序章・愛人の定義




 愛人を『愛する人』と例える事があるが、それは偽りだ。
 自分だけは、自分だけに、自分だけを、と自分を特別視するのは自分自身だけ。
 他人の目に映る自分は、自身が思うような特別では決して無く、あくまで『その他』なのだ。



「勘違いしてんじゃねぇぞ」
 この言葉が全てだった。
 この言葉は、ランボに現実を突きつけるものだった。
 幻想を砕き、希望を砕き、浅はかな打算を砕き、描いた理想を嘲笑する。そんな言葉だった。
 この言葉が指す意味は一つ。
 愛人とは、その他。
 愛人とは、大勢の中の一人。
 それは決して特別を意味するのではなく、あくまで他人。
 それだけだったのだ。




雨の日に会いましょう。




   第一章・始まりは雨




 空には雨雲が広がり、地上に涙のような雨を降らせる。
 イタリアの街は歴史を感じさせる石造りの建物が多い為、雨に濡れた石から独特の匂いが漂っていた。
 まだ夕刻だというのに地上には陽の光が届かず、まるで薄闇に覆われたように世界は灰色に染まっている。
 雨は地上に恵みをもたらすものだが、それでも鬱々とした雰囲気を払拭する事は叶わず、雨に憂鬱さを感じる者は少なくない。
 街を行き交う人々は身を守るように傘を差し、雨から逃れるように足早に歩いている。そんな人々の表情は憂鬱気なもので、道路に広がる水溜りや濡れる足元に眉を顰めていた。
 だが、そんな憂鬱さの中から一人だけ浮いている者がいた。
 それはランボである。
 ランボは憂鬱気な人々の中で、愛用の牛柄傘を差して鼻歌混じりに雨降る街を散歩していた。
 そう、ランボは雨が好きだった。
 傘を差せばパタパタと雨音が響き、周囲を見回せば雨に濡れる草花が水滴でしっとりと輝く。
 それらの光景は雨降る中でしか生まれない光景であり、ランボは青空の下の光景も好きだが、雨の日の光景にも魅力を感じている。
 そんな理由から、ランボは雨に誘われるように自分のアパートを出ると、愛用の傘を差して街中を散歩していたのだ。
 ランボという存在は、幼い頃からマフィアという裏社会に属しているが、その人となりはそういった裏の部分を一切感じないものだった。
 雨に濡れた景色を眺めるランボの翡翠色の瞳は、香るような甘い色気を感じさせながらも、それと同時に子供のような無邪気さを感じさせる。
 雨の水気にしっとりしている黒髪の癖毛は、触れれば柔らかな感触がするふわふわのものである。
 それらの姿形は整っており、全体的に大人びた造形をしていたが、それでも何処かあどけない幼さを感じさせた。
 このランボから感じる幼さとは、ほとんどランボ自身の性格に起因するだろう。
 ランボは幼い頃から権力者と呼ばれる者達の側で育ち、裏社会に属しながらも守られた立場にあった。本人もマフィアとしての経験を積んで腕を上げていたが、それよりもドン・ボヴィーノから寵愛される事やボンゴレ十代目綱吉から懇意にされるという事の方が大きな影響を及ぼしていた。
 こうした環境で育ったランボは年不相応に甘えた性格をしており、泣き虫で、腕力も目立って強い訳ではなく、世間知らずで無知な所が多くあったのだ。
 世間知らずや無知というものは幼さを意味するもので、ランボが感じさせる幼さもそれらのものだった。
「やっぱり今日は誰もいないか……」
 ランボはふと立ち止まり、少し残念そうな声色で呟く。
 気が付けば、ランボは街から広場に入っていた。
 この広場は街の中に造られた円形の広場で、その中心には大きな噴水がある。噴水を中心として建設された広場は車両禁止区域になっており、普段は市民の憩いになっている場所なのだ。
 ランボ自身も休日には広場を訪れる事が多く、天気の良い日などは噴水の前にあるベンチに腰掛けて、子供達が駆け回る姿、大人達がお喋りを楽しむ姿、休日に開かれる市場などを眺めているのが好きだった。
 しかし、今は今朝から降り続ける雨のせいで広場に人影はなく、見かけたとしても足早に広場を横切っていく姿だけだった。
 ランボは横切っていく人影を何気なく見ていたが、ふと雨に濡れるのも構わずに空を見上げる。
 空は濃い雨雲に覆われ、まだまだ雨は止みそうにない。きっと今夜も降り続けるだろう。
 ランボは広場に設置された大時計で時間を確認すると、そろそろ散歩は切り上げて夕飯の買出しに行く事にする。
 本当ならもう少しゆっくりしても良い時間なのだが、今日は空を覆う雨雲のせいで普段よりも薄暗く夕暮れを早く感じるのだ。
 こうしてランボは踵を返し、広場を出て街へ向かおうとする。
 だがその時、不意に視界の端に見知った姿が映った。
「あ、リボーンだ!」
 そう、その姿とはリボーンだったのだ。
 遠目にしか姿を確認できないが、ランボがリボーンを見間違える筈が無い。
 リボーンは黒いスーツを身に纏い、黒いボルサリーノを目深に被っている。そのボルサリーノの下から覗く容貌は、触れれば切れるような硬質な怜悧さを感じさせるもので、まさに端麗という形容が相応しいものだった。
 そんなリボーンは、黒い傘を差して雨の中を歩いている。
 ランボはリボーンの姿を目にするとパッと表情を輝かせた。そして雨に濡れる事も構わず、ランボは「リボーン!」と大きく手を振って駆け出していく。
 リボーンに駆け寄るランボの表情には満面の笑みが刻まれており、それは雨天の憂鬱さを吹き飛ばすような明るいものだ。
 ランボとリボーンの関係は十年以上に及ぶもので、二人は幼い頃から知った仲である。だが十年以上の付き合いがあったとしても、その関係は決して良好と言えるものではなかった。
 十年以上前からランボはリボーンを標的にし、一方的に追いかけ続ける追いかけっこの関係なのだ。しかも意識しているのはランボだけで、リボーンがランボを相手にする事などなかった。
 ランボがどんなにリボーンの周辺を騒がしく付き纏っても、リボーンはそれを無視するか報復するかのどちらかで、酷い時などは視線すら向けてくれないのだ。
