雨花の咲く中で




 頭上からポツポツと水滴が降ってきたかと思うと、それは直ぐに滝のような雨に変わった。
「わっ、降り出してきた……っ」
 ランボは突然の雨に慌てると、両手で抱えた紙袋を濡れないように懐に抱いて大通りを駆け出した。
 今まで大通りを行き交っていた人達も突然の雨に慌て、駆け足で大通りを駆けている。
 ランボは擦れ違う人達とぶつからぬように気を付けながら走っていたが、雨は勢いを増すばかりで止みそうも無く、そのまま雑貨店の軒先に駆け込んだ。
 雨宿り先として選んだ雑貨店の軒先は狭かったが、ランボ一人が雨宿りするには充分である。
 ランボは雨から庇っていた紙袋を確認し、中身が無事である事に安堵した。
 紙袋は少し濡れてしまっているが、袋としての機能を失っていないので一安心である。
 ランボが大事に持っていた紙袋の中には、二人分の夕食の材料が入っていた。ランボは夕食の材料を買いに行った帰りに急な雨に降られてしまったのだ。
 ランボはハンカチで自分の肩や頭を軽く拭くと、軒先から雨の街を眺める。
 夕暮れにはまだ早い時刻なのだが、空を灰色の雨雲が覆う所為で街は少し薄暗い。
 街を行き交う人々は急ぎ足でランボの前を通り過ぎ、傘を差している人も突然の雨に憂鬱気な顔をしている。
「どうしよう、早く帰りたいのに……」
 両手にかかる荷物の重みに、ランボはぽつりと呟いた。
 ランボは自宅アパートに置いてきた牛柄の傘を恋しく思う。出掛ける時の空は快晴で、雨が降るなど予想も出来なかったのだ。
 普段のランボなら、突然雨に降られてものんびり雨宿りしていようと思えるのだが、今日は早く帰りたいという気持ちの方が勝る。
 それというのも今晩はリボーンがランボのアパートを訪れるのだ。
 リボーンとの関係が愛人から恋人というものに変化して一ヶ月が過ぎ、その間にランボはボンゴレ屋敷にあるリボーンの私室に、リボーンはランボのアパートにと互いの部屋を頻繁に行き来していたのだ。
 そして今日はリボーンがランボのアパートを訪れる約束になっていた。
 リボーンは仕事が終わってからランボの部屋に来て、夕食を一緒に食べてそのまま泊まっていくのである。
 それは愛人関係の時では想像も出来なかった事である。
 愛人関係の時は連絡すらも一方的なもので、リボーンからランボの所へ来てくれるなどほとんど無かったのだ。
 そう、そこにランボの意思が挟まる余地はなかった。ランボはリボーンを取り巻く愛人の一人でしかなく、それ以上でも以下でもない存在だったのだ。
 その時の辛さを思うと、恋人関係になれた事はランボにとって奇跡のような事だった。
 互いの部屋を行き交う事は恋人同士なら些細な事かもしれないが、その些細な事すら嬉しいのだ。
 今晩リボーンが来る事を楽しみにしているランボは、早く帰って夕食の準備に取り掛かりたい。
 だが雨雲はますます濃くなるばかりで、雨の勢いは増すばかりだ。きっと夜まで雨が止むことはないだろう。
 ランボは少し困ったように思案するが、決心したように自分のアパートがある方角を見据える。
 アパートまでの距離は約一キロメートル。途中で雨宿りを繰り返しながら走れば三十分くらいで着けるだろう。
 きっと全身ずぶ濡れになってしまうだろうが、リボーンが訪れるまでに夕食の準備が出来ていない方が嫌だ。
 自分が濡れる事とリボーンとの食事を天秤に掛ければ、迷う事無くリボーンとの食事の方が大事に決まっている。
 ランボは決心すると、普段から愛用している上着を脱いで食材が入った紙袋に上から被せた。これで牛柄シャツ一枚になった自分は間違いなく無残な濡れ方をするだろうが、食材が台無しになるよりマシだ。
 ランボはこうして少しでも食材を守ると、ずぶ濡れになる覚悟で軒先を飛び出そうとした。その寸前。


「おい、そんな所で何してる」


 ランボが一歩を踏み出す前に、背後から聞きなれた声が掛けられた。
 その声にランボが振り向くと、そこには黒い傘を差したリボーンが立っていた。
「リボーン」
 思わぬ人物と出会い、ランボは驚いたように目を見開く。
 この時間ならリボーンはまだ仕事中の筈なのだ。
 それなのに、こんな所で会うなんて想像もしていなかった。
「どうしてリボーンが……。仕事は?」
 驚きを隠し切れなかったランボだったが、リボーンは気にせずに「早く終わった」と普段通りの様子で答える。
「それより、お前はこんな所で」
