傲慢で、それでいて純真で




 リボーンに出会ったのは、ドン・ボヴィーノに初めてバーに連れて行ってもらった時だった。
 リボーンはカウンターに座っていて、ランボはその隣に座ったのだ。
 二人は初対面だったがいろんな話をした。
 ランボは、大好物のブドウを食べながら話をし、リボーンは鼻でガムを膨らませながらそれを聞いていた。
 リボーンは眠っていただけなのだが、ランボは一方的なおしゃべりを楽しんだのを覚えている。



 リボーンと初めて出会った後、超一流ヒットマンであるリボーンを倒さなくてはならないと言われた。
 だから、ランボは五歳という幼い年齢に関わらず、日本に渡ってリボーンと再会したのである。
 再会してからは、ずっとリボーンを追い駆けていた。
「死(ち)ねー!」
「ウゼェ」
 一方的な対抗心を抱いていた自分は何度も攻撃を仕掛けていたが、敵う筈がなくて返り討ちにあっていた。
 どれだけリボーンを追い駆けても相手にされる事はなく、いつも無視ばかりされていたのだ。



 日本からイタリアに帰国し、気が付けば十五歳になっていた。
 この頃の自分は五歳の頃と基本的に何も変わっていなくて、弱虫で、泣き虫で、トラブルメイカーで、仲間達の助けがなければ満足に仕事も出来なかった。
 リボーンとの関係も相変わらず一方通行のままだったが、それでも自分の中で小さな変化が起こり始めたのもこの時期である。
 ランボの中で起こった小さな変化とは、リボーンに向けている一方的な対抗心は、特別な意識だと気が付いた事だった。



 十六歳。
 自分は、リボーンへの特別な意識は恋愛感情だと自覚した。
 しかし、自覚したからといって何も変わらなかった。
 リボーンのランボに対する態度は素っ気無いもので、会話すらまともに成立させてくれなかった。
 ヒットマンとしての腕も相変わらず半人前で、自分がボンゴレリングの守護者である事に畏れすら抱き始めた。悔しい思いをする事が多かったランボは、少しでもリングに見合う人間になる為に無我夢中で修行したのだ。
 でも、この時からである。
 この時から、リボーンと何気ない日常会話を交わせるようになったのだ。
 相変わらず無視される事が多いが、それでも時々交わされる何気ない会話が嬉しくてしょうがなかった。
 それは今までのリボーンからは考えられない事である。今までのリボーンはランボなどまったく相手にしてくれず、どんなに話しかけてもまともな会話を成立させてくれた事はなかったのだ。
 だから、この時から少しずつリボーンとの関係が変わり始めた。



 十七歳。
 ランボはリボーンに想いを告げた。
 しかし、相手にもされなかった。そう、振られたのだ。
 その後、ランボに見せ付けるようにリボーンは愛人の数を増やし始めた。
 赤ん坊の頃から複数の愛人を囲っていたリボーンだが、この時期のリボーンは特に愛人との関係を盛んにしていた。
 ランボは、リボーンの愛人が増える度、リボーンが隣に愛人を連れている度、泣きたいほどの切なさを味わったのを覚えている。
 でもこの時、一つだけ信じられるものがあった。否、信じるのではなく、縋っているものがあった。
 それはリボーンとの、ふとした瞬間。
 ふとした瞬間、リボーンと視線が交わる事があったのだ。
 それは瞬きのような瞬間だが、それでも確かにリボーンと視線が交わされる事があった。
 視線が交わると直ぐに逸らされてしまうが、確かにリボーンはランボを見ている瞬間がある。
 ランボは、リボーンと視線が交わる瞬間だけを信じ、リボーンを諦める事が出来なかった。



 二十歳。
 この頃からランボの性格は落ち着きをみせ始め、泣き虫を返上し、雷のリング守護者としてもヒットマンとしても実力が伸び始めた。
 仕事も上手くこなせるようになり、一人前として扱ってもらえるようになってきたのだ。
 でも、順調なのは仕事だけで、リボーンとの関係は視線が交わるくらいの接触しかなかった。
 だがそんな中、リボーンとランボに二人で行う仕事が与えられたのだ。
 ランボはリボーンの足手纏いになる事が嫌で必死に頑張った。それに今の実力なら、役立つ事は出来なくても足手纏いになる事はないだろうと思えたのである。
 しかし、この時に限ってランボは失敗した。
 一瞬の隙を突かれ、ランボは敵の手中に落ちてしまったのだ。
 そしてそんなランボを救出したのがリボーンだった。
 救出された時、ランボは馬鹿にされるかと思った。「これだから格下は」と罵られると思った。
 だが、ランボに与えられたのは罵りではなく、――――口付け。
 それは、二人に訪れた劇的な変化。
 この時から二人の距離は急速に縮まり、関係は『恋人』という形に変化したのだ。



 二十二歳。
 リボーンと恋人関係になって数年が経っていたが、ランボの気持ちが安定する事はなかった。
 恋人関係になっても、ランボの心を占めていたのは不安や寂しさという感情だったのだ。
 それは恋人関係になっても以前と変わらないリボーンの言動が起因なのだが、ランボは仕事などで離れている時間すらも不安でしょうがなかったのである。
 そんな中、ランボはリボーンに対するマイナスの感情を溜めていき、それをリボーンにぶつけてしまった。
 癇癪を起こした子供のように罵り、泣き喚き、幼い頃から溜め続けていた不満を全てぶつけてしまった。
 ランボは全てをぶつけ終えると、その後は一気に不安と恐怖が押し寄せてきた。リボーンを罵ってしまった事で、別れを言い渡されるかと思ったのだ。
 しかし、ランボが予想した別れはこなかった。
 リボーンはランボの不満や不安を受け止めてくれたのだ。
 それ以降、二人は一緒に暮らし始め、ランボが不安などで泣くことは無くなっていった。
 徐々に不安から解放され、それと同時に自信を身につけていったのだ。
 それは、辛い経験を積み重ねて得た人間としての自信。
 そして何より、リボーンに愛されているという自信。
 ランボにとってそれらの自信は、揺ぎ無いものになっていったのだ。




