序章・清き白への祈り




 時代を呪えば良いのだろうか。
 身体に流れる血を呪えば良いのだろうか。
 この世界に生まれた宿命を呪えば良いのだろうか。


 運命付けられた未来はどんなに足掻いても変わらない。
 信じれば裏切られ、願いは絶たれ、祈りは届かない。


 幾千幾万の祈りを重ねても、白へは……遠い。




清き白への祈り





   第一章・日溜りの場所で





 リアルな科学よりも、不確かな非科学が信じられた時代。
 人間は未来へと続く文明を持ちながらも、それと同時に人間以外の種族の存在を認知し、恐れながらも同じ世界に生息した時代。
 この時代、超自然的なそれらと人間は一つの世界に生きていた。
 人間は超自然的な種族を魔物、その名もヴァンパイアと呼び、恐れ、怯え、排除する為に争いを繰り返していたのだ。
 ヴァンパイアとは人間の生き血を好み、残虐で、特殊な能力を駆使して人間を脅かす魔物として知られていた。だがそんなヴァンパイアにも弱点があり、宗教組織である教会や朝陽に弱いという話しがあったのである。
 しかし異種族同士の争いがありながらも、それらを抱擁する世界は美しかった。
 山森には草木の緑が溢れ、川を流れる水は清浄で生命を育んでいる。
 自然への影響が薄い未発達の文明の中で、人間は少数の王族や貴族に支配されながらも、大多数の人間は森に村を築いて田畑を耕すという慎ましい暮らしをしていたのだ。





