ラブトレジャー!





 麗らかな昼下がり。
 ボヴィーノ屋敷の廊下の一角で、ランボはファミリーの若い男と談笑を楽しんでいた。男とは同じファミリーの人間という事と、同年代という事もあって、時折笑い声を上げながら会話を交わしている。だが。
「吊り橋理論? それって何?」
 談笑を楽しむ中でランボは聞き慣れない言葉を耳にし、きょとんと首を傾げて疑問を浮かべた。
 今まで交わされていた談笑の内容は別段難しいものではなく、どちらかと言えば暇潰しという名の他愛無いものである。はっきり言って疑問を覚える箇所など何処にもない。
 それどころか話題は年若い者達なら誰もが興味を持っている恋愛話で、ランボも女性を「仔猫ちゃん」と称するだけあって色恋沙汰は好きな話題の一つだ。
 しかも一緒に会話をしている男には最近恋人が出来たらしく、今までの会話も恋人関係になった経緯を聞きだす色恋一色のものだったのである。
 こうしてランボは男に恋人が出来た経緯を興味津々に聞いていたが、不意に、聞き慣れない言葉に首を傾げたのだ。
 それが『吊り橋理論』という言葉である。
 男は吊り橋理論に基づいた状況の中で意中の女性と恋人関係になったと話したのだ。
 だが、ランボは『吊り橋理論』という言葉に首を傾げ、「それってどういう意味?」と男に疑問を向けていた。
「知らないのか?」
 疑問を向けられた男は、少し意外そうな表情でランボを見た。
 吊り橋理論とは、吊り橋の上で声を掛けられた時に恐怖のドキドキと恋愛のドキドキを錯覚するという理論である。早い話が、一緒に気持ちの高揚を味わった者達が、その気持ちを恋と錯覚するという事だった。
 錯覚は自身に恋愛をしていると認識させるもので、気持ちの高揚を共有した二人は互いに恋愛感情を抱くというものだ。言い換えれば、片方が故意的にその状況を作り上げれば、相手に強制的に恋愛感情を抱かせる事も可能だという事である。
 この理論は冷静に考えればいい加減な理論だと思えるが、意中の相手がいる者や、色恋に興味を示す者なら誰もが知っていると思える有名なものだった。
 その為、それを知らずにいるランボの為に、男は分かりやすいように例え話なども交えて説明してやった。
 だが。
「…………それだけ?」
 だが、理論の説明を聞いたランボの反応は呆気ないものだった。
 挙げ句にやれやれと肩を竦め、「そんな理論が存在するなんて」と可笑しそうに笑い出したのだ。
「それって錯覚じゃないの? だって、その状況だったから恋愛感情を持ったんだろ? それじゃあ、その状況を抜ければ冷めると思うんだけど」
 これは的を射た言葉だった。
 だが、ある意味言ってはならない言葉だった。
 しかしランボは悪びれない口調でそう言うと、「その状況じゃないと恋愛関係が成立しないって事だよね」と無邪気ともいえる笑顔で止めを刺したのだ。
「ランボ……」
 男は思わず表情を引き攣らせた。
 折角丁寧に説明してやったのに、この無神経さ。
 はっきり言って、「その無神経さで、お前こそ女が出来ないんじゃないか?」と思ってしまう。
 男は仕返しとばかりに嫌味を返してやろうとしたが、言葉が紡がれる事はなかった。
 自分に向けられるランボの笑顔を目にしてしまったのだ。
 その笑顔を見た瞬間、男は口にしようとした嫌味を撤回せざるを得なくなる。
「……吊り橋理論なんて、お前には関係無さそうだもんな……」
 男はランボを横目で見たまま、脱力した様子で力無くそう言った。
「そう?」
「ああ、そうだよ……」
 男が嫌味を撤回した理由はランボの笑顔に、否、ランボの元々の容姿にあったのだ。
 そう、ランボの容姿は、十人中八人は心惹かれるような整ったものだったのである。白い素肌に映えるのは、長い睫毛に縁取られた翡翠色の瞳とぽってりとした赤い唇。そして垂れた目尻は力強さよりも軟派な甘い印象を与える事が多い。
 本来、男性に対しては力強さを求められるものだが、不思議なもので、この軟派な印象はランボにとってマイナス要素にはならず、何故かプラス要素に働いていたのである。それというのも、全てはランボの性格に理由はあった。
 ランボの容姿は甘さを感じさせる造形だが、それはまるでランボ自身の甘ったれた性格を具現化したような甘さだったのだ。
 ランボの性格は、幼い頃から「ウザイ」とされる騒がしいものであったが、幸か不幸か周囲にはそんなランボを甘やかす年上が多かった。その中で育ったランボは無意識に甘え上手な性格になり、気が付けば十五歳という年齢でありながら年不相応なヘタレさ加減を見せる事が多いのである。
 しかし、甘ったれたヘタレ加減と同時に、大人びた雰囲気と薫るような色気を纏っており、その正反対な特徴が魅力となっていたのだ。
 実際ランボは年上の女性に受けが良く、年の離れた弟のように面倒を見られる事が多いのも事実だった。
 それらを知っている男は、ランボにとって故意的に発生させる吊り橋理論など必要ない事に気付いてしまう。
「お前は意外とモテるからな」
 男が恨みがましげにそう言えば、ランボは気取ったように笑って「意外は余計だけど、仔猫ちゃん達は大好きだよ」と言葉を返す。
 男には申し訳ないが、ランボは自分が女性に好意を向けられやすい事に気が付いていた。それに気が付いている上でランボは女性と接し、わざと甘えてみせる事もあるくらいなのだから。
 そんなランボにとって、愛情に気付く切っ掛けを錯覚から発生させる『吊り橋理論』など邪道であった。そんな恋人関係の始まりなど信用できない。
 そもそもランボはフェミニストであり、女性は大切にするべき存在だと位置づけている。錯覚はいずれ覚めるものなのだ。それならば錯覚などではなく、最初から確かな意識を持って想いあいたいではないか。これがランボの恋愛スタイルである。
 まあ、そんな恋愛スタイルを持ちながらも現在のランボは特別に意識している女性は存在せず、あくまで自分が恋愛に対して抱いている理想なのだが、ランボはそれを信じて疑っていなかった。
 こうして、ランボと男は恋愛話を楽しんでいたが、しばらくして「ランボ、此処にいたのか」と別の男が慌てた様子で現れた。
