ダーリンハンター






 夜という時間は、一般的に大人の時間である。
 昼間は主婦や子供達で賑わっていた広場も、夜になれば恋人達の憩いの場所になる。恋人達は二人きりの世界を築き、夜の闇に紛れて互いを求め合うのだ。
 だが、この場所にいるからといって、全ての者達に恋人がいる訳ではない。広場には出会いを求めて遊びに来る者達も少なからずおり、女性は声を掛けられるのを待ち、男性は気に入った女性を見つけては一夜の誘いを掛けていた。
 それらの光景は何処の国の何処の街にも存在するもので、これは万国共通の出会い探しである。
 そして此処にも、一人の女に見惚れた若い男がいた。
 女は後ろ姿しか確認出来ないが、男はその姿を熱心に見つめる。
 それ程に、この女の後ろ姿は期待を膨らませるものだったのだ。女は、女性にしては長身だが、全体的に華奢な印象を与える体格をしており、スリットの入ったロングスカートから覗く足は、白く長く細く男の煩悩を駆り立てるものだった。しかも緩くウェーブのかかった黒髪は肩の辺りまで流れるように波うち、女の魅力を一層引き立てているに違いないと、男の想像を膨らませていたのである。
 男はこの女に狙いを定め、緩みそうになる表情を引き締めて一歩を踏み出す。
 容姿を確認出来ていない事に多少の不安を覚えるが、それでもこの後ろ姿は『スレンダーな美女である』と強く思わせる魅力的なものなのだ。
「君、一人なの? いい店知ってるんだけど、良かったら一緒にどう?」
 男は、女の背後から誘いの声を掛けた。
 男の声色は優しく爽やかさを感じさせるものだが、内心では、絶対落とす! という意気込みに燃え上がっている。
 今の男の頭の中は、これからこの女性と繰り広げる夜の営みに妄想と期待で一杯だった。
 そうした男の下心も知らず、女は「あら、私を誘ってるの?」とゆっくりと振り返る。
 だが。
 女が振り返った、その瞬間、――――男の時間が止まった。
 正しくは凍てついたように硬直した。
 期待に満ちていた表情は真っ青になり、男の燃え上がっていた意気込みが一瞬で鎮火する。
「ひっ! お化け……!」
 女の容姿を見た、男の第一声がこれだった。
 男は表情を引き攣らせてじりじりと後退し、やがて「うわああぁぁ!」という間抜けな叫び声とともに走り去っていったのだ。
 そんな男を見送った女は、「お化け?」と訳が分からず首を傾げる。
「お化けなんて、何処にいるんだろ?」
 お化けとか苦手なのに……と女は不安気な気持ちになりながらも、「化粧直ししないと」と化粧ポーチから小さな手鏡を取り出す。
 女は小さな鏡を覗き込み、鏡に映る自分を見つめた。
「ちょっと化粧は濃いかもしんないけど。まあ、完璧だよね」
 鏡を見つめた女の感想は、否、ランボの感想はこれである。
 そう、この女は女装したランボだったのだ。
 そして、ランボ自身が「完璧」と感想を漏らした今の姿は、見事に女性物の服を着こなした姿だった。
 しかし、姿は見事に女性を装っていたが、ランボが「ちょっと濃いかも」と称した化粧は凄まじいものがあったのだ。
 ファンデーションは元々の肌色が分からないほど白く塗り重ねられ、頬には赤く丸々としたチークが日本の国旗のように彩っている。しかも、ランボの特徴である垂れた目尻には、盛大に塗られた青紫のアイシャドー。その塗りっぷりは動物園のパンダか、殴り合い後の鬱血を連想させるものだった。
 今のランボは、いろんな意味で化粧が完璧過ぎたのである。
 だが、ランボは初めての化粧という事と、感覚が分からないという事もあって、その破壊力の凄まじさに気付いていなかった。それどころか、三時間も掛けて行った自分の化粧に「なかなか力作」と過大評価までする始末だったのだ。
 その為、先ほど逃げていった男に対して「イタリア男の風上にも置けないな」と当然のように毒吐く。
 しかしそう毒吐いてみても、ランボを見て逃げ出す男はさっきの男だけでは無かった。ランボは陽が沈んだ頃から広場に立ち、数多くの男に声を掛けられてきたが、全ての男達が悲鳴とともに逃げていったのである。
 最初は「なんだ?」と思っていたランボであるが、何十回も続くとさすがに異変を感じ始めているのも確かだった。
 ランボは逃げる男達を不思議に思い、鏡に映る自分を凝視し続ける。
「いったい何が駄目なんだろ?」
「――――全てが駄目に決まってるだろ」
 ランボは小さく呟いたが、不意に、呟きは背後から切って捨てられた。
 独り言に返事を返されたランボは、ギョッとしたように後ろを振り向く。
「リボーン!」
 ランボの背後に立っていたのはリボーンだった。
 ランボはリボーンの姿を見ると「げっ」と嫌そうに表情を歪める。だが、リボーンの方は「お前……っ」と呆れを通り越して唖然としていた。
「アホだ馬鹿だと思っていたが、それは何の冗談だ……?」
 リボーンはそう言ってランボの顔面を指差す。
 指を差された事にランボはムッとしながらも、「見れば分かるだろ?」と何故か自信満々に胸を張った。
「なんの冗談って、見ての通りの女装だよ。そんなのも分かんないの?」
 分かる訳ねぇだろ、とリボーンは突っ込みたかった。
 もしこの女装姿がランボから見た女性観ならば、世の中の女性に対する冒涜ではないかとすらリボーンは思ってしまう。
「おい」
 リボーンは怒りを滲ませた低い声色でランボを呼んだ。
 そして、リボーンはおもむろにランボの首根を掴む。
「ち、ちょっと何なんだよ?! いきなり掴まないでよ!」
 突然リボーンに捕まれたランボは慌てるが、リボーンは構わずに引き摺るようにして歩き出した。
「離せよ!」
 ランボは逃げ出そうと必死に抵抗するが、赤ん坊の頃から一トンハンマーを振り回していたリボーンに敵うはずがなく、無様にもずるずると引き摺られていく。
「女装と仮装を間違えてんじゃねぇぞ。ホラーハウスのモンスターみたいな化粧しやがって」
「モ、モンスター?! それはちょっと酷いんじゃない?!」
 お化け屋敷のお化けに例えられたランボは、さすがに黙っていられず言い返した。
 これでもランボは化粧に三時間を掛け、初心者にしては上出来ではないかと思えた力作なのだ。それなのに、その結果がモンスターではあまりに自分が不憫である。
 ランボは「オレに謝れ!」と引き摺られながらも喚き、ジタバタと一層暴れだす。
 しかし、そんなランボであったが、敢え無くリボーンの「煩せぇぞ」という一喝に黙らされた。
「目立つから騒ぐな。これ以上、恥を曝すんじゃねぇ」
 リボーンの言葉に、ランボは悔しげに唇を噛み締めた。
 確かに今の二人は目立っていた。
 今のランボは別の意味で単体でも目立つが、そんなランボを捕獲したのがリボーンなのである。
 リボーンの容貌は、闇夜の中にあっても際立つような端麗なもので、目鼻立ちなど一つ一つのパーツが一級品の造形物のように整っているのだ。しかも、纏う雰囲気も洗練されており、時には物腰柔らかく、時には凍てつく氷のように怜悧にと、それを使い分ける様はリボーンの魅力を引き立たせ、それに惹かれない者などこの世に居ないと思わせるものだった。そして今も、広場にいる女性達の視線を当然のように釘付けにしている。
 だが、そんなリボーンに捕獲されながらも、せっかく化粧までしたのに罵詈雑言を浴びせられたランボは、情けなくも泣き虫を発動して少し泣いてしまいそうだった。
 しかし、泣き虫であるが負けず嫌いでもあるランボは、涙を堪えてキッとリボーンを睨みつける。そして。
「何だよ! こうなったのも、全部リボーンが悪いんだろ?!」
 そして、事の始まりを蒸し返すように、リボーンに声を荒げたのだった。