 深い森に囲まれた小さな村の中で、村の子供達が元気に遊びまわっていた。
 空に太陽が昇れば村の大人達は畑仕事に精を出し、子供達は村の広場に集まって日が暮れるまで遊ぶのだ。
 村には子供達の歓声が響き、それを見守る老人達の眼差しも優しいものだった。
 しかしそうして遊びまわる子供達を、少し離れた場所から見ている子供がいた。
 その子供はふわふわに膨らんだ癖毛と翡翠色の大きな瞳が特徴的で、名前はランボといった。
 五歳という幼い年齢のランボは、自分と同じ年代の子供達が遊びまわっている姿を遠くから見ていたのだ。
 子供達の姿を見つめるランボの眼差しはキラキラと耀いており、それは自分も仲間に入れて欲しいと期待するものである。
 だが、そんなランボの様子に子供達や老人は気付いていながら、一切視界に入れる事はなく、ましてや声を掛けようとする事はなかった。
 そう、まるでランボなどそこに存在していないかのように扱っていたのだ。
 この扱いは、ランボが物心ついた時からのものである。
 物心ついた時からという事もあって、ランボは無視される事には慣れていた。
 そんな事はいつもの事だが、それでも寂しがり屋のランボは期待を捨てる事が出来ずに、遠くから子供達を羨ましそうに見ているのだ。
「いいな〜。ランボさんも遊びたいな〜。ちょっとで良いんだけどな、ちょっとだけ」
 ランボは子供達を見ながら独り言を呟いた。
 独り言と言っても、わざとらしいそれは故意的に子供達に聞こえるように呟かれたものである。
 しかし子供達や老人は、ランボの呟きを耳にしても反応を返す事はなかった。
「う……っ」
 露骨に無視されたランボは唇を噛み締める。
 ランボ以外の者達だけが楽しそうで、嬉しそうで、笑っていて、それを見ていると何だか鼻の奥がツンとしたのだ。
 だがその時、ランボの眼前を白い蝶がひらひらと横切った。
 小さな白い蝶を目にしたランボはパッと表情を輝かせる。
「ちょうちょさん見っけー!」
 ランボは蝶を指差して大きな声で言った。
「白いちょうちょさん、ランボさんが見つけたんだよ〜!」
 自分に注目してくれとばかりに白々しいほど大きな声を出すランボ。
 その声に、遊んでいた子供達の中で一番小さな子供が反応する。
 蝶を目にした小さな子供は嬉しそうに笑い、ランボが指差す方向に足を向けようとした。
 だがランボの側に来る前に、別の子供が「ダメだよ!」とそれを阻止してしまう。
「あいつと一緒に遊んじゃダメだって、ママが言ってたぞ!」
「そうそう、近付いちゃいけないんだよ」
 他の子供まで小さな子供を止めてしまい、「あっちで遊ぼう!」と子供達はランボがいない場所まで駆けて行ってしまった。
 こうして走っていってしまった子供達を、ランボは黙って見ている事しか出来ない。
 仲間に入れてもらえない寂しさにランボは肩を落とすが、蝶が遠ざかっていく事に気付いて直ぐに復活した。
「あっかんべー! ランボさんは大人だから一人で遊べるんだもんね!」
 ランボは走り去る子供達に強気で「あっかんべー」をすると、気を取り直して遠ざかる蝶を追いかける。
「待って、ちょうちょさん待って〜!」
 蝶を捕まえようと、ランボは短い手を伸ばして走った。
 途中で何度も転びそうになったが、躍起になってランボは蝶を捕まえようとする。
 蝶を捕まえ、他の子供達に自慢してやるつもりなのだ。
 必死になるランボは蝶だけを見つめて脇目も振らず走り続ける。
 いつの間にか村の外に出ていたが、それに気付かず夢中で蝶を追う。
 そして気が付いた時は森の中だった。
 ひらひらと舞う蝶を追いかけるうちに、いつの間にか村から離れた森の中に入ってしまっていたのだ。
「ど、どうしよう……」
 怒られる……、とランボは自分を囲む森の木々を見回した。
 子供が一人で村の外に出る事は許されておらず、ましてや森に立ち入るなど言語同断なのだ。
 追いかけていた蝶も森の草木に紛れて姿を消してしまい、ランボは一人ぼっちで立ち尽くす。
 村の外にある森は緑が美しい場所であるが、奥へ進むと迷い込んでしまいそうな深い森だった。
 これ以上森の奥に進めば、ランボはきっと迷子になってしまうだろう。
「こっちだったっけ」
 ランボは蝶を捕まえる事は諦め、村へ帰ろうと元来た道を戻ろうとする。
 こうしてランボは森の道無き道を歩き出したが、しかしどれだけ歩いても森を抜けることは出来なかった。
 歩いても歩いても視界に広がるのは草木の緑ばかりで、物音がしたかと思うとそれは小動物の気配であったり、木に巣食う小鳥のさえずりであったりしたのだ。
 何時まで経っても森を抜けられない事態に、ランボの顔色が心なしか青褪めたものになっていく。
「……オ、オレっち迷子じゃないもん。オレっちはちゃんと帰れるもん」
 ランボは強気な口調で自分に言い聞かせるが、それでも「もしかして迷子?」と一度浮かんでしまった疑惑は晴れなかった。
 それどころかランボの不安は増していき、大きな瞳にはじんわりと涙が浮かぶ。
 どれだけ強気な態度を装っても、どれだけ歩いても、視界に広がるのは草木の光景ばかりなのだ。
 明るい陽射しを受ける緑の光景はとても美しいものなのに、今のランボにとっては恐怖を煽るものでしかない。
「う……っ、うぅ……」
 ランボから嗚咽が漏れる。
 我慢しようと思うのに、迷子になったのだと思うと耐えられなかった。
「うわああああん! ここどこー?!」
 耐え切れなくなったランボは、とうとう大きな声で泣き出してしまった。
 しかし、泣いてしまいながらもランボは歩き続ける。
 途中で地面に盛り上がった木の根に転びそうになったり、突然前を横切る小動物に怯えてしまうが、歩かなければ帰る事は出来ないと分かっているのだ。
 こうしてランボは村を目指して歩き続けていたが、眼前の大樹を通り抜けた先に日溜りの空間が広がっていた。
 ふと現われた日溜りの空間に、ランボの涙はぴたりと止まる。
 生い茂る草木の中にぽっかりと空いた空間は、明るく暖かな陽射しが日溜りを作っていたのだ。
 木々の間から陽射しが差し込む様は光の洪水のようで、それに照らされた一面の緑は輝いている。
 その光景に息を飲んだランボは日溜りの中へ駆け出そうとしたが。
「わっ!」
 駆け出そうと足を踏み出した瞬間、何かに足を引っ掛けて勢い良く転んでしまった。
「痛い〜!」
 転んでしまったランボは起き上がると、自分が転んだ原因になった物を振り返る。だが。
「え……っ」
 ランボは痛みを忘れ、転んだ原因になったものを驚きの表情で凝視した。
 ランボは最初、地面に盛り上がった木の根に転んでしまったと思ったのだ。しかし、振り返った先に見たものは木の根などではなかった。
「だ、誰?!」
 そこにいたのは、幼児とも思える年齢の子供だった。
 黒尽くめの衣服を纏った子供が木の幹に凭れて昼寝をしていたのだ。
 どうして子供がこんな森の中にいるのか分からないランボは、驚きを隠しきれずに子供を凝視し続ける。
 子供が纏う衣服は貴族という特権階級の人間が着用するものに似ており、物珍しさも手伝ってランボは興味を覚えたのだ。
「あんた誰? どうしてここにいるの?」
 ランボは矢継ぎ早に質問するが、昼寝をしている子供から返事が返ってくる事はない。
 それでもランボはしつこく「ねぇねぇねぇねぇ」と繰り返せば、寝ていた筈の子供の表情が次第に引き攣ったものになっていった。そして。
「煩せぇぞ。俺の昼寝を邪魔するんじゃねぇ」
「しゃべったー!!」
 ようやく返ってきた返答は不機嫌なものだったが、ランボは反応が返された事に歓声を上げた。
 返事が返ってきた事で調子に乗ったランボは、子供の周りをうろうろしながら騒がしく畳み掛ける。
「オレっちランボっていうの。もう五歳だから大人なんだよ? 近くの村に住んでて、大好物はブドウ!」
 不機嫌なリボーンに構わず、ランボは上機嫌に自己紹介をした。
 同年代の子供とまともに会話を交わした事がないランボは嬉しくて仕方がないのだ。
「どこから来たの? 名前は?」
 村では見かけない子供という事もあり、子供が村の外から来たのだという事は想像に難くない。
 村から出た事が無いランボにとって、村を囲んでいる森の先にある世界は未知そのものである。興味津々のランボは、またしてもしつこく「ねぇねぇねぇねぇ」と付き纏った。
 だがどれだけ質問を繰り返しても、子供の機嫌が急下降するだけで返事が返ってくる事はない。
 返事を待ち切れなくなったランボは「そうだ!」とある事を思いついた。
「名前無いの? だったらランボさんが付けてあげる!」
 ランボは嬉々とした表情で、名案だとばかりに提案する。
「タレ眉! モミアゲ! ランボさんより小さいからチビ! こんなのどう?」
 こうしてランボが嬉々として挙げた名前候補は、お世辞にも素敵な名前とは言い難かった。
 しかし満足気なランボは、「どれがいい?」とワクワクした面持ちで子供を見つめる。
 このままでは本当に名付けてしまいそうなランボの様子に、子供は苛立った様子で舌打ちした。
「勝手に人の名前作ってんじゃねぇぞ。俺はリボーンだ」
「リボーン? お前、リボーンっていうのか!」
 リボーンと名乗られ、ランボの表情がパッと輝いたものになる。
 自分で名前を付けるのも良いが、やっぱり本人の口から聞きたかったのだ。
 名前を知る事が出来て嬉しいランボは、「リボーン、リボーン、リボーン!」と何度も繰り返してみる。
 こうしたランボの喜びようは同年代の子供の名前を気安く呼べる嬉しさからくるものだったが、リボーンとしてはウザイ以外の何ものでもない。
「もういいだろ。さっさと帰れ」
 リボーンは吐き捨てるように言うと、ランボを無視して昼寝に戻ろうと目を閉じる。
 だがランボは諦めなかった。
 初めて同年代の子供と普通に会話を交わせたのだ。
 村の子供達はランボを相手にしてくれない為、初めて友達が出来たような気分になった。
 それはランボの一方的な感情だが、そんな事をランボが気にする事はない。
「やだ! オレっちここで遊ぶもん!」
 ランボは宣言するようにそう言うと、現在迷子中だという事も忘れて遊びだす。
 リボーンは一緒に遊んでくれる事はなかったが、ランボはリボーンの目の前で鬼ごっこをしたり隠れん坊をしたりして遊ぶ。
 一人で「鬼さんこちら〜」や「よ〜いドン!」と鬼ごっこや隠れん坊をする姿は間抜けであるが、誰かが見てくれているという事だけでランボは充分だったのだ。
 こうして時間が過ぎていき、空が夕焼けの色に染まりだす。
 陽射しが射していた森の中も夕暮れとともに薄暗くなりだし、そろそろ帰らなければ森は完全な闇に覆われてしまう。
「……帰らなきゃ」
 ランボは遊びを止め、残念そうな面持ちで夕焼けに染まる空を見上げる。
 それに気付いたリボーンは「さっさと帰れ」とようやくランボが目の前から去ってくれる事に安堵した。
 だが、そんなリボーンにランボはきょとんとした表情を向ける。
「ねぇ、オレっちの村どこか知ってる?」
「…………迷子だったのか」
 今までのん気に遊んでいたランボの姿からは迷子などという状況が窺えずにいた為、リボーンは改めて疲れたような息を吐いた。
 迷子だったというのに今までへらへら遊んでいたかと思うと、ひたすら呆れるばかりである。
 しかし帰り道を教えなければランボはいつまでも此処にいると思え、リボーンは仕方なしに「あっちだ」と村がある方向を指差した。
 ランボは指を差された方向を見つめると、パッと表情を輝かせる。
「お前いいヤツだな! オレっち、また遊んであげてもいいよ!」
「二度と来るな」
「くぴゃっ」
 きっぱり拒絶されてランボはショックを受けるが、ぞんざいに扱われる事は慣れているので直ぐに復活した。
「リボーンのバカ、意地悪言うな! ランボさんはまた来るもんね!」
 ランボは「あっかんべー!」とリボーンに舌を出すと、村がある方向に向かって駆け出した。
 早く帰らなければ森は夜の闇に覆われ、視界が利かずに村へ辿り着けなくなってしまうのだ。
 しかしランボの表情は迷子だった時に比べて明るいものだった。
 村へ向かう足取りも軽く、森は徐々に薄暗くなっているというのに不安や怯えなどはない。
 同年代の子供と一緒に遊べたという事が気持ちを高揚させていたのだ。
 実際にはランボが一人で遊び、リボーンはそれを煩そうに見ていただけなのだが、ランボからすれば見ていてくれただけで一緒に遊んだという事になるのである。
「あ、ランボさんの村だ!」
 しばらく道無き道を走り、草木を掻き分けた先に広がったのは村の光景だった。
 村には土と木で造られた質素な家々が並び、夕暮れ時とあって家の窓からランプの灯りが漏れている。
 その灯りを目にしたランボはほっと安堵の息を吐き、自分の家に向かって駆け出したのだった。