 現われた男はランボ達にとって先輩にあたる人物で、その男の登場に二人は談笑を中断して姿勢を正す。
「どうしました?」
 ランボは自分を探していた様子の男に丁寧に聞き返した。
 生真面目なところがあるランボは目上を敬う事を大切にしており、先輩にあたる人物に対して敬意を忘れないのだ。
「ボスに客が訪ねて来たんだが、お茶を出して来てくれないか?」
「良いですけど、ボスにお客さんですか?」
 ランボは男の頼みを了承しながらも、「でも今、ボスは外出中でしたよね?」と何気ない口調でそう言った。
 そうなのである。ランボが知る限りドン・ボヴィーノは朝から屋敷を不在にしており、帰ってくるのは昼過ぎだと聞いていたのだ。
「そうなんだ。もう直ぐ帰ってくると思うんだが、ボスはまだ戻られてないんだ。だから客には待ってもらっている」
 男はランボの疑問に答えながらも、その口調は何処か焦った様子を窺がわせるものだった。
 それに気付いたランボは「ん?」と首を傾げる。
 今の男の様子は、後輩という立場の人間に頼みごとをするには不自然な態度だったのだ。そもそも頼みごとの内容も「客にお茶を出せ」という簡単なものである。それなのに、たったそれだけの事でそわそわと落ち着き無い様子を見せるのは不自然だった。
「何かあったんですか?」
「い、いや、何もないぞ? それより早く出して来い」
 ランボは不自然な態度の理由を訊いたが、男は誤魔化すように「早く早く」と急かしだす。
 男の態度にランボの不審はますます煽られたが、目上の者に対して分別を弁えるランボは特に追求する事もなく「分かりました」と了承する。
 こうして了承したランボに男はパッと表情を輝かせると、「ボスの大事な客だ。失礼の無いようにしろよ?」とランボを見送るのだ。
 あからさまな態度を見せる男にランボは困惑するが、訝し気な表情をしながらもお茶だしの準備をしに行くのだった。





 食卓用ワゴンにティーセットやお菓子を乗せ、ランボは客間の前に立っていた。
 ボヴィーノ屋敷に訪れた客はドン・ボヴィーノが戻るまで客間で待たされているのだ。
 どんな客が訪ねてきたのか知らないが、それでもドン・ボヴィーノの客ならば失礼の無いようにしなければならない。
「失礼します」
 ランボは軽いノックとともに丁寧に入室を知らせると、客間の扉を静かに開けた。
 だが。
「――――なんで?!」
 ランボは客間にいる人物を目にした瞬間、何とも嫌そうに表情を歪ませた。
 客間にいた人物は、ランボにとってよく知った者だったのである。
「どうして、リボーンが……っ」
 そう、それはリボーンだった。
 リボーンは客間のソファにゆったりと腰掛け、客間に入ったランボに視線を向けると「遅せぇぞ。さっさとコーヒー淹れろ」と当然のように命令する。
 そんなリボーンの態度は、余所のファミリーの客間にいるとは思えないほど不遜なものだった。
 しかも、今のリボーンは不遜な態度だけでなく不機嫌な雰囲気まで撒き散らしている始末である。
 不遜な態度だけならいつもの事だと思えるが、リボーンの不機嫌な雰囲気は威圧感をともなう為、周囲の者達を萎縮させるには充分なものなのだ。はっきりいってそれは公害以外のなにものでもない。
 ランボはこうしたリボーンの態度と雰囲気に、自分にお茶出しを命じた男の不自然さの理由を悟った。
 本来、お茶出しなどの仕事はランボ以外の者が行っても良いのだ。それなのに、わざわざランボを指名したのである。
 その理由は只一つ、ランボは人身御供にされたのだ。
 ようするに、待たされているという状況のリボーンが不機嫌でない筈がなく、皆はこのリボーンの威圧感溢れる雰囲気を恐れたのである。その点ランボならば、リボーンとの付き合いが十年以上に渡る為、リボーンの発する威圧感に免疫があるだろうと思われたのだろう。
 しかもその予想は外れではなく、幸か不幸かランボはリボーンの傍若無人さには慣れていた。
「何でリボーンがボヴィーノにいるんだよ?!」
「仕事に決まってんだろ。俺はどっかの三流ヒットマンと違って暇じゃねぇんだ」
「三流って言うな!」
 不機嫌なリボーンを前にしながらも、ランボは強い態度で言い放った。
 慣れているとはいえ、不機嫌なリボーンというのはランボにとっても恐怖の対象であるが、ランボは妙なところで負けず嫌いだったのだ。その上、その負けず嫌いな所はリボーンを前にすると一層発揮される事が多かった。
 今も、ランボは内心で怯えながらも、それでも翡翠色の瞳はリボーンを睨んでいる。
 こうしたランボの態度は、リボーンに心底「嫌いだ」という思いを向けたものだった。
 そう、ランボはリボーンが嫌いだった。
 リボーンと知り合って十年以上の年月が経ったが、一度も好意的な感情を抱いた事はない。むしろ逆の感情ばかりが育ち、今ではリボーンを目にすると条件反射のように悪態を吐いてしまうほどだ。
 このリボーンとランボの関係は十年前から変わらぬもので、ランボはリボーンをずっと追い駆けていた。だが、どんなに追い駆けても差は縮まる事はなく、それどころか実力差は広がるばかりという状況である。このような状態が続けば、ランボでなくても相手に対して憎たらしさや悔しさを覚えてしまうだろう。
 しかも、ランボが勝てないのはヒットマンとしての実力だけではなかった。
 実力以外にも頭脳などは天と地ほどの差があり、容姿に関してもリボーンに対する評価はランボ以上のものがあったのだ。
 ランボの容姿も並以上に整ったものだが軟派なイメージを持たれやすい。だが、リボーンの容姿はそれとは逆に作り物めいた硬質なイメージを与える事が多かった。
 そう、ランボの容姿が人間としての感情溢れる温かみのあるものなら、リボーンの容姿は人形のように精密に整ったものである。それは『端麗』という形容が相応しく、眉目秀麗なもので、目鼻立ちの一つ一つが緻密に造られたかのように整っていたのだ。こうしたリボーンの容姿は十人中九人が心惹かれるもので、残りの心惹かれない一人がランボという感じだろう。