   ******


 ランボが夜の広場で女装をしていたのは、全て昼間の出来事が切っ掛けだった。
 昼間、ランボはリング守護者としてボンゴレに召集がかかり、ボンゴレ屋敷にある綱吉の執務室を訪れていたのだ。
 執務室にはランボの他に、綱吉やリボーンをはじめ、他のボンゴレリング守護者達が揃っていた。
 リングの持ち主達はボンゴレの守護者とも呼ばれ、一度招集が掛かれば、守護者である限りファミリー違いのランボといえど、ボンゴレの為に働かなくてはならない。
 しかし、ファミリー違いとはいえランボがそれを嫌がる事は決して無かった。むしろボンゴレ守護者に選ばれた事は光栄な事であり、危険を冒してでもボンゴレの為に働くことは名誉である。
 それに、ランボはボンゴレファミリー十代目である綱吉が大好きだった。ランボは幼い頃から、綱吉には保育係として世話をしてもらい、今でも年の離れた弟のように扱ってもらっているのだ。
 ランボはそんな綱吉が大好きで、守護者として守っていきたいと思っていた。
 その為、守護者として働ける事はランボにとって嬉しい事だったのである。
 今回、リング守護者達が召集されたのも、少人数の精鋭が秘密裏に動かなければならない仕事があったからである。ランボの実力は守護者として一人前とは言い難いが、それでも守護者である限り要求されるものも大きいのだ。守護者の名を冠するだけで第三者は精鋭と分類する為、ランボ自身もその期待に答えなければならない。それはランボが十五歳という年齢であろうが関係無かった。
 こうして召集された守護者達を前に、綱吉から下された命令は潜入任務だった。
 潜入先は、『ボルガッティ』という資産家の懐である。
 このボルガッティという男は一代で莫大な資産を築いた名士であったが、黒い噂が絶えず、裏で麻薬密売組織の元締めをしていると云われていた。その証拠は掴めていないが、限りなく黒に近いと囁かれており、穏健派であり薬物を嫌うボンゴレは警戒していたのだ。
 しかし今、警戒だけでは治まらぬ事態が迫っていた。それというのも、ボンゴレの傘下であるファミリーにボルガッティが接触しようとしていたのである。万が一でも傘下ファミリーがボルガッティと関係を築いてしまえば、ボンゴレも静観していられなくなるのは必至である。
 その為、綱吉は秘密裏に麻薬密売の証拠を探し、それを暴いてボンゴレから遠ざける事を考えたのだ。
 そこで潜入方法であるが、ボルガッティの性格を考慮して一つの方法が考えられた。
 方法とは、ボンゴレの者をボルガッティの私生活まで忍び込ませるというものである。
 ボルガッティは大の好色家としても知られており、愛人の数は両手で足りない程だと調べがついている。しかも気に入った女性に対して我慢が利かず、欲すれば即日でも手に入れようとする男だったのだ。
 それらの情報を踏まえ、潜入方法に色仕掛けを選んだのである。
 だが、そこで問題になったのは誰を潜入させるかという事だった。
 こういった役目は女性が実行してこそ意味があるのだが、ボルガッティの度を越した好色振りを考えると、綱吉はそれをどうしても躊躇ってしまったのである。
 こうした躊躇いの中で綱吉は思案し、最終的に思いついたのが『女性を危ない目に遭わせるくらいなら、男でいいや』という、ある意味とても単純な思い付きだったのだ。
 しかもこの思いつき以上に良い案も浮かびそうに無く、綱吉はさっさと実行に移す事に決定すると、次に悩んだのがやっぱり誰に潜入させるかという事だった。条件としては、女装が似合いそうな若年であり、腕が立ち、ボンゴレを裏切らない者である。
 そしてそれらの条件を挙げた時、白羽の矢が立ったのはランボだった。
 最初はリボーンも候補に挙がったが、リボーンは綱吉の護衛を兼ねている事と、彼にしか出来ない困難な仕事があるのだ。その為、結局はランボしかいないのである。
 それに、ランボは綱吉が挙げた条件をほぼクリアしていた。まず、十五歳のランボは骨格が未発達で体格を誤魔化せるという事、ボンゴレに誠実であるという事など、ランボは潜入任務に就くにあたって申し分ない存在だった。
 そして何よりランボを適役だと思わせたのが、ランボの容姿にあった。ランボの容貌は、甘えたがりな性格を具現化したような甘い造りをしているのだ。翡翠色の瞳を縁取る長い睫や垂れた目尻は、歳不相応の色香を薫らせ、他人を惹きつける魅力を持っている。又、乳白色の素肌、赤く色づく唇、ふわふわの柔らかな黒髪は充分女装に耐えられるだろう。
 敢えて問題を提示するなら、それは腕が立つかどうかの部分だけだ。ランボは実力や経験などが守護者として未熟であり、精神的な部分を含めてまだまだ発展途上なのだ。それを思うと不安が多かったが、今はランボ以外に指名できないのも確かである。
 綱吉はそれらを心配しながらもランボにしか頼めない為、潜入任務の打診をしたのだ。
 だが、ランボから返ってきた返事は意外なほどあっさりしたものだった。
「いいですよ。十代目のお役に立てるなら頑張ります!」
 そう、ランボは簡単に了承したのである。
「女装して色仕掛けっていうのが気になりますが、それがリング守護者としての務めなら、必ず遣り遂げて見せます!」
 ランボは強い口調で言い切った。
 ランボとしても、女装して男のターゲットに接触するなんて考えただけでも嫌悪を覚えるが、それが綱吉の為なら話は別である。今のランボは、リング守護者として綱吉から命令を受けたという事の方が重要だった。
 半人前のランボにとって、綱吉から命令を受ける事は「ランボの将来に期待してるよ」や「信頼してるよ」と同義であると自分に都合良く解釈し、それらが女装に対する嫌悪を軽く飛び越えていたのだ。
 しかしそうした中、不意に、今まで黙って成り行きを見ていたリボーンが口を開いた。
「おい、本当にこのアホ牛に潜入させる気か?」
 リボーンはそう言うと、嘲笑うような視線をランボに向ける。
「どう見ても無理だろ」
 一笑とともに紡がれたリボーンの言葉は、ランボを大いに馬鹿にするものだった。
 そして、馬鹿にされて黙っていられないのがランボである。ランボは弱虫で泣き虫でヘタレな性格をしていたが、それと同時に負けず嫌いでもあったのだ。
 ランボはリボーンをキッと睨み据え、「失礼なこと言うな!」とリボーンに声を荒げる。
「無理って勝手に決め付けるなよ! オレだって、潜入くらい出来るもん!」
「無理だろ。アホ牛の女装如きで男を落とせるとは思えない」
 無理だとはっきり言い切るリボーンに、ランボの負けず嫌いはますます刺激された。
 頭ごなしに無理だと言われ、ランボは悔しくてしょうがなかったのだ。
「そんな事ないよ! オレだって、男の一人や二人なら簡単に落とせるに決まってる!」
 激情したランボは拳を強く握ってそう言い放ち、ビッとリボーンを指差す。
 そして。
「見てろよ、リボーン! オレの魅力を分からせてやる!」
 ランボは勢いでそう宣言していた。
 だが、熱くなったランボは止まらず、綱吉に「見ててください!」と吉報を待たせ、そのままボンゴレ屋敷を飛び出したのである。
 こうしてランボが向かった先は夜の広場であり、そこで女装して男を落とせる事を証明しようとしたのだった。