 だが、ランボはリボーンのそれらの反応には慣れてしまっていた。伊達に十年以上も追い駆け続けている訳ではないのだ。リボーンに相手にされない事は悲しいが、そんな事で落ち込んでいては十年以上も追い駆けるなんて無理な事だろう。
 しかもリボーンを追い続けた十年間で、ランボの心にとある変化が訪れていた。
 その変化とは、リボーンへの特別な想いである。
 最初は標的としてリボーンを追い駆けていたランボだったが、いつしか特別な意識が芽生えたのだ。
 そう、その意識とは恋愛感情である。
 ランボは、自分がリボーンに纏わり付く理由に気が付いている。
 それは自分を見て欲しいから。自分を意識して欲しいから。その漆黒の瞳に自分を映して欲しいから。
 ただそれだけなのだ。
 それらを欲するランボは、どんなにリボーンに疎外されても諦めずにそれを望み続けている。
 好きなのだと、その気持ちだけを心に秘めてリボーンに接するのだ。
「リボーン、オレだよー!」
 ランボは大きく手を振りながらリボーンに向かって走る。
 こうして駆け寄るランボに、リボーンは面倒臭げに振り返った。
 そんなリボーンの表情は誰が見ても嫌々だと分かるものだが、ランボがそれを気にする事はない。否、むしろ今のリボーンは機嫌が良い方ではないかと思ってしまう。
 普段のリボーンはランボがどれだけ呼んでも無視する事が多く、反応を返してくれる事など滅多にない事なのだ。
 それなのに今は振り返ってくれた。これはリボーンの気紛れだと分かっているが、この動作一つだけでランボは何だか嬉しい気持ちになれる。
 ランボはリボーンの側に寄ると、「こんな所で会うなんて偶然だね」と笑いかけた。
 いつもなら十年前から続けている襲撃を仕掛けるところなのだが、今はリボーンと偶然会えた嬉しさと、人通りのある街中だという事で控えておく。
 ランボにとって襲撃とは、リボーンとの唯一の接点だった。本当はもう襲撃などしなくて良い事は分かっているが、これを止めてしまうとリボーンと個人的な接点が無くなってしまうのだ。襲撃だけが唯一の接点など少し空しいが、恋愛感情を抱く相手と接点が無くなることはランボでなくても嫌な事だといえるだろう。
 その為、ランボはリボーンと顔を合わせる度に攻撃を仕掛ける事が多く、それはボンゴレ屋敷にあるリボーンの私室へわざわざ出向くほどのものである。まあ、どんなに襲撃を仕掛けても、ほとんど無視されて相手にされない事がほとんどだったが、ランボはそれでも構わなかったのだ。
 しかし、今は襲撃を控えて笑顔でリボーンに駆け寄ったランボ。
 今回は普段よりもおとなしくリボーンの前に登場したが、リボーンは不機嫌な表情でランボを見ている。
「煩せぇぞ。でかい声で俺を呼ぶんじゃねぇ」
 リボーンは相変わらず素っ気無い態度を見せるが、いつもの事で慣れてしまっているランボがそれを気にする事はない。
「だって、偶然知り合いを見つけたら声を掛けたくなるだろ?」
「俺にとってお前は知り合いでも何でもねぇぞ。勝手に自分を格上げするな」
「うわっ、酷い……! 十年以上も付き合いがあるのに、オレって知り合いでもないわけ?」
 ランボが冗談のような軽い口調でそう言えば、リボーンは「当然だ。アホ牛で充分だろ」と淡々と切って捨て、ランボを置いてさっさと歩き出してしまう。
 そんなリボーンにランボはムッとした表情になってしまうが、それでもリボーンの側から離れる事はなかった。
 ランボは、リボーンに『アホ牛』や『格下』や『三流』と呼ばれる事には慣れているのだ。これはあんまり慣れたくない事だったが、無視されるよりマシだと思っている。例え気紛れでも反応を返してもらえる方が嬉しいのだ。
「こんな雨の中を一人で出歩くなんて珍しいね。どこか行くの?」
 ランボはリボーンの隣に並び、リボーンに纏わり付くように歩き出した。
 だが、こうして纏わり付くランボはリボーンにとって鬱陶しいだけで、リボーンは「どっか行け」と素っ気無く突き放す。
 しかし、リボーンの素っ気無い態度に慣れているランボはこれくらいではへこたれないのだ。
「なんだよ、教えてくれてもいいだろ?」
 少し鬱陶しいかもしれないとランボも分かっているが、今の状況でこれ以外に何をリボーンと話して良いのか分からないのだ。
 こうしたランボの姿は、まるで子供が親の気を引こうと躍起になっている姿のようだったが、ランボにとっては会話が無くなってしまう事の方が嫌だった。
 ランボは少し拗ねた表情で「リボーンのケチ」と、リボーンに恨みがましい視線を向ける。
 こうして二人は普段と同様の、ランボがリボーンを追い駆けて無視されるという光景を繰り広げていたが、――――不意に、リボーンが立ち止まった。
 そして、「おい」とリボーンはランボを振り返る。
「な、なに?」
 突然リボーンに呼ばれたランボは慌てた様子で返事を返した。
 リボーンに纏わりつき続けて十年以上になるが、今までリボーンが報復以外の反応を見せた事は数えるほどしかないのだ。その為、まともに呼ばれた事にランボは驚きを隠しきれない。
「どうしたの……?」
 普段とは違った反応を見せたリボーンに、ランボは内心で焦りながらも問い返す。
 いつもと違った展開に、なんだか高揚した気分になってしまっていた。
 ランボが内心の戸惑いを隠しながらもリボーンを見れば、リボーンは真っ直ぐにランボを見据えている。
 リボーンの眼差しは、まるで品定めをするかのような居心地悪いものだったが、今のランボにその居心地悪さを感じている余裕は無かった。
 リボーンの鋭く黒い瞳に自分が映っているという事だけで、ランボは何も考えられなくなる心地だったのだ。
 ランボは自分を見つめ続けるリボーンから僅かに目を逸らし、「……何とか言ってよっ」と精一杯の強気さを装って言葉を返す。
 そんなランボの様子にリボーンは楽しげに目を細めると、ゆっくり言葉を紡いだのだ。