 しかもランボは、幼い頃からずっとリボーンに苛められ続けたのだ。散々泣かされてきたランボから見れば、リボーンがどんなに優れた人間であろうと只のイヤな奴である。
 今だってリボーンはランボを馬鹿にする事を止めないのだ。
「立派な三流だろ。いっそうの事、マフィア廃業してウエイターにでもなったらどうだ?」
 リボーンは嘲笑とともにそう言うと、食卓用ワゴンを押すランボの姿に目を細める。そして。
「お似合いだ」
 リボーンの言葉は、完全にランボを馬鹿にするものだった。
 食卓用ワゴンを押すランボの姿を馬鹿にするだけでなく、マフィアとしてのランボを馬鹿にしていた。
 そもそもランボだって好きでお茶出し係をしている訳ではないのだ。これも全てはリボーンが恐いから回ってきた役目なのである。それなのに、それをリボーンに馬鹿にされる筋合いはない。
「失礼なこと言うな! オレだって毎日こんな事をしてる訳じゃないんだからな!」
 今回はリボーンのせいなんだ! と、ランボはキッとリボーンを睨む。
 だが、どんなにランボが強気な態度をしてみせても、それがリボーンに効果を及ぼす事はないのだ。それどころか、ランボに嘲笑を向けてくる。
 これに怒りを煽られたランボは、リボーンに対して条件反射のように牙を剥いてしまう事もあってワナワナと拳を震わせた。元々リボーンに対して短気になってしまうランボは、そろそろ我慢の限界が近いのだ。
 そして追い討ちをかけるように、「それじゃあ、これは俺の為という事か?」というリボーンの言葉。
 この言葉に、ランボの我慢はとうとう限界を迎えた。
「リボーン、死ねー!」
 ランボはワゴンの上に乗せてあったフルーツナイフを手に取り、それをリボーンに向かって思いっきり投げつける。
 狙った先は、リボーンの顔面。
 心意気は、「そのお綺麗な顔面にお見舞いしてやる!」という強気なもの。
 こうしてランボが投げたナイフはシュッと風を切り、リボーンに一直線に襲い掛かる。
 だが、ナイフがリボーンの顔面に突き刺さる寸前。
「ナイフの使い方がなってねぇな」
 リボーンはそう言ったかと思うと、自分に突き刺さる寸前にナイフを指先で挟んで受け止めた。そして口元にニヤリとした笑みを刻み、受け止めたナイフを素早い動作で投げ返す。
 それは瞬きのような一瞬の反撃である。
 普段のランボならば、その反撃に成す術も無く返り討ちにあってしまうのだ。
 しかし、今日のランボは普段とは違った。
 リボーンが反撃の動作を見せた瞬間、ランボはニヤリと笑ったのだ。
「ナイフの使い方がなってないのは、リボーンの方だよ!」
 そう、リボーンの反撃はランボの計算の内だったのである。
 伊達にランボは幼少時からリボーンを付け狙っていないのだ。リボーンの反撃手順くらいそろそろ学習していた。
 その学習を踏まえたランボは、最初に投げたナイフをフェイクとしていたのだ。
 ランボの計算はこうである。リボーンが反撃をする際に発生する隙を突いて攻撃するというものだった。反撃される事は予め分かっているのだから、その隙を突く事は可能だと思えたのだ。
 だから、ここまではランボの計算通りだった。
 リボーンがナイフを投げ返した瞬間、ランボは素早い動作でリボーンとの距離を一気に詰めたのである。
 心意気は、「そのお綺麗な顔面に拳を一発お見舞いしてやる!」という強気なもの。
 しかもリボーンの反撃を寸前で避ける事に成功したランボは、ますます強気に拍車がかかり、生まれて初めての勝利すら確信していた。
 そして、リボーンとの距離を縮めたランボは、「うおおぉぉぉ!」と気合いの雄叫びとともに拳を振り翳す。
 狙いはリボーンの顔面。
 その顔面に、積年の恨みを籠めた拳を叩きつけるのだ。
 ランボはリボーンの顔面に狙いを定め、そこに向かって勢い良く拳を振り下ろした。その瞬間。
「え?」
 不意に、ランボが狙っていた筈の標的がフッと消えた。
 消えた標的に、ランボはハッとして異変に気付くが既に手遅れだった。
 消えたと思ったリボーンは、次の瞬間にはランボの懐に潜り込んでいたのだ。
「嘘……」
 ランボは呆然と呟く。
 この時、ランボは『浮いた』と思った。
 まるで自分の身体が軽くなったようにふわりと浮いた。しかし、浮いたと思った感覚は一瞬である。
 次には、ズドンッ! と一気に絨毯に叩きつけられたのだ。
「つぅ……!」
 気が付けば、ランボは客間の絨毯の上に転がっていた。
 自分の身に何が起こったのか理解できずに呆然と天井を見つめてしまうが、直ぐに返り討ちにあったのだという事実を理解する。
 その理解と同時に、ランボの瞳にじんわりと涙が浮かぶ。
「うぅ……、痛いよぉ……っ」
 ランボはリボーンに投げられたのだ。正確には、日本の柔術である背負い投げを食らったのである。
 そう、ランボは張り切ってリボーンに殴りかかったが、リボーンは突っ込んできた勢いを利用してランボを投げ飛ばしたのだ。
 こうしたリボーンの反撃は一連の流れの中で行われ、それは無駄の無い見事な背負い投げであった。
「……が・ま・ん」
 ランボは涙を拭いながら「が・ま・ん」を繰り返し、ゆっくりと身を起こす。
 突然投げられた事で中途半端な受け身しか取れなかったが、幸いにも起き上がれないほどではなかった。
「畜生、リボーンめ……っ」
 ランボは悔しげに呟き、よろよろと立ち上がろうとする。衝撃が抜け切らない身体は平衡感覚を少し崩してしまっているが、これ以上情けない姿を晒したくなかった。
 だが、こうしてランボが無理やり立ち上がり、リボーンへ向かって一歩を踏み出した。その時。
「う、うわ……っ」
 それは一瞬の不注意だった。
 踏み出した足を、自分のもう片方の足に引っ掛けてしまったのだ。
 引っ掛けた事でランボは転倒しそうになり、何かに掴まろうと咄嗟に手を伸ばす。この行為は、転倒を防止しようとする為の反射的な行動だった。
 しかし、ランボが身体を支える為に反射的に頼りにしようとした物は、普段であれば決して触れようともしない物。
「わっ、わわっ、ダメダメダメ……!」
 頭の中では触れてはいけない物だと分かっているのに、身体は急に止まれない。
 そして、――――――ガシャーン!!