 何してるんだ? と続く筈だったリボーンの言葉は、呆れたような溜息に変わった。
 今のランボは誰が見ても一目瞭然の状態なのだ。
「雨宿りか」
「そう。急に降ってくるから、傘持ってなくてさ」
 ランボがそう答えると、リボーンはランボが両手に抱えている荷物に視線を移す。
 そこにはランボの上着が被されており、それを不思議に思ったリボーンは「それは?」と視線で問うた。
「ああ、これは夕飯の材料だよ。濡らしたくないから」
 ランボはそう答えると、被せていた上着を少し捲って紙袋の中身を見せる。
 答えたランボは「材料が無事で良かった」と小さく笑うが、リボーンは更に呆れたような溜息を吐いた。
「バカな奴だ」
「バカって何だよ」
「そのままの意味だ」
 リボーンは素っ気無い口調で答えたが、紙袋に被せてあった上着を取ると、それをランボの肩に掛ける。
「リボーン……?」
 せっかく濡れないようにしていたのに上着を戻されてしまい、ランボはきょとんとした様子でリボーンを見た。
 そんなランボに、リボーンは自分が差していた傘を少し持ち上げる。
「一緒に入っていけばいいだろう。俺も今からお前の所に行くつもりだったんだ」
 リボーンの申し出に、ランボは驚いた表情になる。
 ランボは、自分に向けて僅かに差し出された傘と、それを向けるリボーンを交互に見つめ、信じられない思いで一杯になった。
 驚くのと同時に、何だかくすぐったくなるような気持ちが込み上げる。
 それはとても甘いもので、リボーンと恋人関係になってから一ヶ月が経過しているが、ランボは今でも照れてしまう。
「いいの?」
「……嫌なのか?」
「嫌じゃないよっ」
 ランボは勢い良く答えると、満面の笑みを浮かべた。
 そして、少しドキドキしながらリボーンが差している傘に入る。
 リボーンは一緒の傘に入ってきたランボに目を細めると、「行くぞ」とランボを促して歩き出した。
 こうしてリボーンと一緒に歩き出したランボは、雨で足元が濡れているというのに、今にもスキップしてしまいそうなほど足取りが軽い。
 両手で抱えている夕食の材料はずっしりと重いのに、リボーンと自分の食材だと思うと羽のように軽く感じた。
 そんな筈はないと分かっているのに、自分の浮かれた気持ちにランボは笑ってしまいそうになる。
 嬉しさで一杯のランボは、並んで歩いているリボーンを横目でちらりと見た。
 こんな雨の日は、リボーンと恋人になれた日の事を思いだす。
 恋人になれた日も、こんな雨の日だったのだ。
 リボーンの前から逃げ出し、雨に打たれていた自分をリボーンが迎えに来てくれた。
 その時のリボーンの面差しも言葉も、そして自分自身の気持ちも鮮明に覚えている。あの時の事は、これから先も忘れることはないだろう。
 こうしてランボはリボーンの整った横顔を見ていたが、そんなランボの視線にリボーンが気付く。
「こっち見んな。ウゼェぞ」
「ウザイって言うな」
 ランボの視線に対し、リボーンの返事は素っ気無いものだった。
 その素っ気無さは本当に恋人か? と疑ってしまいそうなものだが、それに対してランボが不安になる事はない。
 だって素っ気無い態度とは裏腹に、リボーンがランボに向ける眼差しは柔らかなものだったのだ。
 そうしたリボーンの想いにランボは心地良い気分になり、リボーンと歩調を一緒にしながら歩ける喜びに浸ったのだった。





 アパートに到着すると、ランボはリボーンを先にバスルームに向かわせた。
 自分も少し濡れてしまっていたが、雨宿り先にリボーンが来てくれたのでずぶ濡れを免れていたのである。
 それならば、リボーンがシャワーを浴びている間に夕食の準備をしてしまいたい。
 だが夕飯の準備をする前に、ランボはリボーンの着替えとバスタオルを持って洗面所に向かった。
 二人の関係が変わって以来リボーンがランボのアパートで過ごす時間が多くなり、いつの間にかリボーンの着替えや生活用品が増え、今では此処から出勤しても差し障り無い状態になっているのだ。
 もちろんボンゴレ屋敷にあるリボーンの部屋にもランボの持ち物が増えており、ランボもボンゴレ屋敷から出勤する事があるくらいである。
 ランボは洗面所に入ると、バスルームでシャワーを浴びているリボーンに扉越しに声を掛ける。
「リボーン、着替えとバスタオルは此処に置いておくから」
「ああ。ついでに明日のスーツも用意しておけ」
「分かった」
 扉越しにリボーンの返事が返ってくる。