「お前、俺のこと好きだろ」


 これがリボーンから紡がれた言葉だった。
 最初、ランボはこの言葉の意味が分からずに「へ?」と間抜けた反応をしてしまう。だが、徐々に理解していくにつれてランボの体温が上昇していった。
「な、なんだよ、それ!?」
 ランボはギョッとした表情でリボーンを凝視した。
 確かにランボはリボーンに好意を寄せているが、今までリボーンにそういった態度を示した事はなく、ましてや言葉で伝えた事などないのだ。
「いきなりそんなこと言わないでよ!」
 ランボは焦りながらも誤魔化すような口調でそう言ったが、リボーンに誤魔化しなど通じる筈がなかった。
「俺が気付いてないと思ってたのか?」
 リボーンは少し呆れたような口調でそう言うと、「読心術は十年前から得意だ」とランボの顔を覗き込む。
「リ、リボーン……っ」
 突然リボーンに顔を覗き込まれたランボは、間近まで迫ったリボーンの顔と、自分の心情を言い当てられた恥ずかしさにどうにかなってしまいそうだった。
 ランボは高揚と焦りを同時に感じ、困惑したまま後ずさる。
 しかし、そんなランボをリボーンが逃がす筈がない。
 不意にリボーンは傘を持っているランボの手を握り、その傘を下げさせると、そのままランボの手を引いて自分の傘の中に引き入れる。
 それらの動作は素早く、ランボは抵抗する間もなくリボーンと同じ傘の中に入っていた。
「ちょっと……っ」
 ランボは慌ててリボーンの傘から出ようとしたが、時は既に遅く、リボーンに手を強く捕まれてしまっている。
 しかもリボーンの端麗な容姿とますます接近してしまっており、ランボの身体はまるで金縛りにあったかのように硬直してしまっていた。
「で、どうなんだ?」
 疑問系でありながら、確信に満ちたリボーンの言葉。
 確信とは自信であり、それ故の余裕が窺える。
 それらはランボが憧れるには充分なもので、リボーンの自信に満ちた言動や表情にランボは胸の高鳴りを覚えていた。
「リ、リボーン……っ」
 今なら言えるだろうか。
 今なら言っても良いだろうか。
 十年以上も心に秘め、隠し続けてきた想いを。
 リボーンが好きだと、その想いを伝えても良いだろうか。
 ランボはおずおずとリボーンを見つめ返す。
 きっと今しかないかもしれない。
 こうしてリボーンが自分と向き合ってくれる事は稀なことなのである。ましてやリボーンから話しかけてくれるなど、一年に一度あるかないかの事だ。
 それならば、きっと今しかない。
 今の機会を逃せば、これから先に想いを告げられる状況など巡ってこないだろう。
 ランボはリボーンから目を逸らすように俯くと、自身を落ち着かせる為に大きく深呼吸する。
 そして。
「――――す、好きだよ……っ」
 ランボは消え入りそうな小さな声で、なんとかそれだけを伝えた。
 これはずっと心に秘め続けた想いだ。
 それをようやく伝える事ができた。
「おい、アホ牛」
 リボーンに呼ばれ、ランボは「なに……?」と恐る恐る顔を上げる。
 きっと今の自分の顔は恥ずかしいほど真っ赤になっているだろう。だってリボーンに捕まれている手は小さく震え、答える言葉は緊張に掠れてしまっているのだから。
 だが、だからといってリボーンの言葉を無視する事はできない。ランボの中には、リボーンを無視するなんて選択肢は最初から存在しないのだ。
 ランボが躊躇いつつもリボーンに視線を向ければ、リボーンは口元に薄い笑みを刻んでいた。
 リボーンは薄い笑みを刻んだままランボに手を伸ばす。
 その手がランボの頬に添えられ、ランボは小さく肩を揺らす。
 しかし、それに対してランボが抵抗を示す事はなかった。それどころかリボーンの手が自分に触れているというだけで、どうしようもないほど胸が高鳴ってしまうのだ。
 リボーンの指先がランボの輪郭をなぞる。
 その心地良い感覚にランボが強張っていた表情を和らげれば、リボーンは楽しそうに目を細めた。
「今から愛人と過ごす予定だったが、その時間をお前にくれてやってもいい」
「……どういう意味……?」
 リボーンの言葉の意味が分からず、ランボは戸惑いながらも聞き返す。
 だが、そんなランボの疑問に返されたのは言葉ではなかった。
 リボーンはランボを軽く引き寄せると「こういう意味だ」と低く囁き、ランボの唇を指先でなぞる。そして。
 そして、重なる唇と唇。
 それは触れるだけの口付けだった。
 しかし、ランボの思考を停止させるには充分なものだった。
 リボーンの口付けに、ランボは時間が止まったかのような錯覚を受けたのだ。
 十年以上も追い駆け続け、想い続けたリボーンと口付けをしている。その事実だけで、今のランボは胸が一杯になる感覚を覚えていた。
 その感覚とは、喜びと期待と充足感。
 ランボはリボーンの口付けだけで心が満たされる思いがしたのだ。
 ランボは口付けを受けながらそっと目を閉じる。
 口付けがこんなに甘いものだとは知らなかった。こんなに自分を満たすものだとは知らなかった。
 こうしてリボーンと口付けを交わしている時間。この時間は、確かにリボーンはランボを見ている。ランボに意識が向けられている。
 たったそれだけで、ランボは自分がリボーンの特別になれたような思いがした。
 リボーンとの行為はランボにとって全てが特別である。だから、もしかしてリボーンも……とランボの中で甘い思いが溢れだすのだ。
 ランボは口付けを受けながら静かに目を閉じた。
 雨は頭上に降り続けているのに、雨音が遠くに聞こえる。
 雨の水は冷たい筈なのに、それに反して身体は熱を帯びだしている。
 この時のランボは、リボーンと新たな関係が始まった事に、ただ単純に期待と喜びに胸を高鳴らせていたのだった。