 それから三年。
 ランボは二五歳になった。




「ん……っ」
 ランボが眩しさに目を開けると、寝室に朝陽が射し込んでいた。
 寝室の大きな出窓から射しこむ朝陽は、ベッドしか置かれていない広い寝室内に明るさをもたらしている。
 穏やかな朝陽を受けたランボは大きく伸びをし、ゆっくりと身体を起こした。
「やれやれ、懐かしい夢だったな……」
 ランボは目覚めたばかりの目を擦りながら、先ほどまで見ていた夢を思い出す。
 だが、それは夢といっても、昔の記憶とも思えるものだった。
 先ほどまでの睡眠の中でランボが見ていた夢は、自分自身の記憶であり、幼少時から現在に至るまでの軌跡だったのだ。
 リボーンと出会った頃から始まり、関係に変化が起こり、そしてそれが今に続いている。
 それら二十年間に渡る出来事を夢の中で思い起こされ、ランボは何だか懐かしい気分になった。
 思い起こせば、自分はなかなか苦労していたと思う。
 仕事の方は経験が重なるのに比例して向上していったが、リボーンとの関係は毎日が不安で一杯だった。恋人関係になった後も不安が続き、何度も悲しみと寂しさの中で泣いたのを覚えている。しかし、ランボは不安を黙って我慢し続けていた訳ではなかったのだ。
 そう、ランボは不安や悲しさをリボーンに訴えてきた。それらの苦しい感情が我慢を超えてしまうと、それを吐き出すように泣き喚いてリボーンにぶつけてきたのである。
 今思い出すと八つ当たりのような大人気無い行動であるが、それでもその時は感情を制御する事が出来ず、思ったままに動いてしまっていた。
 そのように感情に振り回されていた数年前までは、どんなに大人ぶっていても、まだまだ自分は幼かったのだ。
 しかし、ランボはそれを恥じている訳ではなかった。その時の感情があったから、その時の行動があったから、だから現在の自分があるのだ。
 それを心得ているランボは過去を恥ずかしいと思っていない。ましてや後悔など決してしていない。後悔なんてすれば、今の自分が可哀想ではないか。
 だから今のランボは夢の内容を懐かしく思うことはあっても、それ以上に何かを深く思うことはなかった。
 過去は過去として受け止め、それの延長である現在を満たされて過ごしているのだから。
 ランボは、自分の隣で眠っている男に視線を向けた。
 ランボが使用しているベッドは大人二人が眠っても充分な広さがあるベッドである。一人で使用するには広すぎて寂しいものだったが、今このベッドで眠っているのは一人ではなかった。
「おはよう、リボーン」
 そう、ランボと一つのベッドを共有し、一緒に眠ってくれているのはリボーンだ。
 ランボがリボーンの名前を呼べば、隣で眠っていたリボーンがゆっくりと目を覚ました。
 リボーンは眠たげな様子を見せながら「起きてたのか?」とランボに訊ねる。
「ううん。オレも起きたばっかり」
 ランボが小さく笑ってそう答えると、リボーンは「そうか」とまたベッドの中に潜り込んでしまう。
 だが、リボーンはベッドに潜り込む際、ランボを引き摺り込むのを忘れなかった。
 ランボは抵抗出来ないままずるずるとリボーンの下に組み敷かれる。
「ちょっと、リボーン……っ」
「まだ起きなくていいだろ。しばらくじっとしてろ」
 そう言われてしまえば、ランボは「そうだけど」と強い抵抗も出来ないまま大人しくなるしかなかった。
 確かにリボーンの言う通り、今日は急ぎの仕事が無いので朝からのんびりできるのだ。
 ランボは「しょうがない」と苦笑すると、自分に覆い被さるリボーンの背中に両手を回す。
 こうして二人はベッドの中で抱き合い、触れる身体から互いの体温を感じあう。それらの行為は睦みあうようなものであるが、だからといってそこに色欲を助長するような雰囲気はなかった。
 二人は、寝起きのまどろむような心地良さに浸ったまま、二人きりでいられる朝という時間を堪能しているだけなのだ。しかも今のランボは腰に鈍い痛みを感じており、それは昨夜の甘い名残りである。その為、ランボとしても甘い名残りを感じたままリボーンとくっついていられる事は嬉しかった。
「リボーン、くすぐったいんだけど」
 ランボは小さく笑ってそう言うと、首筋に感じる感触に目を細めた。
 ランボは組み敷かれるような体勢の為、リボーンが肩口に顔を埋めているのだ。リボーンはまどろみの中にありながらも、時折ランボの首筋に唇を寄せるのでくすぐったかった。
 そのくすぐったさにランボは「訊いてる?」と小さく笑い、リボーンは「黙ってろ」と首筋を甘く噛む。そしてシーツに散らばっているランボの長い黒髪を指先に絡め、触れるだけの口付けを落とした。
 ランボは数年前から髪を伸ばし始め、それが今では肩下までの長さになっていた。元々癖毛なので髪が緩く波打っていることもあり、伸ばした事で顔の輪郭に沿うように流れている。そして長めの前髪から覗く瞳は魅惑的な翡翠の彩を持ち、それを縁取る長い睫毛や垂れた目尻が触れ難いような艶やかさを醸し出していた。こうしたランボの容姿は、数年前まではくるくる変わる表情から「可愛らしい」と称される事があったが、年齢を重ねた今は、薫るような色艶が増されて「色気がある」などと称される事が多くなっている。
 ランボは成長するにつれて大人びた雰囲気を纏うようになり、それが容姿を一層引き立てるようになったのだ。
 だが、そんなランボであるが、決して弱々しいなどのマイナス印象を与える事はなかった。
 ランボの体格は無駄な肉の無い細身のものだが、それでもヒットマンとして鍛えられているのである。身長の方もすらりと高く、決してなよなよした頼りなさを感じさせる事はなかった。
「だいぶ髪が伸びたな。伸ばしてどれくらいが経つ?」
「意識して伸ばし始めたのは三年くらい前だと思う。長いのは嫌?」
「嫌じゃねぇ、好きにしろ」