   ******


「アホ牛を捕獲したぞ」
 夜の公園でランボを回収したリボーンは、そのままボンゴレ屋敷に戻ってきた。
 ランボがボンゴレ屋敷を飛び出してから、綱吉はリボーンにランボを捕獲してくるように命じていたのだ。
 綱吉は「ご苦労様」とリボーンに礼をするが、リボーンに猫の子を掴むように首根っこを捕まれているランボを見て苦笑する。
「うわー……、ランボ、物凄く頑張ったんだね……」
 ランボは、夜の公園で晒していた姿のまま綱吉の前に突き出されたのだ。
 綱吉はそんなランボの姿に苦笑しか浮かべる事が出来ないが、ランボは何を勘違いしたのか自信満々に胸を張る。
「はい。化粧に三時間掛けました」
「うん。そういう意味じゃないんだけどね……」
 あはは……、と綱吉は乾いた笑みを浮かべると、リボーンに視線を向けて「本当にご苦労様」と心から労いの言葉を掛けた。
「アホ牛の回収なんて二度と御免だ。俺にこんな下らねぇ事を押し付けるんじゃねぇぞ」
 リボーンはそう吐き捨てると、捕らえていたランボを突き放し、そのままソファにどかりと座る。
 そうして苛立った様子のリボーンに、綱吉は小さく笑いながらも「しょうがないじゃない」と反論した。
「ごめんね。でも、リボーンの余計な一言が原因なんだから我慢してよ。それに――――」
 綱吉はそこで言葉を切り、ソファに座るリボーンと、奇妙な格好をしたまま突っ立っているランボを交互に見つめ、楽しそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。