 雨の中で口付けを交わした二人は、そのままボンゴレ屋敷にあるリボーンの私室に来ていた。
 口付けから始まり、ベッドに場所を変え、ランボはリボーンによって組み敷かれる。
 リボーンの手がランボの衣服を乱し、直に肌に触れられれば、その感触にランボは小さく身体を震わせた。
 ランボにとって同性と身体を重ねる行為は初めてである。女性とならば少しは経験があるが、こうして自分が受け身になって抱かれるなど未知の事だ。
 だが、ランボはリボーンに抱かれる事に抵抗はなかった。本来同性に抱かれるという事は嫌悪の対象になるのだが、そんな嫌悪などは欠片もない。
 確かに、初めての事で多少の不安は感じるが、それでも今のランボの内心は夢心地だ。
 ランボにとってリボーンは十年という長い時間を想い続け、追い駆け続けてきた相手なのだ。その相手と身体を重ねるという事は、長年の想いの成就に等しいと思えたのである。
 しかもリボーンはランボの目の前で、約束していた愛人の女性にキャンセルの電話までしてくれた。
 リボーンとの約束を楽しみにしていた女性には悪いが、このキャンセルはリボーンがランボの為に行なってくれた事であり、ランボはそれを思うと有頂天になってしまいそうだった。電話口から漏れた女性の残念そうな声に、得体の知れぬ勝利感を覚えて溜飲を下げる思いだったのである。
 それは他の愛人よりも自分を選んだという事であり、ランボはそれが単純に嬉しかったのだ。
「リボーン、何だか優しいね」
 ランボの身体に触れているリボーンの手は優しかった。
 今までランボは、リボーンにこんなに優しく触れられた事はない。今までリボーンがランボに触れる時というのは、ほとんどが報復の時だけだったのだから。
 それなのに今のリボーンは、報復ではなく、愛撫の為にランボに触れている。
 その事はランボにとって堪らなく嬉しい事だった。
「リボーン」
 何気なさを装って、ランボはリボーンの名前を口にする。
 するとリボーンは愛撫の手を休め、「なんだ?」とランボの唇に触れるだけの口付けを落とした。
 その口付けにランボはくすぐったそうに肩を竦めると、小さな笑みを浮かべてリボーンを見つめる。
「やっぱり、今のリボーンは優しい」
 優しい口付けと愛撫。
 リボーンに優しくされただけで、自分がこんなに嬉しい気持ちになれるなんて知らなかった。
「俺は愛人には優しいんだ」
 耳元で低く囁かれたリボーンの言葉。
 その言葉にランボは目を細める。
『愛人』それが今後のランボの立場だった。
 ランボは、この『愛人』という立場に悪い気はしていない。
 リボーンに意識を向けてもらえるなら、愛人でも何でも構わなかったのだ。
 今までランボはリボーンが愛人に接する姿を何度か目にした事があるが、ランボはそれを羨望の眼差しで見ていた。
 愛人に対してのリボーンは優しく紳士的で、リボーンにエスコートされる女性達は輝くような自信と誇りに満ちていたのだから。そしてその女性達の自信の源とは、リボーンに意識を向けられているという事である。
 ランボは同性としてリボーンにエスコートされたい訳ではなかったが、それでもリボーンに意識を向けてもらえる女性達に羨望を隠しきれなかった。
 だが、ようやくそれを手に入れた。
 口付けの甘さを知り、身体を重ねる事で心が満たされる感覚を知った。
 この感覚は、まるでぬるま湯に浸るように心地良く、決して手放したくないと思えるほどのものである。
 そう、決して手放したくない。
 抱かれている瞬間、この瞬間は確かにリボーンの意識はランボだけに向けられている。
 この瞬間がずっと続けばいい。ずっと続いたなら、自分は常にリボーンの特別でいられる。
 ランボはそんな気がしていた。
「リボーン、好きだよ……」
 ランボは囁くような声色で呟いた。
 その呟きに、リボーンは口付けで返してくれる。
 こうしてリボーンの愛撫は深まっていき、気が付けばランボの衣服だけが全て脱がされていた。
 リボーンはスーツを着たままだというのに、ランボは自分だけが全裸を曝している事に羞恥と不安を覚えるが、それらの不安はリボーンの口付けによって慰められる。
 リボーンにこれほど優しく扱われるのは、今までに無い事だった。
 その優しさにランボの緊張は解されていき、リボーンから与えられる快感のままに流されていく。
 だが、リボーンの手がランボの双丘に伸ばされ、指先が後孔に触れた瞬間、さすがにランボも微かな抵抗を示した。
 男同士の情交がこの箇所を使うという事は知っていたが、それはあくまで知識であり実践した事などないのだ。しかもこの箇所は自分自身でも触れた事がない所である。それをリボーンに触れられる事は、ランボに大きな不安を与えた。
「……リボーン」
 ランボは不安気にリボーンの名前を口にした。
 そんなランボの不安を、リボーンは口付け一つで慰めてしまう。
 その口付けは優しいもので、ランボは自分自身に何度も大丈夫だと言い聞かせた。
 しかしせめてもの慰めにと、ランボは自分を組み敷くリボーンの背中に手を回す。
 身体を曝される事は初めてで不安と恐怖は拭いきれないが、それでもリボーンにしがみついていれば大丈夫のような気がした。
 そう、リボーンにしがみつき、リボーンの温もりを感じていれば、きっと大丈夫だと思えた。
 ランボはその思いのままにリボーンの背中に両手を回し、ぎゅっと強くしがみつく。
 だが。
「おい、――――離せ」
「え……?」
 ランボは思わずきょとんとなってしまった。
 リボーンにしがみついた瞬間、まさかそんな事を言われるとは思わなかったのだ。
「リボーン……?」
 ランボは信じられない思いでリボーンを凝視する。
 しかしリボーンはそんなランボの様子に気付いていながら、何とも無い事のように言葉を続けた。
「抱きつかれるのは好きじゃねぇ。鬱陶しいだろ」
 リボーンは当然の事を言うような口調でそう言うと、躊躇うことなく行為を進めていく。
 そんなリボーンに、ランボは「そうだね……」とやっとの思いで小さく答えた。
 同意の言葉以外に、何を言って良いのか分からなかったのだ。
 そしてランボは、リボーンに言われた通り背中から手を離す。その手は頼りなげに空を彷徨い、最後はシーツに落ちた。
「リボーン」
 ランボはリボーンの名前を呼んでみた。
 すると、リボーンは「なんだ?」と返事を返してくれる。
 こうしたリボーンの反応に、ランボは内心でほっと安堵した。
 大丈夫だ、リボーンの意識は自分に向けられている。
 リボーンに離せと言われた瞬間、まるで全身に冷や水を浴びせられたような虚無感がランボを襲ったが、やはりそれは気のせいだと思い直した。
 だって、今のリボーンは優しい。
 ランボは今まで口付けがこんなに甘いものだとは知らなかったのだから。身体を重ねる事がこんなに満たされる事とは知らなかったのだから。
 だが、今、それらは全てリボーンからもたらされた。
 それならば、今はこの蜜のような甘い充足感に浸っていたい。この瞬間がいつまでも続くようにと、流されていたい。
 口付けを交わし、身体を重ねれば、自分は確かにリボーンの特別だと思えるのだから。