 リボーンは指先にランボの髪を絡めたままそう言うと、「だが、三年前っていうのは気に入った」と口元に微かな笑みを刻む。
 そんなリボーンの言葉に、ランボも嬉しそうに目を細めた。
「そうだね。三年前だもんね」
 二人の言う三年前とは、二人が一緒に暮らし始めた時期だった。
 恋人関係が始まったばかりの頃は、互いの仕事の事もあって擦れ違いが多く、その他にも性格的な食い違いからトラブルが起こり、関係はとても不安定なものだった。最初はランボも我慢していたが徐々に不安と不満が溜まっていき、それをリボーンに向けて泣きながら吐き出したのだ。
 そしてそれが切っ掛けとなり、二人は一緒に暮らし始めたのである。まあ、だからといって一緒に暮らし始めても仕事内容が変わるはずが無く、二人は相変わらず多忙を極めていた。だが、それでもランボはリボーンの想いを疑うことはなくなり、安定した恋人関係を築くことが出来たのだ。
 そう、ランボが不安や不満など覚える事はなくなった。
 ランボは知っているのだ。どんなに離れていても、リボーンは確かにランボを想ってくれている。仕事の関係で三ヶ月以上会えない事もあったが、それでも不安を感じる事はなくなった。
 こういった想いが通じているという確信は『信じている』という一言に尽きるものだが、それ以上に今まで一緒に過ごしてきた時間や、リボーンから向けられる眼差しや言動からも得られるものだったのだ。
「リボーン」
 ランボが名前を呼べば、リボーンはランボに意識を向ける。
 リボーンの眼差しがランボに向けられ、その瞳には特別な想いが彩られている。
 これは確信だ。確かに自分はリボーンに愛されている。
 二十年という年月はリボーンを変えた。
 ランボに対して硬質的な冷たい態度を取る事が多かったが、それが数年前から少しずつ軟化していき、今ではランボに対して甘やかすような言動さえ見受けられる。だからといって甘やかすといっても手放しという訳ではなく、ふとした瞬間にランボの全てを包容するような甘さを見せてくれるのだ。
 ランボは、自分を抱き締めるリボーンに頬を寄せて目を閉じる。
 リボーンがずっと欲しかった。初めて出会った二十年前から欲しいと思っていた。だから自分は追い駆け続け、どんなに冷たくされても諦めなかった。
 でも、やっと手に入れたのである。リボーンの想いは、確かに自分に向けられていた。
 リボーンの鋭さを増した眼差しは、ランボに向けられる時だけは特別な色が宿る。
 成長とともに冷淡さが増されていったリボーンの美貌は、近寄り難さを感じさせるがランボにだけは触れる事を許してくれる。
 そして精悍な力強い腕はランボに伸ばされており、それは決して離れる事はないと強く思えるものだった。
 リボーンのそれらは特別な者にだけ向けられるもので、それを向けられている事がランボにリボーンの恋人としての自信を与えていた。
 こうした二人の変化は関係にも変化を与え、今では言葉にしなくても気持ちが伝わるような落ち着いたものになったのだ。
「リボーン、そろそろ起きて朝食にしない? 今日は十代目に呼ばれていたよね?」
 ランボは「準備しようよ」とリボーンの背中を軽く叩く。
 今日の二人は珍しく予定が重なっていたのだ。今日の予定は昼前にボンゴレを訪ねるだけで後は休暇なのである。
「約束は昼前だろ」
「そうだけど、今日はせっかく休暇が重なってるんだから、久しぶりにデートしない? ボンゴレから帰ったらランチに行こうよ。その後は散歩とかしたいね」
 そう言ってランボは「デートしようよ」とリボーンの顔に両手を添え、その顔を笑顔で覗き込む。するとリボーンは「面倒臭せぇ」とランボを軽く睨みつけた。
「面倒臭いとかって言うなよ」
 ランボはムッとした口調で言いながらも、表情には楽しげな笑みが刻まれている。そしてリボーンの顔に両手を添えたまま「どっか行きたいんだけど」とちゅっと口付けた。
 こうしたランボの仕種にリボーンは「我侭言ってんじゃねぇぞ」と表情を顰めるが、そんな表情をしながらもランボに口付けを返す。
 ランボはリボーンの口付けに目を細めると、自分を抱き締めているリボーンを押し退けてベッドから抜け出した。
「オレは朝食作るから、リボーンも早く準備してね」
 そう言ったランボは、寝室にリボーンを残して自分はキッチンに向かう。
 二人が一緒に暮らしている家は郊外にある邸宅で、一室一室が広いスペースを持った開放的な造りになっている。又、サンルームやトレイニングルームの設備などが備えられたそこは、誰の目にも富裕層の邸宅として映るものだった。
 ランボはキッチンに入ると、さっそく朝食の準備を始める。リボーンと二人で朝食を取れるのは久しぶりの為、朝だが少し豪勢なものを用意するつもりだ。
 ランボは鼻歌混じりに手際良く朝食の準備を進めていく。そんなランボの表情は晴れやかなもので上機嫌だった。
 リボーンと久しぶりに朝食を一緒に出来るという事が嬉しかったが、それ以上にリボーンとの今の関係を思うと嬉しい気持ちになった。
 先ほどのやり取りなど普段の日常であって、いつもなら何も特別に思うことはないのだが、昨夜に昔の夢を見たこともあっていろいろと思い出してしまったのだ。
 以前の自分は、些細な我侭もリボーンに言えなかったのを覚えている。
 今では日常になったリボーンとの軽いやり取りも、数年前までは口にするのも躊躇っていた。ただ不安ばかりを覚え、我侭一つが関係を壊してしまうのではないかと思っていたのだ。だから当時は限界まで我慢を溜めていたのである。
 でも今は、不安や不満を感じること事態がなくなった。
 ランボが思っていたよりも、リボーンはランボとの関係に真剣で、確かな想いを向けてくれている。ランボは愛されているのだ。
 ランボがリボーンを想うように、リボーンもランボを想っているのだから。
 そう、ランボは自分が愛されている事に、確信にも似た自信を持っていたのだ。