「それに、二人は恋人同士なんだから」


 そう、リボーンとランボの関係は、なんと恋人同士という関係だったのだ。
 幼少時の頃は、リボーンはランボをまったく相手にせず無視し続けたが、ランボの方は一方的にリボーンに対抗心を燃やし、ひたすら「死ねー」と追い駆け続けてきたのである。
 それなのに、数ヶ月前に二人の関係は『恋人同士』という関係になったのだ。
 この関係は、今までの二人にとって最も遠かった筈の関係であり、初めてその事実を聞かされた周囲の者達は「天変地異の前触れか?!」と慌てたほどである。
 しかし、二人の関係は変化したが、二人の態度が変化する事はなかった。
 リボーンは相変わらずランボを相手にせず、ランボもそんなリボーンに食って掛かるという光景が日々繰り返されているのだ。しかもそれは第三者のいる前だけでなく、どうやらプライベートでもそういった光景が繰り広げられているようだった。
 そんな二人の姿に、周囲の者達は「本当に恋人なのか?」と疑いたくなるが、おそらく本人達も疑問に思う事が多いだろうと、綱吉などは思っている。
「それよりランボ、そんな格好で出歩いたりして危険は無かった?」
 有る訳が無いと思いつつも、優しい綱吉はランボに気遣いをみせた。
 だが、綱吉の社交辞令的な気遣いに気付かないランボは、「十代目、聞いてください!」と笑顔で綱吉に詰め寄る。
「十人以上の男に声を掛けられたんです! ですから、オレの魅力は証明されました!」
「え?! そうなの?!」
 綱吉は執務椅子から立ち上がるほど驚いた。
 その驚きと同時に、イタリア男の女性に対する懐の深さに感動すら覚える。
 だが、綱吉の驚きの原因は、リボーンによって直ぐに解消された。
「声を掛けられても、顔を見られたら全員立ち去っただろうが」
 リボーンが付け足したこの事実に、ランボは「リボーンは黙っててよ!」と喚き、綱吉は「そっか」と納得したように執務椅子に座りなおす。
 しかし、綱吉は「でも、これではっきりしたね」とランボを見つめてニコリと笑った。
「ランボなら、この潜入任務を任せても良さそうだ。素質はあるみたいだし、磨けばもっと輝けるね」
 綱吉はそう言うと、執務机の引き出しから一冊のパンフレットを取り出し、「ほら」とランボに手渡した。
「……女性の完璧マナー教室?」
 パンフレットのタイトルを読み上げたランボは、これは何ですか? と不審気に綱吉を見つめる。
 そんなランボを見て、綱吉は普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたまま、一字一句ゆっくりと言葉を紡いだのだ。
「明日からランボはマナー教室に通ってね。女性の立ち居振る舞い、喋り方、マナーを全部マスターしておいで」
「そんな……っ」
 綱吉の突然の言葉にランボは驚いたが、綱吉に「ん?」と有無を言わせぬ笑顔を向けられ、反論もままならずに黙り込む。
 ランボ如きが綱吉に逆らえる筈がないのだ。
 それに、綱吉の提案はランボの為であると分かっていた。
 女装して潜入するという事は、ターゲットの前では完全な女性になりきらなくてはならないのだ。だが、男として生まれ育ったランボが完全な女性になる事は無理な為、せめて本物の女性に見えるように演技をしなくてはならない。
 もし不完全な演技のまま潜入してしまえば、ランボの命を脅かす事態にもなりかねず、綱吉はそれを阻止する為にマナー教室にランボを通わせようというのである。
 そもそもこの潜入任務は遊びではなく、証拠探しという立派な仕事なのだ。ランボもそれを心得ている為、「分かりました……」と渋々ながらも納得した。
「でも、せめて明後日からじゃ駄目ですか? 明日は仔猫ちゃんとのデートが……」
「デート?」
「いえ、何でもありません」
 ランボは自分の言葉を即刻撤回し、綱吉の得体の知れぬ威圧感に怯えながらも「オレ、頑張ります!」とパンフレットを握り締める。
 そんなランボの様子に綱吉は苦笑したが、「マナー教室の先生にも話は通してあるから、精一杯頑張るんだよ?」とランボを励ました。
「潜入任務の開始は、一週間後にボンゴレで行われるパーティーを予定している。下準備はこっちでしておくから、ランボは一週間で女性の作法をマスターするように」
「分かりました。一週間後ですね」
 綱吉の言葉に、ランボは真剣な表情になって重く頷く。
 綱吉が命じたならば、これは遊びではないのだ。綱吉が一週間でマスターしろと命じた時点で、ランボの仕事はマナー教室へ通う事から始まっており、一週間後の潜入に備えて万全を期しておかなければならない。
「明日の準備がしたいので、オレはそろそろ失礼します」
 ランボはそう言うと、気合いを入れるようにパンフレットを握り締めて丁寧に一礼する。そして、そのまま「失礼しました」と綱吉の執務室を出て行ったのだった。
 綱吉は「頑張ってね」とランボを見送り、ランボがいなくなるとリボーンに視線を向ける。
 リボーンはソファで新聞を読んでいるが、今までの事の成り行きを聞いていない筈がないのだ。
「リボーン、ごめんね」
 突然の綱吉の謝罪に、リボーンは「何のことだ?」と新聞から顔を上げる。
「リボーンの恋人に潜入なんて真似をさせるから、リボーンが怒ってるんじゃないかと思ってさ」
 しかも今回の潜入は色仕掛けを含む潜入である。普通の恋人同士なら、この潜入を手放しで歓迎できる筈がないのだ。それを思って綱吉はリボーンに謝罪した。
 だが、リボーンの反応は、見事に綱吉の予想を裏切るものだった。
 リボーンは盛大に表情を顰めて「謝罪を撤回しろ」と低く言ったのである。
「俺がそんな事で怒るなんて有り得ねぇぞ。心配するだけ馬鹿らしい」
 リボーンは淡々とした口調で吐き捨てるようにそう言った。
 しかも、そう言ったリボーンの言葉には嘘が無いようで、表情には心底迷惑だという本音が描いてある。
 そんなリボーンの様子は、本当に恋人同士なの? と疑いを抱くには充分なもので、綱吉は不審気に言葉を続けた。
「リボーンは心配とかしないの? それに、さっきランボは仔猫ちゃんとデートとか言ってたし、そこは彼氏として嫉妬するところだと思うんだけど」
「嫉妬? 冗談はやめろ。アホ牛と仔猫ちゃんとやらの会話を聞いた事があるか? 初めて聞いた時、俺は耳を疑ったぞ」
 リボーンはそう言うと、新聞を閉じて呆れた様子で言葉を続ける。
「アホ牛の言ってるデートってのは、女同士でする買い物みたいなもんだ。話してる内容も、どこぞの店のデザートが美味いとか、女の愚痴の聞き役とか、そんなのばっかだぞ」
「それって……」
 リボーンの話を聞いた綱吉は思わず唖然としてしまった。
 もしそれが本当なら、ランボは女の子達を仔猫ちゃんと称して気取っているが、その実体は只の女友達ではないかと思ってしまう。
 だが綱吉は、ランボの男としての名誉の為に「で、でも」とフォローしようとする。
「でもさ、ランボも男だし、女の子と一緒にいて何も起こらないって言い切れないよ」
「それは絶対無ぇな」
 リボーンは考える間も無く断言した。
 しかもリボーンの断言には絶対の自信すら窺がえ、そこには微かな苛立ちが含まれていた。
 その苛立ちに気付いた綱吉は、「何かあったの……?」と躊躇いつつもリボーンに訊いてみる。
 だが、その質問はリボーンのパンドラを開けたも同然のものだった。
 リボーンは苦々しい表情になり、今までの不満をぶちまけるように喋りだす。
「俺はあいつを自分の恋人だって認めたくないぞ。まだ手も出してねぇんだ」
「嘘?! リボーンがまだ手を出してないの?!」
 綱吉は、本日何度目かの驚きの声をあげた。
 綱吉は「あのリボーンが……」とまるで信じ難いものでも見るようにリボーンを見る。
 そもそもリボーンは赤ん坊の頃から愛人を囲い、知識も実践も百戦錬磨を誇っている。そんなリボーンが手を出してないなど、これは有り得ない事態だった。
 綱吉は心配気にリボーンを見つめて「病院紹介しようか?」と訊くが、そんな綱吉の言葉に、リボーンは「殺されてぇのか」と銃弾とともに返事を返した。
「違う。俺のせいじゃねぇ。あのアホが悪い」
 リボーンは吐き捨てるようにそう言うと、少し前の出来事を回想するように目を細めた。
 そう、リボーンを苦悩させて綱吉を驚かせたこの事態は、リボーンとランボの間に恋人関係が成立した時から始まったのだ――――。