 こうしてリボーンとの行為に満たされるランボは、リボーンに意識を向けられているという目先の幸福に目が眩み、何より大切な事を知ろうとしないままでいた。
 その知ろうとしない事とは、『愛人』という本当の意味である。
 そう、この時のランボはリボーンを想うが故に、「リボーンの愛人になった」という漠然とした感覚しか抱いていなかったのだ。






 翌日の昼過ぎ。
 ランボは、ボンゴレ屋敷のリボーンの私室で目が覚めた。
 そう、昨夜はリボーンと身体を重ね、ランボはそのまま眠ってしまったのである。
 そんなランボが目覚めた時間は昼過ぎであり、当然ながらリボーンは部屋にいなかった。
「起こしてくれれば良かったのに……」
 ランボは少し拗ねたような口調で呟く。
 リボーンがいない事を少し寂しく思ったのだ。
 だが、これは明らかに寝過ぎたランボに非があり、寂しく思うのはお門違いだとランボは思い直す。
 それに今は一人で目覚めてしまった事よりも、とうとうリボーンと身体を重ねたという事実に気分が高揚していた。
 そう、これは十年越しの想いがようやく成就したと思っても過言ではないと、ランボはそう思えたのだ。
 その思いにランボは気分を浮上させ、ゆっくりとベッドから起き上がる。
 初めての行為だったせいで腰に鈍い痛みと異物感を感じるが、それは歩けないほどのものではなかった。むしろこの痛みや異物感が昨夜の事に現実味を与え、ランボの気分をますます高揚させるくらいだ。
 ランボはベッドの下で散らかっていた自分の服を着ると、リボーンの私室を後にする。
 そして、このボンゴレ屋敷の主人であり、ボンゴレファミリー十代目である綱吉の執務室に足を向けた。
 本当は直ぐに自分のアパートへ帰って身体を休めたかったが、昨日は綱吉に挨拶もせずにリボーンの私室に直行したのだ。このまま顔も出さずに帰るのは失礼だろう。
 それに、ランボは綱吉の事を兄のように慕っており、綱吉もランボの事を弟のように気に掛けてくれているのだ。
 しかも綱吉にはランボがリボーンに想いを寄せている事を知られている為、今回の事をどうしても綱吉に話しておきたかった。
 リボーンと身体を重ねた事を伝えれば、綱吉はきっと「良かったね」と言ってくれると思ったのである。