「ただいまー!」
「おかえり、もう直ぐ夕食が出来るよ」
 ランボが自分の家に着くと、出迎えてくれたのは祖父であるボヴィーノだった。
 物心がつく前に両親を亡くしたランボは、母方の祖父であるボヴィーノに育てられているのである。
 幼いランボは、見た事もない両親を恋しく思う事もあるが、ボヴィーノが父や母の代わりとなってランボを慈しんでくれている事もあって寂しいと思う事は少なかった。
 そして何より、この村の中でランボを心から大切にしてくれているのはボヴィーノだけなのだ。
 村の大人も子供もランボに対して冷たいが、ボヴィーノだけはランボを大切に守ってくれているのである。
 家に入ったランボは、狭い調理場で夕食作りをしているボヴィーノに駆け寄った。
 ランボはボヴィーノの手元を覗きこみ、今晩の夕食を見て表情を輝かせる。
 今夜の夕食はパンとスープだった。スープは野菜すら入っていない質素なものだが、これが普段通りの夕食なのだ。
 だが、こういった質素な食事はランボの家だけに限ったものではない。
 この村は王族や貴族が暮らす都から離れている事もあり、物流が行き届かない貧乏な村なのである。
 村人は農作物を育てて自給自足の生活をしているが、実った作物の多くを都に徴収されていってしまうのだ。
「今日は遅かったね。どこで遊んでいたんだい?」
「ないしょ! でもね、今日はお友達ができたんだよ!」
 夕食の準備をしながら訊いてくるボヴィーノに、ランボは森へ行った事は隠してリボーンの事を話した。
 子供が一人で森へ行く事は禁じられているので森へ行った事は話せないが、新しく出会った同年代の子供の事は話したかったのである。
「その子ね、ランボさんよりチビだから遊んであげたの!」
 実際には無視され続けて相手にもされなかったのだが、ランボは嬉しそうに今日の出来事を話しだす。
 リボーンという同年代の子供が側にいただけで、一人でする鬼ごっこも隠れん坊も楽しかったのだ。
 ボヴィーノは、ランボが村人からどう扱われているか知っている事もあり、嬉しそうに話すランボの姿をにこにこと見つめていた。
「それは良かった。それで、その子供の名前は?」
「えっとね、リボーンっていうんだよ」
「リボーン……? 聞いた事がない名前だね。この村の子供じゃないのかね?」
 ボヴィーノに訊き返され、ランボは「くぴゃっ」と驚いた声をあげた。
 調子に乗って名前まで言ってしまったが、相手が村の子供でない事に不審感を持たれてしまったのだ。
 このままでは村の外の森へ行った事がばれてしまうと焦ったランボは、「わ、わかんない。それよりごはん〜」と誤魔化すようにとぼけて返す。
 そんなランボにボヴィーノは苦笑したが、「直ぐに作るから待ってなさい」とこれ以上追及する事無く夕食作りに戻ったのだった。
 夕食作りに戻ったボヴィーノに、ランボは誤魔化せたのだと内心で安堵する。
 森に行った事がばれてしまうのが怖かったという事もあるが、それ以上にリボーンの存在を必要以上に知られたくなかったというのがあった。
 別に何も後ろめたい事などないのだが、今まで友達がいなかったランボが初めて知り合えた同年代の子供なのだ。
 ランボは、リボーンに対して秘密の友達というワクワクするような気持ちを持っていたのである。
 こうしてランボは『秘密の友達』という感覚に浮き足立つような心地になると、鼻歌混じりに「ごはん〜」と夕食を催促したのだった。