 リボーンとランボが恋人関係になったのは、今から二ヶ月前の事だった。
 恋人同士になった切っ掛けは、ランボからの誘いである。
 その日、ランボは普段通り十年前から続けている襲撃を行い、リボーンの反撃を食らっていた。そしてその後は、「今日の襲撃はおしまいっ」と言ってリボーンの私室で寛ぎだすのが日課である。
 最初はリボーンもランボを追い出していたが、それが面倒臭くなって放置する事にしていたのだ。
 そんな中、リボーンがソファに腰掛けて読書をしていると、不意にランボが話しかけてきたのである。
「リボーンって、たくさん愛人いるよね?」
「それがどうした」
 リボーンは返事をするのも面倒臭いと思ったが、返事をしなくても面倒臭いので適当に言葉を返した。
 こうしたリボーンの態度は素っ気無いものだが、それに慣れているランボはへこたれずに質問を続ける。
「それじゃあ、……恋人は?」
 この質問に、リボーンは不審気に顔を上げた。
 そして質問したランボの表情を見た瞬間、『ああ、とうとうこの時が来たのか』とどこか感慨深げに思った。
 今のランボはさり気無さを装ってリボーンに質問しているが、表情には内心の動揺が隠し切れていなかったのだ。ランボの翡翠色の瞳には戸惑いと怯え、何よりリボーンを窺がうような色に彩られている。
 リボーンはそれを見ると、微かに目を細めた。
 リボーンは、ランボがどういうつもりで自分にこんな質問をしたのか分かっていた。
 ランボは隠しているつもりのようだが、ランボがリボーンに対して数年前から恋愛感情を抱いている事を、リボーンや綱吉をはじめとした周囲の者達は気付いていたのだ。はっきり言って、隠し通せていると思っているのはランボだけである。
 そんなランボの気持ちを知っていたリボーンは、こういう恋愛に絡めた話しがいつか来るだろうなと予想していた。そして何より、リボーン自身もランボの事を少なからず特別に想っていた事もあり、格下を相手にする不満はあっても嫌悪感を抱く事は無かった。
「恋人はいない」
「そ、そうなんだ……っ」
 リボーンが淡々と答えると、ランボはあからさまに安堵した表情になる。
 その後、二人の間には沈黙が落ちたが、しばらくして沈黙を破るようにランボが口を開いたのだ。
「じ、じじ、じゃあさ、オレが恋人に……なってあげようか?」
 どうしていきなりそういう思考に行き着くんだと、リボーンは思った。しかも『なってあげようか?』ときたものだ。
 このランボの物言いにリボーンは僅かに目を据わらせたが、ランボの様子を見て口元に薄い笑みを刻む。
 今のランボは言葉とは裏腹に、顔を耳まで真っ赤にし、まるで戦闘中を思わせるような必死の形相でリボーンを凝視していたのだ。その様子からは戸惑いと困惑、そして一縷の希望に縋るような切実さが伝わってくる。
 そんなランボの必死さに、リボーンの答えは決まった。
「恋人にしてやってもいいぞ」
「え……、……嘘……っ」
 リボーンの返事に、ランボは現を抜かれた表情になった。リボーンから色好い返事を貰えるとは思っていなかったのだ。
「…………本気なの?」
 ランボが恐る恐る訊いてきた。
 これは明らかに有り得ない事態であり、ランボは怯えてしまうほど動揺しているのだ。
 だが、動揺するランボに、リボーンは「冗談で牛なんて相手にしねぇぞ?」と笑みを含んだ口調で答えてやる。
 するとランボはパッと表情を輝かせ、顔を真っ赤にしながらも「オ、オレも冗談じゃなかったりするんだよね!」と意地っ張りな事を言った。
 普段のリボーンならランボが生意気な事を言えば速攻銃弾をお見舞いするのだが、今にも鼻歌を歌いだしそうなランボの様子に今回だけは許してやる。
 こうしたリボーンの心情も知らず、ランボはリボーンを見て嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、今からオレはリボーンの恋人だね」
「そうだな」
 リボーンが答えると、ランボの表情は一層嬉しそうに輝きだす。
 そんなランボの様子は今にも踊りだしそうなもので、リボーンはそれを黙って見ていた。
 しかし、これだけで事が終わる筈がないのだ。
 据え膳食わねばを信条にしているリボーンは、「ちょっと来い」とランボを傍に呼ぶ。せっかく恋人同士に関係が発展したのなら、そう扱ってやるのが道理というものだろう。
 リボーンに呼ばれたランボは「なに?」といそいそと傍に寄ってくる。そしてソファに腰掛けているリボーンの隣に座り、頬を赤く染めながらもリボーンを見上げた。
「どうしたの?」
 ランボは訊くが、リボーンは答えない。
 答えない代わりに、リボーンはランボの頬にそっと触れた。
 リボーンの指先が、ランボの輪郭をなぞり、擽るように耳元に触れ、最後は顎先を優しく撫でる。
 このリボーンの指使いは、ランボに口付けの予感を感じさせるもので、ランボは照れながらも小さく笑った。
 そして、ランボは「さあ来い!」とばかりに目を閉じる。
 目を閉じて口付けを待つランボの姿は初々しく、身体は小さく震え、頬を赤く染め、伏せられた睫毛が小刻みに震えていた。
 こうした初々しいランボにリボーンは目を細め、最初くらいは優しくしてやるか……と思いながらゆっくりと唇を寄せていく。
 だが、次の瞬間。
 リボーンはランボの唇を凝視し、この世に誕生して初めて硬直というものを体験する事になったのだった。



「――――あれは、タコの吸盤みたいだったな」
 リボーンは綱吉に向かい、二ヶ月前の出来事を語った。
 そう、二人が口付けを交わそうとしたあの時、リボーンは飛んでもないものを目にしてしまったのである。
 それはランボの唇だ。
 口付けを待ちわびるランボの唇が見事な形で突き出されていたのだ。それがリボーンの視線を釘付けにし、甘い雰囲気がそっちのけの状態になったのである。
「で、でも唇を突き出すくらいで大袈裟な……」
 リボーンの話を聞いていた綱吉は、「キスくらいで……」と乾いた笑みを浮かべてランボをフォローする。
 だが、リボーンは表情を顰めて「これくらいだぞ?」と、ランボが唇を突き出した長さを指先で示した。
 示した長さは、およそ二センチ。
 その長さを見た綱吉は、口付けの光景を想像して「ああ……」と思わず項垂れた。
 怯えて小さく震えるのは可愛い。伏せた睫毛が小刻みに震えるのも可愛い。しかし、唇を突き出すのはまずいだろう。しかも二センチ。これでは立派なタコの吸盤である。
「ランボってマフィア歴は長いと思うんだけど、そういう経験無いのかな?」
 綱吉が疲れた口調でそう訊くと、リボーンは「アホ牛にマフィア歴なんて関係無いぞ」と鼻で笑う。
「あのアホは、知識はあっても経験が無いってやつだ。しかも中途半端にもてるから余計に性質が悪い」
 唯一の救いである知識も偏ってるしな、とリボーンは眉を顰めてそう言った。
 要するに、救いようが無いのである。
 しかもランボの環境もそれに拍車をかけるものだった。幼い頃から甘え上手のランボは、この歳になっても無意識に甘え上手を発揮し、ついつい周囲も甘やかしてしまう事があるのだ。
 それはランボの自立心に悪影響を与え、お陰で現在でも昔と変わらぬヘタレである。
 そう、ランボはまだまだ発展途上の子供なのだ。本人だけが『自分はヘタレでも泣き虫でも無い』と思っているようだが、大きくなったのは身体だけだった。
「それで、その時から手を出してないの?」
 綱吉が苦笑混じりにそう訊けば、リボーンは「まあな」と口元に苦い笑みを刻む。
「萎えたんだ」
 リボーンは淡々とした調子で『萎えた』とだけ言った。
 だが、萎えたのと同時に、リボーンはある事を察したのだ。
 初めて硬直を経験したあの時、時間が必要なのだと察した。
 長い時間を待つつもりは無いが、それでもランボが今より成長してからの方が自分の為にも良いだろうと思ったのである。
 別にランボを気遣うつもりは欠片も無いが、今直ぐに抱きたいと思うほど盛っている訳ではない。それならば、待った方が得策だろうと察してしまった。
 リボーンは「難儀だな……」と自分でも思ったが、赤ん坊の頃から愛人を囲う自分は、幸か不幸かタコの吸盤に進んで口付けたいほど飢えてもいなかったのである。
 それに、あれを目にして萎えても、別れるという選択肢が浮かびもしなかった事に、リボーンは自分の本気を知ってしまったのだ。
「リボーンも……大変だね」
 綱吉が心からの同情をリボーンに向けた。
 そんな綱吉の同情に、リボーンは何とも言えない表情で「黙れ」と言葉を返したのだった。