「失礼します」
 ランボはそう言って綱吉の執務室の扉をノックした。
 すると中から「どうぞ」と入室許可を与えられ、ランボは少し緊張した面持ちで扉を開ける。
 綱吉とは気心が知れた仲であるが、相手は巨大ファミリーを統括するボンゴレ十代目なのだ。ランボは目上の者に対して礼儀を怠らない為、やはり入室の際は少し緊張してしまう。
 しかも今回はリボーンの私室に泊まった後なのである。その事はきっと綱吉の耳にも入っていると思え、それがますますランボに緊張と気恥ずかしさを感じさせていた。
 こうしてランボが緊張と気恥ずかしさを感じながら執務室に入ると、中には綱吉の姿しかなかった。
「久しぶりだね、ランボ。昨日から此処にいたんでしょ? 声でも掛けてくれれば良かったのに」
 綱吉は書類を手にしながら、入室したランボに穏やかな笑みを向けてそう言った。
 ランボは綱吉の笑顔が大好きだった。
 綱吉の今の立場は十年前と大きく変化し、本来ならランボが近づくことさえ許されない立場になっているというのに、この笑顔は十年前から変わらぬ優しいものなのだ。
 しかも現在の綱吉は出会った頃とは比べ物にならないほどの成長を遂げており、ボンゴレ十代目の肩書きに遜色ないほどの人物になっている。だが、どんなに立場が変わっても綱吉は昔と変わらない優しさや穏やかさを持っており、ランボはそんな綱吉が大好きだった。
 だが今のランボは、そんな綱吉に曖昧な笑みを返した。
 ランボが昨夜泊まっていった事を知っているなら、何をしていたかも綱吉に知られてしまっている筈なのだ。
「お久しぶりです。昨日は……その……っ」
 ランボは後ろめたい気持ちなどなかったが、それでも気恥ずかしさに口篭ってしまう。
 後悔など決してしていないが、自身が関係する性的話題を第三者と行うのはやはり恥ずかしいのだ。
「すいません……。昨日はちょっと……えっと……」
 ランボは言葉が選べず、困惑した表情で綱吉を見る。
 そんなランボの反応に、綱吉はぷっと吹き出すと「ごめんごめん」と軽い調子で謝った。
「分かってるよ。リボーンの所にいたんでしょ?」
「ぅ……っ」
 綱吉に直球ともいえる言葉を投げられ、ランボは返答に困りながらも「はい……」と肯定を示す。
 やはり綱吉に隠し事など出来ないのだ。しかも綱吉は、ランボの想いを知っているのだから尚更である。
「あの、ところでリボーンは?」
 ランボは話を変えようと、先ほどから姿が見えないリボーンの事を訊いてみた。
「リボーンはランチに出かけたよ。もう直ぐ帰ってくると思うから、此処で待ってると良いよ」
「ありがとうございます」
 ランボは綱吉に促され、執務室にある革張りのソファに腰掛ける。
 するとノックの音とともに使用人が現れ、二人分のティーセットを並べて執務室から退室していった。
「せっかくランボが来てくれたし、オレも少し休憩させてもらうよ」
 綱吉はそう言って執務机から離れると、ランボと向かい合うようにしてソファに腰掛ける。
「それにしても良かったね、十年越しの想いが叶って」
 リボーンとランボの新しい関係に、綱吉は心からの祝福を籠めてそう言った。
 綱吉にとって、ランボは目が離せない弟のような存在である為、ランボの長年の想いが成就した事は本当に喜ばしい事だったのだ。
 そんな綱吉の祝福に、ランボははにかんだ笑みを浮かべて大きく頷く。
「はい。オレ、昨日からリボーンの……愛人なんです」
 ランボは、『愛人』という言葉に照れた様子を見せながらそう言った。
 だが。
 ランボが軽い気持ちで『愛人』と言葉にした時、綱吉の表情が固まった。
「えっ、……愛人……なの?」
 躊躇いながらも綱吉がそう訊けば、ランボは何ともない事のように「はい」と大きく頷く。
 そんなランボに綱吉は驚いたように目を瞬くと、僅かに表情を顰めた。
「……ランボはそれでいいの?」
「何がですか?」
 ランボは綱吉の言葉の意味が分からず、きょとんとした表情で問い返す。
 しかし、そんなランボに綱吉はゆっくりと言葉を続ける。
「ランボはリボーンの愛人になりたかったの?」
 この言葉は、言外にランボが認識している『愛人』の意味を問うものだった。
 綱吉はランボがリボーンに向ける想いを知っている。知っているからこそ、ランボがリボーンの愛人という立場に納得している事が信じられなかったのだ。
 そういった意味を籠めて綱吉は問うたが、ランボはそれに気付かなかった。
「どういう意味ですか?」
 ランボは綱吉の言葉の意味が分からない。
 ただ分かる事があるとすれば、綱吉はランボが『愛人』と口にすると表情を顰めたという事だけだ。それはリボーンとランボの愛人関係を快く思っていないという事だろう。
 だが、ランボはどうして綱吉が快く思ってくれないかが分からなかった。
 だって、リボーンとの口付けや情交は、ランボの心を甘く満たしたのだ。
 今までこれ程までに心を満たされた事はなかった。その為、これだけの幸福を感じる事が出来るなら、愛人でも何でも構わないと思った。
 それに今まで相手にされなかった過去を思うと、愛人という立場は比べ物にならないほどの格の差があったのだ。
 リボーンとの口付けや身体を重ねる行為は、ランボにとって特別だった。だから、愛人とはリボーンの特別に違いないと思えたのである。
 このランボの考えに、綱吉は困惑した表情になり言葉が出てこない。
 こうして執務室には沈黙が落ち、何ともいえない気まずい雰囲気が漂った。
 そんな中、しばらくして執務室の扉が開かれた。
「戻ったぞ」
 執務室に入ってきたのはリボーンだった。
 ランボはリボーンの登場にパッと表情を変えると、「おかえり」と笑顔で出迎える。
 ランボの出迎えにリボーンは「ああ」と軽く答えると、執務室のテーブルに置かれたティーセットに眉を顰めた。
「のん気にティータイムか?」
「帰る前に十代目に挨拶しに来ただけだよ」
「その挨拶ついでにティータイムか? 相変わらず暇な奴だな」
 リボーンはからかうような口調でそう言うと、今度は呆れた表情で綱吉に向き直る。
「ツナ、アホ牛が来たのを言い訳にして仕事さぼってんじゃねぇぞ」
 仕事には厳しいところがあるリボーンに咎められ、綱吉は「言われなくても分かってるよ」と苦笑混じりに言葉を返す。
 だが、綱吉は直ぐに苦笑を消し、少し困ったような表情でリボーンに向き直った。
「リボーン、ランボを愛人にしたんだって?」
 単刀直入な綱吉の言葉。
 この突然の言葉はリボーンに向けられたものだったが、一番焦ったのはランボだった。
「じ、十代目……っ」
 ランボは慌てて綱吉に口止めしようとするが、時は既に遅い。
 ランボは、確かにリボーンの愛人の座に着き、それを綱吉に教えたのはランボ自身である。だが、まさか此処で綱吉が愛人の事を口にするなんて思わなかった。
 ランボは「リボーン、怒ってる?」と少し怯えた表情でリボーンを振り返る。相手が綱吉とはいえ、愛人関係になった事を勝手に話した事を怒られると思ったのだ。
 しかし、リボーンに変化は無かった。
 それどころか「それがどうした」とばかりの不遜な表情を綱吉に向けている。
「それは俺のプライベートだ。ツナが口出しする事じゃねぇだろ」
 リボーンは何を気にするでもなく、当然の事のようにそう言った。
 そしてこの話は此処までとばかりに打ち切ると、ランボに向き直る。
「挨拶はもう終わっただろ、そろそろ行くぞ。送ってやる」
「う、嘘……っ、リボーンが送ってくれるの……?」
 リボーンの「送る」という発言に、ランボは驚きで目を見張った。
 ランボは綱吉にばらした事を怒られると思っていたのに、それに対してのお咎めはなく、それどころか送ると言われたのだ。当然ながら今までリボーンに送ってもらった事などなく、愛人待遇はこんなに良いものなのかと感心してしまった。
 ランボは驚きのあまり呆然とリボーンを凝視していたが、リボーンに「さっさとしろ」と急かされて慌てて立ち上がる。
 せっかくリボーンが送ると言っているのに、これを逃してしまうのは勿体ない。
「十代目、そろそろ失礼しますね。ありがとうございました」
 ランボはそう言って綱吉に一礼すると、リボーンの側へと駆け寄っていく。
 こうして二人は、困惑する綱吉をおいて執務室を退室したのだった。