 シャワーの音とともに聞こえたそれは、今夜は泊まっていくというもので、ランボは上機嫌に着替えとタオルを棚の上に置いた。
 そして着替えを置いた替わりに、棚の上に脱ぎ捨てられたままのシャツを手に取る。
「リボーン、シャツは洗濯しとくね。スーツは後でクリーニングに出しとくから」
 ランボはそう言うと今日着ていたシャツを洗濯機に入れ、スーツは取り敢えず干しておこうと手に取った。
 シャツはともかく、スーツを洗濯機に放り込む訳にはいかないのだ。
 だがリボーンのスーツの上着を手にした時、スーツが雨で濡れていた事に気が付いた。
 ランボはそれに「あれ?」と首を傾げる。
 一つの傘を二人で使用したとはいえ、濡れている箇所は不自然な程ずぶ濡れだったのだ。
 しかも濡れているのは片側だけで、もう片方はまったく濡れていない。
 ランボはそれを不思議に思ったが、直ぐに原因が分かった。
 スーツが濡れている片側は、ランボが並んで歩いていた反対側だったのだ。
 そこが濡れている原因はたった一つ。
 そう、傘を持っていたリボーンは傘の大部分をランボに差していたという事である。
 ランボはほとんど濡れる事がなかったのだから、反対側が濡れるのは当然だ。
 その事に気付いたランボは、何ともいえない気持ちが込み上げた。
 リボーンの何気ない優しさが嬉しい。
 リボーンの優しさは言葉や物など形にされるものではないが、この形無い優しさが堪らなく嬉しい。
「リボーン、ちゃんと温まってる?」
 濡れたスーツを手にしたランボが扉越しにリボーンに声を掛ければ、リボーンは「急に何だ」と疑問を浮かべている。
 ランボはそれに小さく笑い、言葉を続けるのだ。
「今日は一緒に帰ってくれて有り難う」
 そう言ったランボの声色には喜色が滲んでおり、ランボは嬉しさを隠さない。
 本当に今の自分は幸福だと思うのだ。
 ランボは「夕飯は温かいものにしよう」と決めると、洗面所を出てキッチンに向かったのだった。





 今晩のメニューは手作りクリームソースが自慢のフィットチーネとサラダ、そして野菜と肉がたっぷり入った温かいスープだ。
 スープで煮込んだ野菜は今日の買い物で買った食材で、ランボはこれでリボーンに身体を温めて欲しい。
 リボーンが無言で示してくれた優しさに、ランボもお返ししたいのだ。
「今日は野菜を多めに使ったんだ。ボリュームたっぷりだよ」
 美味しい? とランボが訊けば、リボーンは「まあまあだな」とだけ返す。
 返事は一言だけだったが、ランボは満足そうに頷く。
 リボーンは滅多にランボを褒める事がない為、この「まあまあだな」という一言は美味しいという意味だと分かるのだ。
 こうして二人はリビングのテーブルで食事を進め、今夜のメニューに相性の良い赤ワインも開ける。
 ランボはワインに詳しい方ではないが、こういったアルコール類はリボーンが持ち込んでいるのだ。
「あ、このワイン美味しいね」
 ランボはリボーンが持参してくれたワインを一口含むと、感心したように感想を漏らした。
 ランボはワインなどに詳しくないが、嫌いではないのだ。今のように二人で食事をする時はリボーンに付き合って飲んでいる。
 それに詳しくないといっても、それはランボの年齢を考えると当然の事だろう。
「これは、一週間前の仕事でフランスに行った時に買ってきたやつだ。俺には甘味が強すぎるが、アホ牛の舌には丁度良いだろう」
 フランス原産だというワインは、リボーンの言う通り口当たりが良いもので、初心者のランボにも飲みやすいものだった。
 油断すると仄かな甘味に誘われて、たくさん飲んでしまいそうである。
 ランボは今まで本格的な泥酔などした事がないが、リボーンが選んだワインで酔うというのも悪くない。
 しかもこのワインは、リボーン好みの銘柄や味ではなく、ランボ好みのものなのだ。
 それは仕事先でもランボの事を考えてくれたという事であり、ランボはそれが嬉しい。
「仕事先で買ってきたって事は、これってお土産?」
 自惚れかな? と思いつつも、それに気付いたランボは訊いていた。
 自惚れかもしれないし、リボーンは答えてくれないかもしれないが、リボーンがランボの為に選んでくれたという事に変わりはないのだ。
 ランボはワクワクした表情でリボーンの返事を待つ。
 そんなランボをリボーンは苦々しい表情で見たが、期待に満ちたランボの瞳に居心地悪そうに目を逸らす。
「……まあな。感謝しろ」