 客間に派手な破壊音が響いた。
 ランボはビクリッと肩を震わせ、硬直して音の発生源を凝視する。
「ど、どうしよう……っ」
 視線の先には、ドン・ボヴィーノが大切にしている調度品が転がっていた。否、転がるではなく、正しくは真っ二つに砕けていた。
 ランボはそれを呆然と凝視し、「あわわわわわ……っ」と言葉にならない声を発しだす。
 そう、転倒しそうになったランボが咄嗟に頼ったのは、客間に置かれたガラス棚だった。このガラス棚にはドン・ボヴィーノが大切にしている宝飾品や調度品が鎮座していたのだ。
 ランボはその棚に手をついてしまい、衝撃を加えられた棚から一つの調度品が落下して砕けてしまったのである。
 ガラス棚に鎮座している物は、客間に飾られているだけあってどれも値打ちのある物ばかりである。はっきり言って、一つ一つの品が家屋や土地を買えてしまうようなレベルだったのだ。
 しかも今回、ランボが壊してしまったのはその中でも最も値打ちが高いと思われる調度品だった。
 その調度品とは、大人の拳ほどの大きさがある物である。それは褐色の岩肌に、碧、蒼、紫、赤、黄色など、様々な色を持つ数ある宝石の原石がへばりついた岩の調度品だったのだ。
 岩肌には所狭しと原石が埋めこまれ、原石の数も大きさも申し分ないものである。それなのに、今はそれが真っ二つに砕け、原石も所々が欠けてしまった。
 ランボはこれがどれ程の値打ちなのか知らないが、それでも十年以上前からドン・ボヴィーノが大切にしていた事は分かっている。ランボが幼い頃、ドン・ボヴィーノは何度も「大切にしているよ」とランボに話してくれたのだ。
 それを思い出し、ランボは全身から血の気が引いていく。
「ど、どうしようどうしようどうしようっ!」
 ランボはガクガクと震えながら「どうしよう」と繰り返し、砕けた調度品を凝視しながら、その周りを挙動不審者のようにぐるぐると歩きだした。
「ボスに怒られるよ! もしかしたらボヴィーノをクビにされちゃうかも! ねぇ、どうしよう?!」
 ランボは大いに悩み苦しみ、救いを求めるようにリボーンを振り返る。
 だが、「って、他人事みたいにコーヒー飲んでるなよ!」と条件反射のように声を荒げていた。
 そう、いつの間にかリボーンは自分で勝手にコーヒーを淹れ、慌てるランボを放置して寛いでいたのだ。
「ちょっと、寛いでる場合じゃないだろ?! 壊れたのはリボーンの責任でもあるんだからな!」
「ああ? 責任転嫁してんじゃねぇぞ。お前が勝手に足を引っ掛けて転んだんだろ」
「う……っ」
 リボーンに冷たく言い返され、ランボは悔しげに口篭った。
 確かにリボーンに投げ飛ばされたが、無理やり起き上がろうして勝手に転んだのはランボである。ついでに、投げ飛ばされる切っ掛けを作ったのもランボだ。
 その状況を思い出したランボは、負け惜しみのように「せめて棚が無い方に投げてくれれば……っ」と呟くしかないのだった。
 こうしてランボは真っ二つに砕けた調度品を前にして混乱していたが、その混乱がとうとうピークに達する時がきた。
 しばらくして不意に、屋敷の外がざわざわと騒がしくなったのだ。
 その騒がしさはドン・ボヴィーノの帰宅を知らせるもので、ランボはギクリッと肩を震わせる。
「ど、どどどどどうしよう! 本気でどうしよう!」
 ランボは顔を真っ青にし、一層挙動不審にワタワタとし始めた。
 だが、無情にも外の騒がしさは屋敷内に移り、それがこの客間までゆっくりと向かってきている。
 客間にリボーンを待たせている事を知ったドン・ボヴィーノが、屋敷に入ってそのままこっちに向かってきているのだろう。
 ランボは「あわわわわ……っ」といった面持ちで、真っ二つに砕けた調度品を見つめ、次に我関せずといった様子で寛いでいるリボーンに視線を向ける。
 こんなに自分が動揺しているというのに、それを完全に無視しているリボーンに恨み言をぶつけてやりたいが、今はそんな暇すら許されていない。
 はっきり言って、これは絶体絶命という状況なのである。
「うぅ……っ、……ぅっ」
 ランボの目にじんわりと涙が滲む。
 今、ランボの頭の中を駆け巡るのは、調度品を壊した事でドン・ボヴィーノに叱られる自分、大好きなボヴィーノファミリーをクビになる自分、壊した調度品を弁償する為に生涯タダ働きに殉ずる自分など、それらの悲惨な光景だった。
 それらの想像はランボをますます恐慌状態に陥らせ、嵐のような混乱に襲われた。
 しかし無情にもドン・ボヴィーノは数メートルという距離まで客間に近づいて来ている。数秒後には間違いなく客間の扉は開かれるだろう。
 ランボは「もう駄目だ……」と絶望した。
 だが、この絶望という思いがピークを超えた、その時。

「リボーンのアホ〜! 巻き込んでやる〜!」


 ランボの中で何かがぷつんとキレた。
 ランボは半狂乱のような状態で突然ダダダッとリボーンに突進したのだ。
 そしてリボーンの腕をガシッと掴んで「絶対離さないからな!」と半泣き状態で叫び、突進した勢いを保ったまま客間の窓に向かって走ったのである。
 ――――バリーン!
 窓ガラスが割れた。
 ガラスの破片が飛び散り、それはキラキラとした放物線を描きながら空を舞う。
 だが、そのガラスの破片の中を駆け抜ける者がいた。それはランボである。ランボはリボーンを決して離さず、リボーンを引き摺るようにしたまま窓ガラスに突っ込み、見事に客間から脱出したのである。
 それは奇跡のような、嵐のような出来事だった。
 そう、一瞬だけ巻き起こされた奇跡の嵐。
 しかも、この嵐にはリボーンを巻き込んでいるのだ。これは奇跡以外の何ものでもない。もし何かに言い換えるなら、火事場の馬鹿力と言っても良いだろう。とにかく、普段では有り得ないランボの底力なのだった。





「お前、自分が何をしでかしたか分かってるんだろうな?」
 リボーンに銃口を向けられ、ランボは「ヒッ」と喉を鳴らした。
 今のリボーンからは背筋が凍てつくような怒気が放出されており、それを向けられているランボは半泣き状態でガタガタと震えている。
「うぅ……、ごめんなさい……っ。だって、一人で逃げるなんてイヤだったんだもん……!」
「だもんじゃねぇぞ、アホ牛。俺を巻き込んだ事を、あの世で後悔しろ」
 リボーンは冷たく吐き捨てると、銃の安全装置を解除した。
 リボーンは本気だった。自己中心的で唯我独尊タイプのリボーンは、ランボに一方的に巻き込まれる形になった事が気に入らなかったのである。
 この屈辱と汚点を晴らすには、ランボという存在に始末をつけるしかないと思えるのだ。