 翌日もランボは一人で森を訪れていた。
 明るい陽射しの中、森の道無き道を駆けて日溜りの場所を目指す。
 そう、リボーンに会う為に今日も一人で森に入ったのだ。
 リボーンと会う約束などした訳ではないが、会えるかもしれないという期待と会いたいという気持ちが森へ足を向けさせたのである。
 ランボは草木の間を抜け、昨日の場所を思い出しながら進んでいく。
 そして見覚えのある大樹を見つけて表情を輝かせた。この大樹の向こうに日溜りの場所がある筈なのだ。
「ここだ!」
 大樹を抜けた先に、昨日と同じ日溜りの場所があった。
 自分の予想通りだった事に気分を浮上させたランボは、リボーンを探してきょろきょろと周囲を見回す。
「あれ?」
 日溜りの中でリボーンを探すが、リボーンの姿を見つける事が出来なかった。
 昨日リボーンは大樹の幹に凭れて昼寝をしていたのだ。今日も此処で昼寝をしているかと思ったが、リボーンは昨日と同じ場所にいないようである。
「あれれのれ。リボーン、どこー?」
 しかし諦めないランボは、「どこー?!」と呼びながら生い茂る草を掻き分けたり、日溜りの中をぐるぐる駆け回ったりしながらリボーンを探し続けた。
 そして何気なく空を見上げ、パッと表情を輝かせる。
「いた! リボーン見っけ!」
 ランボは満面の笑みを浮かべて、大樹の枝を指差した。
 そう、今日のリボーンは大樹の枝の上で昼寝をしていたのだ。
 しかも今までリボーンを探していたランボはすっかり隠れん坊をしていた気分になっており、「次はリボーンが鬼さんのばん!」とリボーンを勝手に遊びに参加させてしまっている。
 勝手に参加させられ、堪らないのはリボーンの方だ。
 今までランボを無視して昼寝をしていたリボーンは不機嫌に眉を顰め、地上にいるランボを睨み据えた。
「ウゼェぞ。俺を勝手に巻き込むんじゃねぇ」
 リボーンは苛立った様子で吐き捨てると、そのまま無視して昼寝の続きをしようと目を閉じる。
 しかし反応を返してくれた事が嬉しいランボは、嬉しそうな笑みを浮かべたまま枝上のリボーンに手を振った。
「やだ! そこからおりてきてよー、次はリボーンが鬼さんなんだからな!」
 しつこいランボはリボーンがどれだけ無視しても「ねぇねぇ早く〜!」と地上から騒がしく大声を上げ続ける。
 リボーンも最初は無視していたが、あまりの煩さに辟易した。
「村のガキどもと遊べばいいだろ。俺の所にくるんじゃねぇ」
 だが、リボーンから何気なく吐き捨てられたこの言葉に、ランボは表情を強張らせて押し黙った。
 突然様子を変えたランボにリボーンも気付くが、リボーンは我関せずとばかりに無視をする。
 こうして日溜り場所は今までの騒がしさが嘘のように静まり、その中でランボが肩を落として俯いていたのだ。
 しかししばらく経って、ランボは「……ガ・マ・ン」と呟くとリボーンを強気に睨みあげた。
「ラ、ランボさんは大人だから一人で遊べるもん! リボーンなんか知らないもんね!」
 ランボは大きな声でそう言うと、リボーンにくるりと背を向けて一人で遊びだす。
 意地になったランボは普段通り一人で鬼ごっこをしようと、「よ〜いドン!」と駆け出した。
 だが、張り切って駆け出そうとしたものの、ランボの小さな足は地面の小石に躓いてしまう。
「くぴゃっ」
 駆け出した勢いのまま躓いてしまったランボは、身体ごと転がるように地面に転倒してしまった。
「うぅ〜〜、いたいー……」
 顔面を打ちつけたランボは半泣き状態で起き上がる。
 頬と鼻頭に擦り傷が出来てしまい、そこからは薄っすらと血が滲んでいた。
「う、うぅ……っ」
 全身を打ちつけた痛みでランボの瞳に薄っすらと涙が滲む。
 本当は今直ぐにでも大きな声で泣いてしまいたかったが、ランボは「ガ・マ・ン」と必死に耐える。
 だがその時だった。
 ふと、血を滲ませていた擦り傷の箇所が瞬く間に薄れていき、傷が嘘のように跡形もなく消えていく。
 それは有り得ない現象だった。
 人間には自然治癒力というものが備わっているが、ランボのそれは不自然なもので、人間にしては即効性の高い治癒力だったのである。
 ランボ自身はそんな自分の治癒力を知っていたようで、「治った〜」と当然のように受け入れていた。
 しかしそれを目にしたリボーンはスッと目を細めると、枝上からランボの眼前に飛び降りる。
「……お前」
「な、なんだよっ」
 突然目の前に降り立ったリボーンに、ランボは驚いてしまった。
 だが驚きと同時に「もしかして」という期待も込み上げる。
 だって今まで散々無視してきたというのに、今度はリボーンの方から声を掛けてくれたのだ、これで期待するなという方が無理だろう。
「ランボさんに何か用かな? 遊んでやってもいいよ?」
 浮かれたランボは「ふふん」と鼻で笑い、ニヤニヤしながらリボーンを見る。
 そんなランボは明らかに調子に乗っており、リボーンは苛立ちで目を据わらせた。
「……ウゼェ」
 リボーンは冷たく吐き捨てると、踵を返してランボに背を向ける。
「ま、待って! 遊ばないの?!」
「誰が相手してやると言った」
 いとも簡単に離れてしまうリボーンに、ランボは慌てたように騒ぎ出す。
「やだやだ遊ぶー!」
 ランボは駄々っ子のように全身をジタバタさせてますますリボーンを辟易させた。
 しかし二人の時間はこうして過ぎていき、ランボがリボーンを追いかけ、リボーンはランボを無視するという光景が暫く続くのだった。






 ランボは、リボーンに出会ってから毎日のように森にある日溜りの場所を訪れた。
 目的はもちろんリボーンに会う為である。
 リボーンは遊び相手になってくれる事はなかったが、それでもランボは嬉しそうに森へ足を踏み入れていたのだ。
 こうして森へ行く日々を続ける中、ランボがリボーンの事を不思議に思わなかったといえば嘘になる。
 その不思議さとはリボーンの素性についてだ。
 リボーンは村の子供ではなく、かといって森に住んでいるという様子でもないのだ。
 リボーンはいったい何処から来ているのだろう、どうしてこの森にいるんだろう、とランボは疑問に思う事があった。
 ランボはリボーンがいると期待して森を訪れている訳だが、そこには約束したからなどという確かな保障はないのである。
 森へ入る際、ランボはいつも「いるかな? いるかな?」とドキドキしているのだ。
 しかしそんなランボの緊張を余所に、リボーンは必ずそこにいた。
 その事をランボも最初は単純に喜んでいたが、いつしかリボーンに対して疑問が浮かんだのである。
 そして、疑問が浮かべば直球で訊ねるのが子供というものである。
 もちろんランボもその例に漏れず、リボーンに「何処から来たの?」や「どうして森にいるの?」とストレートに質問していた。
 しかし、こうしたランボの質問にリボーンが親切に答える筈が無い。ランボがどれだけ質問を繰り返してもリボーンは無視し続けたのだ。
 だが一度だけ、ランボの疑問にリボーンが答えた事があった。
 答えてくれた疑問とは、森にいる理由である。
 その時のリボーンは「探してるんだ」とそれだけを言った。
 その答えは幼いランボにとって意味不明なものだったが、答えてくれた事が嬉しかったランボはよく覚えている。
 言葉の意味も分からず、何を探しているのかも分からなかったが、リボーンの事を少し知る事が出来ただけで満足だったのだ。







 ランボが森へ行くようになって一ヶ月が経過していた。
 今日も森で遊んだランボは、家に帰ってボヴィーノと夕食を食べ、今は寝室のベッドで横になっている。
 しかし本来なら眠るにはまだ早い時間で、扉の隙間からは隣室の灯りが漏れており、そこには夜の一時をゆっくり過ごすボヴィーノがいた。
 以前のランボならボヴィーノと一緒にゆったりした時間を過ごすのだが、森へ通うようになってからランボは早く眠っているのだ。
 それは少しでも早く明日を迎え、森に行きたいという気持ちからである。
 リボーンと会うようになって、ランボは毎日が楽しくて仕方がない。
「あしたは何しよっかな〜。ランボさん、いっぱい遊んじゃうもんね〜」
 今にも鼻歌でも歌いだしたい気持ちだが、ランボは「ガ・マ・ン」とぎゅっと目を瞑る。
 これ以上気持ちを高揚させてしまっては、ワクワクし過ぎて眠れなくなってしまうのだ。
 ランボは薄くて粗末な布団を頭から被り、頭の中で羊を数えだす。
 羊が三十匹を超えた頃には眠れるだろうか、ワクワクし過ぎて四十匹くらい必要かもしれない。
 ランボは頭の中に溢れるたくさんの羊に小さく笑いながら数え続ける。
 そして羊が二十匹を越えた頃、ランボの瞼は重くなり、うとうとと意識が閉じだした。
 こうして眠りに落ちていきそうになるランボだったが、その時。
「おい! ボヴィーノはいるか?!」
 不意に、怒声とともに家の扉が乱暴に叩かれた。
 突然響いたドンドンッという強い音に、せっかく眠りかけていたランボはビクリと目を覚ます。
 急なことにランボは不安になるが、隣室にいたボヴィーノが家の扉を開けたようである。

「こんな遅くにどうしました?」
「どうしましたじゃねぇ! 飛んでもない事しやがって!」
「……飛んでもないこと?」

 突然怒鳴り込んできたのは村の男達だった。
 しかも一人ではなく複数で訪れているようである。
 ランボは隣室から漏れ聞こえる怒声に怯えながらも、布団の中で耳を澄ませた。そして。