「うん、有り難う! オレ、このワイン大好きになりそう!」
 ランボはリボーンの答えに表情を輝かせ、ワイングラスの中で揺れる濃厚な赤色に目を細めた。
 こうして二人は食事と良質なワインを堪能しながら、他愛ない世間話を交わす。
 会話を交わすといってもランボが一方的に日常の出来事などを話すだけなのだが、リボーンは相槌を打ちながら聞いていてくれるのだ。
 しばらくして二人は食事を終えると、リボーンはリビングのソファに移り、ランボはテーブルの食器を片付けようとする。
 しかし食器を片付ける前に、リビングで寛ぐリボーンにエスプレッソを淹れた。
 自分が片付けをしている間、リボーンがソファで新聞を読むのは習慣になっているのだ。
「リボーン、飲むでしょ?」
 そう言ってランボはテーブルにエスプレッソを置くと、「片付けしてくる」とキッチンに戻ろうとする。
 だがキッチンに向かうランボを、リボーンが「ちょっと待て」と呼び止めた。
「どうしたの?」
「急な仕事を頼まれて、此処にはしばらく来れない」
 リボーンの突然の言葉に、ランボは少し驚いた表情になった。
 ボンゴレ幹部であり一流ヒットマンであるリボーンが多忙な事は分かっているが、突然言われたそれにランボはやっぱり驚いてしまう。
 仕事だと分かっていても、寂しさを感じてしまうのだ。
 しかしランボもマフィア組織に所属する人間である。だからリボーンの仕事の重要性も、我侭は言えない事も分かっていた。
「そうか、仕事なら仕方ないね……」
 ランボは納得したように頷いた。
 こればかりは仕方ないのだ。
「しばらく来れないって事は、長期出張とか?」
「いや、出張じゃない。仕事場は変わんねぇぞ。だが暫く立て込みそうで、此処までくる時間を作れねぇだけだ」
「そうなんだ」
 出張では無いという事に、ランボは内心で安堵した。
 何故なら、確かに会う時間は削られるかもしれないが、出張でないなら完全な不在ではないという意味なのだ。
 リボーンがアパートに訪ねてこなくなるのは寂しいが、イタリアを離れる訳ではないのなら遠い距離を感じる事もない。
「どれくらい掛かりそうなの?」
「一ヶ月くらいだな」
「一ヶ月か……」
 微妙な期間である。
 一ヶ月の出張というなら寂しさを感じるが、一ヶ月の多忙となると微妙な寂しさだ。
 だって会えない訳ではない。だから寂しいと思ってしまうのは、あまりにも情けなすぎる。
 そんなランボの思いが表情にまで出ていたのか、ランボを見ていたリボーンは口元に薄い笑みを刻む。
「一ヶ月だ。我慢できるか?」
「……当たり前だよ。それに、会えない訳じゃないし」
 リボーンにからかわれ、ランボはムッとした表情で答えていた。
 しばらくランボは拗ねていたが、不意に「そうだっ」とある事を思いついた。
「ねぇ、これってリボーンがオレの部屋に来れないって事だよね。それなら、その仕事の間はオレがリボーンの部屋に行くよ」
 ランボのこの提案は単純なものである。
 恋人関係になってから互いが部屋を行き来するようになっていたが、この期間だけはランボが一方的に通うというものだ。
 ランボは名案だと自分の提案に表情を輝かせるが、リボーンの方は僅かに眉を顰めている。
 それを目にしたランボは一瞬にして不安気な表情になった。
「ごめん。やっぱり止めておいた方がいい?」
 軽率だったかも……とランボは自分の提案を反省した。
 そう、簡単な気持ちでランボは提案してみたが、よくよく考えればリボーンが取扱う仕事はSランクのものばかりなのだ。
 仕事の難易度が高ければ高いほど重要機密の取扱いも厳重になるのである。例えリボーンの私室とはいえ、仕事期間中のリボーンの部屋へ行こうとする事は軽率だったかもしれない。
「止めておいた方がいいなら控えるけど……」
「いや、好きにしろ」
 残念そうな面持ちで言ったランボに、リボーンの返事はあっさりしたものだった。
 しかも、その返事はランボにとって予想外のものである。
 リボーンは難色を示しているようだったので、てっきり断られるかと思っていたのだ。
「え……。い、いいの?」
「ああ、俺の部屋に見られて困るものなんてねぇぞ。勝手に入ってろ」
 リボーンはニヤリと笑ってそう言うと、「だが、俺が部屋に戻らない日があっても文句言うなよ?」と意地悪に言葉を続けた。
 こうして了承してくれたリボーンに、ランボの沈んでいた気分が一気に浮上する。