 ボンゴレ屋敷を出たランボは、そのまま自分のアパートへ帰ってきていた。
 ランボは数年前から街中にあるアパートの一室を借り、そこで一人暮らしを始めていたのだ。
 帰ってきたランボは綱吉から受け取ったパンフレットを前にし、明日のデートを断る事になった仔猫ちゃんに電話をしていた。
「すみません。オレも楽しみにしてたんですが、絶対断れない仕事が入ってしまって……」
『そうなの……。残念だけど、仕方がないわね』
「はい。本当に残念です。明日食べに行く筈だった、ブルーベリータルト楽しみにしてたんですが……っ」
 ランボが落ち込んだ様子でそう言えば、受話器の向こうの仔猫ちゃんは母親のように『元気だして?』とランボを慰める。
『今度、美味しいデザートのお店巡りをしましょう?』
「本当ですか? たくさん連れてってくれるんですか?」
 単純なランボは、お店巡りという言葉で簡単に復活してしまう。
『ええ、たくさん美味しいデザート食べましょうね?』
「はい!」
 こうして、最初はデートキャンセルだった筈の電話がデザート談義の内容に変化し、最終的にショッピング談義で幕を閉じた。
 電話を切ったランボは「お店巡り楽しみだな〜」とデートに思いを馳せながら、綱吉から受け取ったパンフレットの内容確認をする。
 だが、ランボは仔猫ちゃんとのデートに浮かれながらも、内心は一人の男の事で埋め尽くされていた。
 その男とは、リボーンである。
 リボーンとランボは二ヶ月ほど前から恋人関係になったが、最近のランボの悩みは恋人であるリボーンの事だった。
 その悩みの内容は、リボーンが恋人扱いしてくれないという事である。
 恋人になって二ヶ月も経過したのに、リボーンとは触れ合う事は愚か、口付けすらしていないのだ。
 否、口付けだけなら恋人関係が成立した時にそういった雰囲気になったが、何故か口付けには到らなかった。口付けしやすいようにわざわざ唇まで突き出したのに、結局空振りしたのである。
 しかも、それからのリボーンは一切ランボに触れようとせず、ランボに対する態度も以前と変わらないもので、相変わらず無視されたりする事もある。
 この事態を何とかしようと思ったランボは、リボーンの想いを確認する為に、仔猫ちゃんと称しているガールフレンド達の話をしてみたが嫉妬すらしないのだ。
 それがランボを悩ませ、不安にさせていた。
 そもそも恋人関係が成立した時も、思い出してみれば曖昧なものだった。
 恋人になった切っ掛けは、ランボがさり気無く誘い、その流れに乗ってリボーンが了承したというものだったのである。
 ランボは数年前からリボーンに想いを寄せていた事もあり、本当は恋人になろうと持ち出した時も心臓が飛び出しそうなくらい緊張していた。
 しかしそんなランボに対し、リボーンは素っ気無い態度で了承したのだ。今思えば、リボーンの了承は気紛れだったのではないかとすら思う。
 一度リボーン本人に問い詰めたいと思っているが、リボーンを前にすると妙な負けず嫌い精神が働いて、意地になってしまうのだ。そしてそれ以上に勇気も無かった。
 もし気紛れだと答えられてしまえば、絶対に立ち直れないという嫌な自信があったからである。
 だから、せめて触れ合ったり口付けを交わしたりと、恋人関係になった事を示す行為が欲しかった。
 恋人になった当初は、手が早いリボーンなら直ぐにでも触れてくるかと思っていたが、現実はそれすらも無かったのである。
 せめて触れて欲しいと願うのに、ランボは自分に触れないリボーンに対して「オレの魅力が足りない?」と悩みもしたが、そんな馬鹿な……とそれは直ぐに否定していた。
 自慢ではないが、ランボはもてる。
 それはもう、男とか女とか性別の垣根を越えて好意を向けられる事が多かった。
 好意を向けられるという事は魅力的という事であり、それに対してランボは自信もあった。
 ランボは今まで誰とも一線を越えた事は無いが、自分が魅力的だという事だけはちゃっかり自覚していたのである。
 それなのに、そんな魅力を前にしても手を出してこないリボーン。
 ランボはそれを思うと、やっぱり気紛れだったのか? と回廊のように悩みを繰り返すのだった。







 翌日。
 昨夜、ランボはリボーンの事で悩んでいたが、そんな事を考えている暇は無かったと、さっそく思い知らされた。
 今日からランボは女性のマナー教室に通う事になっている。
 マナー教室へ行く前は、「ただのマナーだし、何とかなるだろ」と単純に思っていたが、指導が始まってからその考えは百八十度変化した。
 綱吉が手配したマナー教室は上流階級の令嬢を対象にした教室だった為、その厳しさや難しさは想像を絶するものがあったのである。
 まずは歩行の指導から始まり、座り方、ドレスの捌き方、物の持ち方、言葉遣いなど日常生活において当たり前の動作を徹底的に仕込まれるのだ。もちろんそれだけではなく、食事マナーや挨拶マナーなど常識的な事も含まれ、果ては殿方との上品な接し方、上品な思わせぶりの態度など、そんな事も教育するのかと思うほど多岐に渡っていたのである。
 しかもそこでの教育はハードなもので、少しでも礼儀作法を間違えると厳しい叱責が飛び、ランボはその度に半泣き状態になっていたのだ。
 ランボがマナー教室へ通わなくてはならない期間は一週間。しかも朝から夕方までみっちり教育される事になっている。ランボは一日目を終えた時点で、明日は登校拒否をしたいと心の底から思ってしまっていた。
 そもそも男として生まれ育ったランボにとって、今更女性の作法を覚えるなど無謀な事なのだ。本来作法とは幼児から順次身につけていくものであり、大人になれば自然と振る舞われているものである。それなのに、ランボは女性が何十年も掛けて身につける作法を一週間でマスターしなければならない為、一週間朝から晩まで指導されても足りないくらいだったのだ。
「もう無理だ……、もう嫌だ……っ、うぅ……」
 一日目の指導を終えたランボは、力無い足取りでアパートへ帰ってきた。
 まさかこんなに厳しいものとは予想もしていなかった為、疲労とショックが大きいのだ。
 思い出してみても、今日の指導は散々だった。
 歩行訓練では靴の高いヒールにバランスを崩してすっ転び、座る訓練では椅子を引かれたタイミングに合わせられずにすっ転び、ドレスの裾を捌く練習では裾が足に絡んですっ転び、言葉遣いの練習では舌を噛んだ。要するに、今日は散々だったのである。はっきり言って身も心もぼろぼろだ。
 ランボは今まで何気なく生活していたが、まさかこんなに男性と女性では作法が違っていたとは知らなかった。作法だけでなく、立ち居振る舞いも大きく違うのだ。
 よく『女性らしい態度、言葉遣い』などと言われているが、その『女性らしい』という立ち居振る舞いが女性としての魅力を引き出し、女性特有のたおやかな雰囲気を作り出しているのだ。
 プラス思考で考えれば、男として生まれ育ったランボでも、『女性らしい立ち居振る舞い』というものを手に入れれば、女性を演じきることは可能だという事である。
 ランボはそこまで考えると、「頑張らないと」と無理やり自分に気合いを入れた。
 本物の女性は無意識に女性らしい振る舞いを行うが、ランボは意識的に女性らしい振る舞いをしなければならない。だから何としても、マナー教室でその『意識』を手に入れるのだ。