「ああ、お前の所のランボだよ! ガキだと思って甘い顔してれば調子に乗りやがって!」


 思いがけず自分の名前を出され、ランボは「くぴゃっ」と小さな悲鳴を上げる。
 驚きを隠し切れないランボは、布団を握り締めて息を殺した。
 自分が寝室にいる事など分かられているが、余計な声など上げてはいけないような気がしたのだ。


「ランボが何かしたのでしょうか?」
「毎日森へ行って妙なガキと会ってるそうじゃねぇか」
「妙な子供……?」
「ああ、村の子供じゃないのは確かだ。子供が森へ行くのは禁止してるっていうのに、そんな妖しげなガキと会ってるなんて冗談じゃないぞ」


 ランボは怯えながらも男達の怒声を聞いていたが、その中に含まれていた「子供」という言葉にピクリと反応した。
 男達の言う妖しげな子供というのは、間違いなくリボーンの事だったのだ。


「ま、待ってください。確かに子供が一人で森に入る事は危険ですが、そこにいる子供が妖しげだなんて決め付けては……」
「煩せぇ、あんな深い森にいるなんて不審だろ! きっと魔物の類いに決まってる!」
「もう二度とランボを森へ行かせるんじゃないぞ!」
「まったく、この村にいさせてやってるっていうのに恩を仇で返しやがって!」

 男達はリボーンを魔物だと決め付けると、リボーンと会っているランボを糾弾する。
 そしてランボを二度と森へ行かせぬようにボヴィーノに念を押すと、ようやく男達は帰っていった。
 こうして男達が帰った事で家の中は静まり返るが、空気の重い嫌な静けさだった。
 ランボは布団から少しだけ顔を出すと、隣室の明かりが漏れている扉をじっと見つめる。
 扉の向こうにいるボヴィーノの事を思うと辛かった。
 ボヴィーノはランボが森へ行っていた事など知らなかったのだ。男達の話を聞くまで、ランボは新しく出来た友達と遊んでいると思っていた筈である。
 それをこんな形で裏切ってしまい、ランボはそれが辛くて悲しかった。
 少しして、寝室の扉がゆっくり開く。
「ランボ、起きているかい?」
 そう言って寝室に入ってきたのはボヴィーノだった。
 ランボは小さく頷くと、横になっていたベッドから起き上がる。
 ランボを見つめるボヴィーノの眼差しは困惑のものだったが、その奥には切ないほどの悲しみがあった。
 それを目にしたランボは、咄嗟に口を開く。
「オレっち、もう森には行かない!」
 ランボは勢いのままそう言っていた。
 そんなランボにボヴィーノは何か言いたげに口を開きかけるが、ランボはそれを遮るようにして言葉を続ける。
「ランボさんは大人だから一人で遊べるんだよ? それにね、リボーンってすごく意地悪なヤツだから、もういっしょに遊んでやらないの!」
「ランボ、お前……」
 森へ行かないと言ったランボに、ボヴィーノは言葉に詰まった。
 今日まで嬉しそうに遊びに行くランボを見ていたボヴィーノは、ランボに森へ行かないと言わせてしまった事が辛かったのだ。
 しかしランボはボヴィーノを困らせたくなかった。
 ボヴィーノが大好きだから、ランボの所為で村人達に責められるボヴィーノの姿が辛かった。
 ボヴィーノをそんな目に遭わせるくらいなら、ランボは何だって我慢できるのだ。
 明日が待ち遠しくなるようなワクワクした気持ちも、同年代の子供と一緒にいられる楽しさも、何だって我慢できる。
 ランボが森へ行かないだけでそれが叶うなら、容易い事だと思えるのだ。
「知ってた? ランボさんは一人で遊ぶのが好きなんだよ?」
 困惑したままのボヴィーノに、ランボは気丈な笑みを浮かべて言った。
 そうしたランボの言葉にボヴィーノは辛そうな表情になるが、「すまない……」とランボのふわふわの癖毛を優しく撫でる。
「ランボ、お前には寂しい思いをさせるな。せっかく出来た友達を……」
「ううん、大丈夫! それにね、リボーンは意地悪なヤツだから友達じゃないの!」
 そう言ってランボは、「リボーンはひどいヤツなんだよ」とリボーンが無視してくる事やリボーンが意地悪な事を話し出す。
 だがそれは誰が見ても無理をしている姿だった。
 そんなランボの心情をボヴィーノが気付かない筈がなかったが、今のボヴィーノはランボに掛ける言葉が見つからない。
「そうか、それなら今度は私と一緒に遊ぼうね」
「うん。オレっち鬼ごっこしたい!」
「分かった。鬼ごっこも隠れん坊も一杯しよう。だから、今晩はもうお休み」
 ボヴィーノは慰めるようにそう言うと、ランボの頭を優しく撫でる。
 ランボは撫でられる感触にくすぐったそうに笑い、「おやすみ!」とベッドの中に潜っていく。
「お休み。良い夢を」
 そう言ってボヴィーノはベッドで横になったランボに目を細め、寝室から出て行ったのだった。
 残されたランボは、ボヴィーノが出て行った寝室の扉をじっと見つめる。そして。
「……ガ・マ・ン」
 それだけを小さく呟いた。
 ランボは、分からない事ばかりだ。
 どうしてリボーンと会ってはいけないのか分からない。
 どうして村の人達はランボに冷たいのか分からない。
 でも、自分は我慢しなくてはならないという事だけは分かった。
 明日が待ち遠しくなるようなワクワクした気持ちも、初めて出来た友達も、我慢しなくてはならないのだ。
 だって、ランボが我侭を言えばボヴィーノが困ってしまう。
 ボヴィーノが大好きだから、だからボヴィーノをランボの所為で困らせたくない。
「オレっち、かしこいから平気だもん……」
 ランボは我慢出来るから平気だ、と自分に何度も言い聞かせた。
 だが、言い聞かせれば言い聞かせるほど視界が涙で歪みだす。
 しかしランボは泣いてしまう前にガバリと頭から布団を被ってしまった。
 ボヴィーノに泣いている事を気付かれてはいけないと思ったのだ。
 だから、ランボは布団の中にすっぽりと潜った。
 誰も見ていない布団の中で寂しさや悲しさを隠し、声を押し殺して泣いたのだった。



 こうしてランボは、翌日から森へ立ち入る事は一切無くなり、リボーンと会う事もなかった。
 そう、明日が待ち遠しくなるようなワクワクとした気持ちも、今夜で終わりになったのだ。