 一時は長期出張なのかと思ったのだ。それに比べれば、今回はランボが一方的に通う事になるだけで普段と変わりない事だった。
「分かってる、文句なんか言う訳ないだろ? それより、リボーンが仕事でヘマしないように祈っててやるよ」
 安心したランボはイタズラっぽく笑うと、「片付けしてくる」と夕食の片付けに戻るのだった。







 翌日。
 ランボはボンゴレ屋敷にある綱吉の執務室を訪れていた。
「ボンゴレ、これがボスから届けるように言われていた物です」
 ランボはそう言って書類が入った茶封筒を綱吉に手渡した。
 受け取った綱吉は中身を確認し、不備が無い事を確かめるとニコリと笑う。
「ご苦労様。ドン・ボヴィーノには、オレも後から連絡を入れておくよ」
「はい、お願いします」
 ランボがボンゴレ屋敷を訪れた理由はドン・ボヴィーノに頼まれた書類を届けるというものであった。
 役目を終えたランボはそのまま執務室を出て行こうとするが、そんなランボを綱吉が呼び止める。
「ランボ、今から少し時間ある? ランボに見せたい物があるんだ」
「はい、大丈夫です。ボンゴレに書類を届ければ、今日はもう終わりなので。でも、見せたいものって……」
 ランボは不思議そうに首を傾げながら答えた。
「それは良かった。それなら今からオレとお茶でもしようよ。オレの休憩に付き合って」
 しかし疑問を浮かべたままのランボに、綱吉はニコリと笑ってそう言うだけだった。
 そんな綱吉の笑顔と誘いにランボも表情を和らげる。
 これは綱吉からのティータイムへのお誘いなのだ。
「是非ご一緒させてください」
 ランボは迷わずに即答していた。
 ランボがボンゴレで綱吉とティータイムを楽しむ事は珍しい事ではなく、それは習慣化しているといっても過言ではないのだ。
 綱吉が見せたい物というのも気になるが、綱吉とティータイムが出来る事が嬉しい。
「それじゃあちょっと待っててよ。直ぐに準備するから」
 綱吉はそう言うと、ニコニコしながら執務室から出て行った。
 残されたランボは執務室のソファに腰掛け、綱吉に言われた通り待つことにする。
 こうして待っていると、少ししてから綱吉が戻ってきた。
 だが戻ってきた綱吉に、ランボは驚きに目を見開く。
 戻ってきた綱吉はティーセット一式を乗せたワゴンを引いていたのだ。
「ボ、ボンゴレがどうしてそれを……っ。オレがしますから!」
 まさか綱吉が自分でティーセットの準備をしていたとは思わず、ランボは慌てて駆け寄ろうとする。
 本当ならティータイムの準備は屋敷に仕える使用人の仕事なのだ。それなのに屋敷の主人である綱吉が自分で準備してきたとは思わなかった。
 ランボは慌てて綱吉からワゴンを奪おうとするが、綱吉はそれを笑顔で阻止する。
「いいのいいの、今日は特別だよ。ランボは座ってて」
 綱吉は明るい笑顔でそう言うと、テーブルの上に紅茶やケーキ皿など食器を並べだした。
 そんな様子をランボは恐縮したまま見ていたが、綱吉は構わずに準備を進め、最後にケーキが入った白い箱をテーブルの真ん中に置いた。
 本日のティータイムのメインはケーキなのだろう。
「ランボに見せたいものはね、実は今日準備したケーキなんだよ」
「ケーキ……ですか?」
 ケーキを見せたかったと言われ、ランボは思わずきょとんとしてしまった。
 綱吉がティータイムの準備をしてしまった事に恐縮していたが、見せたかった物がケーキだったという事には呆気に取られてしまった。
 しかし綱吉は気にした様子もなく、ニコニコした表情のままランボを見ている。
「そう、ケーキだよ。まあ、正しくはタルトなんだけど」
「……タルト」
 綱吉がわざわざ『見せたいもの』とまで称して用意したのだから、このタルトが普段用意される物ではない事は分かる。
 綱吉がこれ程までするタルトとはいったい何なのか……、ランボはゴクリと息を飲んでテーブルに置かれたケーキ箱を凝視した。
「さあランボ、この箱を開けてみてよ。ランボの為に用意したんだから」
「オレの為ですか?」
「そう、絶対に喜ぶから!」
 自信満々に言い切った綱吉に、ランボは恐る恐るケーキ箱に手を伸ばす。
 喜ぶと断言される程のものなのだから、これはランボにとって良い物なのだろう。
 ランボはドキドキしながら箱の側面に両手を添え、ゆっくりと持ち上げる。
 そして中のタルトを目にした瞬間、大きく息を飲んだ。
「こ、こここのタルトは……っ」
 ランボはゴクリと息を飲み、現われたブルーベリータルトを凝視する。
