別ファミリーのヒットマンであるリボーンの名前を出す事に躊躇いつつも、微かな喜色を滲ませて言った。
 今、リボーンとランボの関係は恋人同士というものである。
 あの内部抗争の中で互いの想いを確認しあい、ようやく落ち着いた関係となったのだ。一時はリボーンの事を諦めようとしたランボであったが、そんな堕ちた心すらも救い上げてくれたリボーンの腕をランボはとても愛しく思っている。
 だが、二人は恋人関係でありながらも、その関係をはっきり知る者は極僅かである。本当は公然の秘密という状態でボンゴレとボヴィーノの者はほとんど知っているのだが、別ファミリーの者同士という建前があるので知らない振りをしている者がほとんどなのだ。
 リボーンもランボも特に意識して隠している訳ではないのだが、振れ回る内容のものでもないので何となく黙っているのである。
 その為、ランボはパオロの前でリボーンの名前を出す事を少し躊躇ってしまったのだが、それでもリボーンの名前を紡いだランボの頬は薄っすらと赤く染まり、そこには隠しきれない想いがある。
 無意識のそれは純粋な想いを表わしたもので、それを目にしたパオロは口元に小さな笑みを刻んだ。
「リボーンと約束しているなら、破る訳にはいかないな。ボンゴレには世話になっている事だし、一緒に行って来るといい」
「はい!」
 リボーンに宜しく伝えてくれ、とパオロに言われてランボは嬉しそうに大きく頷いた。
 ボンゴレとボヴィーノの両ファミリーは元々同盟関係にあって良好な間柄であるが、あの内部抗争から一層親密な関係となっているのだ。それはランボにとっても喜ばしい事である。
「そうだ。ボスの所に行くなら、ついでにこれも届けてきてくれないか?」
 ふと、そう言ってパオロはランボに書類の入った茶封筒を手渡した。
「これは?」
「今回の騒動の際、世話になったファミリーや、今の再建を支援してくれているファミリーを纏めたものだ。皆、ドン・ボヴィーノを支持してくれている人達だよ。時間があるならランボも目を通しておきなさい」
「分かりました」
 ランボは受け取った茶封筒を開け、中の書類を確認する。
 その書類に載っていたのは、パオロの言うとおり今回の騒動でボヴィーノを支援してくれたファミリーのリストだった。
 そこにはボンゴレを始めとした数多くのファミリーが明記されており、これだけの人達がボヴィーノファミリーを治めるドン・ボヴィーノを支持してくれている事に嬉しくなる。
 しかしランボは、名を列ねる支持者達の真意に微かに苦笑した。
 現在ボヴィーノ再建にはボンゴレが後ろ盾になっている事もあり、ボンゴレと懇意にしている政財界の者達までもが支持に回ってくれているのだ。
 それは表向きでは善意としての支持表明であるが、その奥にある真実は利害というものなのだろう。
 全ての支持者がそうだという乱暴な見方はしないが、それでも大半の支持者達は、現在ボヴィーノの後ろ盾になっているのがボンゴレファミリーという巨大組織である事を見据えているのだ。
 ランボは、社会の仕組みに本当の善意など無い事は知ってしまっている。
 あの内部抗争でボヴィーノが危機に陥った時、表立って立ち上がってくれたファミリーは少なかった。ほとんどのファミリーが静観し、ドン・ボヴィーノ派とアルマンド派の行き先を見守ったのだ。
 そう、沈む可能性がある船に自分から乗ろうとする者など少ないのである。だからこそ雌雄を決した後、最後に勝ち残ったドン・ボヴィーノを支持しただけなのである。
 しかし、だかといってランボはそんな支持者達を疎ましく思っている訳ではない。
 社会を動かすのは利害だ。そして利害が無ければ社会が成り立たない事も知っている。ランボとて、沈む船に乗るという選択は容易に出来るものではないのだ。
 だから、これは仕方ないことなのである。
 それならば、素直に支持を受けてその中で足掻いていくしかないのだ。
 ランボはこうして支持者達の名前に目を通していたが、不意に、見知った名前を目にして息を飲んだ。