   第二章・奪われた居場所





 ――――十年後。
 ランボは一人で森の中を歩いていた。
 そんなランボの両手には大きな籠があり、その中にはトマトや瓜など瑞々しい農作物がたくさん入っている。
 ランボは籠の中の農作物に目を細め、「今年は豊作だな」と嬉しそうに呟いた。
 十五歳になったランボは村の仕事を手伝う為、大人達に混じって畑仕事をしているのだ。
 だが、ランボが今いる村は幼い頃を過ごした村ではない。
 五年前に祖父であるボヴィーノを亡くし、ランボは直ぐに村を出たのである。
 当時十歳だったランボが一人で村を出るのは自殺行為であったが、今までランボを守ってくれていたボヴィーノを亡くしたというのに、あの村で一人きりの生活をする事が耐えられなかったのだ。
 しかし幸いにも現在の村に辿り着き、ランボは一人きりの生活を五年前から始めたのである。
 ランボはずっしりとした農作物を両手に抱え、村に向かって森の中を歩く。
 畑は村から少し離れた場所にある為、森を通らなければならないのだ。
 こうしてランボは森の獣道を歩いていたが、不意に、家屋の焦げた臭いが鼻腔を掠めた。
 その臭いに異変を察したランボは、獣道を外れて臭いの元を探す。
 草木を掻き分けてしばらく歩き、そして臭いの原因を目にすると息を飲む。
 視界に広がったのは、小さな村が焼け落ちた光景だったのだ。
 此処はランボの村と畑の間にある小さな村だったのだが、今は見るも無残な光景を晒している。
「……ヴァンパイアに襲われたんだ……」
 ランボはヴァンパイアという言葉を口にし、唇を強く噛み締めた。
 ヴァンパイアとは、この世界に存在する人間以外の種族である。
 魔物とも呼ばれるそれは人間と比べて小数の種族であるが、特殊な力を持っている事もあって恐れられているのだ。
 そして目の前の小さな村は、一夜のうちにヴァンパイアに襲われたのだろう。
 人間はヴァンパイアという種族を受け入れられず憎んでいる。
 ヴァンパイアも人間と相容れる事はなく、こうして村を襲っている。
 人間の世界で生きるランボにとっても、ヴァンパイアは憎むべき対象だった。
 だが憎みながらも、ランボの中に躊躇いがあるのも事実だった。
 その躊躇いとは、ランボの体内に流れる血である。
 ランボは、ヴァンピールだったのだ。
 そう、ランボはヴァンパイアの血と人間の血が流れる混血児だったのである。
 自分がヴァンピールだとランボが知ったのは、ボヴィーノが亡くなる間際の事だった。
 ボヴィーノはランボがヴァンピールである事を隠していたが、死ぬ間際にランボの両親の事を話したのである。
 ランボは、その時の事を今でも鮮明に覚えている。
 ランボの父親はヴァンパイアで母親は人間だった。二人はランボが生まれて直ぐに他界し、それからは母親の父であったボヴィーノがランボを育ててくれたのだ。
 この話を聞いた時、ランボは不思議と直ぐに理解した。
 自分がヴァンピールなら、村の人々にどうして冷たく接せられていたのか合点がいったのだ。
 只でさえヴァンパイアは憎むべき対象だというのに、半分とはいえヴァンパイアの血が流れるランボは憎まれて当然だったのである。
 当時の事を思い出すと辛いが、今は自分がヴァンピールである事を隠して人間として暮らしていた。
 ヴァンピールはヴァンパイアとは違って特殊な力などなく、人間に混じって暮らす事は難しくないのだ。敢えて違いを挙げるとするなら、自然治癒力が異常に高いという事だけである。
 その為、人前で怪我でもしない限りランボがヴァンピールである事がばれる事はなかった。
 ランボはヴァンパイアに襲われた村を物悲しげに見つめていたが、暫くして踵を返す。
 襲われた村は可哀想だと思うが、人間として生活しているランボはヴァンパイアに関与する事には関わりたくないのだ。
 ランボは村に背を向け、そのまま元いた獣道に戻って自分の村を目指す。
 襲われた村の事は忘れ、今は自分の生活を大事にしたかった。
 こうしてランボは森を歩き、自分の村に帰りつく。
 村には子供達が元気に遊びまわる声が響き、そんな子供達を優しく見守る母親達の姿があった。
 そうした穏やかな光景にランボは目を細め、子供達を見守っている母親達を横切ろうとする。
 だがその前に、その中にいた二人の女性がランボに気が付いた。
「ランボ、畑仕事が終わったのね。お疲れ様」
 声を掛けてきた女性はランボの家の隣に住んでいる女性と、その女性の子供である若い娘だった。
 娘を含めて後二人の子供を持つ女性は恰幅の良い面倒見の良い人で、一人暮らしをしているランボを何かと気遣ってくれる優しい人である。
「はい、今年は豊作ですよ。宜しければお一つどうぞ」
 ランボは笑顔でそう言うと、籠の中のトマトを一つ手渡す。
「有り難う。美味しそうなトマトね」
 女性は受け取ったトマトを見つめてニコリと笑い、「それにしても」と改まった様子でランボを見つめた。
「この村に来た時は小さな子供だったのに、すっかり大きくなったわね。しかも格好良くなっちゃって、私の娘の婿に来てほしいくらいよ?」
「ちょっと、お母さん……っ」
 女性の冗談交じりの言葉に反応したのは、後ろで話を聞いていた娘だった。
 突然名前を出された娘は慌てた様子でランボに向き直る。
「ご、ごめんなさい。母が変な事を言っちゃって……」
 娘は慌てた様子でランボに謝ったが、その頬は熟れたトマトよりも赤く染まっていた。
 そんな娘の様子は母親の言葉が満更でもないようで、ランボを見つめる眼差しには好意の色が含まれている。
 そう、栗色の長い髪と大きな瞳が愛らしいこの娘は、ランボに恋心を寄せているのだ。
 しかしランボは娘の想いに気付いていながら、その気持ちに答える気はなかった。そしてこの娘以外からの好意も受ける気はない。それはランボ自身が娘達に対して恋心を抱いていないという理由が大きかったが、今は自分が生活していくだけで精一杯だったのだ。
 だがそういったランボの思いを余所に、ランボは女性から好意を寄せられる事が多かった。
 十五歳になるランボは年齢より大人びた容貌をしており、整った容姿と優しい性格に好感を持たれる事が多かったのだ。
 しかもランボの整った容貌は近付き難さよりも親しみやすい柔らかさを醸しており、長い睫が縁取る翡翠色の瞳は甘い色を宿し、素直な感情を灯すそれは可愛らしくすらある。優しさが目立つ性格は少し頼りなげな気弱さもあったが、それでもランボに惹かれる村の女性は多かった。
 そうした娘の好意に、ランボは人当たりの良い笑みを浮かべる。
「いえ、有り難うございます。でも、オレにお嬢さんは勿体無いですよ」
 ランボはそう言ってニコリと笑うと、話題を変えようと娘の母親に向き直る。
「村に帰る途中で、隣の村を見てきました。隣の村はヴァンパイアに襲われたみたいで……」
「ええ、村は朝からその話で持ちきりよ。此処は大丈夫かしら、心配だわ」
 沈んだ面持ちになった女性に、ランボも心配気に頷く。
 隣の村が襲われたという事は、この村も襲われる可能性があるという事なのだ。
 ランボは憂いを帯びた瞳で平和な村の光景を見回した。
 ランボはこの村が好きだ。
 ヴァンピールである事を隠して人間として振る舞う限り、この村はランボに優しかった。
 畑仕事を終えて帰れば「おかえり」や「お疲れ様」と笑顔で村人に迎えられ、独り身のランボを何かと気遣ってくれる。
 この村に住むようになって、初めて自分の居場所を得られたような気持ちになったのだ。
 こうして人間として生活をする中でランボは、いずれ恋をして、結婚して、子供を育てるという普通の生活を送れるかもしれないと夢を見る。
 結婚相手には自分の素性を明かさなくてはならないかもしれないが、平穏な日々を送る中で、自分の素性を受け入れてくれる女性がいつか現われるかもしれないと夢を見る。
 それは甘い夢かもしれない。
 でも、こうした平和な日々を過ごしているうちに、まるで本当に受け入れられているような気がしてくるのだ。
 ランボは、この平穏を守りたい。
 ようやく手に入れた居場所を守りたい。
 誰に疎まれる事もなく、普通の日常を送りたいだけなのだ。