 それは一見普通のタルトだが、ランボにとって普通のタルトではなかったのだ。
 このタルトはランボが出張で地方へ行った時に食べたタルトだった。しかも地方では有名なケーキ店だったようで、ランボは食べる時にも五時間ほど並んだくらいなのである。特に一番人気のブルーベリータルトは品切れしてしまう事も多く、通販の取り寄せも出来ないそれは、まさに隠れた名品という名が相応しいだろう。
 出張で食べた時以来、ランボがこのタルトに巡り会える機会は訪れなかったが、一度だけ食べたそれをランボは今でも忘れられない。
 本当に美味しくて、舌が蕩けそうと本気で思った程だったのだ。
 きっともう食べる事は叶わないと思っていたのに、こうして忘れられないブルーベリータルトが目の前にある事が信じられない。
「ボンゴレ、どうしてこれを……!」
 ランボはキラキラと瞳を輝かせ、感激した様子で綱吉に詰め寄った。
 そんなランボに綱吉は冗談っぽく「教えて欲しい?」と勿体振るが、ランボの方は真剣に大きく頷く。
「はい、教えてください! だってこれは店に行かないと食べれない筈だし、店に行っても売切れてしまう事もあるし、そう滅多に食べられるものじゃないんですよ?!」
 些か興奮したようにランボは詰め寄った。
 ランボは年齢の割りには甘いものが好きで、ケーキの味などは少し煩いくらいなのである。しかしそんなランボでさえ、このブルーベリータルトは絶品だと賞賛できる一品なのだ。
 あまりに真剣になるランボに、綱吉は苦笑混じりに「分かったよ」と観念した。
「実はね、これはリボーンが用意してくれた物なんだよ」
「え、リボーンが?」
 意外な名前を出され、ランボは大きく目を瞬いた。
 まさかここでリボーンの名前が出るとは思わなかったのだ。
 しかもその内容は意外過ぎるもので、ランボは驚きが隠し切れない。
 リボーンは甘い物が苦手なので、ランボはリボーンにケーキの話などあまりしないのだ。
「どうしてリボーンが……」
 不思議に思ったランボはぽつりと漏らすが、それに綱吉はニコリと笑う。
「ランボ、リボーンに此処のタルトの話しをした事があるんじゃないの?」
「いえ、リボーンには」
 した事がないと続けようとしたが、ランボは数日前の事を思い出した。
 数日前リボーンの部屋で雑誌を読んでいた時に、特集記事で此処のタルトの事が掲載されていたのである。それを目にしたランボは、何気なく「ここのタルトが美味しいんだ」とリボーンに話した事があったのだ。
 その時のリボーンには「そうか」とだけの素っ気無い返事を返され、話しは次の話題へと流れていったのである。
 そう、それは会話の中で一言だけ交わした話題だったのだ。
 それなのに、リボーンはそれを覚えており、わざわざ用意してくれたのだという。
「し、信じられない……っ」
 ランボは信じられない思いでリボーンが用意したというタルトを凝視した。
 そんなランボに綱吉もうんうんと頷いて「信じられないよね」と同意する。
「しかもね、リボーンが自分は甘い物が苦手だからランボに付き合ってやれ、ってオレに渡したんだよ」
 リボーンが自分は付き合えないから綱吉が付き合え、とわざわざ一緒に食べる相手まで用意したのだ。
「大事にされてるね。リボーンって本命は甘やかすタイプだったんだね、知らなかった」
 綱吉はからかうような口調でそう言った。
 綱吉は、リボーンとランボが恋人同士なる前から二人の関係を知っている為、今の二人をからかいながらも幸せそうな様子が嬉しかったのだ。
 それを知っているランボも、照れたように頬をかく。
 そう、リボーンに大事にされ、甘やかされているという自覚がランボもあったのだ。
 リボーンは愛人を含めて自分と性的関係にある者達を大切にするが、それは割り切ったものだった。
 しかし恋人であるランボに対しては、二人の関係を知っている綱吉が見ても驚くほど別格なのである。
 その別格の対応は目に見えた形で現わされる事は少ないが、こうした最上の形で現わされる事があった。
 これは愛人に対しては有り得ない事で、リボーンがランボにだけ向けるそれである。
 思い出すのは昨夜のワインだ。
 あのワインは明らかにランボ好みのもので、それはリボーンがランボの好みを意識し、ランボがいない時でもランボの事を想っているという現われである。
「さあランボ、せっかくリボーンが用意してくれたんだし早く食べようよ。オレも楽しみだったんだ」
「はい。それじゃあオレが切り分けますね」