「……っ」
 男の名前に、ランボは言葉が出てこない。
 その名前は、ランボにとって忘れたくても忘れられない名前だったのだ。
 それは内部抗争の際、アルマンドとの取引きでランボを抱いた男だった。
 内部抗争でアルマンドに捕らわれたランボは、ドン・ボヴィーノを守る為にアルマンドの指示によって幾人もの男に抱かれたのである。
 それは取引きという名目で行なわれた行為であったが、ランボにとっては忘れられない屈辱的な行為だった。
 その屈辱が今でも身体の隅々まで侵食しているランボにとって、自分を抱いた男の名前を目にする事はあの恥辱の日々が蘇ってくるような嫌悪感に苛まれる。
 ランボは書類に記載された名前を睨みながら、爪が皮膚に食い込むのも構わず拳を握り締めた。
 そんなランボの姿は、苛む屈辱や恥辱を耐えようとするものである。
 あの時、この男がランボを抱いた理由も全ては利害と保身だ。だから今、男はこうしてドン・ボヴィーノに支持を表明しているのだろう。
 それを分かっているからこそ、ランボは耐えなければならないと思った、
 あんな行為は自分にとって意味は無く、些細なものだと、そう位置付けて必死に耐えなければならないと思った。
 これに耐えなければ、社会の利害という形無い魔物に自分は押し潰されてしまうだろう。







「お待たせ。わざわざ来てくれて有り難う」
 夕暮れの頃、仕事を終えたランボは迎えに来たリボーンの車に駆け寄った。
「いや、思ったより早かったな」
「パオロさんが気を遣ってくれて、リボーンが来たら直ぐに帰らせてくれたんだ」
 そう言ってランボが助手席に乗れば、リボーンは静かに車を発進させる。
 二人が向かう場所は街中にある総合病院で、そこに入院しているドン・ボヴィーノのお見舞いに行くのだ。
「今日は一緒に行ってくれて有り難う。ボスもきっと喜ぶよ」
 ランボは、リボーンが仕事の合間に時間を作ってくれた事を知っているのだ。
 本当なら、多忙という理由だけでなく、別ファミリーのリボーンがドン・ボヴィーノを訪ねる理由など無いのである。
 それでも、ランボの為に時間を作ってくれた事が嬉しかった。
「ボンゴレにも有り難うって伝えておいて。仕事を抜けてきてくれたんだろ?」
「気にするな、今日の仕事は終わった。それに、俺の方もツナに使いを頼まれてるんだ」
「使い?」
「ああ、招待状を渡して来いって俺に使いを頼みやがった」
 使いなど本来ならリボーンの仕事ではないのだが、綱吉はついでとばかりに頼んだのだろう。
 昔と変わらぬ気安いリボーンと綱吉の関係に、ランボは小さく笑う。
 ランボとて綱吉には昔と変わらぬ気安さで接してもらっているが、それでも上下関係が前提にある事くらいは心得ているのだ。
「ボンゴレから招待状って、いったい何のだろう? ボンゴレでパーティーか何か開くの?」
「まあ、ボンゴレ主催なのは確かだが……」
 ランボは何気なく疑問を口にしたが、リボーンは少し思案するように言葉を濁した。
 だが、直ぐに「アホ牛も無関係ではいられねぇだろうな」と観念したように息を吐き、ボンゴレが主催するというパーティーの全容を話し出す。
「今回のパーティーはボンゴレ主催のものだが、目的はボヴィーノファミリーの正当なトップがドン・ボヴィーノである事を表明する為のものだ」
「え、それって……」
 リボーンが話すパーティーの本当の目的に、ランボは驚いたように目を見開いた。
 綱吉が目的とするものは、あまりにボヴィーノにとって都合が良過ぎるものだったのだ。
 それというのも、ボンゴレ十代目である綱吉がボヴィーノファミリーのトップをドン・ボヴィーノである事を強く支持し、又、ボヴィーノが安定するまでボンゴレが後ろ盾になってサポートすると表明すれば、現在再建中で不安定なボヴィーノに手を出そうとするファミリーは激減する。綱吉はそれが狙いなのだ。