「死ね」
 リボーンは短く別れを告げ、そのまま引鉄を引こうとした。だが。
「――――はい、ストップストップ。そこまでだよ?」
 緊迫したリボーンとランボの間に、何とものん気な声が割って入った。
 その声の主の登場に、リボーンの怒りに晒されて怯えていたランボはパッと表情を輝かせる。
「じ、十代目〜!」
 そう、二人の間に割って入ったのはボンゴレ十代目である沢田綱吉だった。
 ランボは綱吉に縋るように飛びつくと、そのまま背後に隠れて「リボーンが酷いんです!」と訴えだす。
 ランボは悲哀たっぷりに訴えるが、今までの経緯から考えれば「本当の被害者はリボーンだよね」という状況である。だが、綱吉は苦笑混じりに「恐かったね」とランボを慰めた。
 こうした綱吉の態度はランボを甘やかすもので、それを目にしたリボーンは内心で舌打ちする。
 綱吉などがこうして甘やかすから、ランボはいつまでも三流であり、性格的にも泣き虫で弱虫でヘタレなのではないかと思ってしまう。
 今だって、ボヴィーノ屋敷から逃亡したランボは迷わずにボンゴレ屋敷に、正しくは綱吉の元に救いを求めて駆け込んだのである。
 そう、ボヴィーノ屋敷を出たリボーンとランボは、今、ボンゴレ屋敷にある綱吉の執務室へ来ていた。
 ランボは幼少時から綱吉に面倒を見てもらっているという事もあり、何か問題が勃発すれば無意識に綱吉を頼る癖があったのだ。それは男として情けない事であるが、甘えたがりな性格が治りきらないランボは、昔からの習慣のようにそれを行うのである。
 しかも性質が悪いことに、周囲にいる者達もランボを無条件に甘やかしてしまっていた。
 綱吉などはランボを年の離れた弟のように思っており、馬鹿な子ほど可愛いという言葉を実行するかの如く接してしまっているのだ。
 そして今も、ランボからボヴィーノ屋敷で起こった事情を聞き、執務の手を休めて相談に乗っているのである。
「ボスが許してくれなかったらどうしよう……っ。ボヴィーノをクビにされちゃうよ〜!」
 ボヴィーノ屋敷での出来事にショックを隠しきれないランボは、ボヴィーノをクビにされる自分というのを想像して真っ青になった。
 そんなランボの姿に、綱吉は苦笑を浮かべて「考え過ぎだよ」と優しくランボを慰める。
「ドン・ボヴィーノは調度品を壊されたくらいでランボをクビにしたりしないよ。そりゃ少しは怒るかもしれないけど、本気で怒ったりしないと思うけどな」
 綱吉はランボを宥めながらそう言った。
 だが綱吉は慰めの言葉を紡ぎながらも、この言葉は限りなく確信に近いのではないかと思っていた。そうなのである。ランボを最も甘やかしているのはドン・ボヴィーノなのである。そんなドン・ボヴィーノがたかが調度品を壊されたくらいでランボをクビにするとは思えない。
 それを確信している綱吉は、「絶対大丈夫だって」と絶対の保証付きで慰める。
 しかし今のランボは、こうした綱吉の確信にも「そんな事ないです!」と大きく首を横に振った。
「壊しちゃった置物は、ボスがとても大事にしているものなんです! それにオレが子供の頃、置物を見せてくれたボスが言ってました。これはお金には換えられない物で、この値打ちは計り知れないものだと! そう言ってたんですよ〜!」
 話しながら当時の事を思い出したランボは、「ごめんなさい、ボス〜っ」と土下座するような勢いで泣き始めてしまう。
 こうしたランボを綱吉は「落ち着いて……」と優しく宥めようとするが、悲しさと混乱が極まっている状態のランボには届かない。
 綱吉はランボの嘆きを困った様子で眺めていたが、不意に、「計り知れない値打ちの物か……」と小さく呟いてリボーンに視線を向けた。
「リボーン、何とかならないの? リボーンのポケットマネーなら解決できるんじゃないの?」
 例え、計り知れない値打ちの物でも、それが置物などの物理的な物なら弁償出来ない事はないのだ。確かに、金銭で全てを解決出来る訳ではないが、精神的なものを含めなければ弁償は可能である。
 何よりリボーンの財力なら、例えどんなに値が張るものでも買い換える事ができるだろう。
 綱吉はそれを思い、リボーンに「何とかしてあげれば?」と進言した。
 だが。
「嫌です!」
 だが、綱吉の進言に反論したのはランボだった。
 ランボは涙をぐいっと拭うと、リボーンをキッと睨みつける。
「リボーンに借りを作るくらいなら、一生タダ働きをして弁償した方がマシです!」
「って、アホ牛は言ってるぞ? それに、俺もこいつに貸しを作る気はない。絶対返ってこない貸しになるからな」
 ランボがリボーンに頼る事を強く拒めば、リボーンはそれを馬鹿にした。
 ランボは自分を馬鹿にするリボーンに屈辱を煽られ、ますますリボーンに頼りたくないという思いを強くする。只でさえリボーンには情けない思いをさせられる事が多いのに、それに追い討ちをかけるように金銭での弱味など握られたくなかったのだ。
 綱吉はそんな二人の姿を「困ったな……」と見つめていたが、しばらくして「そうだ!」と何かを思いついたように表情を輝かせた。
「オレから一つ提案があるんだけど、二人とも聞いてくれる?」
 綱吉はそう言いながら、執務机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
 ランボはその紙を受け取ると、意味が分からずにきょとんとした表情になる。
「これは……地図ですか?」
 綱吉から受け取った紙は、年代の古さを物語るような変色した古紙だった。
 しかも、その古紙には図形や記号が描かれており、地図らしき雰囲気を醸し出している。だが、それが只の地図でない事は明らかだった。
 地図には、周囲を海に囲まれた孤島が描かれており、何かのヒントを示すかのような記号と文字が書き込まれているのだ。
 それは地形が描かれているというよりも、ある特定の場所を記録する為に描かれているようである。
「そう、それは地図だよ。屋敷の書庫を掃除していたら出てきたんだ。その地図に手紙も同封されていたんだけど、何て書いてあったと思う?」
 綱吉は勿体ぶるようにそこで言葉を切ると、リボーンとランボにニコリと微笑む。そして、一字一句確かな口調で地図の確信に迫る。


「その地図はね、初代ボンゴレが隠したという秘宝の在り処を示した地図なんだよ」


「ボ、ボンゴレの秘宝……!」
 秘宝という夢物語のような言葉に、ランボは大きく目を見開いた。
「秘宝って、宝物って事ですよね?!」
 ランボは興奮した面持ちで地図と綱吉を交互に凝視する。
「秘宝の中身は知らないけど、初代が隠した秘宝っていうくらいだから宝の類いだろうね」