 ボンゴレ屋敷にある綱吉の執務室。
 そこには今、ボンゴレ十代目である沢田綱吉とリボーンとランボ、その三人の姿があった。
 リボーンとランボは自宅で朝食を終え、綱吉の執務室に訪れていたのだ。
 揃った二人の姿に、綱吉は普段と変わらぬ穏やかな笑顔を向けてくれる。
 ランボが綱吉に出会ったのは二十年前だった。当時の綱吉はまだ中学生で、頼りないだけでなく情けなさばかりが目立つ少年だった。だが出会って二十年が経過した今、綱吉はボンゴレ十代目として申し分無いほどの風格と威厳を兼ね備え、巨大ファミリーを統率するに充分な実力と能力を身につけたのだ。
 だが、そんな綱吉であるが昔から変わらないものもある。それは笑顔や優しさなどの穏やかさだ。
 計り知れない権力や財力を手に入れても、昔と変わりない綱吉がランボは大好きだった。そして綱吉もランボのことを年の離れた弟のように思ってくれており、今でも変わらずに接してくれているのである。
「二人ともせっかくの休暇なのに、わざわざ屋敷に来てもらってごめんね」
 綱吉は穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
 こうした気遣いを見せてくれる綱吉にランボは「とんでもないです」と笑みを返すが、リボーンは「分かってるなら、さっさと用件を言え」と素っ気無く言葉を返す。
 そんなリボーンの返答に、隣にいたランボは「十代目に向かって……」と呆れてしまうが、それはいつもの事なのでランボはリボーンを軽く睨むだけである。
 このボンゴレの中で、綱吉に対して躊躇わずに提言や反論が出来るのはリボーンだけである。それはリボーンが元家庭教師という事もあるが、それ以上に綱吉とリボーンの間には師弟感情以上の信頼関係があるのだ。
「分かってるよ。そんなに時間は取らせないから」
 リボーンの態度にも笑顔を浮かべたままの綱吉は、「これだよ」とリボーンに書類を手渡した。
「リボーンに、ある女性の護衛を頼みたいんだ」
 そう言って綱吉は今回の仕事内容を説明し始める。
 今回の仕事内容は、綱吉が懇意にしている財閥会長の令嬢を護衛することだった。
 綱吉が親しくしているのは財閥会長の老人だが、跡取り息子を早くに亡くしてしまい、直系は孫娘である令嬢しか残されていなかった。そんな中、老人は生前のうちに全ての財産を令嬢に相続させる事に決定したのだ。
 だが、財産の相続問題というのは決して簡単な事ではなかった。この問題は最も骨肉の争いを招きやすい問題であり、ましてやそれが財閥の相続問題ともなれば親族間で血が流れる事も珍しくなかった。
 しかも今回、財閥の全てが令嬢に相続されるのである。この相続問題に親族達が黙っている筈がなかった。親族達は財閥会長に相続問題について直談判しているが、会長はそれら全てを一蹴し、令嬢を正統後継者として相続の準備を進めているのだ。
 現在の状況は、会長が非公式の場所で令嬢の名前を出しただけであるが、後日開かれる正式なお披露目の際、令嬢が正統後継者であると公式に発表される事になっているという。
 反対する親族達の動きは、今は会長自身に直談判するという状態で済んでいるが、公式発表日が近づくにつれて一部過激な親族達が動き出すのは目に見えていた。
 その過激な方法とは令嬢の暗殺である。
 それを察した会長は、友人である綱吉に優秀な護衛を紹介してほしいと相談し、白羽の矢が立ったのがリボーンという訳なのだ。
 だが、リボーンは綱吉から言い渡され仕事内容に表情を顰める。
 リボーンが綱吉以外の護衛につくことは滅多に無いことだった。そもそもリボーンはボンゴレの幹部であり、本来なら護衛をされる立場の人間である。しかし、リボーンの場合は護衛などつけると、逆に護衛が足手纏いになってしまうのだ。
 そんなリボーンは、綱吉の護衛を行う事があったとしても、それ以外の護衛などはヒットマンとして管轄外の仕事だと思っている。今回の仕事は、護衛期間は公式発表されるまでという期限付きのものだが、リボーンにとって簡単に了承できる仕事内容ではなかった。
 こうした思いから、こんな仕事を持ってきた綱吉をリボーンは不機嫌そうに睨む。
 リボーンに睨まれた綱吉は、リボーンの思いを察して「ごめんね」と謝るしかなかった。
 綱吉は知っているのだ。仕事関係において、リボーンは決して自分を安売りせず、自分が気に入らなければ断わる事もあるという事を。その為、綱吉は内心で「無理かも」と諦めかけていた。この程度の仕事ならリボーンが拒否する可能性があり、リボーンに拒否されれば綱吉も強引に推し進めることは出来ないのだ。
 だが、こうして綱吉が諦めかけた時、意外な人物が口を開いた。
「いいじゃない、護衛してあげなよ。困ってる仔猫ちゃんがいるなら放っておけないよ」
 そう、それはランボだった。
 今までランボは綱吉とリボーンのやり取りを黙って見ていたが、リボーンが渋る様子に何気なく口を出したのだ。
 突然口を出したランボに、リボーンは「お前は黙ってろ」と眉を顰める。
 しかし、それくらいでランボが黙っている筈がない。
「リボーン、仕事を選んじゃ駄目だよ。それに十代目からの仕事なんだから」
 こうしてランボはリボーンを窘めた。
 そして、この意外な加勢に勢いを増すのは綱吉である。
 綱吉は「ランボ! ありがとう!」とパッと表情を輝かせると、笑顔でリボーンに向き直る。
「ランボもこう言ってるし、この仕事を受けてくれないかな?」
「リボーンにとっては物足りないものかもしれないけど、これも仕事は仕事だよ?」
 綱吉とランボが言葉を合わせ、リボーンに仕事を受けるように進めた。
 そんな二人の様子にリボーンは「お前ら……」と舌打ちする。
 リボーンとしては断わるつもりだったが、単純なランボと、そのランボの加勢に勢いを得た綱吉を前にし、さすがのリボーンも拒否し続けることが難しくなったのだ。
「後で資料を回しておけ」
 リボーンは諦めたように息を吐くと、観念したようにそう言った。
 このリボーンの了承に綱吉は安堵の表情を浮かべる。リボーンが断わるなら別の者を用意するつもりだったが、それでもリボーンほど信頼を置ける者はいないのだ。財閥会長は綱吉にとって大切な友人という事もあり、リボーンほどの適任者はいないのである。
「有り難う、リボーン。護衛開始は一週間後からだから、資料は今夜にでも送るね。本当に助かったよ」
 綱吉は嬉しそうにそう言うと、今度はランボに向き直って「ランボも有り難う」と礼を言う。
「オレは何もしていませんよ」
 ランボはそう言って綱吉に笑顔を返したが、「ところで」と不意に浮かんだ疑問を口にした。
「ところで十代目、オレは何で此処に呼ばれたんでしょうか?」
 そう、ランボもリボーンと同様に、綱吉からボンゴレを訪ねるように言われていたのである。
 しかし綱吉はリボーンに対して仕事を言い渡しただけで、ランボに対しては仕事関係の話題を持ち出していないのだ。仕事を言い渡されると思っていたランボは、仕事で呼ばれたのではないのなら、どうしてリボーンと一緒に来るように命じられたのか疑問だった。
 だが、その疑問は綱吉によって直ぐに晴らされる。
「ごめんね、ランボにはリボーンを貸し出す許可が欲しかっただけだよ」
「許可?」
 思わぬ許可という言葉に、ランボは意味が分からずきょとんとし、リボーンは何とも嫌そうな表情をした。
 その二人の反応に綱吉は小さく笑うと、「ランボに申し訳ないと思ったんだよ」と種明かしをしてくれる。
 綱吉の言う『ランボに申し訳ない』という意味は、リボーンとランボの関係にあったのだ。
 リボーンとランボが恋人同士である事は、ボンゴレやボヴィーノ内では周知の事実である。特に綱吉は、二人が恋人同士になった経緯や、それからのトラブルなどを嫌と言うほど知っている事もあり、今回のリボーンの仕事内容をランボの耳にも入れておこうと判断したのだ。
「仕事とはいえ、リボーンにはしばらく女性の側にいてもらうからね。ランボにも了解を取っておきたかったんだ。今回の件で喧嘩でもされたら困るし」
 この言葉は、綱吉だから言える言葉だった。
 綱吉は、二人が恋人関係になる前から何かと心配し続け、ランボが悩んだ際も相談に乗り、時には泣き喚くランボを慰めたりしていたのだ。
 ランボが綱吉に泣きつく理由として一番多かった原因が、リボーンの女性問題である。リボーンは赤ん坊の頃から愛人を囲っているだけあって、ランボと恋人関係になってからも完全に女性関係を断つという事がなかった。その事についてランボも我慢を続けていたが、綱吉には不満や悲しさを訴えていたのである。
 綱吉はそれを知っているが為に、今回のリボーンへの仕事を事前にランボへも伝える事にしたのだ。
「でも、オレの杞憂だったみたいだね。ランボが賛成してくれて良かったよ」
 そう、今回の仕事で綱吉が心配していた事は全て無駄だった。しかも嬉しい誤算まで発生し、ランボの口添えでリボーンは仕事を受けてくれたのである。
 ランボの口添えがなければ、おそらくリボーンは今回の仕事を拒否していただろう。それを思うと、今の二人の関係が順調なものであると知れた。
「二人とも上手くいってるんだね。何だか見せつけられている気分だよ」
 そう言って綱吉がからかえば、ランボは「十代目……」と困った様子を見せるが、それでも表情にははにかむような笑みが刻まれていた。
 ランボとしてもリボーンとの関係が順調である事は自覚しているが、それを他人からからかわれるのは照れてしまうのである。
 だが、ランボは照れながらも否定はしない。それは、する必要が無いからだ。
 むしろ、その照れの中に自信すら窺がわせ、浮かべる笑みさえも余裕を感じさせた。そんなランボの振る舞いは落ち着いたもので、頼りなかった幼い頃の面影はない。
 実際、ランボは今回のリボーンの仕事に対して特に何も思う事はなかった。ただリボーンの仕事として受け止めているだけである。ましてや不安などなく、普段の仕事と変わりないものだと思っていたのだ。
 だが、こうして綱吉がこんな些細な事も心配してくれる理由は分かっていた。それは過去の自分に原因があるのだ。ランボは綱吉に何でも相談を持ちかけていたのである。だから、綱吉はランボの事を今でも心配しているのだろう。
 そんな綱吉の思いに気付いているランボは、もう心配いらないのだという事を綱吉に分かってほしい。そう、もう何も心配いらないのだ。
 今のランボはリボーンと対等であり、リボーンに愛されているという自信と余裕がある。
 その自信と余裕は、ランボが過去に行った努力が導いた結果であり、成長と経験という名の下に得たものなのだから。