 このボンゴレの申し出は平時の状態ならばボヴィーノファミリーの威信を崩すものだが、現在はお世辞にも平時とはいえない状態である。
 内部抗争は去ったとはいえ、一時は壊滅的な状態まで陥っていたのだ。不安定なファミリーは常に脅威に曝されているといっても過言ではない為、これはまさにボンゴレからの破格の待遇といっても良いだろう。
「……有り難いけど、今のボヴィーノはボンゴレに何も恩返し出来ないよ?」
 ランボは綱吉の申し出に感謝しながらも、口から零れたのは困惑だった。
 同盟という事を含めて考えても、これは特別過ぎる優遇なのだ。
 これ程の優遇を受けられる事は嬉しく思うが、今のボヴィーノにはこの優遇に対する見返りを支払う能力はない。
 ランボはその事に困惑してしまうが、リボーンは「勘違いするな」と一笑した。
「ツナは見返りなんか求めてねぇぞ」
「そりゃボンゴレはそうかもしれないけど、そう思わない人もいるだろ」
 納得出来ずに言い募るランボに、リボーンは少し面倒臭げな表情になる。
 運転中のリボーンはこのままランボの言い分を無視してしまおうかと思ったが、ちょっとした道路渋滞に巻き込まれたところで助手席のランボを横目で見た。
 夕暮れの街は交通渋滞になりやすく、このまま大通りを進めば街の中央にある総合病院へ着くのはもう少し時間がかかる筈だ。
 リボーンにとって暇潰しにもならない話しだが、ランボが納得いかないというなら、納得するまで付き合うのも悪くないだろう。
「少しはツナの気持ちも察しろ」
 リボーンはゆっくりとした速度で車を走らせたまま、子供に言い聞かせるような口調で言った。
「察するって……?」
「ボヴィーノで内部抗争が起こった時、ツナは自分が何も出来なかった事を悔やんでいるんだ」
「何言ってるんだよ!」
 リボーンからは抑揚無く言葉が紡がれたが、それはランボにとってますます納得いかないものだった。
「ボンゴレが何もしてくれなかった筈なんて無いだろ?! 実際に一番大事な時に助けてくれたのはボンゴレだったし、それが無かったらボヴィーノは全滅してたんだから!」
 そう、あのアルマンドへの奇襲作戦の時、ボンゴレの介入が一秒でも遅かったらランボは死んでいた。否、ランボだけでなくドン・ボヴィーノや仲間達、果てはボヴィーノファミリーという組織自体が壊滅していた事は想像に難しくないのだ。
 それを救ってくれただけで充分なのに、これ以上の待遇を受けるなんて欲張りになってしまうとランボは思ってしまう。
「とにかく、これ以上の待遇は申し訳ないよ。ボンゴレに迷惑掛けられない」
 ランボは頑なにボンゴレの申し出を拒んだ。
 最終的な判断は上層部で行なうもので、構成員程度の立場であるランボが拒んでも意味は無いのだが、それでも自分の意思は拒否である事を伝えた。
 しかしそんなランボに、リボーンは「面倒なヤツだ」と内心で嘆息する。
 リボーンとしてもランボの気持ちは分からないでもなかったが、今回の件は例え過ぎた優遇だとしても受けるべきだと思っていたのだ。
 それがボヴィーノの為にもランボの為にもなるのだから尚更である。
 そして何より。
「……なら言い方を替えるぞ。ツナはお前が傷付いていたのを見抜けなかった、それを悔やんでいる」
 何より、リボーンの立場からすれば綱吉の悔やんでいる気持ちの方が理解出来てしまう。
「お前が一番辛い時に助けてやれなかった、それを悔やんでいる。理由はそれだけだ」
 リボーンは淡々とした口調で綱吉の真意を口にした。
 そう、綱吉が行なう優遇の理由は此処にあった。
 あの内部抗争でランボがどんな目に遭ってきたか、綱吉はもちろんリボーンも知っているのである。
 知っているからこそ、悔やむ気持ちが大きいのだ。
「ツナが動くのはボヴィーノファミリーが好きだという理由もあるが、それ以上にアホ牛がボヴィーノにいるからだ。今回の待遇に難癖つける連中はツナが黙らせる。だから、ツナの思うようにさせてやれ」
 甘えてやれ、とリボーンは言外にそう言った。