「ボンゴレには隠された秘宝があるなんて……っ。す、凄い……っ」
 ランボはゴクリと息を飲み、驚愕の表情で秘宝というものを想像した。
 ボンゴレファミリーというマフィアは、只でさえ他のマフィアとは一線を駕した権力と財力を手にしており、政財界すらも手中に治めているようなファミリーなのだ。それは計り知れないほどの巨万であり、そこらの富豪では足元にも及ばないのである。それなのに現在ある財産だけでなく、秘宝などという隠し財産まであるという。
「秘宝なんて、童話の中でしか見たことないです……っ」
 こうしてランボは秘宝という言葉だけに興奮していたが、その隣に立つリボーンは難しい表情をしていた。
 普段のリボーンなら秘宝という言葉など馬鹿にするが、伝説多き初代の名前に無視する事が出来ないのだ。
 リボーンは地図に同封されていた手紙を綱吉から受け取り、その中身を確認する。
「これは確かに初代の筆跡だ。どうやら本物のようだな」
 リボーンは手紙の内容を確認すると、「まさか初代が隠し物をしていたとはな。俺も知らなかったぞ」と関心を示した。
 リボーンは幼い頃からボンゴレファミリーの歴史を知識として得ていたが、代々のボンゴレが初代の秘宝を知っていた形跡はないのだ。
「ツナ、こんな地図をよく見つけたな」
「うん。書庫の奥にある古書の間に挟まっていたから、今まで誰も気付かなかったんだと思う。それを見つけた時はオレも驚いたよ」
 綱吉は苦笑混じりにそう言うと、「それで提案なんだけどね」とリボーンとランボに向かって本題を切り出した。
「二人に秘宝を探してきて欲しいんだ」
 綱吉は爽やかな笑顔とともに、ちょっとしたお使いを頼むような口調でそう言った。
「――――え?」
 ランボは耳を疑った。
 そして、普段は滅多に感情を表立たせないリボーンも耳を疑った。
 綱吉は軽い口調で言ったが、その内容は明らかにちょっとしたお使いレベルではなかったのだ。
「じ、十代目、意味がよく理解出来ないんですが……」
 ランボは「もう一度お願いします」と、今度はしっかりと理解出来るように綱吉の方へ耳を傾ける。
 その姿は動揺を隠し切れないものだが、綱吉は笑顔のまま言葉を繰り返した。
「うん、はっきり言うよ。二人には、この地図が示す場所に行ってほしいんだ。もちろん秘宝を探しにね」
 きっぱりと言い切った綱吉。
 さすがのランボも、今度は言葉の意味をしっかりと理解してしまった。
「……ま、待ってください。オレはボヴィーノファミリーの人間ですよ? それなのに、ボンゴレの秘宝を探させても良いんですか? しかも初代の秘宝って事は、ボンゴレにとって大事な物だと思うんですけど……っ」
 どんなに懇意にしていても、ランボはボンゴレの人間ではないのだ。それを気にしたランボは、ボンゴレの秘宝などという重大な宝に近づくことが畏れ多かった。
 しかしこうしたランボの心配に、綱吉は相変わらずの笑みを浮かべ続ける。
「良いよ。ランボは雷のリング守護者だし、半分はボンゴレの身内みたいなものだから」
 綱吉はあっさりとそう言い切り、「それにね」とリボーンに視線を向けて言葉を続ける。
「リボーンも一緒だから問題ないよ」
 こうして綱吉は強引に話を進めていく。
 だが、この強引さに反論が出ない筈はなかった。
「黙って聞いてれば調子に乗ってんじゃねぇぞ。どうして俺がアホ牛と宝探しの真似事なんてしなきゃなんねぇんだ。それなら一人で行った方がまだマシだぞ」
 ふざけるな、とリボーンは苛立ったように吐き捨てる。
 リボーンとしては、明らかに足手纏いになるランボと一緒に行くくらいなら、一人で探しに行った方が良いと思えたのだ。
 そして当然ながら、リボーンのこうした反論にランボも黙っていられる筈がない。
「オ、オレだってリボーンと一緒に行くくらいなら一人で行った方がマシです! リボーンなんか必要無いですよ!」
 ランボはリボーンの言葉に強い口調で言い返した。
 普段からリボーンとは衝突する事が多いというのに、二人きりで過ごすなんて冗談ではなかったのだ。
 しかし二人の反論は、綱吉の「それは困るよ」という一言に一蹴される。
「ランボは半分ボンゴレだけど、こういう事に一人で行かせられないよ。でもね、かといってリボーンに一人で行ってもらったら、今度はランボが困る事になるよ?」
「オレが……?」
「そう。ランボは、計り知れない値打ちとかいう調度品を弁償しなきゃいけないんでしょ? という事はお金が必要なんだよね。宝を見つけてくれたら、そこから弁償できる額を引いてくれても良いと思ってるんだ」
「ほ、本当ですか?!」
 ランボはあまりの驚きに、思わず大きく身を乗り出していた。
 ランボにとって、これは願ったり叶ったりという提案だったのだ。
 この提案ならば、少しの間だけリボーンと過ごす事を我慢すれば、リボーンに借りを作らない方法で弁償出来るのである。
 今のランボにとって、これほど申し分の無い提案はなかった。宝探しをするだけで弁償できるなんて、全てがランボに好都合なのだ。
 ランボは提案に魅力を感じ、あっさりと綱吉の言葉に陥落する。
「分かりました……っ。リボーンと一緒なのは嫌ですが、オレは我慢してみせます!」
 我慢は得意ですから! と、調子付いたランボは誓うように宣言した。
 ランボは、まだ見ぬ秘宝に夢を馳せて鼻歌を歌いだしそうにご機嫌である。
 そして話が決まればランボの行動は早かった。
 ランボは気分を「探検に行くぞ!」という前向きなものに切り替え、笑顔で綱吉を振り返る。
「十代目、それではそろそろ失礼させてもらって良いでしょうか? 探検に行くと決まれば、それなりの準備をしたいので!」
 ランボはさっそくとばかりにそう言うと、「それでは失礼しました!」と準備の為に慌ただしく執務室を出て行くのだった。
 そんなランボの姿を、綱吉は「頑張ってね」と笑顔で見送っていたが、その姿が見えなくなるとリボーンを振り返る。
「という訳で、リボーンもよろしくね」
「……本気か?」
「本気だよ。地図を見つけてしまった限り、初代の秘宝を放っておく訳にはいかないでしょう?」
 そう、綱吉はボンゴレの名を冠しているのである。それならば、初代ボンゴレの名前が記されたものを放置する訳にはいかない。秘宝に興味は無いが、初代の名前は無視できないのだ。
 それはリボーンも同意見であり、リボーンとしても初代ボンゴレが残した物を放置する気はなかった。
 だが、そう思いながらもリボーンには納得出来ないものがあったのだ。
 その納得出来ない事とは、「俺は巻き込まれただけじゃないのか?」という腹立たしさである。