 ランボはケーキナイフを手にすると、さっそくタルトを切り分ける。
 このブルーベリータルトが此処で食べられるなんて夢にも思わなかった。
 ランボはタルトを丁寧に切り分けるとケーキ皿に移し、綱吉と一緒に食べ始める。
 一口食べた瞬間、ランボは思わずうっとりとした表情になっていた。
 ブルーベリータルトは以前と変わらぬ美味しさで、舌に広がるクリームの甘さとブルーベリーの酸っぱさが見事な調和を奏でていた。
 ランボは初めてタルトを食べた時の感動を思い出すが、今のタルトは初めて食べた時よりも美味しく感じる。
 それは大好きな綱吉と一緒に食べているという事もあるが、リボーンがランボの為に用意してくれたという事が一番の理由だろう。
「美味しいです。やっぱりタルトは此処のが一番ですね」
「本当だね。オレは初めて食べたけど、ランボが気に入る気持ちが分かるよ」
 こうして二人はメインのタルトを中心に、他愛ない雑談をしながらティータイムを楽しみだす。
 二人はそうして時間を過ごしていたが、美味しいタルトに食が進み、あっという間にティータイムが終わってしまった。
「ご馳走様でした。有り難うございました」
「いや、こっちこそオレの休憩に付き合ってくれて有り難う。それに、リボーンの意外な面も知ることが出来たしね」
 そう言って綱吉はイタズラっぽく笑う。
 そんな綱吉にランボも小さく笑うと、「では、オレはそろそろ失礼します」と執務室を出る事にする。
 ランボは綱吉とティータイムを楽しむ仲だが、それは綱吉の休憩にお付き合いしているに過ぎないのである。執務室に長時間滞在する事で綱吉の仕事の邪魔をしたくなかった。
 だが、ソファから立ち上がったランボを綱吉が残念そうに声を掛ける。
「もう帰るの?」
「はい。これ以上はお仕事の邪魔になりますし、今日は家でのんびり過ごそうと思いますので」
 いつもなら夜はリボーンとの約束が入っているのだが、今日からリボーンに急な仕事が入ったのだ。昨夜それを聞いたランボは、今夜は会えないだろうと諦めている。
 ランボが一方的に行く事は許されているが、それでも昨日の今日でさっそく会いに行くなんて、何だか恥ずかしいと思ってしまう。
 しかしそんなランボに、綱吉は意外そうな顔をした。
「え、リボーンの部屋に行かないの?」
「はい、リボーンは仕事ですし、いつ帰ってくるか分かりませんから」
 それに今晩の約束はしていなかった為、リボーンの部屋に勝手に上がりこんでいるのは躊躇われる。リボーンは「勝手に入ってろ」と許してくれたが、幾ら恋人同士とはいえ、そんな図々しい真似は出来なかった。
 躊躇いを見せるランボであったが、そんなランボに綱吉は「なんで?」と不思議そうに言葉を続ける。
「それならリボーンの部屋で待ってればいいよ。リボーンから話は聞いてるし、勝手に入っててもいいから」
 オレが許可する、と綱吉はきっぱり言い切った。
「でも……」
 綱吉は他人事のようにきっぱり断言してしまったが、ランボは躊躇いが拭えない。
 こうしてランボは困ったように思案したが、綱吉は「知ってる?」と決定打になる言葉を続けるのだ。
「リボーンはランボを恋人にしてから、部屋に愛人とか一切入れてないんだよ。だから、ランボが部屋で待ってたら喜ぶと思うよ?」
 見事な決定打だった。
 綱吉の言葉に、揺れていたランボの気持ちが一瞬にして固まってしまう。
 昨日の今日で部屋に上がるのは恥ずかしいとか図々しいとか思っていたが、そんな事は何だかどうでもよくなってしまった。
「それだったら、リボーンの部屋で待たせてもらおうかな……」
 もらおうかな……と言いつつも、ランボはもう待つ気満々でいる。
 躊躇ってみたところで、ランボだってリボーンと毎日だって会いたいと思っているのだ。
「それじゃあオレ、リボーンの部屋にいますね」
「うん。夕飯は此処で食べればいいから、リボーンの部屋でのんびりしてるといいよ」
「はい。有り難うございます」
 ランボは照れた様子でそう言うと、笑顔の綱吉に見送られていそいそとリボーンの部屋に向かったのだった。





 ランボは執務室を出ると、屋敷内にあるリボーンの私室に向かう。
 リボーンの部屋の扉の前まで来ると、ランボは少し緊張した面持ちでそれを見つめた。
 初めてくる場所ではないが、普段はいつもリボーンがいたのだ。
 今はこの扉の向こうにリボーンはおらず、しかも約束を取り付けていない状態でリボーンの部屋に入るのである。