 綱吉にとってランボは何時までも手の掛かる弟のような存在なのだ。だから、綱吉を慕うなら兄のように甘えてやれ、とリボーンはランボに諭す。
 その綱吉の思いに、ランボは泣いてしまいそうになった。
 綱吉から無条件に注がれるそれは、優しく穏やかな慈愛だったのだ。
 ここに利害は無く、あるのは綱吉からの思いだけである。
 裏表の無いそれは、今のランボにとって酷く甘いものだった。
「……甘いね」
「ああ、ツナはお前に甘過ぎる」
「ほんとに、……ボンゴレは甘いよ」
 ランボは甘いと言葉を繰り返しながらも、その声色は微かに震えていた。
 そして伏せた目元には涙が溜まっており、唇は固く引き結んでいる。
 それはまるで泣くのを耐えるような表情だった。
 しかし、泣くといっても悲しくて泣きたいのではない。
 嬉しくて嬉しくて、温かな気持ちが溢れてくるように、涙が溢れそうになってしまうのだ。
「……分かった。オレはボンゴレに甘えるよ」
 ランボが涙に濡れた声色でそう言えば、リボーンは「そうしておけ」とそれだけを返した。
 こうしたリボーンの返事は素っ気無いものだったが、不意に、今まで大通りを走っていたリボーンが脇道へとハンドルを切った。
「リボーン、道が違うよ?」
 突然大通りを出てしまい、ランボは驚いたように目を瞬いた。
 病院へは大通りを真っ直ぐ進んだ方が早いのだ。いくら交通渋滞に巻き込まれたとはいえ、遠回りになる脇道では返って遅くなってしまう。
 それをリボーンが知らない筈はないのだが、突然道を変えてしまったリボーンにランボは焦ってしまう。
 だが、リボーンは脇道の端に車を停車させると、助手席のランボを振り返った。
「どうしたの? 何かあった?」
 ランボの方は車窓から外をきょろきょろと見回し、リボーンを訝しげに見つめ返す。
 脇道に入ったと思ったら車まで停車され、何かあったのかと心配になったのだ。
 しかし、ランボの心配は杞憂のものだった。
 リボーンは「何もねぇぞ」とランボの心配を無用のものとすると、助手席のランボにすっと手を伸ばしたのだ。
 リボーンの手がランボの頬に触れ、その感触にランボは目を細める。
 リボーンの手はある種の誘いを促すもので、それを察したランボは安堵と嬉しさに微かな笑みを浮かべた。
「どうしたんだよ、いきなり」
「黙ってろ」
 リボーンはそう言うと、ランボに覆い被さるように身を屈めて触れるだけの口付けを落とす。
 ランボは自分の間近に迫るリボーンを見つめたまま、その口付けを黙って受けた。
「……こんな所でしなくてもいいのに」
 ランボはリボーンを見つめたまま、困ったように言いながらも小さく笑った。
 リボーンの口付けは嬉しいが照れてしまう。
 こうして口付けを交わすと、リボーンの恋人になれたのだと改めて意識してしまう。
 一時は諦める決意までしていた事を思うと、今のこの関係が嬉しくて仕方がない。
 だが、照れるランボを余所に、リボーンの方は微かな苛立ち漂わせて目を細めた。
 不機嫌な様子のリボーンに気付いたランボは、「どうかしたの?」とリボーンの顔を覗き込む。
 そうやってリボーンの顔を覗くランボは不審気な顔をしているが、先ほど少しだけ泣いてしまった所為で目元が赤くなってしまっている。
 先ほどのランボの涙は悲しみのものではなく、喜びから齎された感激のものだが、それを改めて目にしたリボーンは苛立ちを増されてしまった。
 何故なら、それは綱吉によって齎されたものなのだから。
「おい」
「……なに?」
 不機嫌さを纏うリボーンに、ランボは躊躇いつつも返事を返す。
 しかしそんなランボを見据えたまま、リボーンはゆっくりと言葉を紡いだ。
「ツナがお前を手助けする事は勝手だが、お前が縋る相手は俺だ。それを忘れるな」
 リボーンは苛立った口調ながらも、はっきりとそう言った。
 その言葉に、ランボはリボーンを見つめたまま大きく目を見開く。
 そして、あの内部抗争の中でリボーンから紡がれた言葉を思い出した。