 ボンゴレ屋敷を後にした二人は、街の大通りにあるレストランに入っていた。
 この店の外観はオープンテラスの開放的な造りになっており、大通りに面していて外の景色を臨めるようになっている。だが、店構えや店内を飾る調度品は少々華やか過ぎるもので、利用する客は女性の方が多かった。
 その事もあって、もしリボーン一人だけなら入店する事は無かっただろう。しかし、この店を気に入っているランボが渋るリボーンを強引に引っ張り、此処で約束のランチを取っているのだ。
「此処はオレのお薦めの店で、凄く美味しいんだよ」
「それなら一人で来ればいいだろ」
 強引に入店させられた事でリボーンは少々不機嫌になってしまっているが、ランボは気にせず「やだよ。リボーンと一緒に来たかったんだもん」と食事を進めた。
 ランボは、リボーンが本気で怒っている訳ではないと分かっている。
 数年前まではリボーンのちょっとした機嫌の変化に怯えたが、今ではリボーンがランボに対して本気で怒ることは無いと知ったのだ。
 ランボは目の前に並べられたランチに目を細め、「これが特に美味しいんだ」とリボーンにお薦めの料理を紹介していく。店のメニューの中でランボが一番お気に入りなのはマグロのカルパッチョだった。オリーブオイルの風味がマグロの味を引き立てており、ランボは此処に来店すると必ずカルパッチョを注文しているほどである。
 ランボは上機嫌でフォークにカルパッチョを取ると、「はい、食べてみて?」とリボーンの口元にフォークを寄せる。
 口元にフォークを寄せられたリボーンは眉を顰め、「見っともない真似をするな」と素っ気無く無視をした。
 マナーや品格を重んじるリボーンにとって、誰が見ているか分からない場所で食べ物を食べさせ合うなどなるべく避けたい事だったのだ。
 だが、そんなリボーンの思いを知ってか知らずか、ランボは笑顔で「ほら」とカルパッチョを進める。
「此処は畏まった場所じゃないんだし、ちょっとくらい良いじゃない」
 悪びれなくそう言ったランボは、心なしか何処かはしゃいでいるようにも見える。
 それは久しぶりにリボーンと外出できた事を喜んでいるようで、それに気付いたリボーンは「……しょうがねぇな」と諦めたような息を吐き、ランボが差し出すカルパッチョを食べた。
 リボーンがカルパッチョを食べれば、ランボはパッと表情を輝かせる。
「どう? 美味しいでしょ?」
「まあまあだな」
 リボーンの返事は素っ気無いものだが、ランボは「それって美味しいって事だね」とイタズラっぽく笑った。
 このランボの言葉にリボーンは「生意気言うな」と毒吐くが、リボーンも口元に微かな笑みを刻む。
 二人で過ごす事を楽しんでいるのはランボだけではないのだ。リボーンとて、恋人との久しぶりの逢瀬を楽しんでいるのである。普段は忙しく過ごしている二人にとって、二人きりの時間は貴重なものだったのだ。
 こうして二人は、しばらく他愛無い会話を楽しみながら食事を続ける。
 そんな中、不意にランボが「あ」と声をあげた。
「見て、リボーン。あの仔猫ちゃん達、こっちに手を振ってる」
 ランボはそう言うと、「ほら」と店前を通りすがった二人の女性を指差した。
 通りすがりの二人の女性は、リボーンとランボに向かって華やかな笑顔とともに手を振ってきている。そんな女性達の軽いアピールに、ランボもニコリと笑って手を振り返した。
 こうしたランボの反応に女性達は満足そうに微笑むと、そのまま大通りを歩いていったのだった。こうした女性達の態度は、リボーンやランボに向けられた他愛無いアピールである。
 リボーンとランボの二人は黙っていても際立つ容姿をしている事もあり、先ほどから店内で食事を楽しむ女性や、大通りを行き交う女性達の注目を集め、時折誘うような視線を向けられていたのだ。
 だが、この女性達の反応は二人にとって珍しい事ではない。二人は女性達に好意を向けられる事に慣れているのである。そんな二人にとって、こういった女性達の対応には長けていた。
 しかし今、その女性達に反応を返したのはランボだけだった。
 リボーンは女性達を特に相手にする事もなく、視線を合わせないまま食事を続けていたのだ。
 立ち去る女性達を視線だけで見送ったランボは、「愛想がないね」とリボーンに向き直る。
「さっきの仔猫ちゃん達、あれはオレじゃなくてリボーンを狙ってたよ。やっぱりリボーンが隣にいると、仔猫ちゃんはリボーンを見るね」
「当然だ。お前と比べれば俺の方が良いに決まっている」
 リボーンが勝ち誇ったようにそう言えば、ランボはムッとした表情で軽く目を据わらせる。
「嫌味ばっかり言って……。でも、さっきみたいに愛想が無かったら仔猫ちゃんは怖がるよ?」
「その方が予防線になるだろ。それに、俺が愛想を振り撒けば、お前は泣くことになるぞ?」
 そう言ってニヤリと笑うリボーン。
 そのリボーンの笑みに、ランボはムッとしたまま「……愛人候補続出?」と最初から分かりきっている言葉の意味を問うた。
「そういう事だ。それに、お前も同じ理由で何度も泣きたくねぇだろ」
「そうだね。リボーンには、たくさん泣かされたから」
 ランボは恨みがましい素振りでそう言うと、冗談っぽい表情でリボーンを軽く睨む。
 そう、数年前までのランボはリボーンの女性関係に泣かされていたのだ。その時の事を思い出すとランボは切なさを覚えてしまうが、それでもこれは懐かしい過去の思い出なのである。これは自分の中で解決出来ている事であり、今更しつこく問い詰める気は無い。
 今、リボーンに愛されている唯一はランボである。それが揺らぎ無い事実である限り、取り乱すようなことは何一つ無かった。
 ランボは軽口のような口調で「ほどほどにしてよ?」とリボーンを軽く窘めると、不意に、「そういえば」と何かを思い出したように話を切り出した。
「そういえば、昨夜懐かしい夢を見たんだよね」
「懐かしい夢?」
「そう。リボーンと出会った頃から現在までの間をダイジェストで見たんだ」
 ランボは夢の内容を思いだすと、懐かしげな表情でそう言った。
 そしてリボーンに夢で見た光景をありのまま話していく。ランボが話す内容は、リボーンにとっても思い出のようなものだった。
 こうしてリボーンはランボの話を聞いていたが、それを聞き終えると楽しげに目を細める。
「あの頃はウゼェほど泣き喚いてたからな。で、今は泣き喚かねぇのか?」
「泣かないよ。理由もないのに泣ける訳ないじゃない」
 泣き虫はとっくの昔に返上したよ、とランボは小さく笑う。
 その笑みは「そうでしょ?」とリボーンに語るもので、リボーンは僅かに目を細めた。
「そうだな」
 リボーンは短く答えると、ランボの頬に触れるだけの口付けを落とす。
 ランボは、リボーンからのさり気無い口付けに「ありがと」と口付けを返し、そのまま食事を続けたのだった。
 そう、数年前に比べて今のランボは泣かなくなった。否、泣くという行為を数年前とは違う条件で行うようになった。
 数年前までは、感情に振り回されるままに泣き喚き、悲しい事や辛い事などの苦痛に対して泣くことが多かった。特にリボーンの事に関しては、ほんの些細な事で泣いている事もあったのである。
 しかし今、何かで泣くことがあっても、それは感動や喜びという感情で涙をじんわり溢れさせる程度になっていたのだ。感動に泣くという事は人間としてよくある行為であり、ランボは自分の感受性が強い為だろうと結論付けている。
 それでは何故、数年前のように泣かなくなったのかというと、泣く必要がなくなったからだ。
 泣く必要がなくなったという意味は、ランボにとって悲しい事が起きなくなったという事である。例え起きたとしても、ランボはそれに耐える力を手に入れた。それを跳ね返す事が可能になったのだ。
 それ故に泣かなくなったという事は、ランボにとって喜ばしい事だった。
 それは成長の証明であり、経験と実力の元に導かれた結果なのだから。
 ランボにとって泣く必要が無いという状況は、自分自身が満たされているという事なのだ。