 その日の夜は、雲一つ無い月夜だった。
 夜空に浮かぶ月は煌々と輝き、淡い月光が地上を照らしている。
 しかし森を吹き抜ける夜風は強く、夜風に揺れた草木のさざめきが村の方まで響いてきていた。
 闇夜の森から響く風音はまるで咆哮のような薄気味悪さを持つもので、今夜は早く眠ってしまおうとランボは思う。
 眠るには早い時刻だが、森のさざめきを聞きながら夜の一時を過ごす気にはなれなかったのだ。
 そして何より、明日は早朝から農作物の収穫を行なわなくてはならない。
 今日収穫したトマトや瓜はとても出来が良かったので、明日の収穫も楽しみなのだ。
「明日はじゃが芋も採らないとな……」
 ランボは明日の計画を立てると、寝室のランプを消してベッドに潜る。
 ランプを消した事で室内は夜闇に覆われるが、窓から覗く月のお陰で完全な闇に包まれる事はなかった。
 明るい月光が窓から射し込み、ベッドに横になったランボを照らす。
 ランボは何気なく窓から月を眺めていたが、ふと、窓の外を黒い影が横切った。
「なんだろう……?」
 ランボは小さく首を傾げる。
 夜鳥だろうかと思うが、横切ったそれは夜鳥にしては大きかったような気がした。
 たった一瞬の出来事であったが、黒い影は妙な胸騒ぎとともにランボの目に焼きついたのだ。
 しかし無理やり夜鳥だと片付けたランボは、さっさと眠ってしまおうと目を閉じる。
 だが、その時だった。

「ヴァンパイアだ! ヴァンパイアが現われたぞ!」
「女子供を逃がせ! 早くしろ!」

 不意に、家の外から村の男達の怒号が響いてきた。
 その怒号と同時に、女性や子供達の叫び声が響いてくる。
「ヴァンパイア……!」
 先ほど目にした黒い影はヴァンパイアだったのだ。
 襲撃だと気付いたランボはベッドから飛び起き、農具であるクワを握り締める。
 こういった襲撃を受けた際、村の男は戦わなくてはならない。それは十五歳という年齢のランボも例外ではないのだ。
 田畑を耕すクワを武器とし、ランボは急いで家の外に飛び出す。
 勢い勇んで外に出たランボだったが、目の前に広がった光景に息を飲んだ。
 視界に飛び込んできたのは、逃げ惑う女性や子供達、炎にまかれる家屋という凄惨なものだった。
 村は炎の色で赤く染まり、炎の轟々とした音の中に女性や子供達の泣き叫ぶ声が入り混じっている。
 ランボはその光景を目にし、愕然としたまま立ち尽くした。
 ほんの数時間前までは平穏だった村が瞬く間に炎に巻かれ、平和だった村が阿鼻叫喚の地へと変貌したのだ。
 村の男達は農具を振り回したり石を投げたりして応戦しているが、夜風に煽られた炎は広がるばかりで、お世辞にも優勢な状態とは思えなかった。
 ランボは目の前の光景に圧倒されていたが、ハッと我に返るとクワの柄を握り締める。
 ぼんやり立ち尽くしている暇は無く、ランボも村の人間として戦わなくてはならないのだ。
 ランボは周囲を見回し、村を襲うヴァンパイアの姿を探そうとする。
 だが、視界に映るのは農具を振り回す村の男達の姿ばかりで、ヴァンパイアらしき魔物を目にする事は出来なかった。
 まるで見えない敵と戦っているような男達の姿にランボは困惑する。
 敵が見えなくては戦う以前の問題なのだ。
 混乱したランボは訳が分からずにクワを構えているしかなかったが、少し経過した後にある事に気が付く。
 視界を凝らして注意深く周囲を見れば、黒い影のようなものが村の中を縦横無尽に動き回っていたのだ。
 一陣の風のような黒い影が通過した後には火が着き、農具を振り回している男達が次々に倒れていく。
「……これがヴァンパイア……?」
 瞬きよりも素早い影を、形として捕らえる事は出来ないが、確かに人の姿をした影が村を襲っている。
 ヴァンパイアに特殊な能力が備わっている事は知っていたが、これほど歴然とした力の前では人間など無力も同然だった。
「どうしろっていうんだよ……」
 姿すら捉える事が出来ないヴァンパイアを相手に、どう戦って良いのか分からない。
 こうしている間にも大切な村が荒らされていくというのに、ランボは何も出来ない無力感に打ちひしがれる。
 だがその時、耳に女性の悲鳴が響いた。
 それに気付いたランボは声がした方を振り向き、「危ない!」と咄嗟に駆け出す。
 悲鳴の先でランボが目にしたのは隣家に住む母親と娘の姿だったのだ。
 二人は家屋の影に蹲っていたが、そこに黒い影が凄まじい速さで向かってきている。
 それを目にしたランボは駆け出し、母親と娘を背後に庇ったまま無我夢中でクワを振り回した。
「く……っ、あっち行け! あっち行けよ!」
 ランボは黒い影を追い返そうと、必死でクワを振り回す。
 しかし、どれだけ振り回してもクワの刃は虚しく空を描き、黒い影を掠める事すらなかった。
 視界は縦横無尽に動き回る影を捉えているのに、ランボの動きが付いていけないのだ。
 しかも黒い影は徐々にランボと距離を詰めてきており、そして、素早く動いてランボの頬を掠める。
「うわ……!」
 それは僅かな接触だった。
 しかし、その僅かな接触すら強い衝撃があるもので、ランボの身体が後方に吹き飛ばされる。
「つ……っ」
 吹き飛ばされたランボの身体は背後にいた母親と娘の前に叩きつけらた。
 負傷したランボに、母親と娘が慌てて駆け寄ってくる。
「ランボ、大丈夫かい?!」
「ランボさん、しっかりして……っ」
 心配そうに顔を覗き込んでくる娘に、ランボは「ありがとう」とゆっくり身を起こす。
「大丈夫、ちょっと掠めただけだから……」
 だが気丈にそう言いながらも、少し掠めただけだというのに頬は赤く腫れあがって血が滲んでいる。
 ランボは痛みに顔を顰めながらも、頬に滲んでいる血を手で拭った。
 しかし頬を拭った瞬間、今まで心配気な面持ちをしていた二人の表情が凍りつく。
「え……、どうしたの?」
 一瞬にして二人の様子が変わった事をランボは不思議に思うが、直ぐに異変の理由に気が付いた。
 ランボがもう一度怪我をした頬を触ると、そこにはある筈の傷が跡形も無かったのだ。
「しまったっ」
 そう、ヴァンピール特有の異常な自然治癒力である。
 それを二人に見られてしまったのだ。
 ランボが恐る恐る二人に目を向ければ、二人の表情は恐怖に歪んでいた。
 ほんの数時間前までは恋心に彩られていた娘の眼差しも、今は恐怖と嫌悪の色に染まっている。
「あの、これは……」
 ランボは何とか弁解しようと縋るように手を伸ばす。
 弁解の言葉すら浮かんでいないが、見捨てられたくないという一心で手を伸ばす。
 しかし。
「来ないで!」
 娘は母親にしがみつき、ランボを拒絶した。
 そして母親の方も娘を守るように抱き締め、ランボをきつく睨みつけている。
「よく今まで黙って村にいられたもんだ! この化物!」
 ランボの正体がヴァンピールだと知った二人は、ランボを排他する罵声を浴びせた。
 この村を守りたいのに、大切にしたいのに、やっと居場所が出来たと思ったのに、ヴァンピールだと知られた瞬間全てが裏切られたのだ。
 ランボは罵声に怯み、二人から後ずさる。
 だがこうして背後に隙を見せた瞬間、風のように素早い黒い影が背中に接触した。
「う……っ」
 背中に強い衝撃が走り、ランボはその場に崩れ落ちる。
 意識を失う事はなかったが、背中に受けた衝撃に全身から力が抜け落ちていく。
 それはランボがヴァンピールでなければ間違いなく即死していたと思われる衝撃だった。
「ぅ、痛いよ……」
 背中に燃えるような激痛を感じ、そこから鮮血が流れている事が分かる。
 少しの傷なら直ぐに治ってしまうが、今回の傷はあまりに深い所為で自然治癒力が追いつかないのだ。
「く……っ」
 ランボは痛みと悔しさで唇を噛み締める。
 どうしてこんな事になったのだろうか。
 ほんの数時間前までは平穏だったというのに、今はそれが嘘のような壮絶な状態である。
 ヴァンパイアが村を襲いさえしなければ平穏な日々は続き、自分もヴァンピールである事が村人にばれずにすんだというのに。
 ヴァンパイアに憎しみを覚えたランボは、倒れた状態ながらも唯一の武器であるクワを握り締める。
 気を抜けば直ぐにでも気を失ってしまいそうだったが、込み上げる悲しみと憤り、そして遣る瀬無さを何かにぶつけたかったのだ。
 だが、その時だった。