 今のランボは信じられない気持ちでいっぱいだ。
 もしかしたら夢でも見ているのかもしれない。
 空を見上げれば昨日の雨が嘘のような快晴で、太陽の光に満ちている空は輝いているようである。
 そして隣に視線を向ければ、そこにはリボーンがいる。
 しかも今のリボーンは、ランボをアパートまで送る為だけにいるのだ。今までのリボーンを思うと、これは信じ難い事だった。
 送ってくれる事まで愛人の特権だというなら、ますます特別になった気分である。
 こうして二人は景観の美しいイタリアの街を歩き、郊外にあるランボのアパートへ向かう。
 ランボはもう少しリボーンと歩いていたかったが、無情にもランボのアパートへは直ぐに着いてしまった。
 アパートの前までくると、ランボはリボーンに向き直る。
「まさか本当にリボーンに送ってもらえるなんて思わなかった。なんか得した気分だね」
 ランボが軽い調子でそう言えば、リボーンは「当然だ」と口元に薄い笑みを刻む。
「例え相手がアホ牛でも、俺の愛人には変わりねぇからな」
 愛人には優しくするもんだ、とリボーンは笑みを含んだ口調でそう言った。
 そしてリボーンはランボへ手を伸ばし、指先でランボの頬を撫で、さり気ない仕種で触れるだけの口付けを落とす。
「わ……っ」
 突然の口付けに、ランボは驚きに目を瞬いた。
 だが、リボーンの口付けはとても自然な動作の中で行われ、ランボは抗う事なく甘受する。
 このさり気ない口付けさえも、ランボを嬉しい気持ちにさせるのだ。
 それに、こうして別れ際の口付けを交わすなんて、まるで恋人同士のようではないか。
 ランボはリボーンの口付けに気分を良くし、もっと……と深い口付けをねだる。
 だが、その時。
 不意に、甘い香りがランボの鼻腔を掠めた。
 その香りは明らかに女性用の香水で、それはリボーンのスーツから微かに香っている。
 直接的でないこの香りは、移り香というものだろう。
 ランボはこの移り香に今まで感じていた嬉しさが消え、今度はもやもやとした腹立たしさが込み上げてくる。
 そう、この腹立たしさは間違いなく嫉妬というものだ。
 ランボはリボーンに文句の一つも言ってやろうと、強引に口付けを中断させた。
 そして不満気な表情でリボーンを睨み、文句を言う為に口を開きかける。
 しかし、ランボの口から不満の言葉が出る事はなかった。
 リボーンはランボが不満を言う前に、不意を突くように額に口付けたのだ。
 それは巧みなタイミングで行われた口付けで、ランボは不満を言う機会を完全に逃してしまう。
 しかもリボーンは最後にもう一度ランボの唇に口付けを落とすと、「また連絡する」と言って踵を返してしまった。
 こうして、「連絡する」という言葉だけを残して立ち去ったリボーン。
 ランボはそんなリボーンの姿を黙って見送るしか出来なかった。
 本当は言ってやりたい事があったが、それらの言葉はリボーンの口付けに流されてしまったのだ。
 ランボはそれを悔しく思うが、それでも。
 それでもリボーンに口付けられれば、嬉しいという感情しか残らなかった。
 その嬉しいという感情は、ランボが先ほど感じた不満を簡単に封じてしまうものである。
 こうした今のランボは、リボーンとの新たな関係に夢中になり、完全に周囲が見えなくなっていたのだった。




   第二章・盲目に乞う




 ランボがリボーンの愛人になって一週間が過ぎた。
 その間、ランボの元にリボーンから連絡が入る事はなかった。
 最初、ランボは自分からリボーンに連絡しようかと思ったが、アパートの前で言われた「連絡する」というリボーンの言葉を信じて待っている。
 だって、今までの十年間はランボが一方的に追い駆けていた状態だったのだ。そんな状態からようやく脱却し、リボーンから「連絡する」とまで言われたのだから、それを待っていたい。
 本当はリボーンに会いたくてしょうがなかったが、自分とコンタクトを取ろうとするリボーンを見てみたいと思ったのだ。
 その為、この一週間のランボはリボーンに会えない寂しさを感じながらも、心の何処かはワクワクと高揚していた。それは携帯をいつも身近に置き、着信音が鳴る度に大きく胸を高鳴らせていた程である。
 こうしてランボはリボーンからの連絡を待ち続け、気が付けば一週間が過ぎてしまっていたのだ。
 ランボはなかなか連絡を寄越さないリボーンに不満を覚えていたが、今日はそんな自分を慰める為に街に出てきていた。
 今日は休暇を与えられていた事もあり、ランボは朝から街に繰り出して散歩がてらに雑貨店などを覗いていたのだ。
 ランボは一軒の雑貨店の前に立ち止まり、ショーウインドー越しに店内の雑貨を眺める。
 この店には日用雑貨の他に置物なども売られており、中にはアンティークと称しても遜色がない歴史を感じさせる品物まであった。
 ランボはそれらの品々を楽しみ、街の人々が行き交う大通りを進んでいく。
 そうする中、落ち込んでいたランボの気分が少しずつ浮上し始め、今ではすっかり上機嫌で散歩を楽しんでいた。
 だがしばらくして、ふとランボの視界に見覚えのある姿が映る。
 その姿を目にした瞬間、ランボの表情は一層輝いたものになった。
「リボーンだ……っ」
 そう、それはリボーンだったのだ。
 ランボがこの一週間ずっと待ち続けていたリボーンが、車道を挟んだ反対側の歩道を歩いていた。
 ランボは、偶然でもリボーンの姿を目にした事が嬉しく、自分に気付いて欲しくて大きく手を振ろうとした。
 しかし。
「……っ」
 しかし、リボーンは一人ではなかった。
 リボーンの隣に見慣れぬ女性の姿があったのだ。
 その女性は涼しげな目元が特徴的な美しい容貌をしており、仕種や雰囲気に艶やかさを感じる大人の女性だった。
 女性はリボーンの腕に手を絡め、リボーンのエスコートに慎ましやかに応えている。
 そんな二人の姿は誰が見ても似合いだと思えるもので、ランボはリボーンに向かって振ろうとした手を途中で止めてしまった。
「リボーン……」
 ランボの手は行き先を無くしたように空を彷徨い、元の場所へぶらんと垂れ下がる。
 リボーンと女性はとても似合いの二人で、ランボは声を掛ける機会を完全に逃してしまったのだ。
 この一週間、ランボはリボーンからの連絡をずっと待っていた。
 リボーンからの連絡を待ち続ける間は、胸の高鳴りが止まらなかったくらいだった。
 それなのに、今、リボーンはランボの事など気にも掛けず、別の女性と楽しそうに歩いている。
 それを黙って見ていたランボは、次第に自分の感情が変化するのを感じた。
 ランボの心を、少しずつ暗闇のような靄が覆いだし、どうしようもない程の腹立たしさが込み上げてきたのだ。
 そう、これは怒りであり、……嫉妬だ。
 自分はずっと待っていたのに、ずっと楽しみにしていたのに、肝心のリボーンは別の女性と一緒に過ごしていた。
 その事に、ランボはどうしても怒りを覚えてしまったのだ。
 これらの怒りや嫉妬は、間違いなくランボの独占欲で、その独占が叶わない事が悔しかった。
 ランボは唇を強く噛み締め、拳を強く握り締める。
 悔しい、悲しい、腹立たしい、羨ましい、これらの負の感情が、ランボの中で渦巻きだす。
 ランボは、これらの感情の矛先をリボーンに向けた。
 この怒りはリボーンに向けるべきものだと思った。
 だって、リボーンとの口付けは甘かった。身体を重ねれば、心が満たされた。
 ランボにあれほどの快感や期待を与えておいて、別の女性と会っていたのだ。
 だから、これはリボーンの裏切りであり、自分はこの怒りをリボーンにぶつける権利があると、この時のランボはそう思ったのである。