『俺に縋れ。助けろと、俺に頼め』


 リボーンは、抗争の混乱の中でランボが絶望の淵に落ちた時、そう言ってくれた。
 それはリボーンの想いを何よりも雄弁に告げたもので、ランボはそれに救われた。
 何度も諦め、最後は拒絶したというのに、そんなランボの全てをリボーンは救ってくれたのだ。
 それをランボが忘れる筈がない。
「リボーン……」
 ランボはリボーンの背中に両手を回し、触れる感触を確認するようにぎゅっとしがみつく。
「忘れないよ。忘れる訳ないだろ?」
 ランボが笑みを含んだ声色で答えれば、リボーンの両腕もランボの身体を抱き締めた。
 抱き締められたランボがリボーンを見つめれば、リボーンの唇がゆっくりと寄せられる。
 口付けの合図にランボは小さな笑みを浮かべ、リボーンを見つめたまま口付けが落とされるのを待った。
 最初は触れるだけの口付け。
 そして角度を変えて、何度も優しい口付けが落とされる。
 ランボは幾度も繰り返される口付けが嬉しくて、リボーンを見つめたままそれを楽しんだ。
 車内は軽い口付けの音と、それに伴って濃密な空気に満たされる。
 このまま口付けが深く重なっていきそうな雰囲気に、ランボもそれを心待ちにしてしまう。
 リボーンとは口付けだけでなく身体まで重ねている関係だが、やはり相手がリボーンだと思うとそれだけで緊張するのだ。
 だが、こうして触れるだけの口付けが繰り返された後、リボーンは呆れたような溜息とともにランボから離れた。
「あれ、リボーン……?」
 口付けが中断されてしまい、ランボは不思議そうにリボーンを見た。
 ランボはてっきり触れるだけの口付けでは終わらないと思っていたのだ。
 それが中断されてしまい、ランボは「どうしたの?」と疑問を浮かべる。
「お前、それは癖なのか?」
 しかしランボの疑問に対してリボーンから返ってきたのは、訳が分からぬ質問だった。
「……癖って、何のこと?」
「気付いてねぇのか、キスの時くらい目を閉じたらどうだ」
「あっ、そういえば」
 ずっと見つめてたかも、とランボは申し訳なさそうに苦笑した。
 目を開けたまま口付け出来ない訳ではないが、先ほどの口付けはあまりにも見つめ過ぎてしまった。
 見つめるのは良いのだが、度を越せば無粋なだけなのである。
「ごめん。癖って事はないと思うんだけど……。おかしいな、何で目を閉じなかったんだろ……」
 ランボは口付けの最中に目を開ける事はあるが、それでも基本的に閉じる事が多いのである。そんなランボは相手を凝視したまま口付けを交わす趣味はない。
 今までだって、口付けの最中は目を閉じていた事が多かった筈だ。
 それなのに今、何故か目を閉じる事が出来なかった。
 リボーンの姿を見つめたまま、リボーンである事を確認したままで口付けを受けていたのである。
 口付けでは無意識に目を閉じるものだが、その無意識が働かずにいた。そう、無意識的に目を閉じる事が出来なかったのだ。
 これは些細な事かもしれないが、ランボの中で何かに引っ掛かる。
 こんな小さな引っ掛かりなど無視してしまいたいのに、無視をするにはあまりに奇妙な感覚が大き過ぎた。
 この引っ掛かりは、自身を苛むような嫌な感覚を呼び起こすもののように思えたのだ。
 ランボは嫌な感覚を覚えて表情を曇らすが、それを遮るようにリボーンが「仕方ねぇな」と息を吐く。
「別に開けてても構わねぇが、凝視は止めろ。色気が無さ過ぎるぞ」
「ごめん……。気を付けるよ」
 申し訳なさそうに言ったランボに、リボーンから唇が寄せられる。
 ランボは目を閉じる前にリボーンをじっと見つめ、口付けの相手がリボーンである事を確かめてから静かに目を閉じたのだった。






                                   同人誌に続く




そんな訳で、この後もいろいろあります。





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