 傍若無人なところがあるリボーンは、巻き込むのは好きだが巻き込まれるのは嫌いである。今回の事は明らかに巻き込まれただけであり、それが何だか気に入らない。
 しかも相手は幼い頃からウザイほど纏わり付いてきたランボなのである。相手がランボであるという事も気に入らなかった。
 そう、ランボがリボーンを嫌っているように、リボーンもランボがどうしても気に入らなかった。あの甘ったれた性根を見ると、苛々して蹴り飛ばしたくなるのだ。それらの思いはリボーンが幼い頃から抱き続けているもので、実際にリボーンは蹴り飛ばす以上の扱いをランボにしてきたのである。
 リボーンはこれからの事を思うと苛立ちが隠しきれず、機嫌はますます下降していく。
 それは触れれば斬るといった凶暴な雰囲気であるが、それに慣れている綱吉は「まあまあ」とのん気に宥めた。
「落ち着いてよ、リボーン。そろそろランボを許してあげなよ」
「これが簡単に許せると思うのか? 俺は被害者だろ」
 リボーンは当然のように被害者だと言ったが、これほど被害者という言葉が似合わない男もいない。
 綱吉はそれに笑ってしまいそうになるが、リボーンに睨まれて笑みを引っ込めた。
 だが、今回のリボーンは確かに被害者だと胸を張って言える立場だった。
 元を質せば、ランボが勝手に転倒して調度品を壊したのである。リボーンもランボを投げ飛ばしたが、それは反撃であって先制攻撃ではなかったのだ。
 それなのに、何故かリボーンはランボとともに秘宝探しの探検に行く事になってしまった。初代が隠したボンゴレの秘宝には興味があるが、ランボと一緒という部分だけは納得いかない。
 その事でリボーンは苛立ち、そんな姿に綱吉は「まあ、確かにリボーンは被害者だね」と同意する。しかし、同意しながらも「でも」と言葉を続けた。
「でもさ、リボーン。リボーンは自覚無いわけ?」
「自覚だと? 何のことだ」
 突然言われた『自覚』という言葉に、リボーンは不審気に表情を顰める。
 綱吉の言った『自覚』が指す意味が分からなかったのだ。
 だからリボーンは分からない事は分からないと答えたのだが、その答えは綱吉にとって意外なものだったようで、綱吉は「え?!」と目を見張る。
「嘘?! リボーンって無自覚なの?!」
「だから、何の自覚だって言ってるだろ」
 綱吉の意外そうな物言いに、リボーンは苛立ったように訊き返す。
「リボーンってランボに対して容赦無いけど、最後にはいつも受け入れてるじゃない。…………気付いてなかったの?」
 綱吉は恐る恐るといった口調でリボーンにそう言った。
 それを聞いたリボーンは、「ああ?」と盛大に眉を顰める。
「ツナ……、お前はそれを本気で言ってるのか?」
「え……、オレはリボーンが気付いてなかった事に驚いてるんだけど……」
 驚きを隠しきれない綱吉に、リボーンは「冗談じゃねぇぞ」と吐き捨てる。
「馬鹿らしい。俺は忙しいんだ。もう用が無いなら行くぞ」
 リボーンはそう言うと、これ以上話すことはないとばかりに綱吉に背を向け、そのまま執務室を出て行ってしまったのだった。
 こうして執務室に残されたのは綱吉だけになった。
 綱吉は不機嫌なリボーンを苦笑混じりに見送ったが、リボーンの気配が消えると「びっくりしたな……」と改めて呟く。
 この「びっくりした」という呟きは、リボーンの無自覚に向けられたものだった。
 綱吉はリボーンが無自覚である事を本気で驚いたのだ。
 ここでいう綱吉の『自覚』とは、リボーンのランボに対する特別待遇である。
 だが、特別待遇といっても目に見えてチヤホヤするような華やかで甘いものではない。
 リボーンがランボに向ける特別待遇とは『傍に置く』という行為だった。
 そう、リボーンはランボと接する時だけは普段と違った姿を見せるのだ。それは些細な違いだが、付き合いの長い綱吉達などは気が付いてしまっている。
 リボーンがランボに見せる特別待遇とは、リボーンの傍若無人さの中にあるのだ。
 リボーンはランボに対して容赦無く、罵りにも近い無情な言葉を吐き、無視するだけでなく突き放す態度を取る事が多い。
 だが、それでも。
 それでも、最後のギリギリのライン、もしくはふとした瞬間、リボーンはランボに手を伸ばすのだ。ランボが窮地に陥った時、ランボが心から救いを求める時、そんな肝心な時はリボーンが必ず現われ、ランボの全てを許容してしまう。
 リボーンは表立った言葉や態度では決して表わさないが、それでもランボに接する時とそれ以外の者達に接する時とでは何かが違っていた。
 どうやらリボーンは本当に無自覚のようだが、それは誰の目にも明らかなものだったのだ。そういった事に気付いていないのは、恐らく当事者である二人だけだろう。
 それらの事から、リボーンの『傍に置く』という行為は、リボーンが無条件に許容しているという事であった。
 綱吉はそれを思い、これからの二人を考える。
 無自覚とはいえ、明らかにお互いを特別に想っているリボーンとランボが、これからしばらく二人きりで過ごすのだ。年頃の二人が一緒に行動するのだから、何かが起こらない筈がない。
「……面白い事になるかも」
 綱吉は口元にニヤリとした笑みを刻み、何とも楽しそうに呟いたのだった。







 水平線に夕陽が沈む。
 夕陽は空も海も森も、全てを橙色に染めていく。
 夕陽に染まった空は橙色のグラデーションに彩られ、広大な海は小波に反射した光が琥珀に輝き、深い森は薄闇に覆われる。
 それらの夕陽から齎された光景は色濃いもので、これは南国特有の光景である。
 そう、此処は南国であった。
 しかも只の南国ではない。此処は、ボンゴレの秘宝が隠されている孤島だ。
 この孤島は周囲を海に囲まれ、島の九割が森に占められる南国の無人島である。建物といえば、海が見渡せる丘にボンゴレが所有する別荘があるだけだった。しかもその別荘は滅多に使われず、管理を任された者が週に一度だけ掃除をしに来るだけだったのだ。
「やっと着いた〜!」
 この地へ降り立ったランボは、気持ちの良い開放感に大きく身体を伸ばした。
 昨日、綱吉からボンゴレの秘宝を探しに行くように言われたランボは、リボーンと一緒に今日の早朝からイタリアを出国したのだ。最初は飛行機に搭乗し、次は豪華客船に乗り、最後はクルーザーに移り、ようやく広大な海にぽつりと存在する小さな孤島へ到着したのである。
 この孤島へはイタリアから最速最短の移動手段で訪れたが、それでも移動だけで一日を要してしまった。
 だが、今のランボは疲労に負けている場合ではなかった。