 街中でリボーンと女性の姿を見かけたランボは、どうしようもない怒りに煽られてそのままボンゴレ屋敷にあるリボーンの私室に来ていた。
 当然リボーンはいなかったが、綱吉の許可を貰って部屋で待たせてもらっているのだ。
 本当はリボーンの連絡を受けてから此処へは来たかったのだが、あんな光景を見せられれば黙ってはいられない。
 どういうつもりなのだと、そう問い詰めたいのだ。
 自分には、リボーンに怒りをぶつけ、問い詰める権利があると信じている。
 ランボはどう慰めても消えぬ怒りを抱きながら、その矛先であるリボーンが帰ってくるのを待ち続けていたのだ。
 そんな時間がしばらく過ぎ、半日が経ってようやく部屋の扉が開いた。
 リボーンが帰って来たのである。
 リボーンは部屋に入り、そこにランボの姿を見ると不機嫌に眉を顰めた。
「何でアホ牛が此処にいるんだ。まだ呼んでねぇ筈だぞ」
「そんなのどうでもいいだろ? オレは、リボーンの愛人になる前から勝手に入ったりしてたんだから」
 気丈な口調でランボはそう言うと、強気な態度でリボーンを睨む。
 だが、リボーンはそんなランボの態度を気にした様子はなく、ボルサリーノを脱いでネクタイを緩める。
「俺は愛人の躾を怠らねぇ主義なんだ。俺の愛人だったらもっと行儀良くしてろ」
「行儀良くって……、何だよそれ」
「そのままの意味だ」
 リボーンはその一言でランボの強気な態度を切って捨てると、スーツの上着を脱ぎ捨ててソファに腰を下ろした。そしてテーブルに置かれたままになっていた新聞を手に取ると、まるでランボの存在など最初から無かったかのように寛ぎだす。
 しかし、リボーンにこんな態度を取られて黙っていられないのがランボである。
「何だよ、せっかく来たのに! オレの話も聞いてよ!」
 ランボはそう声を荒げると、リボーンの前に立って新聞を取り上げた。
 そしてリボーンをきつく睨み、先ほどから渦巻いていた憤りをぶつけだす。
「リボーン、今まで何処に行ってたんだよ! オレ、ずっと待ってたのに連絡来ないし、リボーンはオレの知らない女の人と歩いてるし……っ」
 ランボはそう喚きながら、翡翠色の瞳にじんわりと涙を滲ませる。
 幼い頃から泣き虫なランボは、怒りが及ぼす興奮のせいで涙が込み上げてきてしまったのだ。
 だが、ランボは目元の涙を拭うと「どういうつもりなんだよ!?」と声を荒げ続ける。
 しかも目の前のリボーンは黙ったままランボの怒りを受けてくれていた為、自分の不満を聞いてくれていると思ったランボは一層激しく怒りをぶつけた。
 この嫉妬にも似た怒りは、ランボの想いである。
 こんなにもリボーンを想っているのだという表われでもあった。
 そして、それ以上の甘え。
 ランボはリボーンの口付けの甘さを知っている。心が満たされる感覚を知っている。
 だから、こうして怒りをぶつけ切れば、ランボの想いを知ったリボーンが最後には慰めてくれるかもしれないという期待があった。
 それは甘えであったが、ランボはリボーンに優しくされる事の心地良さを知ってしまっていたのだ。
 そう、リボーンは優しかった。
 愛人には優しくすると、そう言ったリボーンはランボにも優しかった。
 その為、ランボはそれを期待したのだ。
 こうした思いから、ランボはリボーンの優しさを期待して、黙ったままでいるリボーンに怒りをぶつけ続けた。
 だが不意に、ランボの怒りを遮るようにして今まで黙っていたリボーンが口を開く。
「言いたい事はそれだけか?」
 これがリボーンの第一声だった。
 この言葉を紡ぐリボーンの声色には何の感慨もなく、それどころか少し苛立った様子でランボを見据えている。
 そして。


「――――勘違いしてんじゃねぇぞ」


 リボーンの低い声色。
 リボーンは吐き捨てるようにそう言うと、凍てつくような眼光をランボに向けた。
「俺が他の女といた事を、何でお前が責めるんだ?」
 そう言ってリボーンは立ち上がり、ランボを正面から見据える。そしてランボを馬鹿にするような笑みを浮かべ、ゆっくり言葉を紡いだのだ。
「愛人の癖に恋人気取りか? 笑わせるな」
 リボーンはそれだけを言うと、これ以上用は無いとばかりにランボを残して部屋から出て行こうとする。
 だが、出て行く間際にランボを振り返り、「お前、ウゼェぞ」とそれだけを吐き捨てて立ち去ってしまったのだった。





                                     同人に続く



今回は愛人ネタです。
リボランで活動すると決めた時から、いつかは書かなくてはならないネタだと思ってました。
だってリボ様は赤ん坊の頃から愛人持ちの方ですからね。
でも書いてみて思ったんですが、愛人ネタは難しいです。思ってたよりずっと難しかったです。
ランボの愛人認識にとても悩みました。マフィアの世界観から見れば愛人は普通の事かもしれませんが、それをランボにどう思わせるかに悩みました。
25歳ランボなら割り切ってしまうでしょうが、15歳ランボはまだ幼い感じですからね。だから、どうしようかな〜っと。
それに書くならハッピーエンドが良かったんで、こういう小説になった訳です。
やっぱハッピーエンドが好きです。どんなに辛いシーンを書いていても、ラストが幸福ならそんなに落ち込まずに済みます。それに読んでいただいている方にも、読後は暗い気持ちより「良かったね」とかの明るい読後感でいてほしいですからね。
という訳で、私はハッピーエンド主義です。





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