 一週間後。リボーンの護衛任務が開始された。
 リボーンが言い渡された護衛は、一日中令嬢の側に張り付くようなものではなく、夜には自宅へ帰ってこられる内容のものである。
 早く帰って来た時などは夕食を一緒に取る事もできるので、この仕事は海外に長期出張する仕事に比べて簡単なものだった。
 だからランボは、今回のリボーンの仕事はそれほど護衛を重視したものではなく、ただ『リボーン』という超一流ヒットマンの名前を貸し出しただけなのだと思った。リボーンの名前は裏社会において影響力が強く、それだけで抑止力となるのだ。
「今夜はリゾットとサラダしか作ってないんだけど足りる? 何か作り足そうか?」
 ランボはそう言ってテーブルに夕食を並べていく。
 ランボは早々に夕食を済ませてしまっていたのだが、その後にリボーンが帰ってきたのだ。
「いや、これだけでいい。この後も仕事だ」
 何気ない口調でリボーンはそう言うと、ランボの手作り料理を食べ始める。
 ランボは、そんなリボーンを向かいに腰掛けて見ていたが、不意に「あ」とある事に気が付いた。
「ねえ、さっきの言葉ってどういう意味?」
「言葉の意味?」
「そう。この後も仕事だってやつだよ」
 ランボはそう言ってにんまりと笑うと、「それって、仕事があるのにわざわざ帰って来てくれているって事だよね」と上機嫌に言葉を続けた。
 確信に迫るようなランボの言葉に、リボーンは「黙ってろ」と舌打ちしたが、これは肯定である。
 ランボは今まで、今回のリボーンの仕事は思ったよりも簡単なのだと思っていたが、そうではなかった。簡単なのではなく、リボーンはランボの為に時間を割いて帰ってきてくれているだけだったのだ。
 リボーンは決してその事を言葉にしないが、忙しい合間を縫って帰ってきてくれているのは確かである。
 それに気付く事が出来たランボは、「明日はドルチェも用意しておくね」と嬉しそうに言ったのだった。