 ランボがマナー教室に通い始めてから、ランボの試練の日々は続いていた。
 ランボが作法を守るのはマナー教室内だけでは許されず、時間が足りないという事で私生活でも女性の作法を練習し続けなければならなかったのだ。
 生真面目なところがあるランボは、私生活でも練習しなさいと言われればそれを忠実に守っていた。
 この私生活での練習は、一人暮らしのアパートなどでは良かったのだ。誰にも見られず、失敗しても誰にも怒られないのだから。
 だが、ボンゴレ屋敷で女性のように振る舞った時は悲惨だった。
 会議中にお茶の準備をすれば溢して怒鳴られ、上着を脱ごうとする男の手伝いをすればギョッとした顔をされ、女性らしい立ち居振る舞いをすれば全員が一斉に目を逸らすなど、容赦なくランボは追い詰められた。
 そう、女性らしさに慣れないランボは、全ての立ち居振る舞いがぎこちなく違和感を覚えさせるもので、それは失笑と不興を買うものだったのだ。
 しかも、獄寺や雲雀などはランボに対して不興を隠そうともしない為、この二人からは容赦無い叱責を食らう嵌めになり、ランボはその度に優しい綱吉や山本に泣きついていたのである。
「うぅ……っ、十代目、もう堪えられません……っ」
 そして今も、ランボは綱吉に泣きついていた。
 ランボのストレスと疲労は限界だったのである。どんなに女性らしく意識して振る舞っても、違和感を拭えず、少し喋るだけでも気を使い、指先から足の先まで常に緊張状態で過ごしていたのだ。
 これでストレスを感じないなんて、絶対に有り得ないとランボはひたすら嘆いた。
「ごめんね、ランボ。辛い思いをさせてるね」
 綱吉はランボの髪を優しく梳き、慰めるようにそう言った。
 そんな綱吉の優しさに、ランボの涙は止め処なく溢れ出す。
「ぅ……っ、う、うわああぁぁん!」
「よしよし、ランボはよく頑張ってるね。だからもう泣いちゃ駄目だよ?」
 綱吉の慰めに、ランボは涙を拭いながら「はい……っ」と小さく頷く。
 嗚咽を漏らしながらも言葉通り懸命に涙を耐えようとする姿は、綱吉でなくても可愛いと思ってしまう姿だろう。
 だが、そんな姿を見せるランボにも、綱吉はボンゴレ十代目として命じなければならない。
「今回の任務はランボにとって辛いものだけど、これはランボにしか出来ない事なんだ。これからも頑張ってくれる?」
 命じるといっても、ランボに甘いところがある綱吉の口調は優しいものだった。
 しかし、ランボにとってはボンゴレ十代目の大事な命令である。
「十代目……っ」
 綱吉の言葉に、ランボは唇を噛み締めて表情を引き締めた。
 ランボは綱吉の言葉を噛み締め、その意味を考えると気合いが入る思いがしたのだ。
 綱吉は言った。『これはランボにしか出来ない事』だと、確かにそう言った。
 この言葉は、半人前のランボにとって大きな意味を持つ言葉である。
「分かりました! 十代目はオレに期待してくれてるんですね?! 十代目がそこまで信頼してくださっているなら、オレ、頑張れそうです!」
 復活の早いランボは拳を強く握り締め、宣言するように強く言った。
 単純なランボは、綱吉から寄せられる思いが嬉しかったのだ。
「う、うん。頑張ってね……」
 綱吉は、期待? 信頼? と内心で首を傾げながらも、ヤル気を出してくれたランボの様子に「そうだよ。期待してるよ」と笑顔で煽った。
 こうして見事に復活を遂げたランボは、それからもマナー教室へ通い続け、女性作法を会得しようと一生懸命頑張ったのだ。
 そしてマナー教室最終日にはランボの努力が報われ、ランボの女性らしい立ち居振る舞いからは違和感が完全に払拭されていたのだった。