 この孤島を訪れる原因を思えば、疲労など無視して突き進まなくてはならない。
 ランボは夕陽が沈んで周囲が薄暗くなる中、暗闇に包まれ始めた森を見据える。
「良しっ、頑張るぞ!」
 ランボは疲労を追い払うように気合いを入れた。
 そしてその気合いのまま、突撃するように森に向かって一直線に駆け出そうとする。
 だが。
「アホ牛、何処へ行くつもりだ」
「うわっ……!」
 不意に、背後からリボーンの声がしたかと思うと、次は後頭部に衝撃が走った。その衝撃はランボに鈍痛を与え、同時にドサリッと重量感のある音を響かせる。
「オレの荷物を投げるなよ!」
 ランボは自分の荷物である牛柄のボストンバッグを投げられ、ぶつけられた後頭部を撫でながら文句を言った。
 しかしリボーンはランボの文句を無視し、「さっさと荷物を運べ」とクルーザーから荷物を降ろして上陸準備を始める。
「秘宝探しは明日からだ」
「え? 今から行かないの?」
 リボーンの言葉に、ランボはきょとんとした表情で訊き返した。
 ランボは、孤島に上陸すれば即行秘宝探しに出発すると思っていたのである。それなのに、別荘で休息をとる事になるとは思わなかった。
 だが、こうしたランボの考えを察したリボーンは「馬鹿なのか……?」と思わず本気で呆れてしまう。
「日が沈んでから森に入るなんて無謀だぞ。遭難したいなら止めないがな」
「う……っ」
 リボーンの言葉は正論である。
 呆れ混じりに言われたリボーンの言葉に、ランボは悔しげに押し黙るしかない。
「そ、それくらい分かってたよ……っ」
 ランボは悔し紛れに言い返したが、これは誰が聞いても負け惜しみだろう。
 しかも、リボーンは完全無視である。
 ランボはそれに歯噛みする思いでリボーンを睨んでいたが、不意にある事を思った。
 そのある事とは、今の自分達は対等ではないのか? という事である。
 何故ランボがこんな突拍子もない事を思ったかというと、それは現在の状況に理由はあった。
 周囲を見渡せば、海と森しかないのである。それはイタリアの街中に住む自分達にとって非日常の事だった。日常ならリボーンは格上だが、このサバイバルという非日常の状況では初心者の筈だ。
 ランボも初心者だが、同じ初心者同士なら対等である。
 それにサバイバルという状況下では、ランボは自分の方が有利なのではないかという思いもあった。
 情けない話だがランボは貧乏なのだ。マフィアという職業柄それなりの金額を得る機会はあるが、仕事が微妙に出来ないランボは一般よりも僅かに下回っている。その為、普段から贅沢を控え、食事なども食材を使いまわして出来るだけ食費を抑えるように工夫していた。それに比べて、リボーンは金銭感覚が一般とは掛け離れた金持ちだ。
 ランボはそれを思い、内心でニヤリと笑った。
 この孤島に文明と呼べるものはボンゴレの別荘しかない。だから森の中に入ってしまえば、今は優位に立って偉そうにしているリボーンもさぞかし苦労する筈である。
 その点、自分は普段から質素で不便な状況に慣れている為、直ぐに森に適応できるだろう。
「もしリボーンが森で困ったら、これだから金持ちは……って言ってやろ〜」
 ランボはその状況を想像し、今から脳内でリボーンを馬鹿にする練習をしておく。
 すると不思議な事にランボの機嫌は急浮上し、荷物運びとして扱き使われている状態でも鼻歌を歌いだしたのだった。





「不味い」
 リボーンは眼前に出された料理を一口食べ、表情を顰めてそう言った。
 そんなリボーンの不遜な言葉に、ランボはムッとした表情になる。
「我侭言うなよ。此処にはたいした調味料も無いし、材料は全て保存用の缶詰めばっかりなんだから」
 ランボは強気に言い返したが、テーブルに並べられた料理を見て内心ではリボーンに同意していた。
 並べられた料理は、お世辞にも美味しそうと思えるものではなかったのである。
 だが、しょうがないのだ。
 リボーンとランボは孤島に到着してから、今晩は休息を取る為に別荘を訪れた。しかし、週に一度しか管理されていない別荘に立派な食材がある筈もなく、あるのは保存用の缶詰めなどだったのである。それをたいした調味料も無く料理するなんて、ランボの腕を持ってしても至難の技だった。
 だがそれにしても、リボーンの文句の言い様は酷いのではないかと思ってしまう。
 リボーンは別荘に到着したのと同時に「飯作れ」とランボに命令し、無理やり夕食を作らせたのだ。さすがにボンゴレの別荘だけあってキッチンは立派なものだったが、如何せん材料まで望むことは出来なかった。
 そんな状況の中でランボは必死に料理したというのに、リボーンの感想は「不味い」の一言だったのである。リボーンの傍若無人さは分かっているつもりだが、やっぱり面白くなかった。
「限られた食材の中で最高の物をつくれ。これは当然の事だろ」
「……それはどうも申し訳ございませんでした」
 ランボは拗ねた表情をし、棒読み口調で謝罪した。
 そんなランボは今にも怒りを爆発させそうな雰囲気だが、内心では「が・ま・ん」と何度も自分自身に言い聞かせていた。
 此処で怒っては負けだと思ったのだ。
 残念だが、この別荘内ではリボーンの方がまだ立場は上である。だから、森に入って対等の立場になるまで我慢するのだ。
 こうしてランボは自身に耐える事を言い聞かせ続けたが、それにしても……とリボーンに視線を向ける。
 リボーンは保存用食材で作った料理を不味いと言ったが、それくらいで不満を覚えて本当にサバイバルが出来るのだろうか。
 森の中はますます不便な筈なのだ。それなのに保存食くらいで文句を言うなんて先が思い遣られる心地である。
 ランボはそれを些か心配し、困ったような視線をリボーンに向けた。
 そんなランボの視線に気付いたリボーンは、「ウゼェからこっち見んな」と吐き捨てる。
 こうした態度をとるリボーンにランボは先ほど感じた心配を撤回し、内心で「こんな奴、野垂れ死んじゃえ」と毒吐くのだった。



 だがこの時、ランボは知らなかった。
 サバイバルで本当に必要なのは不便に耐える忍耐ではないという事に。
 本当に必要なのは知識と体力なのだ。







                                  同人に続く




この後、ランボはヘビや猛獣に襲われたり、崖から落ちそうになったり、川で溺れたり散々な目に遭います。でも、リボーンへの恋心を自覚したランボは強いです。ヘタレだけど。





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