 リボーンの護衛任務が開始して三週間が経過した。
 この頃になると、当初続いていたリボーンの帰宅が少なくなっていた。
 帰って来たとしても夜遅く、夕食を一緒に取れるなどという事はほとんどない。それどころか、帰ってきても直ぐに寝室に入り、自宅で夕食を食べる事すらなくなっていたのだ。
 しかし、ランボはその事について特に何も思わなかった。
「まあ、しょうがないよね」
 と、それだけの思いしか抱かなかったのだ。
 それに、令嬢の財産相続が公式に発表されるパーティーの日取りも近づいている事もあり、多忙さが増したのだろうと思った。
 そして何より、ランボは同業者としてリボーンの仕事を理解している。
 ランボとて護衛任務や長期任務が入れば、長時間リボーンと離れることがあるのだ。だからこれはお互い様であり、帰ってこないからといってリボーンを責める事は出来ない。ましてや、この事に関してリボーンに不満や不安など抱く筈がなかったのだ。





 リボーンの護衛任務が開始されて一ヶ月が過ぎた。
 その頃には、リボーンが自宅に帰ってくる事はなくなっていた。
 だが、だからといってランボが何かを強く思う事はない。
 仕事で帰宅できないという事はよくある事で、今更どうこう不満を言う事ではないからだ。
 そんな変わらぬ日々を過ごす中、ランボは買い物をする為に街に出ていた。
 リボーンが帰宅する事がほとんどないとはいえ、ランボは仕事以外の時は自宅で過ごしているのだ。自炊の為に食材を買い揃えなければならなかった。
 街の中心にある広場に訪れたランボは、そこで開かれている露店市場に目を細める。
 この市場は毎週決まった曜日に開かれるもので、此処にはたくさんの新鮮な野菜や珍しい香辛料などが売られているのだ。
 ランボは市場に入ると、所狭しと建ち並ぶ露店を一つずつ覗いていく。
 市場の中は露天商の呼び込みや行き交う人々の笑顔が溢れ、明るい活気に満ちていた。
 気が付けばランボはたくさん買い物をしてしまい、両手に持っている大きな紙袋には溢れんばかりの食材が入っていた。
 明るい雰囲気に流され、新鮮な野菜や魚、ワインなどをたくさん買ってしまったのだ。
「ちょっと買い過ぎたかも……」
 しばらくリボーンは帰ってこないというのに、購入した食材の量は明らかに一人分ではなかった。
 しかも購入した食材は一人で持って帰るには困難な量である。いつもならリボーンが荷物持ちを手伝ってくれるので、その感覚で購入を続けてしまったのだ。
 ランボは新鮮な食材を揃える事ができた事に気分を良くするが、それでもこの量を一人で持ち帰らなければならない事に気が重くなる。
 しかし紙袋の中の青々とした野菜や果物に目を細めると、荷物の重さも忘れて今晩のメニューを考えながら帰路に着くのだった。
 こうしてランボは両手に紙袋を持って歩いていたが、不意に、見慣れた姿を見つけて足を止めた。
 市場の出口付近に、黒いスーツの男が立っていたのだ。
 ランボの位置からでは、行き交う人々の合間からでしか男を確認できないが、それは遠目にも美丈夫だと分かる姿である。
 その男は間違いなくリボーンだった。
 ランボは、久しぶりに目にしたリボーンにパッと表情を輝かせると、小走りに駆け寄ろうとした。
 リボーンは仕事の途中かもしれないが、少しくらい言葉を交わしたいと思ったのだ。それに、もし仕事でないなら荷物持ちを手伝って欲しいし、そのまま一緒に帰れるなら夕食だって一緒に取りたい。
 ランボはそれらの事を思い、「リボーン!」と上機嫌でリボーンに向かっていった。
 だが。
「あ……」
 リボーンに向かっていたランボの足が止まる。
 足が止まったのと同時に、表情に浮かんでいた笑みが沈んでいく。
 そう、リボーンは一人ではなかったのだ。
 リボーンの側には小柄な女性が立っていた。女性は黒髪の巻き毛を背中まで伸ばし、パッチリとした大きな瞳が特徴的な愛らしい容姿をしている。その女性からは柔らかな雰囲気が感じられ、それは一般の女性とは違った品格や上品さがあるものだった。それらの事から、彼女が例の令嬢なのだろう。
 令嬢はリボーンを見つめ、花が綻ぶような笑みを浮かべている。
 リボーンを見つめる令嬢の眼差しには熱に浮かされたような彩があり、浮かべている笑みには屈託無さと好意が滲んでいた。それらは年若い女性が想いを寄せる相手に向ける表情であり、令嬢の中に恋愛感情が生まれている事が窺い知れるものだ。
 こうした令嬢が向ける好意は分かりやすいものだが、リボーンはそれを自然な言動で受け流し、見事な身のこなしと対応でエスコートしていた。
 この二人の光景を遠目に見ていたランボは一瞬言葉を無くすが、直ぐに「やれやれ」と小さく息を吐く。
「仕事だもんね」
 リボーンが女性に好意を向けられやすい事は知っている。それが仕事絡みであったとしても例外はないのだ。
 だから、令嬢がリボーンに好意を向ける事は何ら可笑しな事ではなかった。特に年若い女性などは、リボーンの外見だけで簡単に恋心を抱いてしまうのだから。
 それらを知っているランボは「相変わらずモテモテだね」と軽口を漏らし、リボーンと令嬢に背を向けて歩き出す。
「仕事中だからね」
 二人に見つからないように去ろうとする事に他意は無かった。
 仕事中に話しかけてはいけないと思ったのだ。只それだけである。
 そもそもリボーンは黙っていても女性に好意を向けられる事が多いのだから、今更そんな事をランボが気にしてもしょうがない。
 そして何より、あの令嬢は外見的に見てもまだ十代半ばの年齢だろう。そんな少女といっても差し障りない年齢の令嬢に、リボーンが心動かされる筈がないのだ。
 こうしてランボは、何事も無かったように二人から立ち去っていく。