 天空に浮かぶ月が煌々と輝く時間。
 闇夜の山林の中で、古城を模した造りのボンゴレ屋敷が煌びやかな光に満ちていた。
 その屋敷に出入りする者達は紳士淑女ともに着飾り、浮かぶ笑顔も上品さを感じさせる者達ばかりである。
 そう、今夜はボンゴレ主催のパーティーが開催され、それに参加する者達は政財界の重鎮や著名人、同盟ファミリーのボスなど、ボンゴレにとって重要な人物達だった。そしてその参加者達にとっても、ボンゴレ主催のパーティーに招待される事は名誉な事だったのだ。
 パーティーが開催される時間が近づき屋敷内が騒がしくなる中、綱吉はリボーンを従えてある一室に向かっていた。
 その一室は、ランボの為の控え室だ。
 ランボは今日のパーティーから潜入任務を開始する為、ハルとともに控え室に篭って準備をしているのである。
「この一週間はランボも頑張ってたし、どんな変身をするか楽しみだね」
 今夜から潜入任務が開始されるというのに、綱吉は相変わらずの笑顔でそう言った。
 その言葉にリボーンは何とも嫌そうな顔をするが、綱吉は構わずに「綺麗になったかな?」と楽しげに話し続ける。
 こうして目的の控え室の前に着くと、綱吉は「オレだけど、入るよ?」と部屋の扉をノックした。
 ノックをすれば「どうぞ」とハルの明るい声がし、中から扉が開けられる。
 ハルの出迎えで綱吉とリボーンは入室すると、部屋の中には化粧や香水の薫りが漂い、ドレスや靴が並んでいるなど、いかにも女性の控え室らしい光景が広がっていた。
 その中で、鏡台の前に腰掛けていたランボが立ち上がり、ゆっくりとした仕種で綱吉とリボーンを振り返る。
「ランボ……っ」
 振り返ったランボの姿に、綱吉は息を飲んだ。
 綱吉とリボーンの前に佇む人物が、とてもランボだとは思えなかったのである。
 そう、今のランボは普段とは見違えるような姿だったのだ。
 今のランボは真紅のドレスを着用し、それを見事に着こなしていた。
 そのドレスは上質の絹で仕立てられており、全体的に落ち着いた赤を基調とした真紅である。だが、形がシンプル故に、着こなしが難しいタイプのドレスでもあった。しかも身体の曲線を際立たせる仕立ての為、まさに着用する者を選ぶドレスといえるだろう。
 このドレスは派手な飾りを無くす事で華美な印象を薄くし、上品さと気品さを漂わせるものである。派手な飾りの無いシンプルなドレスは地味な印象を与えがちだが、ランボの場合はシンプルなドレスだからこそ、素材である容姿の美しさが引き立ち、真紅の花のような姿を見せつけていた。
 そして、真紅の花と見紛うランボの容貌は、女性を装う為に薄く化粧が施されている。
 ランボの乳白色の素肌、長い睫毛に縁取られた翡翠色の瞳、薄く紅を引かれた形の良い唇。元々整った容姿をしているランボであったが、薄く自然な化粧をされる事で本来の魅力が一層引き立ち、薫るような色香が辺りに漂っているようだった。
 もし知らずに出会っていたら、間違い無くランボだと気付かずに女性として扱っていただろう。
 ランボが着こなす真紅のドレスや黒髪に映える髪飾り、そして首元を飾っている宝飾は、綱吉が全て用意させたものだが、まさかここまで似合ってしまうとは思っていなかった。
 ランボは綱吉達を振り返り、花が綻ぶような微笑を浮かべている。
 それは、まさにパーティーの『華』になるのに相応しい。
 その姿を見た瞬間、綱吉は内心で「これならいける」と潜入の成功を確信した。
「十代目、お待たせしてすいません。準備に時間が掛かってしまって」
 申し訳なさそうに言ったランボに、綱吉は笑顔で首を振る。
「構わないよ、仕度に時間がかかるのは当然だからね。それにしても綺麗になったね。これだったら誰もランボだって気付かないよ」
「そう言っていただけると安心です。有り難うございます」
 ランボが丁寧に感謝を述べれば、綱吉は自然な動作でランボの手を取り、そのまま手の甲に恭しく唇を寄せる。
 普段のランボが相手なら決してこんな事はしないが、今のランボは何処から見ても美女という分類に振り分けられる姿で、綱吉は思わず淑女に対する礼をとっていた。
「とてもよく似合うよ。オレがエスコートしたいくらいだ」
「嬉しいです。オレも、十代目でしたらエスコートされてみたいですよ?」
 そう言って微笑むランボは、社交辞令や礼儀作法を完璧に身につけた淑女そのものである。
 どうやら綱吉が手配したマナー教室は、ランボに『女性らしさ』を演じる方法を完璧に習得させたようだった。
「どうですか? ランボちゃん、とっても綺麗ですよね。ハルもびっくりしました!」
「ああ、オレも驚いた」
 準備を手伝っていたハルが嬉しそうに言えば、綱吉も「本当に綺麗だね」と素直に絶賛する。
「ウエストも締まってるし、胸もあるし、芸が細かいよね。これはどうしたの?」
「はい。胸はパットを入れて、ウエストはコルセットを装着しました」
 そう、今のランボはドレスを美しく着こなす為に、身体のラインまで気を使われていた。
 胸にはパットを自然な形で詰め込み、ウエストのラインが綺麗に際立つようにコルセットで締め付けたのだ。
 元々ランボは細身であるが、男性と女性の骨格や肉付きは根本的に違うのである。いくら細身でも隠しきれないラインがあり、それを誤魔化すためにコルセットを装着していた。
「コルセット大丈夫? 苦しくない?」
 わざわざコルセットまで装着して万全を期してくれたランボに、綱吉は感謝を覚えつつも心配気にウエスト部分を見つめる。
 コルセットは女性でも息苦しいと不満を漏らす物なのに、男のランボが装着して息苦しくない筈がない。
 しかし、そう心配する綱吉に、ランボは「大丈夫ですよ?」と小さく笑う。
「あのマナー教室での辛さに比べれば、コルセットの苦しみなんて仔猫ちゃんと戯れているようなものです」
「そ、そっか……」
 綱吉は、よく分からないランボの返事に苦笑しながらも「大丈夫そうだね」と安堵した。
 どうやらランボの根本的な性格はマナー教室でも直せなかったようで、今のランボは『黙っていれば美女』という言葉を具現化したような状態だ、と綱吉は冷静に思ってしまった。
 綱吉は気を取り直すと、さっそくとばかりに潜入任務について話し出す。
「今夜から潜入任務を開始するけど、ランボはくれぐれも気を付けるように。少しでも危険な事があれば、誰でもいいから近くにいるボンゴレの者に助けを求めるんだよ?」
「はい。気を使っていただいて有り難うございます。でも、オレは男ですから大丈夫ですよ」
 ランボは軽い調子で即答すると、「危険なんて有り得ませんよ」と可笑しそうに笑った。
 そしてランボは薄いベージュのストールを肩に羽織り、綱吉に丁寧に一礼する。
「それでは先にホールへ向かいます。十代目と一緒だと怪しまれますからね」
 ランボはそう言うと、そのまま控え室を出てパーティー会場であるホールへ向かったのだった。
 ランボが控え室を出て行くと、後には綱吉とリボーンが残される。
 綱吉は「後でね」と笑顔でランボを見送ったが、ランボの立ち居振る舞いや言葉遣いの一つ一つに目を見張る思いだった。
「元々の素材が良い事は知ってたけど、まさかあそこまで化けてくるとは思わなかったよ」
 綱吉は感心したようにそう言うと、ふと隣のリボーンに視線を向ける。
「ランボがあんなに化けちゃって、リボーンは心配じゃない?」
 綱吉が楽しそうに訊けば、リボーンは苛立った様子で舌打ちする。
 だが。
「アホ牛に監視をつけておけ」
 苛立ちながらも、危険な事態への注意を怠らないリボーンだった。






                               同人に続く





今回の本は最初にいろいろ謝っときます。
本当にすいませんでした。出来心なんです。ランボ愛してます。愛しているからこそ書きました。
書いた事に後悔は無いです。ランボ愛してるんで。
15歳ランボはね、結構調子乗りな性格だと思うんですよ。で、まだ子供の部分をだいぶ残してるよなって、頭の方もちょっと足りないよなって、そう思ったんです。
ですから今回は、そういった部分のランボを書いてみたんですよ。愛ゆえに。
取り敢えずこの本はギャグです。ギャグのつもりで書きました。





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