 しかも部屋に入る理由がリボーンを待つ為だなんて、何だかくすぐったい気分だ。
 ランボは少し緊張した面持ちになると、恐る恐る扉のノブに手を掛けた。
 そして誰もいないと分かっているのに、「お邪魔します」と律儀に声を掛けて扉を開ける。
 扉を開ければ、眼前に広がるのは主のいない部屋だった。
 広い部屋はがらんとしており、置かれているソファセットや雑貨が並べられている棚は整然としていた。
 主のいない部屋は少し寂しい雰囲気がするが、ランボは緊張したままリボーンの部屋に入っていく。
 だが部屋に入った途端、今まで感じていた緊張も無人である寂しさも、一瞬にして立ち消えてしまった。
 だって、この部屋にはランボの見慣れた日用品がたくさん置かれていたのだ。否、見慣れたではなく、ランボが自分で持ち込んだ私物である。
 そう、恋人関係になってリボーンの部屋を訪れる事が多くなった為、部屋に自分の私物が少しずつ多くなっていっていたのである。
 リボーンが一緒にいる時はリボーンに夢中で気付かないが、今のような不在時は、リボーンの生活空間に少しずつ入り込んでいたランボの痕跡が色濃く見えてくる。
 その事に改めて気付いたランボは、今までの緊張や躊躇いが嘘のようにリボーンの部屋に馴染んでいた。
 ランボはリボーンの部屋に入り、ソファに腰を下ろす。
 上質なソファの心地良い感触は、まるでランボが部屋にいる事を歓迎してくれているようで気分が良い。
 ランボは座り心地良いソファにのんびりとした気分になり、改めて室内を見回した。
 この部屋は整然と片付いているように見えるが、棚の中には食器や調度品に混じってランボ専用のコップが置かれている。クローゼットの中にはシャツやジャケット、果ては下着や靴下まで置いてある。他にも細々とした物がさり気無くリボーンの生活空間に混じっており、ランボは自分がリボーンの身近にいられている事を実感した。
 しかも綱吉の話では、ランボが恋人になってからリボーンは部屋に愛人達を入れていないというのだ。
 今、このリボーンの部屋に入れるのは自分だけだと思うと、ランボは嬉しさと優越感に気分が良かった。
 今にも鼻歌でも歌いだしそうなほど気分が浮上したランボは、座っている横長のソファにごろりと身を横たえる。
 リボーンの部屋で心からの安堵を覚えたランボは、何だかリラックスした気分になったのだ。
 眼前のテーブルを見れば、そこにはランボが以前持ち込んだ雑誌が置かれている。ランボは暇潰しにと雑誌を手に取り、パラパラと捲って読み始めた。
 こうして時間を過ごしていたランボだったが、心地良い空間と上質なソファの感触にうとうととし始め、いつの間にか瞼が下りていたのだった。







 ゆらゆらと揺れるような感覚を受け、ランボの落ちていた意識がゆっくりと浮上する。
「……ん……ぅ」
 意識が浮上するままに重い瞼を薄っすらと開ければ、視界にぼんやりと黒い人影が映った。
 その黒い人影はランボを抱き上げており、ランボの身体は力強い両腕に包まれている。
「……リボー……ン……」
 ランボは掠れた声でリボーンの名前を口にした。
 そう、黒い人影はランボがずっと待っていた人のものだったのだ。
 リボーンを目にしたランボは意識を戻そうと重い瞼を擦る。だが。
「起きなくていい。そのまま寝てろ」
 だが意識を覚醒させる前に、低い声が耳に届いた。
 その声は甘く心地良いもので、ランボの意識がぼんやりとしてしまう。
 それは逆らい難いほどの心地良さと温かさで、ランボは全身から力が抜けたような感覚を覚える。
 こうしてランボは、自分を抱き上げるリボーンに子猫が甘えるように擦りより、深い眠りの世界へと戻っていったのだった。






                                   同人誌に続く




この後いろいろあるんですが、基本的にこの話は甘いです。
何が甘いかというと、リボ様がランボに甘いです。
今回の再録集はシリアス再録集という事で、全体的にランボが可哀想な目に遭っているんですよ。
だから、最後くらいランボも甘やかされていいよなって思って。
まあ、ランボは原作やアニメでたっぷり甘やかされてるんですけどね。
ほら、後方配置という事は、ヒロイン配置という事ですから!





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