 そうこの時、ランボは何ともないと思っていた。いつもの事だと思っていた。
 只、両手に持っていた食材がずっしりと重さを増したような気がするだけだった。





 市場でリボーンを偶然見かけてから三日が経過し、ランボはボンゴレ屋敷に呼び出されていた。
 通された綱吉の執務室には綱吉とリボーンの姿があり、ランボは「お久しぶりです。十代目」と綱吉に一礼して入室する。そしてリボーンの側に向かい、「リボーンも久しぶりだね」とニコリと笑ってみせた。
 ランボはリボーンを見つめ、その姿に目を細める。
 こうして面と向かって会うのは久しぶりなのだ。たったそれだけで懐かしいと思うのは変かもしれないが、相手は恋人なのだからしょうがないだろう。
 ランボはリボーンの側により、そこが定位置であるかのように隣に並ぶ。だがそれはランボだけではなく、リボーンも自然な事として受け入れている。
「俺がいなくて寂しいんじゃねぇのか?」
「まさか、一人の時間を伸び伸び過ごしてるよ」
 お互いをからかうように言葉を交わす。それは誰が見ても恋人同士の他愛無い会話である。
 それを眼前で見ていた綱吉は「オレの前でいちゃつかないでよ」と苦笑混じりに言葉を挟むが、それでも眼差しには楽しそうな笑みが含まれていた。
「今日、リボーンとランボに来てもらったのは、現在リボーンに護衛してもらっている令嬢の事についてなんだ」
 綱吉はそう切り出すと、今回リボーンとランボを呼び出した用件を話し出す。
「令嬢の財産相続が公表されるお披露目パーティーの日取りが正式に決まったんだ。突然だけど一週間後に開催される事になったよ」
 突然といえば突然のこの言葉に、ランボは「それは急な話ですね……」と驚いたように目を瞬いた。
 本来、重大な発表などが行われる公式パーティーは半年以上前から日取りの報せがくるものである。その為、今回のように一週間前の通告など有り得ないものなのだ。
 しかし、その理由は綱吉によって説明された。
 理由とは、現在の令嬢の立場にあったのだ。
 令嬢が財産を相続することに反対している一部の親族が、反対の動きに過激さを含ませ始めたのだ。過激さが増すという事は、令嬢の身の危険が増すという事である。
 そこで現財閥会長は早々に公式発表を行い、反対派の親族を黙らせようと考えたのだった。
 その理由を聞いたランボは、骨肉の争いに突入しようとしている状況に表情を曇らせる。
「そうですか。親戚とそんな関係になってしまうなんて、なんだか可哀想ですね」
「そうなんだ。それでね、お披露目パーティーの当日は護衛を増やすつもりなんだけど、良かったらランボも参加してくれないかな?」
 ランボが護衛に加わってくれたら心強いんだけど、と綱吉はランボの顔を覗き込む。
 こうして綱吉に頼まれてしまえばランボに断わる術は無かった。それどころか、幼い頃から世話になっている綱吉の頼みなら歓迎である。
「はい、是非お受けします。オレでよかったら力にならせて下さい」
「有り難う、本当に助かるよ。恐らく過激派はパーティー当日を狙ってくると思うんだ。でも、そのパーティーには他の著名人やオレも参加するし、どうしても人手が足りなくてね」
 護衛に参加する事をランボが約束すれば、綱吉は上機嫌でランボに礼を言った。
 令嬢を守るくらいならばリボーン一人で事足りるだろうが、当日は重要な著名人が多数参加する事が見越されているのだ。少しでも実力のある護衛を入れ、被害を最小限にする必要があるのである。
 ランボが綱吉の頼みを了承し、話は早々に決してしまった。
 それに気を良くした綱吉は、「ランボも令嬢の事を気に入るんじゃないかな?」と何気ない様子で話題を振る。
「オレも数える程しか会った事がないんだけど、ランボに似ている感じがするんだ」
 そして、綱吉から『ランボに似ている』という思わぬ言葉が紡がれた。
 この言葉に、本人であるランボは「オレに、ですか?」と驚きで目を瞬く。
 ランボは市場で見かけた令嬢の姿を思い浮かべたが、遠目だったという事もあって何処が似ているのか分からなかった。
 だが、綱吉は上機嫌でリボーンにも話を振ったのだ。
「リボーンもそう思わない? オレはランボに似ていると思うんだけど」
「冗談だろ。女とアホ牛を一緒にするな」
 リボーンは素っ気無い口調で一蹴したが、ふと口元に楽しげな笑みを刻んで「ああ、でも……」と言葉を続ける。
「でも、あの女もよく泣くな。どうでもいい事で泣いてる事があるぞ。しかも箱入りで世間知らずだ」
 ようするに少々天然が入っているという事である。
 ランボは、純粋培養されている令嬢と似ていると言われ、内心で少しムッとしてしまった。幼い頃から裏社会に身を置く自分が、安穏とした生活を送ってきただろう令嬢と一緒にされる事が嫌だったのだ。
 しかし、ランボが言い返す前に綱吉は「ああ、やっぱり似てるね」と納得してしまう。
「泣き虫だなんて、やっぱりランボと似ているね」
「泣き虫なところだけじゃねぇぞ。世間知らずなせいで少しウゼェな」
「女性にウザイなんて言っちゃ駄目だよ。でも、泣く子を慰めるのって、リボーンは何気に得意だよね」
 そう言って面白がる綱吉に、リボーンは舌打ちしながらも否定はしない。
 こうした二人の会話に、ランボは「そうなんですか」と普段と変わらぬ笑みを浮かべて参加していた。
 だがその内心は、和やかな雰囲気で令嬢の話題を楽しむ二人にあまり良い気はしていなかったのである。
 どうして自分がこんな気持ちになってしまっているか、ランボは気付いていた。
 それは、リボーンが肯定的な言葉を言ったからだ。
 綱吉の言葉に対し、リボーンは不機嫌になりながらも反論はしなかった。ランボはそれが気に入らなかったのである。
 そしてそれらの不快な気持ちが何を指しているのか、ランボは分かっている。
 それは、ランボがリボーンに対して独占欲を抱いているからだ。でも、その独占欲は恋人関係にある者同士なら当然発生するもので、ランボは独占欲を否定しない。
 だが、この感情を剥き出しにする事は出来なかった。
 これくらいで不満を覚えてしまった自分が矮小な人間に思え、その事をリボーンや綱吉に知られるのが恥ずかしかったのだ。
 二五歳にもなったというのに、自分が心の狭い人間だと思われたくなかった。
 あんな年若い令嬢を相手に、余裕がなくなる人間だと思われたくなかった。
 だからランボは内心の不満を隠し、表情では自分も会話を楽しんでいる様子を装っていたのだ。
「ランボにも早く会わせてあげたいよ」
 悪気無い様子で綱吉がそう言った。
 ランボはそれにもニコリと笑ってみせる。
「オレも早くお会いしたいです。どんな女性なのか楽しみですよ」
 嘘だ。
 一方的なものだったが、市場で令嬢の姿は見ている。
 でも、ランボの口から出たのは嘘だった。
 何故か、市場で姿を見かけた事を口に出来なかったのだ。
 見かけた時に声を掛けなかった事に、今更だが敗北感のようなものを感じたのである。
 あの時は『仕事中だったから』と言い訳しても、その言い訳が怖気づいているだけのような気がした。
 でも、ランボはその敗北感を認めたくなくて、「楽しみです」と微笑んでみせていたのだ。
「ところで小耳に挟んだんだけど、あの令嬢はリボーンに夢中みたいだね」
 綱吉から令嬢の話が続けられ、この言葉に、リボーンは「そうみたいだな」と他人事のように返事を返す。
 そんな二人の様子を見つめながら、ランボは面白がるような笑みを浮かべ続ける。
「そうなんだ。リボーンはモテモテだね」
 白々しいな、と自分で思いながらランボはそう答えた。
 あの令嬢がリボーンに好意を持っているのは気付いている。そんなの、リボーンを見つめる令嬢の眼差しを見れば誰だって分かるものだ。
 しかし、ランボは令嬢の想いなど些細なものであるかのように振る舞い、そこから余裕を滲ませる。
「相手が可愛いからって浮気しないでよ?」
 ランボはリボーンに視線を向け、軽い口調でそう言った。
 その声色には、リボーンがあの令嬢に対して本気になる訳がないという自信を窺わせるものである。


 この時、ランボは認めていなかった。
 自尊心を必死に守っている自分自身に。
 抱いてしまった敗北感が何を意味しているかという事に。
 そして何より、今の自分が年若い令嬢に対して嫉妬しているなど、絶対に認めたくなかった。






                                 同人に続く




無事に脱稿しました。
仮UPの時よりも削ったり増やしたり直したり、ちょっと弄りましたが派手な変更はなかったです。

それにしても20年後は難しいですね。
ランボは10年間ごとに一気に成長するキャラですから、妄想するのは楽しいんですが、いざ書いてみると難しいです。
でも20年後を書くからには、10年後には無くて20年後には有るものを書きたかったんですよ。
せっかくの20年後設定なので、20年後設定でしか書けないような内容で。
実現出来てるかどうかは別の話ですが、書いてて凄く新鮮でした。





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