「――――ここで何をしている」


 不意に、男の低い声が頭上から落ちてきた。
 その声が響いた瞬間、村人達を襲っていたヴァンパイア達が動きを止める。
 ヴァンパイア達は突然現われた男に対して焦った様子を見せ、その場に膝を着いて頭を垂れたのだ。
 こうして今まで村を襲っていたヴァンパイアが畏怖を抱いた事で、それを見ていた村人達も騒然となる。
 男は姿を見せるだけで襲撃を止めさせ、存在感だけで一瞬にして場の空気を攫ったのだ。
「ここで何をしている」
 男は自分の足元に膝を着くヴァンパイア達を睥睨し、静かな声色で訊いた。
 だが静かでありながらも、男の声色には諌めるような響きがある。
 それを察したヴァンパイア達の間に動揺が走った。
「か、勝手な行動をして申し訳ありませんっ。しかし、我々もあの方を探していたのです!」
「そうか、だが此処にはいねぇぞ。さっさと帰れ」
 男が呆れ混じりにそう言い放つと、今まで村を襲っていたヴァンパイア達が飛び去っていく。
 それは嘘のような出来事だった。
 男のたった一言で、あれほど村人達を苦しめ、危機に陥れていたヴァンパイア達が瞬く間に姿を消したのだ。
 ランボは頭上で交わされた会話に驚き、ヴァンパイア達を従えさせた男を一目見ようと視線を上げる。
 こうして痛みに耐えながらも視線を上げると、ランボは驚愕に息を飲んだ。
「そんな……」
 ランボの声が震えた。
 ランボの視界に映ったのは、他を圧倒するような存在感と威圧感を纏った男だった。男は由緒ある貴族のような姿をしており、身に纏う黒い衣服と闇のように黒く鋭い瞳が特徴的である。
 男が肩から纏う漆黒の外套が風になびき、炎の赤とのコントラストが目に焼きつく。
 しかしランボが驚いたのは男の姿形ではない。
 ランボは、この男に見覚えがあったのだ。
「……リボーン」
 それは、十年振りに口にする名前だった。
 ランボは目の前の男から、十年前に出会った子供の面影を感じ取ったのだ。
 ランボがリボーンと名前を口にすれば、男は意外そうな顔でランボを見下ろす。
「どうして俺の名前を知ってるんだ?」
「やっぱり……リボーンだ……」
 リボーンに訊き返され、ランボは微かな笑みを刻んだ。
 やはり自分の記憶に間違いは無く、男はリボーンだったのだ。
 こんな所で再会するなんて夢にも思っていなかったが、それと同時にランボの中で疑問が生まれる。
 どうしてリボーンが此処にいるのだろうか。
 どうしてヴァンパイアがリボーンに服従しているのだろうか。
 この疑問の答えは知りたいようで知りたくない事だった。
 でも、痛みと出血で意識が朦朧とする中で、ランボの口から「どうして……?」と疑問が漏れてしまう。
 その疑問に対し、リボーンがゆっくりと口を開く。


「決まっているだろう。俺はヴァンパイアだ」


 リボーンは淡々とした口調で答えた。
 ランボは、それを信じたくなかった。
 しかし、リボーンの背後に広がる焼け落ちた村の光景が、そして村人達の恐怖に歪んだ表情が、それら全てのものがリボーンの言葉は真実であると肯定しているようだった。
 ランボは薄れていく意識の中で、誕生してから現在までの出来事が走馬灯のように思い出される。
 現在に渡るまで辛い事が多かったが、それでも楽しい事だってあった。
 中でも一番の思い出は、リボーンと初めて出会った頃の事だ。
 あの時は毎日が楽しくて、明日がくるのを待ち遠しく過ごしていたのである。
 そして二番目の思い出は、この村を訪れてからの事だ。
 素性を隠していたとはいえ、此処はランボを初めて受け入れてくれた村だったのである。
 だが意識を失う寸前、それらの思い出は黒く塗り潰されたのだ。
 リボーンの背後に広がる焼け落ちた村の光景に絶望し、リボーンとの思い出は黒く塗り潰された。
 そしてヴァンピールだと知られてしまった事で、村での思い出も黒く塗り潰された。
 黒く塗り潰された後は虚無感だけが残ってしまう。
 物悲しいそれにランボは静かに目を閉じ、眠りに落ちるように意識を失ったのだった。






                                              続く




長かったので2つに分けました。





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